特集●次の時代 次の思考Ⅱ

噴出する「文明の衝突」とオバマ

冷戦引きずったツケ、対案無きオバマ「弱腰外交」批判

国際問題ジャーナリスト 金子 敦郎

戦争は紛争解決の手段にはならない―外交重視のオバマ戦略がまた、新たな試練にさらされている。シリアの内戦が米軍のいなくなったイラクを飲み込んで、イスラム教スンニ派の過激な聖戦派武装組織「ISIS」が両国にまたがる「カリフ制イスラム国」の樹立を宣言した。混乱の続くイラクを見捨てて米軍を引き上げ、アフガニスタンからの撤退を急ぎ、「アラブの春」でも、ウクライナでも軍事介入を拒否してきたオバマ。米国はもう世界の警察官は止めたと宣言したその「弱腰外交」が「力の空白」を造り出し、世界中に紛争を誘発しているという批判が、一段と高まっている。

だがオバマをスケープ・ゴートに仕立てればすむ話ではない。冷戦が終って間もなく、イデオロギー対立は終わり、これからは「文明の衝突」が多発する時代に入ると予測し、警告した人がいた。米国をはじめ世界の指導者はこの警告を真剣に受け止めたとは思えない。しばらくは米露関係のリセットや中東和平を目指す動きもあった。だがそれはすぐ、一極支配を目論む米国、それを阻止しようとするロシア、超大国復活を目指す中国、歴史的な憤懣に駆り立てられるイスラム過激派・・・の競い合いに取って代わられた。そのツケが今突き付けられているのだ。

予測通りの「文明の衝突」

S・ハンチントン教授(ハーヴァード大学)は1993年『文明の衝突』を著わして、冷戦後世界をこう見通した。これからの世界で起こる紛争の基本的な原因はイデオロギーや経済ではない。民族国家は引き続き最も有力な役割を演じるが、国際政治における主な紛争は異なった文明を持つ国家ないしグループとの間で起こる。この衝突が世界の政治を支配するだろう。

ハンチントンは世界を次の7ないし8つの文明に分けた。西欧キリスト教、スラブ正教、儒教、日本、イスラム、ヒンズー、ラテンアメリカ、そして可能性としてアフリカ(日本は独立した独特の文明とされた)。これらの文明は言語、歴史、宗教、習慣、制度などの具体的な要素、および人々の主観的な自己証明(identity)によって定義付けられるとする。    

文明(文化)は数世紀にもわたって形成されたもので、すぐに消え去ることはない。例えば、コカコーラをいくら飲んでもアメリカ人になるわけではない。寿司を大好きになっても日本人にはならない。イデオロギーが、共産主義者が転向して右翼になることもできるように、いくらでも変わり得るのと違っている。文明には優劣はない。近代化イコール西欧化でもないし、西欧化ではない近代化はあり得る。西欧文明が必ずしも優越しているというわけではない。だから冷戦後世界はそれぞれの文明が競い合う時代になり、西欧文明対非西欧文明、あるいは非西欧文明同士の争いが国際政治を動かすことになる。

この「文明の衝突」論にたいして、世界を単純化している、民族紛争を煽ることになるなどの批判も出た。だが、世界で起こっている主要な紛争をみよう。中東ではイスラム教対西欧キリスト教、東欧・カフカスでは西欧キリスト教対スラブ正教、アジアでは儒教対日本・欧米キリスト教と、それぞれ異なった文明の間で起こっていることは間違いない。

中東で2つの戦争-ロシアを仮想敵

ハンチントンは最も大きな「文明の衝突」になるのは西欧文明対イスラム文明の争いとみた。冷戦後の最初の米大統領ブッシュ(父)の政権は、中東安定化のカギを握るイスラエルとパレスチナの和平推進に取り組み、双方に強い圧力をかけてパレスチナ暫定自治政府樹立のオスロ合意に調印させた。イスラエルに本気で圧力をかけた米政権は初めてで、その後もない。しかし双方に反対する勢力が残り、イスラエルのラビン首相が暗殺される。次のクリントン大統領が調停を試みるが、これも最後の詰めで失敗に終わった。

次の政権が米国では「ネオコンが乗っ取った」と言われたブッシュ政権、イスラエルでは超タカ派とされたシャロン政権だった。「9・11テロ」が米国を襲い、ブッシュはイスラム世界を全て敵に回すかのような「テロとの戦い」を世界に呼びかけ、アフガニスタン戦争とイラク戦争に突っ込んだ。シャロンもこの「テロとの戦い」に乗ってパレスチナ民衆の抗議デモ(蜂起)に血なまぐさい武力弾圧を加えた。

ブッシュの2つの戦争はイスラム過激派の反米・反西欧テロを世界に拡散させ、同時にイスラム教多数派のスンニ派と少数派シーア派の宗派対立を解き放つことになった。中東世界は反米か親米かに、スンニ対シーアの宗派争いが混ざり合ってますます複雑化し、危険度を高めた。非アラブの中東の大国、反米のイランでも対米強硬派が権力を握った。核兵器開発疑惑が持ち上がり米欧が包囲。イスラエルは軍事攻撃のチャンスをうかがう。インドとパキスタンは競い合って核兵器を保有し、北朝鮮も瀬戸際外交で核を手にした。

ソ連・ロシアでは冷戦終結を進め、欧州入りを目指したゴルバチョフが右派クーデター未遂事件で権力を失墜、クーデター阻止に指導力を発揮したエリツィンが権力を奪った。エリツィンはクリントンとの信頼関係を築き、欧米型政治・経済をモデルにした改革に取り組んだ。後継に指名したプーチンもこの戦略を引きついだ。しかし米保守派や軍産複合体が北大西洋条約機構(NATO)の存続・東方拡大の推進をはかり、ブッシュ政権が弾道ミサイル制限条約(ABM)を破棄してミサイル防衛網(MD)構築を開始、包括的核実験禁止条約(CTBT)批准を拒否した。これでプーチンは米国不信を強め、経済破綻の危機にも直面して強権政治へと走り出した。米露関係は一気に悪化の道に入った。

ウクライナ紛争を引き起こした大元の原因はNATO東方拡大を進め、新たな冷戦を造り出した米欧の失政にあるとのG・ケナンやT・フリードマンの指摘は『ケナンの慧眼、そしてオバマ、プーチン』(2014春「現代の理論」)で紹介した。

ブッシュ戦略からの脱却

オバマ大統領が就任早々に取り掛かったのが、中東およびロシアとの関係改善だった。ロシアにたいしてはG・シュルツ、H・キッシンジャー、J・ベーカーの元国務長官ら軍事外交の長老たちの協力を得て両国関係のリセットを呼びかけ、核廃絶を提唱した。プーチンがロシアの弾道ミサイルを標的にするものと強く反発するブッシュMD計画も修正して、戦略核ミサイル迎撃システムと切り離した。これでロシアは姿勢を和らげ、戦略核弾頭数を1550発まで削減する新START条約の合意にこぎつけた。

中東についてオバマはアラブ系メディアとのインタビューで、ブッシュの「テロとの戦い」を暗に批判して「米国はイスラムと戦争しているわけではない」と強調、カイロ大学での演説で西欧とイスラム世界の歴史的な対立の原因を公平に並べ、米国が過去に不当な介入をしたことを認めた。パレスチナ人の反イスラエルの闘争をテロとは呼ばずにレジスタンスと呼んだ。イスラム世界との相互理解と和解を呼びかけたこの演説は、米大統領として画期的と評された。

オバマは中東和平の仲介に積極的な姿勢をとるとともに、イラクからの米軍撤退を急ぎ、アフガニスタン戦争についても撤退期限を設定しながら、ベトナム戦争、湾岸戦争いらい大量の空爆と地上部隊の投入に頼ってきた対テロ戦略から転換する新戦略の導入を図った。

基本理念は現実主義と人道主義の組み合わせだ。詳しくは同じ『ケナンの慧眼、そしてオバマ、プーチン』(2014春「現代の理論」)で紹介したので、以下要点にとどめる。

➀紛争解決の手段として軍事力は限定的な役割しか持たない。経済制裁などの圧力と外交努力を優先させる。

➁米国が軍事力を行使するのは、米国および死活的な国益がかかる同盟国が直接的な脅威に脅かされたときだけに絞る。大量虐殺やジェノサイドを防ぐことは米国の安全保障上の利益であり、道義的責任である。

➂軍事力行使にあたっては、非戦闘員の市民の犠牲を極少化する(精密誘導兵器の使用、特殊部隊の作戦など)。米軍を敵対的な国に長期に駐留させることはしない。

オバマがエジプト、リビア、シリア、ウクライナで軍事力を行使しなかったのは、この戦略による「戦争の条件」に合わなかったからだ。オバマによって米国は弱くなったのではない。賢くなったのだ。「カリフ制イスラム国」はそのオバマに特別な対応を強いた。

オバマ政権は戦闘部隊投入の可能性は排除しながらも、750 人の軍事顧問およびイラク軍訓練要員を派遣、イラク政府軍との合同作戦本部を設置して、イラク国家を防衛する構えに入っている。米軍がサダム・フセイン独裁政権を倒したあとにすえたマリキ首相の現政権は反米姿勢が強く、同じシーア派国家イランとの関係を深めてきた。とはいえイラクを見捨てるわけにはいかない。だが、何よりもイスラム教に基づく「カリフ制イスラム国家」(カリフは宗教政治の最高指導者)は「武力による国境線の変更」を越えて西欧キリスト教文明に基づく現在の国家体制に対する真っ向からの挑戦だからだ。

「文明」線と重ならない国境線

中東やアフリカの地図を見ると、ほとんど直線で引かれた国境が至るところで目に付く。西欧列強の植民地争奪戦の結果として決められた勢力圏の線引きがそのまま国境になったものが多いからだ。シリア、イラク、ヨルダン、レバノンは第一次世界大戦で8世紀におよんだオスマン・トルコ帝国が崩壊したあと、英国とフランスが勢力圏を取りきめ、ロシアも受け入れた秘密協定(サイクス・ピコ協定)で生まれた国だ。

イスラエルも英国が国際連盟の委任統治という名で植民地支配していたパレスチナを離散ユダヤ人の国(ナショナル・ホーム)に提供(1916年バルフォア宣言)したことによって生まれた(1947年国連決議)。英国は第1次世界大戦で金庫が空っぽになり、ユダヤ最大の財閥ロスチャイルドから借金をした。その見返りだった。

アフガニスタン戦争で米欧の軍事作戦にとって大きな壁になっているのが、反米武装勢力タリバンやアルカイダの聖域とされる「部族地帯」の存在である。アフガニスタンと隣国パキスタンの国境地帯には3,500万人のパシュトゥン民族が居住している。アフガニスタン側に1,100万人。人口の40%を占める最大の民族だ。パキスタン側には2,400万人。人口の15%、2番目に当たる。アフガニスタンに3回侵攻した大英帝国が1893年に勝手に引いた兵力引き離し線で同一民族が今も分断されたままになっている。アフガニスタン政府もパシュトゥン人もこの国境を受け入れていない。パキスタン政府は複雑かつ峻厳なこの山岳地帯を「部族地域」という特別行政区として地域自治にゆだねている。反米武装勢力は米軍に追われるとここに逃げ込む。

冷戦終結のあと次々に地域紛争が起こっている。旧ユーゴスラビアが分解して起きたボスニア紛争、コソボ紛争、旧ソ連邦解体にともなうチェチェン共和国問題、グルジアのアブハジアおよびオセチア問題、モルドバのドニエストル問題、そしてウクライナ問題。それぞれの歴史的背景があるが、大なり小なり国境線が民族および宗教・宗派の多数派、少数派の分布と食い違っていることから起こった紛争だ。コソボ独立を欧米は認め、ソ連とセルビアは反対。ソ連はアブハジア、オセチアの独立を認め、ドニエストルの独立に好意的だが、欧米は分離主義反対。ウクライナではソ連がクリミアを分離独立させ、ロシア系住民の多い東部の独立-自治権拡大-連邦化などの要求を後押しし、欧米は領土の一体化保持-分離主義反対で対立している。

この種の紛争ではどちらにも大きな声を上げる過激なナショナリズムが絡み、冷静な話し合いによる解決を難しくするのが普通だ。力による国境変更は認めないという西欧文明の原則があると言っても、そのまま通用しない事態が続発しているのだ。シリアについては内戦前の国家には戻れないだろうとの見方が強い。イラクについてもシーア、スンニ両派に次ぐ第三勢力で、北部で自治体制をとるクルド民族が独立の動きを強めていて、米国の有力な中東専門家の中にはクルド民族の悲願、独立を支持すべきとの主張も出ている。クルド民族はイラクのほかシリア、イラン、トルコにも広く居住し、その数は3千万人。国を持たない最大の民族とされる。イラク・クルドが独立すれは周辺にどんな影響を及ぼすか計り知れない。その上に「カリフ制イスラム国」宣言がのしかかってきた。

「ケネディの勇気」

世界に広がる「文明の衝突」(地域紛争)をオバマ戦略がどこまで解決し、あるいは鎮静化させることができるのか。答えがすぐ出るとは思わない。だが、オバマ戦略を批判する人たちが、イラク戦争やアフガニスタン戦争がなかったかのごとく、それぞれ複雑な要因が絡むリビアやシリア、イラク、あるいはウクライナのような紛争に米国が軍事力を行使すればうまく収まると本気で考えているのだろうか。批判はすれども対案はない。米国の軍事力の傘に頼り切って「何でもできる」と思い込んできた国ほど、オバマ戦略批判をしているように見える。外交問題では威勢のいい「強腰外交」の方が格好良く、世論受けする。これは民主主義のひとつの現実だ。

オバマ批判の高まりの陰に隠れているが、米国のメディアには軍事力行使を抑制したオバマの辛抱強い外交を評価する報道や論評も少なくない。シリア内戦は泥沼化し、アサド政権の生き延びを許しているが、国際管理による化学兵器の廃棄は遅れ気味ながらも完了まであと一歩にきている。イラン核疑惑ではイスラエルの暴走を抑えつつイラン政権の穏健化を促し、米欧との核協議も煮詰まってきたと報じられている。

キューバ危機が発生した時、ケネディと少数の側近は首脳会議で、核攻撃も辞さずと軍事侵攻を主張する「強腰外交」に包囲された。しかしケネディは勇気をもって彼らを抑え、フルシチョフと非公式のチャンネルを開いて、世界を核戦争の危機から救った。

ケネディはのちに側近に「勲章で飾り立てた連中(軍の首脳たち)は言いたい放題言えるいい立場だ。彼らの言う通りにやったあげく、君らは誤ったと責めようにも、そのときは彼らもわれわれも生きていないのだから」と話している。

かねこ・あつお

東京大学文学部卒。共同通信ワシントン支局長、常務理事、大阪国際大学教授・学長を務める。専攻は米国外交、国際関係論、メディア論。著書に『国際報道最前線』(リベルタ出版)、『世界を不幸にする原爆カード』(明石書店)など。カンボジア教育支援基金会長。

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