論壇

2020東京オリンピックはおことわり!

オリンピックそのものを批判する地平獲得へ

「2020オリンピック災害」おことわり連絡会 宮崎 俊郎

1.ピョンチャン五輪反対運動のために現地へ

2018年2月8~11日、私も含めて日本からピョンチャン五輪反対運動に参加するために4人+通訳1人で韓国現地を訪れた。

「おことわリンク」(「2020オリンピック災害」おことわり連絡会の略称)から私ともう一人、反五輪の会から二人、通訳も女性で都合私以外はみんな女性だったので、当初参加について気が引けていた。しかし、私はビデオ撮影係としていつの間にか参加者の中に名前が入っていて、途中からピョンチャン行きをやめますとは言い出しづらい雰囲気に飲まれてしまった。

反五輪の会とは、おことわりンク結成以前から主要に神宮再開発に伴い追い出される住民の権利侵害に対する告発を中心としてオリンピック反対運動を地道に追求してきたグループである。おことわりンクのメンバーでもある反五輪の会のメンバーはリオの時から現地入りし、ピョンチャンについても事前に訪問し、国際連帯については地道に積み上げられてきており、今回の日本からの訪問も反五輪の会の運動としてとらえられていた。「おことわリンク」は新参者だったのだ。

さて韓国におけるオリンピック反対運動の状況について見てみよう。

私たち「おことわリンク」は昨年2月にリオと韓国から反対運動のメンバーを招いて集会を開催した。その集会内容が私たちのリーフレット第1号にまとめられている。韓国からは文化連帯のギョンリョルさんをお招きした。その際にも「私たちはオリンピックそのものに反対しているのではなく、オリンピック開催のための甚大な環境破壊に対して反対している」という解説が象徴的なように、ほとんどの運動グループはカリワン山の森林伐採などの環境破壊に反対していた。

しかし,韓国の運動はSNSなどを利用して瞬時に立ち上がり、瞬時に人が集まるという瞬発力の強さが特徴だと実感した。というのも「ピョンチャンオリンピック反対連帯」というグループが1週間前に立ち上がったのだった。そこがいくつかの企画を打つことになる。しかもメンバーは日本の市民運動と異なりかなり若い。

もう一つ特殊事情として「ピョンチャン五輪反対!」というスローガンを叫んでマスメディアに登場していたのはすべて右翼だったということをあげておかねばならない。右翼は「ピョンヤン五輪反対!」と称して、南北融和を進めるという点からピョンチャン五輪に反対行動を展開していた。開会式にも日本と同様の街宣車から大音量の怒声に200人から300人程度が結集しており、注目度は高かった。振られていたのはテグ旗だけではなく、星条旗が散見されたのは、親米右翼的体質まで日本の右翼と同じなのかと驚かされた。

私たちが最も気を遣ったのは、反対行動が韓国右翼の主張と同等視されないようにすることだった。だから「ピョンチャン五輪反対!」というスローガンよりも「No! Olympic anywhere in the World」であり、すべてのオリンピックに反対していることを強調した。

現地運動がそういう状況だったから、日程的にも現地反対運動は未定な部分が多く、行ってみて空振りに終わるリスクも十分抱えながらのピョンチャン行きだった。しかし、結果的には毎日なんらかの対抗アクションに参加することができ、現地行動の大切さが身に染みた。

現地行きに対する最大の不安材料は、すんなり入国できるのか、ということだった。当然日本の公安からは私たちの情報は韓国当局に連絡済だろうし、嫌がらせも含めて別室に連れて行かれる危険性も十分想定された。2月5日に韓国情報機関の国家情報院はテロ対策のために3万6千人余りの外国人に対して入国禁止措置を取ったと発表された。

結果は杞憂に終わり、入国の際も出国の際も全く妨害はなく、スムーズに進行した。私たちはテロ対策として特定されていなかったということなのか。治安当局からは全く無視されたということだった。喜ぶべきか、悲しむべきか。右翼でないオリンピック反対派をケアする必要性が認識されなかったということか。

初日はソウルの日本大使館前の「少女像」を訪問して仮設テントで常駐体制を組んでいる若者を激励し、その後夕方1時間程度街頭宣伝を行った。街宣をやりだすとさすがにソウル警察官が徐々に結集し始め、後方から威嚇するかのような体制になった。韓国の公安刑事がビデオを回していた私に「撮らないでほしい」と日本語で語りかけてきた。もう少し街宣を継続していたら警告を発するつもりだったのだろう。一応妨害もなく街宣をやりきった。その夜は韓国のオリンピック反対連帯主催のシンポジウム。韓国側のパネラーは1週間前に反対連帯が立ち上がったということを感じさせないしっかりした近代オリンピック批判を展開してくれ、不意打ちを食らった感じだ。

2日目の夜が開会式。カンヌンからKTX(日本の新幹線のようなもの。オリンピックのために作られた)に乗り、20分くらいでピョンチャンに到着。そこから30分くらいシャトルバスに乗ってメインスタジアムの開会式会場へ。偶然同宿だった日本のスポーツジャーナリストは開会式のチケットを持っていたが、なんと15万円。かなり良い席らしいが、それでも10万円前後はするらしい。近くのホテルは1泊10万円前後というからかなりセレブでなくては開会式に参加することは難しいようだ。

私たちはメインスタジアムからかなり遠い会場外でバナーを掲げて10人くらいで約1時間宣伝活動を行った。その間警備や警察当局からの妨害は一切なし。宣伝活動は私たちだけではなく様々な団体が展開していたため、特段排除されることもなかったのだろう。私たちの隣ではキリスト教団体が踊り、歌っていた。これらの団体はオリンピックに対するアピールではなく世界から来る人々に対して布教活動を行うことがその目的だった。戒厳令下の対応が予想される日本の開会式の状況とはかなり異なり、その自由な雰囲気はあまり参考にならないと感じた。さすがにピョンチャンの夜に1時間も外で街宣していると身体は凍てついた。帰りに右翼の街宣に出くわしたが、彼らは街宣車から大音響でオリンピック反対をがなり立てており、警察も一定の規制を行っていた。

3日目はカンヌン駅から競技会場まで約30分「ごめんねデモ」を反対連帯のメンバーと行った。総勢30人くらい。「ごめんねデモ」とはこんなオリンピックを止めさせることができなくて「ごめんね」という意味が込められている。なんと無届けなので白い布を被った「お化け」数人が駅前広場に登場してみて警察の反応を見ながらデモに出発。しかしここでも私たちは警察に相手にされることなく、元気にどらの音とともに「オリンピック反対!」を叫びながら会場付近の高台までデモを貫徹した。

4日目の最終日はカリワン山のアルペン会場ふもとで集会・デモが行われるということで飛行機の時間を気にしながら集会だけ参加した。ここでの発言はほぼ環境保護団体だったようだ。日本側からも神宮再開発による住民追い出しの問題をアピール。この日は強風で競技が中止になり、寒さも酷かった。集会後も「No! Olympic anywhere in the World」という私たちが持っていったスローガンを他のグループも叫んでいたのを聞いてやはり来てよかったと実感した。

2.「オリンピックはニュートラル」という構図

昨年12月に発行された市民の意見30の会の機関誌「市民の意見」の巻頭論文は和田春樹の「緊迫する北朝鮮情勢と日本のとるべき道」だった。安倍首相の北朝鮮制裁強化路線では問題解決につながらず、日朝国交正常化が危機突破のカギであるという主張は概ね肯ける。しかし問題は最後の節だ。「オリンピック開催のためにも戦争を防がなければならない」という標題のもとに以下の文章が展開される。

「さらに2020年の東京オリンピックの開催に対して、日本はそれが無事に開催されるように条件を整える責任を全世界の人々に負っていることに注意を喚起したい。オリンピックを招致した安倍晋三首相、オリンピック・パラリンピック組織委員会会長森喜朗氏、さらにオリンピック開催都市東京の都知事小池百合子氏の3人には、特別重い責任がある。日本国民は、何よりも日本の周辺で戦争がおこり、オリンピックが開催できなくなることがないように、あらゆる努力を払わなければならない」

この認識の基底には「オリンピック=平和=善」vs「戦争=悪」という構図がある。和田春樹の肩書は「歴史家」となっている。彼の近代オリンピックに対する歴史認識はどうなっているのだろうか。1896年に再開された近代オリンピックの歴史がいかに政治まみれ・金まみれだったのかは1936年のナチ・ベルリンオリンピックを見るまでもなく明らかであり、とても平和の象徴であるという規定は出てこないのではないか。ここには「スポーツはニュートラルであり、スポーツの祭典であるオリンピックは祝祭である」という認識が存在している。

和田春樹ほど「オリンピックを開催したい人は戦争を防がねばならない」という認識に立たずとも、実は「オリンピック利用論」もオリンピックそのものを等閑に付すという点では同じ構図に立っていると言える。

私のオリンピック反対運動への関わりは、反監視運動から出発している。日本の監視社会構築は2020年東京オリンピックを一つのゴールとして計算されているのではないか。監視立法化を見ても、2013年番号法、特定秘密保護法、2016年盗聴法の拡大、2017年共謀罪、戦後どの政権もなしえなかった監視立法を安倍政権は次々と成立させてきた。これはかなり画期的な事態である。特に共謀罪はオリンピックに対するテロ対策を大義名分としてきた。

この監視社会構築の構図に対して反監視運動のスローガンは「オリンピックを利用した市民監視強化を許さない」となる。しかし、この時のオリンピックは利用される客体としての存在であり、オリンピックそのものの存在はいわば価値中立的だ。和田春樹ほどのポジティブな価値付与がなされてはいないが、オリンピックをニュートラルなものとして固定化する構造になっているのではないだろうか。

オリンピック自体を等閑に付す構造にはそれなりの根拠がある。私はそれが日本の天皇制的構造にあると考えている。オリンピックも天皇制もそこから発せられる害悪について言及するのはまだしも、その存在のありようについて論じることそのものが禁忌=タブーとなる仕組みが存在している。オリンピックも天皇制もその存在の是非を避けて運動化しないと大衆化しないという判断が多くの場面で採用されているのだ。しかし、そうした実利的判断では天皇制やオリンピックそのものの持つ害悪を原理的に転倒させることは不可能なのではないか。

2020オリンピック災害おことわり連絡会の新しさは、オリンピックを「祝祭」としてとらえるのではなく、その存在自体が「災害」であり、様々な形で現象する「災害」に対して「おことわり」を対置する手法にある。

本稿の後半では、過去の東京オリンピックの歴史から見えてくるものと近代スポーツとオリンピックの問題を材料にオリンピックを考えてみたい。

3.幻の1940年東京五輪―東京五輪の歴史から見えてくるもの

東京オリンピックは2020年で3回目の開催となるはずだった。

初回の1940年東京オリンピックは「幻の五輪」と呼ばれているが、意外と知られていない。この年は日本が太平洋戦争に突入する前年であり、結果的に戦争体制の影響で1938年に返上に追い込まれている。だが、オリンピックが戦争を止める力など全く持っていないばかりか、もともとヒトラーはオリンピック開催に否定的であったが、1936年のナチ五輪を見ればいかに戦争遂行のための国民統合の武器に転化していったが如実にわかるだろう。

東京オリンピックとは基本的に「復興五輪」という性格を帯びている。

1940年の幻の東京五輪は、1923年の関東大震災からの復興、1964年東京五輪は第二次世界戦争からの「復興」、そして2020年東京五輪は3・11からの「復興」をアピールする徹底的に政治的なイベントである。特に2020年東京五輪は、安倍首相の「アンダーコントロール」大嘘発言に基づいて招致したという時点からの出発であり、いまだに収束の見えない福島原発事故隠しという政治的意図を具現化していくイベントなのだ。だから私たちは東京五輪に対しては福島原発事故状況を対置していき、財政的に見ても何兆円という莫大な税金をオリンピックに投入するのではなく、福島原発労働者や被災民に対する補償に使うべきであることを鮮明にしていくべきだろう。

さて、3つの東京五輪を概観したが、私は1940年と2020年に近しさを感じる。

1940年は37年に日中戦争を始めて、中国大陸への侵略を進め、翌年の太平洋戦争を控えてまさに日本は戦争遂行国家体制に突入しようとしていた。しかし、まだ庶民の日常生活も戦争一色ではなく、戦争遂行のための国民統合をいかに図っていくのかが国家的課題だったと言えるだろう。

ちょうど1940年は、神武天皇即位紀元2600年記念事業を挙国体制で行いたいという思惑があり、そこにオリンピック東京招致が乗ったという経緯があった。2020年も、前年に天皇の生前退位が行われ、開会式の挨拶は新天皇が行い、国際的にも新天皇のお披露目の場オリンピックはなると目されている。9条に自衛隊を明記する憲法改悪を達成して新たな戦争国家体制を構築していくためにもまさにオリンピックは国民意識形成にとって格好なナショナルイベントとして位置付く。その意味からもそれは1940年に持っていた意味とかなりダブル部分が出てくるのではないか。

社会主義者であった山川均はオリンピックの本質を「文芸春秋」1936年9月号の社会時評に以下のように記述している。「オリムピックはスポーツの舞台ではなくて、それ以上に、国際政治の舞台だといふことが含まれてゐる。オリムピック参加の究極の目標は(中略)、世界列強をして国家の実力と国民の偉大さを承認させ、国威を宣揚し、国際的地位を高めることにあるのだから、『東京オリンピックの実現に漕ぎつけて日本の国際的地位を一段と高めた平和の勇士』は、たとえば日本海海戦に敵艦を追ひつめて日本の国際的地位を一段と高めた戦場の勇士と本質においては違ったところはない」

かなりオリンピックの本質を突いている。

イタリアとロンドンが辞退する中で、1936年にヘルシンキと東京で投票が行われ、1940年開催は東京に決定した。しかしその2年後の1938年7月に日本政府は東京オリンピック開催の返上を閣議決定してしまう。都市開催であるはずなのに政府が決定することに違和感を感じるが、存在そのものが政治的であり、国家の都合で開催2年前であるにもかかわらず、返上が可能になる構造に愕然とさせられる。

ということは逆に言えば、ある大きな政治的事態が生起すればたとえ2年前でも返上は十分可能なのではないのか。イタリアなどの外国検察が日本のオリンピック招致疑惑を追いかけていたが、もしその実態が明らかにされれば返上せざるをえない事態に追い込まれる可能性も否定できない。それくらい日本の招致合戦は金まみれだったのだ。私たちの反対運動も決して諦めることなく、「五輪返上」を掲げ続けていきたい。

4.オリンピックがスポーツをダメにするのか?

最後にオリンピックとスポーツの関係をいくつかの材料をもとに考えてみたい。

オリンピックがニュートラルな存在として捉えられるのは、そもそもスポーツがニュートラルなものだという観念がその根幹にあるからではないだろうか。しかし、近現代スポーツが体制内的指向性を持っており、スポーツを成り立たしめている社会のありようについて問う回路を遮断する機能を持っているのではないか。

まずは近現代スポーツについて多木浩二のスポーツ論を題材に考えてみたい。

①多木浩二のスポーツ論

多木浩二はスポーツ論の専門家ではない。芸術学や記号論を専門とする。多木は近代スポーツを考えるにあたってイギリスのエリアスの文明化論から検討を開始する。エリアスは近代スポーツを「非暴力の競争」と位置づけ、社会が暴力を飼い馴らした時にスポーツが発生するとした。古代スポーツにおいては相手を死に至らしめることもあったことに見られるように格闘技としての性格は人間間の争いを頻発せしめた。そうした人間の本源的に持っていた暴力を馴化するためにゲーム化したスポーツが登場したという言説は興味深い。そういうスポーツに見合う「身体」が用意されたのが18世紀だったと多木はとらえ、18世紀を「規律・訓練」の時代とし、従順な身体が生成されたと解釈した。 

この場合のゲームが成立する非暴力化は国家内部では成立しても、国家間の戦争の否定には及ばなかった。ここが近代スポーツの持っている限界ではないかと多木は考えた。「しかし現代のアスリートは国境を越えつつあり、国家を相対化する可能性があるのではないか。国家とは個人と確立された国際機関との媒介でしかない。」これらの多木の展望には疑問を挟まざるを得ない。オリンピックに見られる国家主義はますます増長していく感があり、国家的ドーピングに手を染めたロシアなどを見ているととても国境を越えつつあるとは言えない現実が存在しているのではないだろうか。

②批判的スポーツ社会学

ちょうど1980年代に問題視された愛知の管理教育批判と名古屋五輪誘致反対運動の中から学校体育の在り方を批判することを通じてスポーツ批判が出てきた。

影山健や岡崎勝らのグループは「スポーツ」からスポーツを逆さまにした「トロプス」へ、という新たな概念を編み出した。オリンピックに代表されるエリート中心の競技スポーツを頂点として仰ぎ見る「大衆スポーツ」ではなく、それとは別の原理で成立する「市民スポーツ」という概念を打ち立てた。競争を基軸として形成されてきた近代スポーツを「協働」という対抗価値をぶつけていくことで現実の権力関係を変革することにつながると考えたのだ。さまざまな協働的ゲームの在り方を実践的に研究して問題提起してきたが、その後20年を経てこの思想が市民権を得ているとは言い難いのはなぜだろうか。近代スポーツに対する対抗運動としては十分に可能性を持ち得ていると私は考えるが。

③アスリートからの抵抗

最近のオリンピック批判としてトップアスリートから出てきているものを最後に検討材料としたい。「反東京オリンピック宣言」(航思社)に掲載されたスノーボーダーのテリエ・ハーコーセンは98年の長野オリンピックをボイコットした。彼は言う。「ひどく停滞しているんだ。3位、あるいは3位とは言わずとも、どうしたら入賞できるかを選手たちは把握している。アクションスポーツが築きあげてきた自発的創造性がそこには存在しない」「結局のところ、オリンピックの選手選考システムは、優れた選手を集めるようにはできていない。すべての国家を取り込み、より幅広く世界各地にオリンピックを売ることがIOCの目的だ。そうやってIOCの連中には、巨額の商業的利益が流れ込む。そればかりでなく、その利益には税金がかからない。僕にとって、そんなものはスノーボードではない」

日本でもラグビー元日本代表の平尾剛は東京五輪の返上を宣言した。その宣言の中で以下のように言う。「ラグビーにおいても各チームの戦い方が画一化しつつあるように僕は感じている。競争に勝つことだけが主題となれば効率的な戦法が選択されるようになる。リスクを伴うチャレンジングな姿勢はその陰に隠れ、その状態が続けばいつのまにかラグビー界全体がシュリンクしてゆくのは自明だ。(中略)自発的創造性こそがスポーツ選手にとって醍醐味だ。この意味でスポーツはアートの要素を含んでいる。勝敗を競い合うのはあくまで副次的なものに過ぎない」

トップアスリートからもオリンピックの象徴する勝利至上主義や国家主義のおかしさは徐々に表現されようとしているのではないだろうか。

5.オリンピック災害を食い止めよう!

本論考においてはいくつかの視点からオリンピック批判を行ってきたが、神宮再開発における地元住人の追い出しや金権体質、税金の無駄遣い、などにはほとんど触れることができなかった。さらにパラリンピックの持っている障害者差別の問題性にも言及できていない。 

オリンピックとはそもそもそうした様々な現代的問題を網羅したナショナルイベントであり、私たちは色々な回路から社会問題に対面してその根源を探っていったときにオリンピックに突き当たるだろう。だから2020年は日本社会の一つの集約点なのだと思う。私たちは様々なオリンピック災害に突き当たる様々な人たちと幅広く連携できる「おことわリンク」を目指している。もうあと2年余しか残された時間はない。神出鬼没で軽やかな運動を創っていきたい。

みやざき・としお

2020オリンピック災害おことわり連絡会(おことわリンク)のメンバー。おことわりンクは2020年東京オリンピック開催に反対する様々な人々を緩やかにネットワークする。

連絡先・URL・メールアドレスなどは以下の通り。なお絶大なるカンパを!

千代田区神田淡路町1-21-7 静和ビル1階A スペース御茶ノ水 ATTAC首都圏気付

info@2020okotowa.link
http://www.2020okotowa.link
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郵便振替 00120—7—324492 「オリンピック災害」おことわり連絡会

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