特集●次の時代 次の思考 Ⅱ

妄想家・安倍の暴走を大運動で食い止めよう!

ルポライター 鎌田 慧さんに聞く

聞き手 本誌編集委員・大野 隆

安倍は「牛の真似をしたカエル」

―――安倍政権はひどい、なんとかしたい、と当然みな思っているわけですが、どこを批判すべきか、イメージはとても漠然としています。一方で安倍に対抗する運動も必ずしも大きくはないようです。この「暴走」を食い止めるにはどうしたらよいかということをざっくばらんにお話しいただこう、というのが今回、お願いする趣旨です。

 まず、安倍政権の性格、あるいは安倍晋三個人がなにを考えてなにをやろうとしているのか、というあたりからお話し下さい。

鎌田●安倍晋三内閣が登場したのは、やはり民主党に対する期待が裏切られたことの結果です。「世の中変わって欲しい」という願いが、民主党政権を生み出した。それに対して、うまく対応できなくて、失望を与えた。それで経済を豊かにする、というのに幻惑されて、民主党に対する「お仕置き」として、自民党への投票がこんなに大多数を占めるようになった、ということです。だから、民主党の責任があるのだが、まだ、民主党は安倍に対してきちんとした対抗軸を出し得ていない、とさらに責任が大きいわけです。

民主党は集団的自衛権容認についても明確に対峙できていない。前原と石破は防衛族でつながっているわけだから……。あと、民主党もその他の多くの党も、野党といいながら半野党みたいで、自民党に接近したがっている。そういう政治状況の上に乗っている安倍ですから、警戒心がない、足を引っ張られる心配がないわけですから。だからだんだん増長してきた。

安倍は現実感覚のない妄想家です。たとえば「日本が大国である」という意識がものすごく強い。大国日本の首相であるという意識で、アジアや中南米諸国を見ている。それは妄想です。日本は、確かに経済成長力が大きく、繁栄して、中国が台頭してくるまでは、アメリカに次ぐ資本主義国でした。それは、原料を輸入して加工して売るという仕組みがうまくいったからでしょう。

どうしてうまくいったかというと、労働運動がほとんど抵抗しなくなって、経営者が職場を完全支配してきたからです。労働運動潰しをうまくやった社会だった。すでに安倍が登場する以前の段階ですが、労働運動が解体されて、労資協調路線が主流だった。労資協調というか労資一体化ですね。労資一体思想の洗脳で、職場の労働者を支配するという事態が進んできた。それが高利潤の状況を生み出したと思うんです。

それで安倍が考えている日本のイメージは、大国です。しかし、実際は重化学工業中心・製造業中心の経済はどんどん変化しているのです。1960年ごろから、韓国、シンガポール、タイ、メキシコ、ベトナム、中国、インドネシア、バングラデシュ、さらにミャンマーという形で、賃金が安いところ安いところにどんどん工場移転がすすむ。公害輸出、低賃金構造輸出、その上がりが入ってくるけれど、国内の製造業には設備投資がまわらず、生産も伸びない。いまは非正規、低賃金労働者は、全労働者の37%を占めるようになった。膨大なワーキングプアーの出現です。

「正社員」でも、いつクビになるかわからない、不安定なのが現実です。アメリカとおなじように、中核部分だけが生涯雇用、あとは解雇自由な企業にするのが、経団連が考えたあたらしい「日本的経営」の方針だったのです。

日本は実際には決して大国ではないんだけれど、安倍は祖父の岸が満州に賭けた夢を引き継いでいるんでしょう。日本を実態以上に大きく見せたい、と。そういうのを夢想家と言います。海外にしきりに行って、いかにも大国の指導者というポーズをとる。それをテレビが、トップニュースで報道する。虚像をつくっているんですね。マスコミの罪も深い。

イソップ寓話に「牛の真似をしたカエル」という話があります。カエルが牛みたいに大きくなりたいと、牛に憧れる。自分でどんどん息を吸い込んで、膨らむ。膨らんでお腹を大きくみせようとするんだけれど、結局、牛にはなれない。つまりは破裂して死ぬ。身分不相応な見栄を批判している寓話ですが、安倍もやはり牛になりたいと思っているわけでしょう。空気を吸い込んで力んで立っているわけだけれど、もう破裂寸前でしょう。

集団的自衛権−武器輸出−原発輸出は一体のもの

軍事の問題でいいますと、専門家集団である防衛族にはある程度ブレーキがきいているんです。防衛族には相手との力関係という防衛の現実があるわけで、そんな簡単に戦争やっても危ない、と。たしかに防衛族はそれなりに権力を持ちたいから、自衛隊を強化するのには反対しない。防衛予算がずっと何十年も年間5兆円程度、それが長く続いています。オイルショックのときからだいたい5兆円できているはずです。その中で装備費……防衛費には人件費も含まれますから、装備費の割合を高めたいというふうにはしてきたけれど、戦争にすぐ行くとは考えてない。だから、防衛省の元幹部のコメントがときどき集団的自衛権反対で出てきますが、それは簡単にいかない……やはり専守防衛だ、となります。実際海外に出て行っても損害のないようにしてきたわけです。

ところが、これは6月26日の朝日新聞ですが、武力行使容認とか集団安保は外務官僚がやっていると、具体的に書いています。外務官僚には、1991年の湾岸戦争のトラウマがある、と。130億ドル拠出したけど、「金しか出さないのか」という国際社会から批判を浴びたということがトラウマになっているというわけです。

外務官僚としては、帝国主義的な威光とまでは言わないけれど、とにかく大国の威光を背負って外交をしたいわけですから、それがあって、外務省の旧条約局出身者が陰で動いていたと書かれています。人的にいうと、柳井俊二元アメリカ大使、谷内正太郎国家安全保障局長、それに小松一郎……この間亡くなったけれど、法制局長になる前がフランス大使だった。そして兼原信克が、いま官房副長官補。これらがだいたい中心にがんばってきたということのようです。

集団的自衛権に関する与党協議の最終盤に入り、兼原をはじめとする旧条約局出身者が巻き返して、望むべくところまで自民党は来たけれど、公明党がかなり抵抗していました。結局は押し切られましたが、公明党は権力から外れられないからでしょう。やはり宗教と政党の問題が根本にありますから、政権に入っていれば無難だけど、政権からはずれると弾圧や経済問題で危ない。そういう保身のために、「平和の党」と言いながら、安倍には抵抗しきれなかった。

それはともかく、そういう安倍と安倍を支える外務官僚たちの「国家の威光」というものが、安倍の日本のイメージとまったく一致するんですね。安倍のイメージでは、やはり岸信介の遺恨というか、怨みが強いわけでしょう。岸は満州国の官僚で、満州が崩壊して戦犯容疑者にされた。戦争に負けて帝国日本が崩壊したわけですから。それがやがて日米安保によって虎の威を借る狐になって、国の防衛力を強めながら、一方では米軍基地を強化するということをやってきたわけです。安倍もそういう「安全保障の強化」ということを盛んに言っています。

しかし、安倍は「基地撤去」とは絶対に言わないわけです。安保に代わって日本が独自に軍事力を持つと、安保というのは米軍に守ってもらって、その代わりに基地を提供するということですから、自分たちが軍事力を強めていけば、アメリカに守ってもらわなくてもいいわけです。すると基地を貸す必要がないという矛盾に陥るのですが、そのことを彼はなにも言わない。

とにかく米軍と一体化して戦争……口では戦争をしないとは言いますが、戦争の可能性をつくれるというふうに言っている。まして、集団安保となると、国連の決定で戦場に行くわけですから、戦争を否定しているわけではないことも明らかで、現実に戦争に行くようになってきますね。

その話の延長でいうと、安倍政権で極端に現れてきたのが、これもいままでの内閣では抑えてきたことですけれど、武器輸出と原発輸出という問題です。原発輸出は、菅内閣の時もベトナムに行きましたが、政策として強烈に打ち出しているのは安倍です。経団連に弱いんですね。

武器輸出は、「防衛装備移転」という言葉を使っています。これは官僚用語なんですが、人をだます言葉ですね。原発を「ベースロード電源」とかというのと同じで、官僚たちの作文でこういうふうに本質をずらす言い方をしているわけです。

武器輸出というのは、もちろん兵器工場の生産を増やすということです。武器輸出三原則がありまして、紛争国とか共産圏には武器輸出しないという定めになっていたのですが、それは改められて、アメリカとの武器共同開発はもう始まっています。その武器をつくっているのは、三菱重工、東芝、石川島播磨、日立です、大きいところは。それは原発メーカーでもあるので、そこは核と武器は一体化しています。軍需工場と原発産業というのは一体化していて、そこの売り上げを増やしていこうとしているのです。

武器輸出の場合は、ほかの国に危害を与えるわけですから、これは言うまでもない、死の商人です。人を殺すものを売るわけですから。ほかのアジアとかアラブの人たちを殺す武器を配るわけです。一方、その会社でつくっている原発の輸出は、核拡散ですから、輸入国への核輸出、つまり原爆をつくるための基盤を輸出するわけです。だから、原発も武器も両方ともほかの国を傷つけることになる。それを公然とやるということは、日本が平和をモットーにしてきたことの否定を、さらにはっきりさせることです。

日本が米軍の出動と一緒になってどこかで戦争をして人を殺す、集団的自衛権、国連の集団安保で人を殺傷することをやるわけですが、間接的に人を殺す武器輸出と原発輸出も同時にやるということです。その二つをひとつの内閣で同時にやろうというわけです。「戦争に加担」というけれど、実際に自分たちが自衛隊で人を殺すわけですから、もう「加担」ではない。さらに間接的に人の命を奪う武器輸出と、同じく人の命を奪う原爆の材料を輸出することになります。

原発はそればかりで終わらないで、事故があるとそこの国の住民を殺害するし、それが日本に向かって来る。ブーメランみたいに、輸出した原発が事故を起こすと日本に跳ね返ってくるわけです。日本の福島の事故は、世界に向かっていっているわけですけれども、その逆が起こることになるのです。

そのようにいままで規制されてきたことを、大国意識によって、一挙にやるというふうにしているのが安倍です。それは彼の妄想的な世界観や日本についての「美しい国」というようなナショナリストの自己イメージからでています。

「規制緩和」は戦後民主主義破壊

軍事のほかに、もう一つの大きな問題は、規制緩和をあらゆるところですすめていることです。「岩盤にドリルで穴を開けるのは自分だ」と胸を張っています。それは「決定するのは俺だ」ということを言っているのと同じ。本当に神がかり的になってきています。

「規制」とは、資本主義の暴力性を規制しているわけです。憲法が権力を規制しているように。その資本主義規制が、彼のいう「岩盤」です。しかし、それは戦後日本の出発点なわけですよ。労働法の団結権とか、農地改革とか、独占禁止法とか、女性の選挙権とか、政治参加、地方分権とかですね。その政策が戦後改革だったわけで、それが戦後民主主義の核心です。その戦後改革のすべて崩壊させると言う。表現はドリルだけど、艦砲射撃みたいなもので、全面攻撃です。過剰な攻撃をしている。

たとえば、経営者による労働規制の解除というのは、安倍がはじめたわけではないですけれど、しかし労働者の残業代ゼロということを言い出したのは安倍です。「ホワイトカラー・エグゼンプション」とか、いままでいろんな規制をはずして、派遣も、「名ばかり店長」という言葉に表れているように、管理職まで派遣であるという状況をつくる。今度はさらに正社員の残業代もなくす。前提に年収1000万円とかと言っていますが、それは派遣法と同じようにどんどん拡大してくることです。

経団連といっしょになって、「残業代ゼロ」という恥ずかしいことを公然と言っている。信じられないことです。そもそも残業自体に問題がある。本当は残業しなくて食えるというのを国としては示していかなくてはならないし、有給休暇を保証するとか、人間らしく暮らすようにする、ということが為政者の責任でしょうが、安倍には全然そういう意識はないですね。人間の生活に対する想像力がない。だから労働官僚までもが抵抗するくらいです。

福井地裁の大飯原発差し止め判決は、経済は人格権より劣位にあると言っています。だから、国の富――国富とは、経済のことではなくて、人間がそこに安らかに住めるということである、と言っているわけです。その「経済」はそのままそっくりアベノミクスに該当すると思うんです。アベノミクスも行き詰まってきたから、労働者の生活をしゃぶり尽くすというか、資本主義にしてもやってはいけないことにまで踏み込んできていて、ハイエナ資本主義になってしまう。

労働者がどうなろうと、それから自衛隊員がどうなろうと、人の生死は関係ない、と。それで国の威光が現れるかどうか、そういう根本的な問題まで迫ってきたと思っています。

教育政策が「安倍支持」を産み出した

―――安倍がその大国意識を背景に、空想してとんでもないことをしているその一方で、それを支持する「世論」のようなものがあります。たとえば「世代間ギャップ」のようなものもあるようにみえます。

鎌田●ひとつは歴史認識の問題です。団塊世代より以前の世代は、父親が戦場から帰ってきたり、戦死したりして、戦争体験……実際の体験と間接的な体験がありますが、ともかく戦争の悲惨さを知っている世代です。だから、「戦争の復活」を切実に感じる。

若い人たち、団塊の世代の子どもたち、あるいはその孫の世代の歴史教育は、やはり変質してきた。戦争体験を教えなかったのです。それで切れている。そこはやはり教育政策で、たとえば侵略と書かせないという文部省のチェックがあった。「沖縄の集団自決がなかったと書き換えろ」という、そういう教科書検定がずっと続いてきて、歴史が完全に断絶したんです。加害責任なしの被害者意識。「日本はいい国だ」というような教育だけやってきている。その教育の問題がひとつ。

それから親たちが自分の体験をちゃんと伝えなかった。それは仕事で忙しかったというのもあるでしょう。その上に、いまの若者たちは、非正規雇用が40%近くも占めている。父親ばかりか、母親としての女性もほとんど低賃金で、きちんと子どもたちを養育、教育できる状態にない。その子どもたちは、フリーターとして自分の生活が精一杯という状況ですね。だから過労死とか、引きこもりとか、自殺も青年たちに多い。希望が奪われている。

それはなぜかというと、政府の大衆収奪のためです。生活できるような賃金、あるいは社会福祉をしっかりしないというのは、労働者に負担を転嫁し、犠牲にしている。大企業には減税、労働者には増税、年金の引き下げ。その一方で経営者の報酬というのは、以前は5000万円くらいだったが、いまは1億5000万くらいになっているでしょう。日産のゴーン会長は9億8000万円だという。ゴーンにならって外国人の経営者は8億とか9億とか言われます。武田薬品などもそうです。

とにかくどんどん儲けて、株式配当をあげ、経営者が自分の収入を多くすればいい、という企業文化になったわけです。95年5月に日経連がだした「新時代の日本的経営」が、労働者を分断し、「長期蓄積能力活用型」「高度専門能力活用型」と、切り捨て自由な「雇用柔軟型」として、3タイプを組み合わせて、「雇用ポートフォリオ」とした。労働者を投資の道具にしたのです。

それを労働者派遣法などの法律で実現してきたということですね。小泉純一郎と竹中平蔵(その後の小泉の原発反対は支持しますが)、安倍と竹中の収奪政策です。世代間ギャップというのは、とにかく動物的に生きるのが精一杯、という生活に追い込んだ結果です。

安倍のやっていることは、自己陶酔でまわりを全部はねとばす、という暴走です。「危険ドラッグ」ですね。1950年代に「逆コース」という言葉が流行しましたが、要するに逆走です。日本を防共の島にするために、アメリカ占領軍がやったのが、逆コースの政策だったわけです。レッドパージもそうだし、自衛隊の創設もそうです。安倍は逆走でかつ暴走です。

労働組合の政治教育がなくなったことは大きなマイナス

その暴走をどうして止められないのか。やはりひとつは、運動の中で政治的な教育がすくなかったということですね。それはなにかというと、かつては労働組合が政治教育をしていました。いまでもそうだけど、国内情勢・国際情勢というのは、だいたいみんな同じ言葉なんです(笑)。同じことを書くのだけれども、でも一応現状を批判的な視点からみて、全部書いているわけですよ。それをくり返しくり返しやってきたわけだから、労働者の教育としてそれがあったけど、形骸化してしまった。

また労働者教育をする機関紙誌類がたくさんあった。文化雑誌やサークル誌とか、雑誌文化があった。労働組合中央の機関誌とか、分会の機関誌とか。レクレーションも組合がやったから、全部労働組合がかかわっていたと言ってもいいんです。それが教育になっていた。

それが、話せば長いんですけれど、全造船からそれをひっくり返す攻撃が始まったんです。60年安保反対闘争のときに、全造船は総評系ではない、いわば穏健な中立労連なのに、賛成して一緒にデモをやった。軍需工場の労働者が安保反対デモに入ったんで、経営者がびっくりした。それで一斉に60年から日経連を中心にして、経営者がカネをつかって、組織分裂行為をはじめた。

安保と三池闘争、大闘争の時代ですから、第二組合結成と分裂攻撃が広がった。60年から分裂攻撃があって、その結果高度成長をつくってきたという経過がある。岸の政治の時代から、池田の経済時代となった。賃上げは容易になり、反面、労働者教育は解体していったのです。そしていま春闘でも、どこに行っても赤旗が立たない事態になっています。

ぼくも若いときからよく知っているけれど、50年代は中小争議が盛んにあった。60年安保闘争があって、そのあとも、春闘というのは歳時記にも載るというほど、「春は春闘」で当たり前だった。でも、いま争議件数を調べてもらえればわかりますが、労働統計で争議件数を調べると200件とかの数字です。

争議といっても、長期争議はない。ストライキも時限ストかなんかでしょう。そのぐらいまでに落ち込んでいる。ストライキというのは労働者の権利の表現なのに、ストライキができない国になった。これは異常ですね。ほかの国はみんなストライキをやっていますよ。中国だって結構やっている。ストライキや労働組合は労働者の学校で、労働者の学校がなくなったから、労働組合でさえエゴイズム集団・ものとり集団みたいにみられる。そういう思想攻撃があって、それに反撃することができないうちに、今日のような無抵抗の時代になった。

かつては「社共総評ブロック」という形で、そこが運動やデモを担ってきました。これは強さの現れでもあったけど、弱さの現れでもあった。社共と労働組合がやれば運動になる、ほかは黙ってみていればいい、というふうになった。だから市民運動が育たなかった。

市民運動は60年代の安保闘争のあとの「ベ平連」がはじまりです。それ以前に原水爆禁止運動がありましたが、これはやがて政治的な立場の違いで分裂したように、政党主導型だった。大衆運動的な観点でいえば、60年代にベ平連があって、それで市民運動がはじまってきた。今度の原発反対運動は、そういう社共総評ブロックがなくなったあとに、やはり市民運動で現れてきたということです。組合的にいうと、全労協や日教組、自治労などが参加してやっているわけです。

でも、原発集会は、たとえば明治公園で6万人集まったうちで労働組合は1万くらいで、あとの5万は一般市民が本当に原発反対で集まってきたわけです。代々木公園集会は16万人、労組の動員は2,3万人で、ほかは圧倒的に市民だった。それがあらたな運動の可能性だと思います。それが継続しているんです。そこには、若い人たちも現れている。首相官邸前での抗議行動にも、若い人たちが現れていますが、まだ中心は中高年層です。
 集団的自衛権容認で、戦争の恐怖がたかまったので、「戦争させない1000人委員会」を立ち上げました。呼び掛け人は、「さようなら原発運動」とおなじように、大江健三郎さん、瀬戸内寂聴さん、澤地久枝さん、内橋克人さんなどに、樋口陽一さん、奥平康弘さんなどの憲法学者にはいってもらいました。そこもほとんどが中高年です。それは、労働組合には青年女性部がありますが、労組の弱体化が影響して、若者がきちんと組織されてないからです。それでまだまだ集まってこない。

それから学生運動が内ゲバで解体され尽くした。それも若者が参加してこない原因だったでしょう。ようやく内ゲバもやめることになってきたようで、いまはぼくらの集会では、よくこの両派が一緒にいるなぁ、って感じで、こっちが不思議に思うくらいです。

こういう形で運動が広がってきたのを、これからどうするか。やはり機関紙誌などで書いて宣伝するしかないわけでしょう。ただ、昔の論文みたいな感じではなくて、工夫がいる。いまはぼくら自身ももう古い。ぼくらは現実を頭で考えた用語に直してきたわけで、要するに勉強した用語に言い換えてきたんです、マルクス・レーニン主義用語に。それでは、もう世界を捉えられない。文化が変わってきたのです。押しつけのことばではない、もっと内在的な言葉、マンガとかアニメとか、でもできる表現方法が、やはり受け入れられているわけです。

それから運動の形態でいうと、プラカードなんかを自分で書くというのが出てきました。昔はだいたい押しつけのゼッケンだったけれど、いまは手書きでつくって、自己表現としてやっている。それから、昔は、演壇にも組合幹部がズラッと並んで閲兵式みたいな感じで軍隊調だった。いまは全く違う。シュプレヒコールも変わってきている。それは市民運動だから、そうしなければやはり浸透しないからです。労働運動のデモは、小さいデモでしかない、なかなか大きいデモになりきれないというのは、やはり沿道の人たちを引きつけるような、アピールが足りなかったからでしょう。

労働組合の運動というのは、労働者がひどい目にあっているということへの反撃のはずなんです。労働者運動と言いますか。それが労働組合運動というところに限定された集会デモになっていた。やはり労働者がひどい目にあっていることに対する表現というのが少なかった。沿道のひとびとが理解できる運動を目指すベきでしょう。

保守派も取り込み、幅広く共闘を!

―――ともかく、安倍の暴走を食い止めるための糸口がだんだん見えてきている、ということでしょうか。

鎌田●そうですね。安倍の暴走というか、自民党の暴走ということなんですが。しかし、都知事選にもあらわれているように、保守も分裂している。保守が分裂しないとなかなか勝てないわけです。沖縄の辺野古の運動をみても、あそこのおじいさん、おばあさんが座り込んで突破口を開いて、そして名護市の市長選で勝ったというのは、やはり沖縄の保守層がヤマトのひどさにあきれて、自民党じゃなくて稲嶺さんに投票したのは、はっきりしています。あまりにひどいことをやると、保守派も分裂するのです。
 いまのやり方で自民党内に不満はあるけれども、結局、執行部が全部金を握って、候補者を公認して配るという形になっているので、安倍の権力が絶対なんです。ですから、沖縄知事選まで言及していいかわからないけれど、翁長さんが出るのでしょうが、翁長さんを支持している保守派とともに勝つでしょう。人間の生き方というようなことを大胆に問いかけて、いまのやり方がいかに人命を尊重しないか、人格を尊重しないか、人権を尊重しないか、ということをもっと訴える必要があると思うのです。
 いまの政治が、こんな極端なことを許しているのは、僕たちの運動の力が弱いからでしょう。それから保守派の良識が生かされなくて許している。それが暴走になっている。労働運動もやはり、一人の労働者をどう救うかという、昔のスローガンで言うと、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という、その精神でやるべきです。

それから、いまの原発反対運動では、ほかの運動は批判しないことを徹底しています。批判するときりがないし、感情的にしこりが残るから、批判しないで一緒にやろうと。悪口を言わない。それをモットーにしてやっています。いままでなかったことですね。絶対批判しない。道端で会ったら、声かけようって、そういう関係にならないとダメだと思います。それは僕のモットーです。道で会うと、「あいつー」っていう感じで、横を向いて通り過ぎるというんじゃなくて、声をかけようと。だからいま原発関係の運動では対立は全然ないんです。

―――「戦争させない1000人委員会」がなにをめざしているかということを、説明して下さい。

鎌田●もちろん9条は憲法の柱だから重要ですが、9条を守れという運動よりも、やはりいま焦点になっているのは戦争だから、「戦争反対」を訴え、「戦争をさせない」という積極的・攻撃的な関わり方を求めるというのが、「戦争させない1000人委員会」です。なんで1000人委員会か。「戦争させない委員会」だと発音にまだ力が入らないから、「1000人委員会」と力を込める。その1000人委員会を1000カ所つくろうと言っています。
 とにかくそこが1000人いなくても、勝手連で1000人委員会をつくる。それで集会をやるとか、デモをやるとかする、ということにしたいのです。それを全部一緒にやろうと。これはやはり、「さようなら原発運動」で切り拓いた道です。脱原発運動からの教訓なんです。だから、はじめの集会から共産党の皆さんも来ていますよ。

―――労働法制については「安倍政権の雇用破壊に反対する共同アクション」という運動があって、全労連と全労協とMIC(新聞労連など、マスコミ関連労組)が協力して、一緒に会議や行動をしています。

鎌田●そうですね。そういう時代でしょう。繰り返しますが、やはり労働組合は労働者の学校です。労働者は労働組合にいないと全然鍛えられない。視点もつくれない。もちろんその労働組合も御用組合ではない、御用組合を変える、対峙するのも必要です。やはり労働者の団結というのが、なんと言っても中心です。労働者一人ひとりからは始まるにしても、いつまでも一人ではなにもできない。それが労働運動の原則です。運動の中から考える、学ぶ、というのが本当に重要だと思います。

(文中、敬称略)

かまた・さとし

1938年、青森県弘前市生まれ。ルポライター。トヨタの季節工として働いた経験をルポした『自動車絶望工場』(1973)で注目を浴びる。90年、『反骨鈴木東民の生涯』で新田次郎文学賞、91年、『六ヶ所村の記録』で毎日出版文化賞受賞。2011年から「さようなら原発1000万人署名運動」の呼びかけ人として、全国の集会、デモなどの反原発運動に携わっている。また、今年「戦争をさせない1000人委員会」の呼びかけ人として、安倍政権を批判する運動の先頭に立っている。

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