連載●池明観日記─第13回

韓国の現代史とは何か―終末に向けての政治ノート

池 明観 (チ・ミョンクヮン)

≫ヨーロッパの目で見たアメリカ≪

トクヴィルは『アメリカのデモクラシー』第1巻第2部第1章を「アメリカでは、法を作る者もこれを執行する者も人民が任命する」という言葉で始めた。市民が市民の力によって高位の職に任命される。統治者があり、貴族階級があったヨーロッパでは考えることもできない政治構想であった。「これは大きな革命の時代であり、偉大な政党の時代である」。これが「選挙のたびに国家転覆の危険がある」ことを意味することは決してなかった。前にも引用したように、「偉大な政党は社会を覆し、矮小な政党はこれを騒がしくする」といわれるように、両大政党が平和の内にアメリカの政治を決定するようになる。そもそもそれは革命などあり得ないという体制である。韓国の場合は両大政党が脆弱であり、その他の少数の政党が革命を掲げてこれをゆさぶっている。このような体制に比べてトクヴィルは「アメリカは現在、世界中で、国内に革命の芽がもっとも少ない国であろう」といった。国家転覆の危機がないというのである。

少数党第3 党については「矮小な政党には一般に政治的信念が欠けている」というトクヴィルのことばを引用する必要があるのではなかろうか。それでこそ両党政治の伝統が成立しうる。韓国においてはまだそれにはほど遠いといえるかもしれない。長いことほとんど選挙といえるものがなかった独裁政治を経験してきたし、革命を唱える少数党としての野党が存在したにすぎなかったのではないか。

アメリカは、伝統的に個人は自分以外に信頼すべき人を持たないという風土であった。多くの国々から移民としてやって来たのだからとりわけそうであった。在米東洋人の場合はいっそうそうではなかろうか。移民となってきた韓国人は韓国人のキリスト教教会へ、日本人は日本人県人会へ、中国人は中国人料理屋へと行くといわれるのにはかなりの理由があるといわねばなるまい。韓国人の場合はまず教会へというこの移民の特徴をどのように生かすべきであるか。今のところは教会の集まりがそれでも信頼を得ているということではないか。これは宣教学的に考慮すべき課題ではなかろうかと思っている。

トクヴィルは「民主主義の観点からみると、政府は善ではなく必要悪である」といった。支配し統制する権力が存在しなければならないということは、実に原罪的な人間悪から来るものといわざるをえない。トクヴィルはアメリカにおいては「すぐれた人物が選挙に出たがらない。一般に才能に恵まれ、情熱に燃える者は権力から遠ざかり、富を追求する。往々にして、自分自身の仕事をうまく処理できないと感じる者だけが、国家の運命を左右する役目を引き受けている」といった。我が国においても国会議員を尊敬すべき人物だと考えたことは古い時代のことになってしまった。大統領も尊敬すべき人物であることをやめたといわねばなるまい。そのようになったのは盧武鉉(ノムヒョン)の時代(2003-2008 年)からであるといえようか。解放後愛国者が国会議員になる時代から漸次そのように転落してきたといわねばなるまい。

トクヴィルはアメリカの場合、新聞とは次のようなものであると語った。「合衆国の唯一の歴史記録は新聞である。新聞が一号欠けたら、時の鎖は断ち切られたに等しく、現在と過去とはもはやつながらない」。われわれ韓国の場合もそうであろう。しかしその一方でそのような新聞の役割がこの頃はテレビとかコンピュータに多く奪われている。私はこの国の軍事政権の時代を思い起こしながらトクヴィルの次のような言葉を読み続けた。

「暴力に従う人間は卑屈になる。だが同胞の持つ命令権を承認してこれに従うものは、ある意味で命令するものより上に立つ。美徳なしに偉大な人物はなく、権利の尊重なしに偉大な国民はない。いや社会すらないといえるかもしれぬ。力が唯一の絆では、理性と知性を備えた存在の集まりとは言えないからである」

軍部統治がわが国民の意識に何を残しただろうかということを考えざるを得ない。軍事政権下で衰退した国民精神という問題は実に深刻なものではなかろうか。民主政治に対するトクヴィルの次のような賛辞を読むにつけわれわれは民主化された韓国の今日をどれほど感謝すべきであろうかと思わざるをえない。

「民主政治は政治的権利の観念を末端の市民にまで行き渡らせる。私の目にはこれこそ民主政治の最大の長所の一つとみえる」

トクヴィルは「無力な法律と反抗的な被治者、高まる激情と徳の無力」ということばを使った。われわれが軍事政権の下で経験した状況とはまさにこのようなものではなかったか。その時代を生きてきた者でなければ、その時代を口にすることができないといえるかもしれない。それでもトクヴィルは「政府は滅びるものだが、社会が死ぬことはあり得ない……」といった。軍事政権の下でも、日本統治下でもわれわれはそのような歴史的な体験をしてきたのではなかろうか。このようなつらい経験をした国に比べてアメリカは次のような異なった経験をしてきたとトクヴィルは言った。

「貧乏人が支配する合衆国では、金持ちはその権力が自分たちに対して濫用(らんよう)されはしないか、つねに心配していなければならない」

「合衆国で人民が法に従うのは、ただ法律が彼ら自身の作品だというだけでなく、たまたま法律が障害になるときには、これを変更する力を彼らが持っているからである」

これはなんと幸せなことであろうか。アメリカがそうであるとすれば、なによりもそれはヨーロッパから自由を求めて渡ってきた貧しい人々が彼らの理想を投影した国家形態を持ったためであるといわねばならない。トクヴィルはアメリカをこのように理想化し賛辞を惜しまなかった。アメリカに対する彼の数多くの賛辞をどうしてここに全部引用することができようか。

「幸福を追求してかくも動揺の絶えぬ国の方が、運命に満足しきっているような国より、一般にずっと豊かで繁栄している」

「アメリカの地に降り立つやいなや、ある種の喧騒に巻き込まれる」

「幸福の追求にこれほど懸命に努める国民はあるまい」

「この絶えず沸き起こる喧騒は民主政治がまず政治の世界に導入したものである……」

「公共の問題に関わることで、人民の思考範囲は間違いなく拡がり、精神は確実に日常の経験の外に出る」

「法律が産業に活気をもたらすのではなく、人民が法律を制定する過程で、産業に活気を呼ぶ術を学ぶのである」

「社会全体に倦むことのない活動力、溢れるばかりの力とエネルギーを行き渡らせるのである」

トクヴィルが『アメリカのデモクラシー』(第一巻上)に残した重要な言葉、今日においても生き残っている言葉をもう少し写して見よう。主としてアメリカについていっているのであるが。 

「この国では地上のいかなる国よりも、また歴史に記憶されたいかなる時代にも増して、財産と知性において平等であり、言い換えれば誰もが等しい力をもっている」

トクヴィルはその当時ヨーロッパのどの国においても「地域共同体の自由を知る国民は一つとしてないといえる」といった。弾圧を受けてきたのだからアメリカに移民としてきた人々はそれを知っていた。韓国においてもそうではなかろうか。トクヴィルは「地域自治体から力と独立を奪うならば、そこにはもはや被治者しか認められず、市民はなくなるであろう」と言った。アメリカに対する次のような言葉はなんと美しい言葉であろうか。

「合衆国の革命は、自由に対する成熟した、思慮深い好みが生みだしたものであり、漠然として無限定な独立衝動が生んだものではない。騒乱の熱に支えられることは少しもなかった。それどころか、革命は秩序と合法性を愛する気持ちとともに歩んだ」

「人間は独立性を失って、自分の知らぬ目的地に向かって歩くくらいなら、じっと動かないでいる方をえらぶようにできている」

これはなんという素晴らしい言葉であろうか。人間に対するなんと尊敬すべき定義であろうか。独裁政権が口にしていた軽蔑的人間観と比較してみたい。彼らは人間というものはたたいて押し出さなければ動かないといったではないか。「全ての市民をあまねく一つの目的に向けて長期間歩ませうるものは、愛国心か宗教しかこの世にはない」。私自身の過去を振り返ってみてもそのような告白しかできないような気がする。人間に対する偉大な肯定とともに彼は次のように語ったのであった。

「諸個人の力の作用が社会の力の作用に結びつく時、権力が最も集中し、最も活動的な行政でもとても実行しえないことが時として成し遂げられる」

アメリカの民主主義に対するトクヴィルの果てしない賛辞はさらにこのように続く。

「多数の力が絶対的であるのは民主政治の本質に由来する」

「最大多数の利益は少数派の利益より優先されねばならないという原則……」

そこで「合衆国において多数は全能であり、その意志は即座に絶対的な形で実行される」という。 

トクヴィルはアメリカにおける多数の力に対して重ねて強調した。

「多数者の権力がヨーロッパに知られているいかなる権力と比較しても、どれほど圧倒的であるかは、合衆国における思想の営みを検討してみて初めて明瞭に認識される」

多数の力は認めなければならないが、わが国のことばでいえば、「国是」を否定する多数が現れればどうなるのであろうか。そのためにアメリカでは単純多数ではなく各州における多数に従って選挙人団を構成して民主・共和両党の間で権力の授受を決定するという限界を設定しているのではないか。こうして韓国のような場合からすれば北の政体に押し流されることのないようにしているのではなかろうか。アメリカの場合は、安定装置の下における多数に対する絶対的な支持といわねばなるまい。トクヴィルはこのようなアメリカの運命、その歴史について特別な意味を感じていた。

「最初の人間の中に人類の全てがあるのと同じように、アメリカの運命のすべては、新大陸の岸辺に到着した最初の清教徒の中にすでにあったのを見る思いがする」 

そのために「広大無辺の大陸を彼らに委ねて、自由と平等を長期にわたって守る手段を提供したのは、実に神ご自身である」とまでいった。インディアンは「土地の自然の富の利用を考えない遊牧民族」であった。「合衆国では法律が民主的なだけでなく、自然さえ人民のために働いている」ともいった。もちろんトクヴィルはインディアンの撲滅を擁護したのではない。ただアメリカは活力に満ちた若い時代を発見したと思って、「北アメリカはこの段階になって発見されたが、しかしその姿は神がそれまで秘蔵していたかの如く、まるで洪水の水がいま引いた後に現れた土地のようであった」といった。そして「西方に幸運の機会ありと聞き」、押し寄せてくるヨーロッパ人たちについてトクヴィルはこのように表現した。 

「この絶えざる人間の移動に比すべきものは、おそらくローマ帝国崩壊の時に生じたもの以外には何一つあるまい」

しかして彼ら移住者たちは過去とは違って「破壊と殺戮」を異とするのではなく「みな繁栄と生命の芽を携えて」やってきた。そこでトクヴィルはヨーロッパの目で驚きをもってアメリカの発展史、その西方への移動を描きだしたのであった。もう少し引用してみよう。「ヨーロッパでは、精神の焦燥、行き過ぎた物欲、極端な独立心は社会にとって大きな危険であると考えつけている」。しかしアメリカにおいてはこのような「人間行動の評価の仕方」が異なって来た。

「往々にしてアメリカ人は、われわれが強欲と名付けるものを称賛すべき勤勉と呼び、われわれが欲望の節度とみなすものにある程度の無気力を認める」

ここにおいてキリスト教は特異な役割をなした。それは彼らの限りのない欲望の拡張に道義的な自制と秩序を与えて高度な人間社会の建設を可能にしてくれた。キリスト教はアメリカの社会のすべてのことに影響を与えたし、それはまさにその社会の慣習であるといえた。トクヴィルはそのようなアメリカ社会が現代の社会に投げかけてくれる意味をつぎのように説明した。

「キリスト教徒の間にデモクラシーを組織し確立することは、現代の重大な政治課題である。アメリカ人は確かにこの問題を解決してはいないが、解決を願う人々に有益な教えを与えている」

アメリカは世界のモデルとなった。まず「国家の首長に集まった尊敬の念を決定的に破壊した」。そうしながらも立派な秩序を樹立した。トクヴィルのインディアンと黒人に対する描写は19世紀半ばにおいての観察としては実に見事なものであるというべきではなかろうか。南北関係についてはおよそ30年後に訪れてくる不幸、南北戦争をほとんど予言したといえよう。インディアンの敗北については彼らの日常生活、狩猟経済から説明した。黒白の融合といえる今日のアメリカの事態に対してはまだ予言するには至らなかったといえよう。アメリカは革命的な国、私は現代においてアメリカがそのような意味ではほとんどひとり先駆をなしているという考えから『現代の〈神国論〉』を構想せざるを得ないというのである。

≫比較思想の巨著である≪

『アメリカのデモクラシー』第2巻上下はアメリカの民主主義をヨーロッパの場合と比べるより比較思想的な文章ではなかろうかと思う。1840年発行となっているからトクヴィル35歳の時の文章であろう。文章的に多少難解であると言えるところもありまた論理的にはっきりしないところもあるが、上の巻末では民主主義に対する批判も明確にしているといえよう。デモクラシーという政治体制は放任しておいてはならない。その生き生きとした運用が必要であると言っている。まず第1部第1章のはじめをつぎのような言葉で飾っている。「文明世界で、合衆国ほど人が哲学に関心を持たぬ国はないと思う」。このことは哲学で思弁的なものを意味し、アメリカが実用主義的であることを意味したのであろう。第2巻第3章の終りで言っているが、トクヴィルはアメリカには国王とか貴族とかがないことをどれほどうらやましく思ったか分からない。

「アメリカ人の大きな利点は民主革命に苦しむことなくデモクラシーに到達したことであり、平等になるのではなく、平等に生れたことである」

民主社会が平等を求めることはいうまでもない。しかしそれが「全ての市民を個人では無力にする」。それでトクヴィルはつぎのように続ける。「人々がほとんど相似たものになって同じ道を通るとき、足を速めて、周りにひしめく画一的群衆から一人抜きんでることは誰にとっても難しい」。それでフランスでは自殺が流行し、アメリカでは精神異常が流行するという。アメリカでは宗教が自殺を禁じているからであるというのである。いずれにしても「魂は一層揺れ動いて落ち着かず、心の悩みが激しいことは認めねばならない」。だから唯物論的人間論が妥当だとはいえない。トクヴィルはアメリカ人は世界で最も「私的利益」に専心するが、「次の瞬間、すっかりこれを忘れたかのように、公共の問題に没頭する」といった。このことは韓国人にも当てはまるといえるのではなかろうか。

トクヴィルは唯物論に対する厳しい批判を展開した。われわれは「魂を向上させ、これを天に向かわせるべく倦むことなく努力しなければならない」と。「唯物論者が人間は獣にすぎないと十分証明したと思う時、彼らはまるで神であることを証明したかのように得意満面である」と皮肉をこめて言った。しかし彼は「多くの宗教は人間の魂の不死を教える一般的で単純で実用的手段にすぎない」としたことから見て彼は実は実用主義的宗教論をいだいていたのだといえるであろう。

「人間の心は人が思うより広く、地上の財の好みと天上のそれへの意とを同時に容れることが出来る。時としてどちらか一方を狂ったように追うことがあるとしても、もう一方を長期にわたって忘れ去ることは決してない」

こうしてトクヴィルは唯心論的な教育を強調した。このような点からすれば、長い間かたくなに維持してきた韓国の反共教育は共産勢力に直面していた我々にとってはある面で有用であったといえようか。トクヴィルは16章をつぎのような言葉で結んだ。

「もし人間が物質的安楽に満足しきるに至ったならば、彼らは少しずつこれを生みだす術を失い、ついには獣と同じように何の分別も何の進歩もなしにただこれを享受するだけになるであろう」

こうしてトクヴィルは宗教を強調する美しいことばを続ける。

「遠い将来に大きな希望をいだく習慣を失うと、人はやがて当然のように矮小極まりない欲求を瞬時に実現したくなり、永遠を生きることに絶望したその瞬間から、一日しか生きられないと決まっているかのような行動に傾く」

「哲学者と偽政者は人間の行動の目標を目に見えない遠くに置くことを不断に心がけるべきである。それこそ彼らのなすべき大事業である」

第2部第19章の終わりにおいてトクヴィルは「私は産業の危機が繰り返されるのは現代の民主国家における一つの疫病だと思う」といった。そして彼は民主国家に対する警告をいろいろと続けた。人間の非宗教化と矮小化のことや唯物論的人間論に対する警告などといろいろ続け、ついに人間社会全体に対する生態学的ともいえる欠点までも指摘した。ここにおいても彼は30歳代の若さにもかかわらず実に予言者的であった。 

「日ごとに彼の腕は上がるが、創意工夫にはかけてくる。彼の中で労働者が完成するにつれて、人間は堕落するといえよう」

技能者といわれる人びとが定年になる前に追放され他の職場では適応力がなくてものにならないといわれている。トクヴィルは「彼はもはや自分自身のものでなく、彼が選んだ職業のものである」と記した。労働者が追放されるのは「労働者は力を失って視野を狭め、より従属的になる。技術は進歩し、職人は退歩する」といわれるからであるという。「それゆえ、産業の知識は不断に労働者階級の地位を低下させると同時に、雇い主の階級を上昇させる」。経営者は労働者とは反対に成功のために天才的な能力を持たなければならない。その間隙はものすごく広まり、経営者はまるで「命令するために生まれたかのごとく」なるというのであった。

「これが貴族制でなくてなんであろうか」。

「デモクラシーのまさに中心に本来ある一つの動きから貴族制が生じる……」

そして「少数の格段に富裕な人々と大手数の極貧の人々」にふれ、トクヴィルはこのように続ける。

「金持ち同士が相互に固く結びついていないだけでなく、貧者と富者の間に真の絆がない」

「工場主は労働者に労働しか求めず、労働者は工場主に賃金しか求めない」

「われわれの眼前で成長しつつある工場貴族制は地上にこれまで見られた中でももっとも過酷な貴族制の一つだと思う」

こうしてトクヴィルは『アメリカのデモクラシー』第2巻第20章をつぎのような警告のことばで結んだ。

「もし仮に恒久的な境遇の不平等と貴族制が新たに世界に忍び込むようなことがあるとすれば、それはこの門を通ってであろうと予測できるからである」

これが1840年、若い先覚者トクヴィルの目に映り始めていた民主主義下における暗い現実であった。いまわれわれの目の前に大きく台頭している現実もまさにこのような恐ろしい風景ではなかろうか。

(2012年7月6日。この日の記述はさらに続く。次号へ)

池明観(チ・ミョンクワン)

1924年平安北道定州(現北朝鮮)生まれ。ソウル大学で宗教哲学を専攻。朴正煕政権下で言論面から独裁に抵抗した月刊誌『思想界』編集主幹をつとめた。1972年来日。74年から東京女子大客員教授、その後同大現代文化学部教授をつとめるかたわら、『韓国からの通信』を執筆。93年に韓国に帰国し、翰林大学日本学研究所所長をつとめる。98年から金大中政権の下で韓日文化交流の礎を築く。主要著作『TK生の時代と「いま」―東アジアの平和と共存への道』(一葉社)、『韓国と韓国人―哲学者の歴史文化ノート』(アドニス書房)、『池明観自伝―境界線を超える旅』(岩波書店)、『韓国現代史―1905年から現代まで』『韓国文化史』(いずれも明石書店)、『「韓国からの通信」の時代―「危機の15年」を日韓のジャーナリズムはいかに戦ったか』(影書房)

池明観さん日記連載にあたって 現代の理論編集委員会

この連載「韓国の現代史とは何か―終末に向けての政治ノート」は、池明観さんが2008年から2014年にかけて綴ったものです。TK生の筆名で池明観さんが1970年代~80年年代に書いた『韓国からの通信』は雑誌『世界』(岩波書店)に長期連載され、日本社会に大きな衝撃と影響を与えました。このノートは、折々の政治・社会情勢を片方に見ながら、他方でその時々、読みついだ文学作品、あるいは政治・歴史にかかわる書籍・論文を参照しながら、韓国の歴史や民主化、北朝鮮問題、東アジア共同体の可能性などを欧米の歴史・政治と比較しながら考察を加えています。

今回縁あって、本誌『現代の理論』は、著者・池明観さんからこの原稿の公表・出版についての依頼を受けました。第12号から連載記事として公開しております。同時に出版の可能性を追求しています。この原稿の出版について関心のある出版社は、編集委員会までご連絡ください。

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