論壇

迷走する「教育を受ける権利」論

「ブラック教育」の暴走を止められない

元職業能力開発総合大学校 田中 萬年

はじめに

教育が混乱し、政府の施策に疑問を持つ国民が増えている。また、憲法9条の解釈で、教育界はさらに混迷するであろう。何故、教育は国民の願うようにならないのだろう。

安倍総裁が選挙中に主張していた「教育を取り戻す」とは自民党が国民から、“取り戻す”ことだったのだ。安倍政権が進めている「教育改革」は「教育を為政者が取り戻す」政策だといえる。そのため、安倍政権が教育を「矯育、競育、強育へと変質している」として、その現象を多角的に論じたのが青土社『現代思想』4月号の特集「ブラック化する教育」だった。

ところで、「ブラック化する教育」ということはその前の教育は“ホワイト”だった、つまり民主的な教育だった、ということが前提になっている。このような論理は何時からだろうか。

しかし、自民党は変わっていない、と主張するだろう。なぜなら、自民党の「日本国憲法改正案」では、「教育を受ける権利」についての修正は行われていないからである。それは「教育を取り戻す」安倍政権の政策と矛盾しないのである。

ところで、歴史を遡ると、孟子による教育の創造以来、元来教育はブラックだったのである。そして「教育を受ける権利」は国民の職業能力を保障しない。このことについては前論の「日本的『教育を受ける権利』の精神と問題」(1)をご参照頂きたい。同論では「教育を受ける権利」論を体系化したとされる堀尾輝久の論を中心に批判している。

確かに戦後の一時期は民主的に運営された。それは未だGHQの意向により、つまり、"Education"の観念により指示され、運営された時期であった。ところが施政権の返還以降、わが国の為政者は教育の観念により運営することに知力を傾けてきた。そのため、ブラック教育は次第に姿を現すようになったのであり、安倍政権で教育のブラック化が始まった訳ではない。

近年の不況を目の当たりにして、為政者は職業教育の重視策や誤魔化しの“キャリア教育”等を進めている。しかし、教育理念の根本が改革されなければ国民の職業能力が保障されるはずはない。このことを戦後史から整理した『「職業教育」はなぜ根づかないのか』(2)を纏めた。もちろん、本書でも堀尾輝久を批判している。ところが、2月に開かれた同書のある合評会で、研究者Tは「堀尾先生は、『教育基本法をどう読むか』(3)(以下、『どう読むか』という)では『教育への権利』と言っておられます」と、紹介した。

拙論で堀尾論を批判する立場は、「教育を受ける権利」論が堀尾の代表的論理であるだけでなく、日本教育界の前提になっていると考えたからであった。「教育を受ける権利」と「教育への権利」では天動説と地動説ほどの差異があるが、そのような異論を同じ研究者が主張していることに驚いた。しかも「教育を受ける権利」をまとめた「義務教育」(4)を刊行している時期と併行して主張しているのである。そこで、『どう読むか』や関連する著作も調べて見た。以下、堀尾輝久の論を中心に批判を展開したい。

今日、何故に堀尾論を批判する必要があるのか。それは堀尾が「教育を受ける権利」論を体系化した第一人者であり、教育学界での影響が大きく、誰も堀尾を批判しないからである。これではわが国の教育論はいつまでも国際的潮流から離れた孤島の論に終わろう。このままでは日本の為政者が進める教育の暴走に巻き込まれるだけであり、それを改革する「人間発達支援策」の検討が困難であると考えるからである。つまり、大多数の国民に必要な職業能力開発、職業訓練はますます衰退することになるからである。

ただ一点、前論執筆以後の補足しておかねばならない新たな発見として、教育学で高名な大田堯は近年、Educationに教育をあてたことは「『誤訳』だったとも云えよう」としている(5)ことである。この大田の反芻は極めて重要である。なぜならこれまでの教育学の根底が覆されるからである。勿論、本稿で批判するEducationを教育として解説している堀尾輝久の論は成り立たなくなる。大田の論を前提に教育論を再考する必要がある。

1.戦前の「教育を受ける権利」論からの未発展

周知のように「教育を受ける権利」は国民主権の戦後憲法に規定されたため、民主的な規定だという認識が暗黙にある。ところが、類似の思想は臣民(国民)の学習の権利が規定されていなかった戦前の明治憲法下でもあった。

例えば幸徳伝次郎(秋水)は、1904(明治37)年の「貧民教育と小学教師の待遇と」において「吾々は亦社会の一人として一人前の教育を受くるの権利がある」と提起した。また下中弥三郎は1920(大正9)年の「学習権の主張」において「教育を受くることは、社会成員の義務ではなくて権利である」と提起した。

上の下中論について堀尾は「義務教育」の〔補注〕で、「ところで、戦前のわが国の教育思想において、子どもの権利の確認と、権利としての教育の思想は皆無であったわけではない。」と紹介し、「しかし、このような思想が、天皇制教育体制のなかでは例外的なものでしかなかったことはいうまでもない。」と意味づけている。しかし、この補注の立場は、「教育を受ける権利」を社会状況が全く異なる戦前と戦後を同列に見た評価と言えよう。

戦前は、教育を受けることは天皇の臣民となるための義務だったが、それを「社会の一人として」の、「社会成員」としての権利であると主張した事に意味があったのである。そのような臣民の学習の権利が規定されていなかった戦前の憲法下の「教育を受ける権利」論は、戦後の国民主権の下での「教育を受ける権利」よりも遙かに意義深いことが理解できる。

戦後の「日本国憲法」は国民主権が前提である。国民の権利とは受けることではなく、国民自身が人間として発達するために必要なことを求めることであろう。特に下中の論は今日にも適応できる「学習権の主張」の中で「国民が求める」ことを主張した先見性が認められる。戦後の「教育を受ける権利」論は、戦前の幸徳や下中の「教育を受ける権利」を乗り越えているとは言えず、戦後の「教育を受ける権利」を前提とした堀尾の論は幸徳、下中の論から何も発展していないと言っても過言ではない。

2.「教育への権利」への転換の自己矛盾

マッカーサー草案には無かった「教育を受ける権利」を明記した「日本国憲法案」について、「君民一体の民主主義体制の確立、国体の護持」をモットーに当選した自由党の廿日出厖が衆議院の秘密会で、「民主的な一切を盛ってある」と唯一人賛同した。一方、京都大学の佐々木惣一は貴族院の特別委員会で「教育を受けると云うことが権利の内容になるのか」と唯一人疑問を呈したが、政府側は何も答えずに「教育を受ける権利」は規定された。このような問題の吟味も無く、堀尾は「教育を受ける権利」論の第一人者になった。国体護持者が賛同した「教育を受ける権利」の論を堀尾は体系化してきたのである。

ところが、堀尾は「教育を受ける権利」論を体系化した『現代教育の思想と構造』(6)を刊行した14年後の『どう読むか』では「教育への権利」(7)に転換したのである。しかし『どう読むか』刊行後も、3回版を改め、都合27刷が40年近く刊行された『教育基本法』に掲載している「義務教育」の「教育を受ける権利」論については全く訂正していない。「教育を受ける権利」も「教育への権利」も堀尾にとっては、その時々の著作のトーンを表しているだけで、一貫した思想と構造では無いようだ。

『どう読むか』では「さらに、憲法26条の教育を受ける権利の意義をどこまで深くとらえるかが重要です。」と記しているが、「教育を受ける権利」を深く捉えた結果が「教育への権利」になる、ということなのだろう。このことに関して『どう読むか』に次のように述べている。

教育への権利 このことに関連して私は「教育を受ける」という表現にも問題があると思っています。少なくともそれは「教育への権利」という表現の方がよいと思っています。たとえばヨーロッパ語で「教育を受ける権利」を表現をすれば、英語では"Right to education"フランス語では"droit à l'education"ドイツ語では"Recht auf Erziehung"というのですが、それは「受ける」というふうに訳す必要はないのであり、いずれも「教育への権利」でいいのです。世界人権宣言26条の表現もそうなのです。人権としての「教育への権利」は、当然「受ける」ということも入るし、「要求する」ということも入ります。要求し、受け、そして押しつけられたものに対しては「拒否する」という内容を持っているのが、本来の「教育への権利」なのだと思うのです。

ここで、「世界人権宣言」を問題にするのであれば、国際的な共通語である英語で紹介すべきである。「世界人権宣言」のそれは"Everyone has the right to education."である。この「世界人権宣言」を最初に紹介した鈴木安蔵は「教育に対する権利」とした。その後、「教育を受ける権利」としたのは日本政府であり、堀尾をはじめとした大半の研究者である。

そして、ヨーロッパ語を問題にするなら「すべて国民は、…等しく教育を受ける権利を有する。」の政府公式英訳である"All people shall have the right to receive an equal education…"を紹介すべきである。「受ける」が"receive"と明確に訳されている。「教育を受ける権利」をヨーロッパ語で表現した外国人がいたのか疑問である。

「世界人権宣言」や「日本国憲法」を重視する堀尾が、ヨーロッパ語を問題にしながら、宣言の原文や憲法の公式英訳を紹介しないのは何故か。「書き手が何かを隠蔽しようとする時、文章はポエムの体裁を身につけざるを得ない」(8)ことを表しているようだ。

なお上の引用で、堀尾はドイツ語訳を"Recht auf Erziehung"としているが、ドイツで使用されているのは"Recht auf Bildung"である。"Erziehung"と紹介したのは、"Erziehung"が「引き出す」という意味を内包しているため、教育にもそのような意味を持たせたい、とする堀尾の願望であろう。

さて、「教育を受ける権利」を否定して「教育への権利」の論理となっていることは英語でいえば"receive"をやめて"to"にしたことになり、真逆の論理になっている。"receive"を"to"に変更すると主語と述語の立場は反転するはずである。その転換は思想、理論が発展しているとするなら、旧理論の問題点を指摘して論述すべきだが、そのような解説はない。それは憲法を否定しないためのレトリックなのだろうか。「世界人権宣言」も同じであるとすれば、英語の"to"には "receive"が入るという意味になるが、そのような解説を英文で理解できるはずがない。

関連して「人権としての『教育への権利』は、当然『受ける』ということも入るし、『要求する』ということも入ります。」との解説は、少なくとも日本語的に理解出来ない。

従来の「教育を受ける権利」を主張していた時よりも「教育への権利」は観念の幅が広がる、という意味だとしても、論理が理解出来ない。

なお、「世界人権宣言」については、17年後に刊行した『いま、教育基本法を読む』(9)(以下『いま読む』と記す)においても基本的に同じ論旨で解説している。

3.「教育への権利」論の自家撞着

『どう読むか』には「教育基本法」第3条(教育の機会均等)を解説する箇所で、「教育への権利」に関しての記述がある。

「この3条には、…やはりこれは憲法と一体である」とは「教育を受ける権利」のことであろう。ちなみに、この「憲法と一体である」は『いま読む』でも表現の差異はあるが基本的に踏襲されている。すると、「教育への権利」は「教育を受ける権利」と一体である、となり、「教育への権利」とすることは「教育を受ける権利」を否定することではなさそうである。

また、「憲法26条の『教育を受ける権利』という表現が、果たしてこれでよいのだろうかということも問題で」あるとしているが、何が問題なのかの解説はない。「教育を受ける権利」が問題であれば、それを分かり易く解説するのが研究者の役目であろう。しかも、自からが体系化してきた「教育を受ける権利」の何が問題なのかを述べない故に「教育への権利」へ転換する意味も理解出来ない。

そのため、「従って条文の解釈としても、『教育への権利』というふうに読むべきであるという主張をしているのです。」との説明も、何故に「読むべき」なのか理解出来ない。

上の一連の解説は憲法26条に関する堀尾の新たな解釈であり、「教育への権利」に転換したことを意味している。先にも記したが、まさにコペルニクス的転回である。それも同じ研究者が前論を否定せずに唱えているという不思議である。どちらを主張するのか。

堀尾の解説は「教育を受ける権利」から「教育への権利」へ論理が発展している、ということであろうが、発展であれば、従来の論の問題を整理し、批判しなければならないが、“発展”の論理の解説はない。それはレトリックなのだろうか。むしろ「教育を受ける権利」論を自己批判したかのように誤魔化しているようだ。しかも、「教育を受ける権利」の完全な否定も無く、「教育への権利」にしなければならないという理由も明確でない。

堀尾は『どう読むか』第1節の最後に「誰が、何を『正しい認識』と判断するのか、この点にとくに注目しつづける必要があるのです。」と記している。堀尾の論についても同様に、国民が「正しい認識」を得なければならないが、以上の紹介のようにそれは困難であり、むしろ堀尾の論に疑問が沸く。

先ず、「教育への権利」は日本語として成り立つのだろうか。これは教育の定義に関わるが、『広辞苑』の定義「人間に他から意図をもって働きかけ、望ましい姿に変化させ、価値を実現する活動。」(第二版(1969年)から第五版(2007年)までの共通定義)を適用するのであればそれは国民の権利としては成り立たないといえる。

「教育を受ける権利」の論の誤りを訂正したり、読者に謝罪した記述は「教育への権利」に転換した『どう読むか』にも『いま読む』にもない。ということは、堀尾自身は何も変わっていないという認識なのであろう。このことは、「教育を受ける権利」の概念に類似した用語を次々に新造し、或いは転換した筈の「教育への権利」を主張する論文の中でも「教育を受ける権利」を批判せずに使っていることに表れている。

たとえば、「教育を受ける権利」を肯定する立場の論文である「義務教育」では「教育の自由」、「教師の教育権」、「権利としての教育の思想」等が使用され、さらに「子どもの学習権」も使用されていた。ところが、『どう読むか』でも、「人権としての教育」、「教育の自由」、「教師の教育の自由」、「親の教育参加の自由」等が使用されている。

このような用語は深く考えなければ読み飛ばすが、未定義のままの「教育」で新語を創ってもそれは何を意味しているか理解出来ない。このように、色々と類似語を造作して使用し、「教育への権利」の理解をますます困難にしている。

しかも、「教育を受ける権利」とは全く真逆の「学習権」という論理を同一の著作で併用している。例えば、「国民の学習権」(10)では、「この教育を受ける権利の規定、憲法第26条をささえている教育の思想も、じつはそういう発達の可能態としての子どもの権利を保障する。」として、「教育を受ける権利」を否定していないのである。しかも、タイトルは「国民」なのに「子ども」に限定しているが、学習は大人にも権利があるはずだ。教育と学習とは全く正反対の営みである。どちらの立場に立つのか、そのことで研究の在り方、追究する方向が異なるのは必然であり、堀尾はどちらの立場なのかが不明である。

さらに、堀尾が「教育への権利」を主張した後に編集している資料集(11)では「世界人権宣言」の"the right to education"を「教育を受ける権利」と紹介しているが、このことは論理矛盾であろう。ところが同資料集の参考文献として、当該部分を「教育への権利」と紹介している永井の条約集(12)を上げており、二重の論理矛盾を呈している。

そして、近年の「人権としての教育と国民の教育権」では「憲法と教育の関係を問う際、人権条項の一つとして列記された『教育を受ける権利』(26条)が注目されるのは当然のことだが、問題はそこでの『教育』とは何かであり、さらに『受ける権利』を保障するのは国であるという短絡的結論をも導きかねない。」と記している(13)が、「教育を受ける権利」を否定した論理は記されていない。「『教育』とは何か」と問いながら、堀尾は本論でも「教育」の定義をしていない。「教育」の未定義のままではどのように述べても「『受ける権利』を保障するのは国である」を否定する論理は出てこない。

また、同上論で「26条は…『教育への権利』規定として読まれねばならない」と記しているが、「教育を受ける権利」を否定した解説とはなっていない。その注記で「right to educationは『教育を受ける権利』と訳されてはならない。」とも記しているが、「世界人権宣言」の説明も無く、この論文単独では英文は何か意味不明であり、自身が編集した資料集とも矛盾した記述である。

以上のような論述を総合すると、堀尾が『どう読むか』でいう「教育への権利」は、基本的に「教育を受ける権利」を否定しない論理であり、迷走する自家撞着の論理であるといえる。

おわりに

以上のような堀尾が主張する教育に関する解釈では、国民の爲の論理とはならないのは明らかである。なぜなら「教育を受ける権利」を守ろうとしている自民党の憲法改正案をどのように超えるのか第三者には理解出来ないからである。

「教育を受ける権利」を守ろうとしている自民党の論理を、堀尾等の教育解釈論では批判できないことは明らかである。教育のブラック性を自民党は上手く利用し、わずかな手加減でその暴走を加速できるのに対し、ブラックな教育をホワイトに転換することの困難性は明白である。自民党の憲法9条の解釈の論理と逆であることがわかる。

ソビエト憲法や「世界人権宣言」の規定も「教育を受ける権利」だとする誤解を含んだ一見精緻な堀尾の論は教育学界において認められ、堀尾は不動の地位を確立した。そして「教育を受ける権利」を賞賛し、憲法を守るという政治的立場が一般国民に支持された。しかし、一人ひとりの国民の発達と能力の開発に関する論理の構築にとって「教育への権利」への転換は教育改革の根本を見失わせたと言える。つまり、教育についての堀尾の論は、小田嶋隆が述べるように、本質を解説せず、検証できない、民心が期待する言葉で、自分だけの造語で言い放し、誤魔化していると言えるからである。むしろ、永六輔の「まず『教育』にかわる言葉をつくるべきです。」(14)との提言が極めて分かり易いと言えよう。

この理由の根本は、やはり堀尾が教育の定義をしていないことにある。憲法や法律も定義していないため、自民党の施策は明治政府が意図した官製語の構想に近づいているのである。教育を定義せず、教育を用いれば、為政者の論が主流になるのは明らかである。とは言え、「教育」を国民が定義しても為政者が簡単に認めることはないだろう。

為政者が守っている「教育を受ける権利」を堀尾が解釈しても、為政者への抵抗とはならない。そのため、「教育を受ける権利」の解釈である「教育への権利」論によっても、自民党の「ブラック教育」の暴走を止める事はできないだろう。国民一人ひとりの発達と成長を保障するためには自民党が守る教育を忌避して、新たな体系を構築すべきである(15)

今日の教育改革に関する拙論は「これからの人間形成の法体系」(16)に記しているが、"Education"は教育ではなく「能力開発」と考える、ということを前提として、

第1に、学校領域では教育の文字を忌避(17)し、「学習」の言葉で再編すべきである。

第2に、「教育を受ける権利」は「学習する権利」として再編すべきである。

第3に、「勤労」を「労働」として労働権の条文を学習権の先に規定すべきである。

というのが、拙論の骨子である。

なお、詳しくは「堀尾輝久の『教育への権利』論への再疑問」、ブログ「職業訓練雑感」、2014年3月9日~4月4日(不定期)をご参照頂きたい。

注)

1)田中萬年「日本的『教育を受ける権利』の精神と問題」、『現代の理論』09新春号。

2)田中萬年『「職業教育」はなぜ根づかないのか-憲法・教育法の中の職業・労働疎外-』、明石書店、2013年。

3)堀尾輝久『教育基本法をどう読むか』、岩波ブックレットNO48、1985年8月。

   なお、本書はタイトルが示すように解釈の書であるが、同書で「教育基本法改正の動向と解釈上の争点」との節を設け、為政者の解釈に対抗して、「私たちとしてもこの教育基本法のあるべき解釈」をすべきと記している。

4)堀尾輝久「義務教育」、宗像誠也編著『教育基本法』、新評論社、2002年。初版:昭和41年。

5)大田堯「人間にとって教育とは」、『大田堯自撰集成1』、藤原書店、2013年11月(論文の初出は総合人間学会編『自然と人間の破壊に抗して』2008年5月だが、本稿へ引用した部分の記述はなく、自撰集制作時の補筆と思われる)。また、望ましい"Education"の日本語、教育の英訳は記されていない。筆者は、それぞれ「能力開発」、"Production"だと考えている。「"Education"は『教育』ではない」、『技能と技術』1996年6号。

6)堀尾輝久『現代教育の思想と構造』、岩波書店、昭和46年8月。

7)「教育への権利」論を最初に主張したのは牧柾名「教育への権利と教師の地位」、『現代の教師』、1969年7月のようだ。

8)小田嶋隆『ポエムに万歳!』、新潮社、2013年12月。

9)堀尾輝久『いま、教育基本法を読む』、岩波書店、2002年12月。

  なお、「世界人権宣言」の"the right to education"に対応するドイツ語訳は"Recht auf Bildung"であるが、本書でも誤ったまま"Recht auf Erziehung"としている。また、フランス語訳の紹介の"droit á 1'enseignement"も誤りで、国連のフランス語「世界人権宣言」では"droit à l' éducation"である。

10)堀尾輝久「国民の学習権」、『現代と思想』、1973年第11号。

11)堀尾輝久・河内桃子編『平和・人権・環境教育国際資料集』、青木書店、1998年11月。

12)永井憲一監修『教育条約集』、三省堂、1987年7月。

13)堀尾輝久「人権としての教育と国民の教育権」、『日本の科学者』、2010年3月。

14)永六輔「教育は良くない」、『教育をどうする』、岩波書店、2003年。

15)元木健・田中萬年編著『非「教育」の論理-「働くための学習」の課題-』、明石書店、2009年12月。

16)田中萬年「これからの人間形成の法体系」、日本社会教育学会編『教育法体系の改編と社会教育・生涯学習』、東洋館出版社、2010年9月。

17)ただし、社員や部下を教育すべき企業や軍隊等では必須であろう。

たなか・かずとし

1943年生まれ。職業能力開発総合大学校名誉教授。近年は「仕事のための発達を支援する営み」という意味でエルゴナジーErgonagyを提唱している。『教育と学校をめぐる三大誤解』、『働くための学習』(ともに学文社)、『職業訓練原理』(職業訓練教材研究会)等。

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