特集●混迷の時代が問うもの
21世紀ドイツ「もうひとつの特有の道」はありうるか
21世紀の西欧デモクラシーの命運―連載第2回
大阪市立大学教授 野田 昌吾
鼎談 工学院大学教授 小野 一
本誌代表編集委員 住沢 博紀
1.過去(東西分裂)と未来(エコロジー)の交錯するドイツ
2.戦後ドイツ保守主義の軌跡:キリスト教民主同盟CDU
3.政権担当政党への緑の党の成熟
4.「赤と緑」、「黒と緑」そして「赤・赤・緑」への可能性
5.21世紀ドイツの「もう一つの特有の道」
1.過去(東西分裂)と未来(エコロジー)の交錯するドイツ
住沢前回は、今井貴子成蹊大教授、サーラ・スヴェン上智大教授と私の3人により、イギリス労働党LPとドイツ社民党SPDの現在の危機と課題をテーマとしました。しかし西欧デモクラシーと政党政治の危機は、社民政党と同時に国民政党としての保守主義政党にも顕著です。そこで2回目の今回は、ドイツの政党デモクラシーの変容と将来を議論したいと思います。
野田昌吾さんはヨーロッパ政治史が専門ですが、とりわけキリスト教民主同盟CDUなど保守政党について研究しています。小野一さんは、社会運動としての緑の党の成立から「赤と緑の連合」政権への展開、さらにはその次の段階について問題を提起されています(正式には「同盟90/緑の党」だが緑の党と略)。私はドイツ社民党SPD研究を博士論文としていますので、3人で、現在とこれからのドイツ政党デモクラシーについて議論したいと思います。
視点は2つです。ナチス支配の過去から、戦後(西)ドイツは多元的な西欧型デモクラシーを規範とし、また実現してきました。しかし今、「ドイツのための選択肢AfD」という右翼ポピュリズム政党の挑戦を受けています。また旧東ドイツ諸州では、「左翼党」も強いことと相まって、東ではハンガリーやポーランドに似た展開を見せています。他方で「緑の党」は、旧西ドイツの地域で、州議会選挙、欧州議会選挙、さらには世論調査でも、瞬間的であれ第1党となる事態も生じ、「緑の党」を軸とした政権構想も論じられるようになりました。過去の東西分裂が修復されないまま、未来のエコロジー社会が同時進行する21世紀ドイツを先ず議論したいと思います。
もう一つの視点は空間軸、つまりフランス、ドイツを軸とする欧州連合EUのグローバルな役割です。ドイツの主要政党は国内政治だけではなく、欧州議会でもリーダー的役割を演じ、EUの多国間貿易協定、移民・難民の引き受け、パリ協定の遵守、イスラム世界との媒介など、アメリカ・イギリスが自国中心主義に陥るなかで、自由民主主義体制のグローバルな擁護者として期待されています。日本にとってもEUの動向は重大です。ただしフランスやドイツの政治的安定がその前提条件です。今回はドイツに限定して議論したいと思います。
先ず、戦後ドイツ政治の安定した基盤となった、カソリックとプロテスタントが統合したキリスト教民主同盟CDUの系譜と役割から始めたいと思います。その軌跡を、アデナウアーによる戦後復興と権威主義的政治の残存、コールによる中道右派政権とドイツ再統一、メルケルによる継承とリベラル化への変容とまとめるなら、野田さんの見解はどうでしょうか。
2.戦後ドイツ保守主義の軌跡:キリスト教民主同盟CDU
野田それまで分断されていたカソリックとプロテスタントが統合されてCDUができ、戦後(西)ドイツ政党政治の基礎ができたことは大事です。コールの評価に関して保守改革派という評価もありますが、歴史問題に関する姿勢などにも表れているように、1970年代の社民党政権への反発もあって、本質的には保守的な性格の強い政治家だったと思います。
コール政権は、ブラント・シュミットの社民政権によるソ連・東欧との対話路線や、法の支配という自由主義を受け継いだので、中道右派路線と評価されていますが、それはむしろ連合相手のゲンシャー外相率いる自由民主党FDPの力によるところが大きかったのではないでしょうか。つまりコールCDUは保守政党であったものの、コール政権は比較的中道性を保ったといえます。
90年のドイツ統一後には、コールCDUの保守の本性が表面に出てくることもありましたし、短期間ながらコールの後任党首となったショイブレも保守派に属すると言ってよいでしょう。その後任であるメルケルも、もともとはコール路線を引き継いでスタートしました。ところが、有利と見られていた2005年選挙で、SPDと拮抗したことで(CDU/CSU34.9%、SPD34.2%)、SPDとの大連立を余儀なくされました。
メルケルはこの選挙結果を見てこれまでのCDUの保守路線の限界を察知し、プラグマティックな改革派としてのCDUでなければ選挙には勝てないことを痛感したのでは、というのが私の見立てです。ただCDUは大連立政権成立以降、なし崩し的にリベラル寄りの政治に進んだにすぎません。メルケル政権が体現するモダンなCDUをめざして、議論を尽くして党全体が転換していったわけではありません。したがってメルケルの退場の後に、CDUがどこに向かうのかは大きな問題です。
住沢キリスト教政党では、もうひとつバイエルン州だけのキリスト教社会同盟CSUという、より保守的、権威主義的な性格を残す(地域)政党がありますが、CDUとCSUとの関係では、これまでの議論はどうなりますか。
野田CDUにとって姉妹政党CSUとの関係は案外難しい問題です。これまでもシュトラウスなど、コールに対抗しうる権威主義的な、強力な政治家がいました。コール時代のCDUも、このCSUに比べれば、より穏健な中道右派ということになります。コールは、おそらく意識的にFDPという自由主義を標榜する政党と連立を組むことで、CSUの動きを制限しようとしたともいえます。ただ、歴史観、対ソ・対ロ外交政策など、CDUとCSUの「保守主義」は、違いよりも共通性も多くあり、CDUのリーダーは、CSUをバイエルン州以外に進出しないジュニア・パートナーの状態に常にとどめておくことにも注意を払わなければなりません。
住沢とするとドイツ政治を規定するのは、これまでは連立政権における政党間のバランスをとることであったという結論になりますか。ブラントの改革の時代は社民政党と自由主義、次のコールの時代はキリスト教保守と自由主義による中道右派、シュレーダーの時代は、社民政党と緑の党の環境政策の重視、そしてメルケルの保守と社民との連立では、保守のリベラル化ということになりますか。
ただドイツでは1968年を象徴とする、政治文化や社会全体のある種の価値観の変化が語られます。脱権威主義的な若者文化の台頭、理念としての西欧市民社会に適合する社会構造的な変化、アデナウアー時代までの伝統的なドイツからの決別などです。この関連で、コール以後の保守主義をどうとらえればいいですか。
野田確かに連立与党間のバランス以外にも、60年代の社会や政治文化の構造的な変化の影響も指摘できます。70年代の政治文化の変化の影響を受けて、当時野党党首であったコールはCDUの近代化、それまでのボス支配にとって代わる、大衆的な組織政党の建設を進めました。CDUも70年代に時代の変化に追いつこうと努力したことは確かです。
住沢野田さんの「2017年ドイツ連邦議会選挙」(『大阪市立大学法学雑誌』2018年)では、CDUとSPD、つまり中道右派と中道左派の国民政党が大敗したと分析しています。またAfDが躍進した地域は、もともと極右勢力やそれに近い小政党が存在した地域でもあると。SPDの退潮は大きな問題ですが、それ以上に、コールからメルケルまでのCDUの変化の中で、保守主義の支持層の政治意識は、どのように変わったのか、あるいは変わらなかったのか、を分析することが大事だと思いますが。
野田1970年代までは、CDU/CSUとSPDという、保守・革新の二大国民政党への政党支持の収斂が見られました。二大政党それぞれ、伝統的な中核的支持者の周りに、さまざまな階層や政治態度の持ち主を支持者として抱えたわけです。AfDの台頭によって最近注目を集めるようになった権威主義的な態度の持ち主も、おおむねこの二大政党に分かれて投票していました。CDU/CSUに限れば、バーデン・ヴュルテンベルク州やバイエルン州は、もともと保守の伝統が強い地域で、ナショナリストや極右政党の支持者も一定程度、存在しました。
ただ彼らにはCDU/CSUのほかにまともに投票できる政党がなかったため、CDU/CSUに投票するか、同党が中道主義に傾斜すればそれへの抗議としてもう一つのブルジョワ政党であるFDPに投票するか、あるいは棄権するかの3択でした。共和党やドイツ国家民主党NPDは、あまりにも極右過ぎて、あるいは5%条項を突破できないので、CDUに不満を抱く保守層も投票できませんでした。
しかし今、CDUより右に位置し、ユーロ金融支援への批判から出発した、その限りでまともな、「ドイツのための選択肢AfD」は、こうした権威主義的意識を残す保守層にとって文字通り新しい選択肢となりえたのです。バイエルン州議会では10.2%(2018年)、バーデン・ヴュルテンベルク州議会では15.1%(2016年)を獲得しました。しかしこの二つの州は人口も多いので、右翼ポピュリズム政党とその支持者も、州全体では希釈され大きな存在感を示すことができません。ズム政党とその支持者も、州全体では希釈され大きな存在感を示すことができません。
私がむしろリスクと見なすのは、旧東ドイツの諸州です。例えばザクセンでは、AfDは27.5%を獲得し(2019年)、第1党のCDUの32.1%に迫っています。同じくザクセン・アンハルトでも24.3%と、CDUの29.8%を追っています。先日のチューリンゲン州議会選挙では、AfDは23.4%とCDU(21.8%)を追い抜きました。左翼党が第1党(31.0%)ですが、この旧東ドイツの動向を注意深く分析してゆくことが必要です。
3.政権担当政党への緑の党の成熟
住沢それでは次にもう一つのテーマ、「政権担当政党としての緑の党への発展」に移りたいと思います。小野さんは、『ドイツにおける赤と緑の実験』(お茶の水書房2009)、『緑の党』(講談社選書2014)など多くの著作があります。小野さんの見解では、新しい社会運動として出発した緑の党は、エコロジー政策重視の政党として発展し、社民党との州や連邦政府レベルでの連立政権(赤と緑の連合)の経験、また2002年の新綱領採択を経て(反体制・反資本主義などを削除し、エコロジー、自己決定、公正、デモクラシーという4つの基本価値へ)、政権担当政党へと成熟したということです。
とりわけ2019年5月の欧州議会選挙では、20.5%を獲得して、SPDを抜き第2党になりました。この前後から、緑の党は連立政権のジュニア・パートナーではなく、緑の党中心の連立政権も語られるようになりました。
小野緑の党は、反原発運動、平和運動、フェミニズム運動など出発時の社会運動の印象が強いので、現在でもこうした「新しい社会運動」の枠組みで語られることが多いのですが、その実態は大きく変化しました。簡単にいうと、運動政党から議会政党を経て政権担当政党になったということです。政権担当能力を身に付けてきていることは確実です。
その実例として、バーデン・ヴュルテンベルク州では、クレッチュマンが2011年(福島原発事故直後の選挙で、緑の党は24.2%で第2党だが、CDUの牙城で、SPDと連立政権を組み州首相に―住沢注)、2016年(緑の党30.3%で第1党、27.0%のCDUと連立政権)と2度にわたり政権を担当しています。メディアでは、緑の党を首班とする政権構想も議論されていますが、こうした展開を見るとあり得ないことではないと思います。
住沢クレッチュマンは1948年生まれ、若いころは緑の党の結成に寄与したKグループ(西ドイツ共産主義者同盟など)の一員で、のちにJ.フィシャーなどとともに、党内のエコロジー社会主義者などと対立しますが、その活動舞台はバーデン・ヴュルテンベルクの州議会が中心でした。この保守的な州で、彼が首相となり、第1党を率いるまでに支持されるに至った経過を教えてください。
小野2011年の「勝利」は、疑いなく福島原発事故の影響でした。もともとバーデン・ヴュルテンベルクは保守的な地域で、フライブルクやハイデルベルクなど緑の党が拠点とする大学都市もありますが、この地で選挙に勝利しようと思えば、保守的な思考に合わせる、つまり保守的なエコロジー観に立つことを余儀なくされます。他の州のようにSPDとの連立政権ではなく、CDUとの連立しかリアリティがないので、そのような方向に向かうわけです。2011年はSPDとの連立政権に至りましたが、2016年にはCDUとの連立になりました。
先ほど野田さんが、CDUやSPDなどのかつての国民政党は、コアの支持者層以外に、多くの周辺の人々を引き付けるといわれましたが、2016年選挙では、緑の党にもそうした現象が起きたともいえます。またこの地は、メルセデス・ベンツやジーメンスなど、先端的な自動車・電子産業がある地域ですので、保守的なエコロジー観といっても、再生エネルギー産業の育成やデジタル化の推進など、最先端の近代化政策もいち早く掲げているわけです。
住沢もっとも豊かな州ではあるが、それまでCDUの牙城であった保守的な風土のバーデン・ヴュルテンベルクにおいて、緑の党が州政治を率いるということは、これからのドイツの方向に大きな影響を与えます。
右翼ポピュリズムとの関連では、この州とCSUのバイエルン州、それにドイツの「ラストベルト」といわれるノルトライン・ヴェストファーレン州という3つの大きな州で、保守中道、エコロジー政党、あるいは社民党が力を持っていれば、たとえ東のザクセン州などでAfDなど右翼ポピュリズムが台頭しても、ドイツは西欧デモクラシーの擁護者の旗を掲げられると思います。バーデン・ヴュルテンベルク州の趨勢は、決定的に重要です。緑の党の第1党化の先ほどの説明は少し弱いと思いますので、もう少し展開してもらえますか。
小野CDUやSPDなどのこれまでの国民政党は、「ミリュー政党(共通の価値観、生活・職業環境など)」といわれてきました。CDUであれば地域共同体との紐帯を強く持ち、日曜日には教会に通う。SPDであれば労働組合に組織されているなどです。しかしドイツも過去数十年間で、こうした「ミリュー」も大きく変化しました。教会に行く人は少なくなり、労組の組織率はさがり、より個人主義的になりました。特に豊かな地域では、個人主義化はより開明的な、リベラルな政治風土を醸成しました。こうしてCDUやSPDを支えた「ミリュー」は不断に弱くなってきました。
これに対して、緑の党はこうした意味での「ミリュー政党」ではありませんでした。確かに高学歴、都市生活者や大学都市など支持者のいくつかの特徴はありますが、「ミリュー」といいえるほど強い結びつきがあったわけではありませんし、現在でもできていないと思います。2011年の福島原発事故を契機として、緑の党の支持者が飛躍的に伸びた。それに並行して、CDUやSPDなどのこれまでの国民政党が弱体化した結果として緑の党の支持者が増えたのであって、緑の党が新しく党の組織化に成功したわけではないと思います。
野田CDUはカソリックとプロテスタントを統合した、戦後ドイツの新しいプロジェクトであると同時に、キリスト教を看板には掲げてはいるものの、宗派を横断するという点で宗教の世俗化という要素を含んでいました。とりわけ豊かな生活や個人主義化が進行すると、世俗化が進行するとともに、政治的態度に関しても権威主義的な思考から開明的な思考に変化してきます。社会的地位や所得が高いブルジョア政党の支持者自身が、例えば同性婚への考えや、コスモポリタン的な発想など、それまでの保守主義では承認できなかった価値観を徐々に共有するようになります。
新しい考え方を身に付けた彼らにとっては、CDU、FDP、緑の党、場合によってはSPDも含めて、どの政党でも選択可能となります。こうして都市型というか、多くの浮動票が生まれる政治文化に転換し、豊かな地域では、よりリベラルな傾向が生まれました。2002年選挙で、CSUのシュトイバーという、よりタカ派的な、権威主義的な保守を代弁する候補者が、SPDのシュレーダーに敗北した時、メルケルはこうした新しい傾向を把握したのだと思います。
「ブルジョワ市民ブロック」はなくなってはいないけれども、その彼らの拠って立つ価値観やセンスは、50年代、あるいは60年代の「保守」とは相当異なってきている。メルケルは、リベラルな姿勢を結果として打ち出していったことで、こうした変化を巧みにつかみ、2013年選挙で過半数に近い票を獲得することに成功したわけです。ただ、こうして獲得された新しい保守層の支持は、ライフスタイルや価値観でつながっているだけで、組織化されたものではないので、不安定です。
小野確かにCDUがメルケルのもとでリベラル保守に変わったということが大きいと思います。移民政策や家族政策など、これまでドイツの保守政党が受け入れられないとしてきた政策が、メルケル政権のもとで実行されています。同性結婚などこれまでの保守からは絶対に認められないことを承認する、あるいは家族政策では、性別役割分業がこれまで、保守とリベラルを分ける線であったのですが、育児休業に従前所得の67%を保証し父親の育児休業取得を促進し、さらには1歳以上の子供の保育を受ける権利を保障するなど、主として働く女性の復職を支援する政策を打ち出しています。
住沢社民政党SPDについてこれまで話してこなかったのですが、今いわれた家族政策、1歳児からの保育園設置、それに最低賃金制の導入など、連立政権のなかでのSPDの役割りも実は大きかったのですが、それらはメルケル政権の成果として集約されました。このためSPDが低迷していることに党員たちは不満を募らせています。2017年選挙で敗北し、野党になることを宣言した当時の党首シュルツ(元欧州議会議長)は、その後、SPDがCDUとの大連立を組むことを余儀なくされ、事実上、政治からの引退を強いられました。
それ以後もSPDは党首の首のすげ替えを繰り返し、迷走しています。このリーダーの不在という問題も大きいのですが、今、小野さんには1980年代後半から2005年までの「赤と緑の実験」の歴史的な意義、さらには現在の「緑と黒(CDUなどキリスト教政党)」、さらには「赤・赤(左翼党)・緑」の連立政権の意義についてもお聞きします。
4.「赤と緑」、「黒と緑」そして「赤・赤・緑」への可能性
小野先ず「赤と緑」ですが、間違いなくエコロジー政策を軸とした改革政治であったと思います。この場合、「赤」、つまりSPDの側でも改革への動きがあったことが大事です。そもそも社民主義のケインズ主義的福祉国家は、80年代には新保守主義の挑戦を受け、行き詰まっていました。私からいわせれば、この時、社会民主主義が終わっていなかったのが奇跡であり、それは緑の党の提起を受け、エコロジー政策に向け党内で刷新があったからだと思います。
これに対して、「黒と緑」にはこうした改革の要素があるのでしょうか。思想のレベルでも、将来構想のレベルでも私はないと思います。あるのは多数派形成と連立政権のための戦略的な結びつきだけです。
野田CDUの立場から見ると、AfDという右翼ポピュリスト政党が連邦議会レベルでも根を下ろしている以上、緑の党との連立も選択肢の一つにしないと政権を取れないという新しい状況があります。この選択肢を排除すると、SPDとの大連立しかないわけですから。
小野「黒と緑」の連立は、それによって何か新しい政策を追求するというよりは、CDUなどの保守政党の側で、連立を妨げる要因がだんだんなくなってきた、というほうがより正確ではないかと思います。前に挙げた家族政策の変化やリベラル的要素の拡大、さらに決定的なことは、2011年のメルケル政権の下での脱原発路線の選択です。ドイツでは保守政党ですら脱原発ですから、緑の党との連立の敷居は限りなく低くなりました。
他方で、2017年選挙の後、まず「黒・緑・黄(FDP)」の3党連立が交渉されましたが、新自由主義の経済政策を強く推し進めるFDPに対して、さすがに緑の党との合意は難しく、この政権交渉はFDPの側からの拒否で実現しませんでした。
住沢「黒と緑」が未来に向けた共同のプロジェクトを含まないのであれば、緑の党がエコロジー社会への転換をさらに進めようとするなら、自ら第1党となり、エコロジー改革政治を実現するということになりますが、この可能性はどうでしょうか。スウェーデンの高校生、グレタ・トゥーンベリさんが始めた「未来のための金曜日」効果もあり、ドイツでは若者は圧倒的に緑の党の支持者になりました。大衆紙Bild am Sonntagによれば(2019.6)、次の首相候補として、CDUのメルケルの後継者、クランプ=カーレンバウアーは24%、これに対して緑の党の現在の党首で作家であるロベルト・ハーベックは51%と最大の支持を獲得しています。
小野長い目で見ればそれもありとは思いますが、現在ではまだ無理です。というのも緑の党は旧東ドイツの諸州で非常に弱く、まだ時間がかかります。ハーベックの評価に関しては、それはあくまでも彼個人の人気であり、党への支持ではありません。「赤と緑」の連立の時代でも、J.フイッシャーは政治家として他を引き離すほどの人気がありましたが、緑の党が第1党であったわけではありません。
住沢それでは結論として、「赤と緑の実験」は、SPDの側ではエコロジー的近代化という新しい政策課題、緑の党ではエコロジー的改革政策を実行し、自らも政権担当能力を高めていくという成果があった。しかし「黒と緑」の連立政権は、そうした改革政治の要素が見当たらないということになります。
確かに、私が2016年にSPD本部やエーベルト財団で、何人かのブレーンにヒアリング調査をした折り、緑の党はもはやエコロジーに特化した党ではなく、この間に多くの政策分野を習熟し、とりわけ教育政策や社会政策において、SPDの強力なライバル政党になっているという指摘がありました。小野さんは著作の中で、「赤・赤(左翼党)・緑」の3党連立による改革政治の可能性について示唆されています。旧東ドイツのチューリンゲン州やベルリンではこの組み合わせはありましたが、旧西ドイツでは、今年初めてブレーメンでこの連立が成立しました。この点ではどうですか。
小野現在のヨーロッパの最大の問題は、社会的格差の拡大です。エリートと非エリート、産業構造の近代化の勝者とそうした発展から取り残された人々の間の対立です。今やこの格差は耐え難い程度に拡大していますが、しかし「取り残された人々」を代弁してくれる政党はなく、それが右翼ポピュリズム政党の勃興に至っています。
「赤と緑」の改革政治はその方向が少し異なりますし、また「黒と緑」はどちらも、社会や仕事の場で安定した場所を持ち、個人主義的な要素が強く、こうした「取り残された人々」の利益を代表するには無理があります。とすると、旧東ドイツで根強い支持があり、また労働組合の一部左派を組織し、現在のグローバル金融資本主義を批判する「左翼党」が加わった「赤・赤・緑」なら、この格差拡大という最大の問題をテーマとする連立政権ができるのではないかと考えたわけです。ただまだリアリティがあるわけではありません。
野田「黒と緑」ですが、メルケルのCDUに限定すれば、CDUも緑の党もどちらもブルジョワ市民層受けがするリベラルな傾向を持っており、その限りでは連立政権を組むことに違和感はありません。ただポスト・メルケルのCDUを考えると、文化的価値観などで右傾化することが大いに予想されます。するとかつてコール時代のCDUの保守化を、自由主義政党のFDPがブレーキをかけたように、「黒と緑」の連立政権があれば、ポスト・メルケルのCDUの保守化を、ある程度抑制する機能を果たすことになり、その意義は小さくありません。
2002年から、ライプツッヒ大学の研究所で、全ドイツ規模で市民のあいだの権威主義的態度の広がりについて、継続的に意識調査をしています。その結果によると、デモクラシーに対する信頼は実はこの間むしろ増加しています。ただ深刻なことに、権威主義的価値を持つ人々とデモクラシー的価値を持つ人々の分断線が、より明確になってきているのです。多くの工業諸国でいわれる、社会の二極化、分断化です。
この少数派であるけれども近代化から取り残された人々に対して、その利益や権利を擁護できるのは、私は、新しいブルジョア市民層を主たるターゲットとしている緑の党ではなく、むしろSPDではないかと思います。SPDがこうした社会的弱者、あるいは衰退地域の人々の擁護と本格的に取り組むなら、他の政党とは差別化されたポジションを獲得できるのではと思います。
5.21世紀ドイツの「もう一つの特有の道」
住沢ここで「取り残された人々」、「衰退した地域」の問題が出てきました。ドイツでは、旧東ドイツの独自性として語られることが多いのですが、これまでは、旧東ドイツ社会主義統一党SEDを継承する民主社会党PDSが、そのアイデンティティやルサンチマンを代弁してきました。現在では西側の左翼と合流して左翼党を形成しています。しかしAfDなどの右翼ポピュリズムの台頭に関して、旧東ドイツ諸州のこれからの動向が鍵とされています。
このことを前提に、次にドイツがグローバルな視点で、自由民主主義体制の擁護者としてどこまでその課題を担うことができるかどうかという問いです。ポイントは次の4点です。
(1) CDUなどの保守政党は、ナチス支配の過去と立ち向かってきたことから、他の欧米諸国の保守主義にみられる、極端な自国第一主義、排外主義的なナショナリズムを掲げることはできない。またEU議会第1党であり、この11月から、初の女性EU委員会委員長・フォン・デア・ライエンも送り出している。
(2) SPDは退潮しつつあるとはいえ、イギリス労働党とならび、EU やグローバルなレベルで進歩主義のリーダーである。
(3) 他の国では見られない「エコロジー・ファースト」が現在のドイツ政治を特色づけており、緑の党が政権担当能力を習得しつつある。
(4) 旧東ドイツは、ハンガリー(オルバーンの権威主義志向)、ポーランドなどの旧東欧圏の展開と同様に、自国や地域の独自な価値観や利益を主張する右翼ポピュリズム、あるいは権威主義的傾向が優位になる可能性と、他方で、旧社会主義政党の系譜をひく「取り残された人々や地域」の利益を代弁する左翼ポピュリズムの両者が混在する政党配置となっている。
19世紀後半、20世紀前半のドイツは、「近代化に遅れてきた国民」として、西欧自由主義とは異なる、「ドイツ特有の道」を進んできました。2020年代を迎えるに際して、東西の分裂を抱えつつも、ドイツはむしろ西欧自由主義の発展形態としての「もう一つの特有の道」を提起できるでしょうか。
野田「自由民主主義の危機」といわれますが、自由主義と民主主義とがそれなりにうまくやっていた期間は戦後から1970年代前後までで、意外と短いのではないか。そもそも資本の唱える自由主義と国民主権に立つデモクラシーの間には緊張関係があり、戦後から1970年代に入るころまでは、この両者が例外的に「幸せな結婚」をしていた時代だったとみることができます。
60年代末には、新自由主義の「国家から自立した市場経済や企業活動」の流れが生まれ、また1968年の価値転換により、個人のライフスタイルや自由な活動を優先する社会に変わります。こうした「自由」の契機の強調、自由主義の強調は、民主主義にも影響を与えずにはいません。
それまでの戦後の議会制民主主義の安定を支えてきたものも、実は、組織政党や政党支持者の「ミリュー」、さまざまな利益団体、労働組合、福祉団体、教会などのなどの、いわば伝統的近代が生み出した諸制度・諸組織でした。1970年代以降の新しい個人主義や経済自由主義の流れは、戦後の安定した議会制民主主義を支えてきたこうした基盤そのものを解体するとともに、そうした組織に依存する政治自体に疑いの眼差しを向けることになりました。政党政治の基盤は溶解し、自由な意思で動く砂のような有権者をつかまえるために政党や政治家は勢い選挙至上主義的になり、政治は流動化していきます。
自由主義は経済面では、民営化、政府から自立した金融政策など、国家と経済・金融の分離を促進するとともに、社会保障制度の縮小・合理化をもたらし、社会格差は拡大します。デモクラシーの原理により国民の信託を受けた政府が、国民の多くが望む政策を政治の対象から外すことで、政府の手でますます社会的分断が推進され、その結果としてアメリカで見られるような「分断の政治文化」も生まれてきます。
トランプ政権が典型ですが、強欲な経済自由主義とポスト・トゥルースの時代のデモクラシーが結びついた、いびつな「自由民主主義」をわれわれは今見ています。ヨーロッパでも同様のことが起きています。たしかに米国のような強欲な経済自由主義の跋扈はヨーロッパではみられないにしても、EUレベルでの政策決定は、政治の射程範囲の縮小だとみなされ、それへの反発からいびつな「自由民主主義」の表われとしての右翼ポピュリズムの跋扈が起きています。
話をドイツに戻せば、ドイツは、ヨーロッパ諸国のなかでも、20世紀後半の(自由主義を民主主義と妥協させるという)自由民主主義の制度や伝統をまだ色濃く残しています。ドイツはEUの中心国ですので、そのこと自体、ヨーロッパで少なくない意味を持ってきます。将来には未確定な部分が残るにしろ、この点で、EUを舞台に自由民主主義を擁護する「新しいドイツ特有の道」が議論できるかもしれません。
住沢メルケル政権のエネルギー転換プログラムについて、例えば2038年までに石炭火力発電所を廃絶する決定に対して、不十分とする批判も多いですが、石炭産出地への巨額の財政支援や、これまで石炭産業の維持をめぐる議論が深刻な政治的争点であったことを考えると、大きな前進であるといえます。またディーゼル車による大気汚染と、いくつかの自治体ではEU規定を満たさない車の大都市への乗り入れを制限するなど、自動車産業と人々の生活に大きな影響を与える環境政策を実行しています。
緑の党は、2030年に100%の再生可能なエネルギーへの転換を掲げていますが、ドイツ全体としても、「エコロジー・ファースト」の政治文化を感じます。もちろんもっと進んだパリ協定順守の実績を示している国もありますが、緑の党の存在も含めて、環境政策の重視と争点化はドイツの「もう一つの特有の道」であるようにも思えます。
小野ドイツに環境意識の高い人が多いのはなぜなのか、正直なところよくわかりません。ただ、ドイツの政治構造が、時代状況や価値観の変化を敏感に反映するのに役立ったとはいえると思います。実質的に比例代表の選挙制度とか、連邦(地方分権)制とか、社会運動文化の根付く社会とか。今日の環境政策もさることながら、1970年代くらいまでは経済成長思考が優勢だった中で環境問題をテーマ化させたドイツの先駆性、そしてフロントランナーとしての緑の党の役割は大きいと思います。
エコロジーは、「右と左」すなわち経済的平等をめぐる対立軸には解消されにくいといわれます。緑の党が左翼と結びついたのは、部分的には歴史的偶然もあります。実際、初期の緑の党は保守的エコロジストを擁していましたし、現在の主流言説であるエコロジー的近代化は、新自由主義も含め政治経済的エスタブリッシュメントにも受け入れ可能なものです。先ほど話題になった「黒と緑」の可能性も、こうした文脈上で論じられるべきと思います。
野田ドイツの保守主義に関しては、何度もいうようですが、ポスト・メルケルのCDUの立ち位置が大事です。他のヨーロッパ諸国のように、右翼ポピュリスト政党と連立を組むようになるのか、それともドイツは別の道を歩むのか、大事な分かれ目です。ポスト・メルケルのCDUは、いかに右傾化しようとも、ナチス時代のドイツをいろいろな理由をつけて肯定するような「歴史修正主義」に戻ることはあり得ないと思いますが、AfDへの対応の仕方いかんではCDUは「普通の保守政党」化する危険性があると思います。
現在のところ、CDUはEU諸国のキリスト教保守政党の中では大政党であり、今なお統合政党のポジションを確保しています。しかし、他の国の保守政党は、20%前後、あるいはもっと小さな政党になっています。CDUがこうした国々と同じような「普通の保守政党」になれば、ドイツの政党政治も、他の比例代表制の国々と似たようなものになるでしょう。
ドイツの場合、憲法と政党法によって、すべての政党に民主主義的な党内意思決定手続きが義務付けられるとともに、「自由で民主的な基本秩序」に敵対する政党は禁止されているため、AfDもその枠から離れることはできませんが、AfDの今後とCDUのこれへの態度はドイツの政党政治にとって無視できない意味を持っています。
住沢SPDに関してあまり言及しなかったので、最後に簡単にまとめておきます。2007年のSPDハンブルク綱領に関して、私は翻訳しコメントを付けました。(生活経済政策研究所『21世紀社会民主主義 第9集』 2007)。これまでのSPDの綱領と異なり新しいものはなく、シュレーダーの「アジェンダ2010」に対する事後的な根拠づけ(モダン社民主義)という私のコメントは、現在の視点から見ても適切だと思います。ただグローバルな視点では、欧州社民党がそうですが、「進歩主義」というくくりで、アメリカ民主党を含む大きな政治ブロックの形成を目指しているといえます。
しかしヒラリー・クリントンを支援するシンクタンク組織が、Center of American Progressであったように、この路線は選挙での支持を得ることができませんでした。SPDは現在、党首を選ぶ予備演説会を各地で開催していますが、そこでは社会的格差の是正や生活保障など人々の生活に直結した課題が再びテーマとされています。リーダの選出を含めて、復活のためにはまだ多くの課題を抱えているのが現状です。
SPDもCDUと同じく、ドイツ国内政治の政党間競争だけではなく、欧州議会、EUレベル、さらには世界の社会民主主義政党や進歩主義政党の中で、自らのアイデンティティを形成し、共通の基本価値や政策を提起してきました。この役割はまだ当分は維持できるし、維持することが要請されていると思います。
のだ・しょうご
1964年大阪府生まれ。大阪市立大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。1995年大阪市立大学助教授。2007年より現職。専門はヨーロッパ政治史、政治学。著書に『ドイツ戦後政治経済秩序の形成』(有斐閣)。『「再国民化」に揺らぐヨーロッパ』(共著、法律文化社)など。
おの・はじめ
1965年生まれ。専門は現代ドイツ政党政治、脱原発政策など。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程(1998年単位修得退学)。1998年より工学院大学、2017年より教授。著書に『ドイツにおける「赤と緑」の実験』(御茶の水書房、2009年)、『緑の党/運動・思想・政党の歴史』(講談社選書メチエ、2014年)『脱原発社会を求める君たちへ』(幻冬舎ルネッサンス新書、2018年)など。
すみざわ・ひろき
1948年生まれ。京都大学法学部卒業後、フランクフルト大学で博士号取得。日本女子大学教授を経て名誉教授。本誌代表編集委員。専攻は社会民主主義論、地域政党論、生活公共論。主な著作に『グローバル化と政治のイノベーション』(編著、ミネルヴァ書房、2003)、『組合―その力を地域社会の資源へ』(編著、イマジン出版 2013年)など。
特集・混迷の時代が問うもの
- ここまで産業衰退した日本に未来はあるか立教大学大学院特任教授/金子 勝
- 21世紀ドイツ「もうひとつの特有の道」はありうるか大阪市立大学教授・野田 昌吾/工学院大学教授・小野 一/本誌代表編集委員・住沢 博紀
- 人権侵害の「救済」とは―事実を認め人間の尊厳を回復し、教育に活かし繰り返さないこと青山学院大学法学部教授/申 惠丰
- 軋む日韓関係を韓国から見る朝鮮問題研究者/大畑 龍次
- 「トランプ弾劾」へ急展開国際問題ジャーナリスト/
金子 敦郎 - 「恐怖の夏」から中・韓「通貨危機」へグローバル総研所長/小林 良暢
- 自国第一主義はナショナリズムか?神奈川大学名誉教授・本誌前編集委員長/橘川 俊忠
- 西欧デモクラシーはまだ生きている龍谷大学教授/松尾 秀哉
- 関東大震災96年 朝鮮人犠牲者を追悼新聞うずみ火記者/栗原 佳子
- なぜテレビは「嫌韓」を煽るかジャーナリスト/西村 秀樹
- わたしたちは皇国史観を克服できるのか筑波大学名誉教授・本誌代表編集委員/千本 秀樹
- コンビニスタッフの賃金はなぜ低いわたらせユニオン書記長/
嶋田 泰治