コラム/若者と希望

安心して絶望できる社会

障害者福祉・職業指導員 川島 祐一

 「人間が偉大なのは、自分が悲惨だと知っている点において偉大なのである。」(パスカル)

皆さんは、「障害者とは誰のことか」と訊ねられたらどのように応じますか。ここでは、日本の障害者福祉について大まかに紹介したのち、この春から、職業指導員として働いている現場を通して感じたことを記したいと思います。

1.

日本の障害者福祉政策の原点は、生活困窮者や障害者に対する保護、慈善、博愛といった戦前からの個人レベルの取り組みにあります。戦前の福祉については、別の機会に記すことにして、国の政策に視点を絞ると、第二次世界大戦の敗戦とともに始まりました。戦争により多くの国民が傷つき、障害を抱えることになったためです。こうしたなか、障害者福祉が“国の責任”で整ってくるようになりました(身体障害者福祉法、1949年)。さらに、知的障害者については、児童福祉法(1947年)によって知的障害児施設が、知的障害者福祉法(1960年)によって知的障害者援護施設が制度化されました。精神障害者については、精神衛生法(1950年)が制定されると、精神障害者を病院へ“強制的”に入院させることが対策の中心となりました。しかし、精神病院での虐待など人権侵害が明るみに出たのを受けて、精神保健法(1987年)が制定されました。これにより、本人の意思による入院や社会復帰のための施設が制度化されました。

その後も、1980年代頃から認知され始めた自閉症などの広汎性発達障害、注意欠陥性多動性障害などの発達障害、また脳に損傷を受けたことによる高次脳機能障害など、障害の範囲はどんどん広くなっています。当然、それに合わせて必要とされる制度も変わっていくことが求められます。いずれにせよ、サービスを利用するにはまず「障害者」と認定を受けることが必要です。障害が有るなら、その部分を補えるようにすればいい。そのために障害者総合支援法の「障害福祉サービス」と呼ばれるものがあります。生活について気軽に相談できる場(地域活動支援センターや相談支援事業など)や、コミュニケーション支援など生活をするうえで必要な支援(地域生活支援事業)を受けることもできます。「障害福祉サービス」には「介護給付」や「訓練給付」などがあり、前者は、具体的には、居宅介護や、施設内で行なわれる生活介護などが該当します。後者は、障害者の特性に応じた訓練を実施するもので、生活能力の維持、向上を目指す自立訓練や、就労を目指す就労移行支援などが当たります。

地域で「あたり前に生きる」ために“働く”ことは大きなポイントの1つです。就労移行支援、就労継続支援A型・B型。要点を押さえておくのみにしますが、就労移行支援は、原則として利用期間が24か月と決められていて、一般企業への就職を目指します。就労継続支援「A型」は、雇用型。「B型」は、非雇用型。A型は、雇用契約を結ぶため、ある程度の職業能力が必要となります。利用者は、一般企業への就職を希望しているがなかなかできない人や、少しのフォローがあれば働ける人が中心になります。就労移行支援のように、いつまでに就職しなければならないという制限もないため、その施設に就職した、という表現もできます。B型は、働くことを中心としたA型とは異なり、働く場や居場所としての支援施設です。おおむね、自給で100円から150円程度のところが多く、休まず働いても月2~3万円の工賃を得ることになり、生活する金額を稼ぐというわけにはいきません。障害者年金や生活保護に頼らざるを得ない生活を余儀なくされる人もいます。施設は居場所として活用し、社会的孤立を防ぐという役割が強いといえます。就労移行支援、就労継続支援、どちらにも職業指導員・生活支援員が置かれます。前者は、主に就労するのに必要な技能を身につけるための訓練を、後者は、日常生活における支援を行ないます。

2.

要するに、日本の障害者福祉政策の初期は“人権”について十分に考えられてこなかった。現在、いまだ十分ではないものの制度は整ってきている。“居場所”と“生きがい”の問題。こうなるでしょうか。これに、補足したい重要な点があります。障害者というと、先天的な身体障害者、知的障害者を思い浮かべる人が多いようです。「ふいに訊ねられたら後天的な障害は思い浮かばないかもしれない」という声を聞くことがありました。大学を卒業し、一般企業でばりばりと働いていたある日、身体障害者や精神障害者になることがあります。スポーツによる事故、自動車・バイクなど交通事故により肢体の切断をし、義足や義手に頼る身体障害者の生活になったり、家族・友人関係や職場における人間関係のストレスなどにより双極性障害や、統合失調症になり精神障害者の生活になったりする可能性は誰にでもあります。次にあげるのは、後天的に精神障害を抱えた施設の仲間たちから聞いた話を再構成したものになります。それは、「現実のつらさに耐えられなくなったとき、時に逃避は解決手段の一つに為りえよう」と逃避をポジティヴに捉えた拙稿(『現代の理論』VOL.27、「心が困ったときの家出先」)と通じます。

 苦労の多い現実の世界では自分の居場所を失い、具体的な人とのつながりが見えなくなると、「幻聴の世界」は、どこよりも実感のこもった住み心地のいい刺激に満ちた「現実」になる。それは、つらい、抜け出したい現実であっても、何ものにも代えがたく、抜け出しにくい「事実」の世界だった。
 したがってこのテーマは、精神科医に頼んで「被害妄想という症状を治してもらう」というような単純なものでは決してない。なぜならば、それは自分が被害妄想にまみれた「幻聴の世界」で生きることを選ぶのか、それとも、人間関係の苦労をともなう生々しい「現実の世界」で生きることを選ぶのかという「選択の仕方」なのだと考えるからである。つまり、幻聴は時としてさまざまな不快でつらい体験をもたらすが、一方では「依存」している部分もあるからである。その意味で、たんなる「被害妄想の被害者」ではない。なぜなら、「どのような悩みを生きるのか」という“苦労の選択”だと考えるからである。

彼らの話を聞いて、生きることの虚しさからの逃げ場所として「被害妄想」という世界はあったのではないかと感じました。求めても得られることのなかった人生の足場を、統合失調症を抱えて生きることで得られ、自分の暮らしの支えとしていけるようになった。まさしく「病気に助けられた」人生なのです。「病気に助けられた」というと、違和感かもしれませんね。ここで伝えたいのは、終始生活のリスクを軽減し、不安や悩みを回避して生きることが、必ずしも安心をもたらさないという経験です。子どものころから、私たちは知らず知らずのうちに勉強をして、いい成績をとって、健康に気をつけて、交通事故に合わないようにと、リスクを回避することが自ずと将来の安心を獲得できる暮らし方である、という習慣を植えつけられてきました。その意味でいうならば、それから外れた人生は、すべて失敗と挫折の人生ということになりかねません。

しかし、「必要な時に病気になる」という考え方があります。身体の調整だったり、気持ちの調整のためだったり、理由は多様ですが、風邪をひいたらすぐ薬では、病気はネガティブな否定すべきものになってしまう。病気になる理由がわかりません。病気になるにも理由があり、それが身体の調整だったり、気持ちの調整のためだったりするわけです。「生きるものの強さ」として病気もあると、考え方を転換すると楽なこともあるのではないでしょうか。そうすることで、自分が弱いからとか、我慢が足りないからと、自分を責めることはなくなり、「身体が教えてくれている」、すなわち機能していると、「安心」にもつながると考えます。

「選択された悩み」にしても、決してそのままその人をさらなる不安や絶望に導くわけではありません。それは「生きる幸い・苦労がわかる」という希望と幸福にもつながります。日々いろいろな困難の連続です。語りつくせない思いを胸いっぱいに抱え、しんどい現実に、なにも手につかない日もあります。深く悩むこと、不安になること、悲しむことも多いと思います。でも、それは懸命に生きている証しなのだと思います。

世界がどうしようもない退屈、鬱の気分、耐え難い痛み苦しみに満ちていたとします。それでも、それらが「いま」湧き上がってくること自体は、身体が機能しているという意味で悦ばしいことです。もちろん、湧き上がってくる痛みや絶望があまりにも激しくて、湧き上がりの悦びを見えなくさせてしまうこともあるでしょう。しかし、気持ちの良いこと、美しいこと、嬉しいことを湧き上がらせるだけが悦ばしいのではなくて、耐え難い痛みも、すべてひっくるめて「いま」の世界に湧き上がらせる力こそが、悦ばしいのだと思います。

自分らしい苦労が全うされる人生、つまり「本来の自分らしい苦労を取り戻す」ためにも、人のもつ「弱さ」や「苦労」は、決して単純に克服すべきことでも、恥じるべきことでもありません。「本来の自分らしい苦労を取り戻す」ことによって呼吸が自由になり、希望と幸福を得ることができると信じています。その時をじっと待ちながら…。幸福は絶望の上に。

かわしま・ゆういち

1982年生まれ。高等学校教員、学童保育指導員を経て、現職。著書に、『世界史プレゼンテーション』(共著、社会評論社、2013年)、『技術者倫理を考える』(共著、昭晃堂、2013年)がある。

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