この一冊

『フクシマ・抵抗者たちの近現代史 平田良衛・岩本忠夫・半谷清寿・鈴木安蔵』(柴田哲雄著 彩流社、2018年2月)

被災地が生んだ抵抗者たちの群像劇

愛知県立大学研究員 岡崎 清宜

『被災地が生んだ抵抗者たちの群像劇』

(彩流社、2018年2月刊、
253頁、2,200円+税)

昨今、「復興五輪」の掛声の下、なかば忘れさられようとしているフクシマ。著者は、マンハッタンの一室で大震災の発生を電話ごしに知り、テレビやウェブの映像にショックをうけて1週間ほど立ちなおれなかった。やがて中国政治の研究者でありながら、フクシマの研究にたずさわることを決意する。

低線量被曝の警鐘を無視して進められる帰還促進と被災地復興。漠たる「不安」を「若い女性をはじめとする多くの人々にもたらしながら、今なお頬かむりする政府や東京電力」。社会から危機感が消えるにしたがい続発する「原発避難いじめ」と社会の「分断」。著者はどうしても許せない。だが、原発事故や健康被害の研究は、もとより手にあまる仕事であった。そこで大学院時代、日本政治思想史の講座にいたことを生かすことにする。「被災地内外における私たちが分断を修復し、再び連帯を強固なものに」するための「指針」になりうる、被災地出身の抵抗者たちの近現代史を紡ぐことで、彼らの精神を甦らせたい。そう思ったという。

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 まず、概要を紹介したい。

 はしがき
 第1章 平田良衛
 第2章 岩本忠夫
 第3章 半谷清寿
 第4章 鈴木安蔵
 おわりにかえて

物語は、獄中で非転向を貫いたマルクス主義者、平田良衛から始まる。二高を経て東京帝大へ。マルクス主義に傾倒してプロレタリア科学研究所創立、『日本資本主義発達史講座』刊行に関わった。プロ科時代、共産党のフラクションの責任者として組織者ぶりを発揮し、農業問題研究会の担当者として、猪俣津南雄と地代論争をしたことで名高い。戦後、共産党が1950年以降、野坂・徳田の所感派と志賀・宮本の国際派に分裂する中で、党活動と距離をおく。やがて、故郷の金房村(南相馬市小高区)の開拓をはじめ組合長になり、農民運動を実践する過程で離党する。「生きた農民」を忘れていた。党活動をこう反省した平田は、「報徳運動」を換骨奪胎して、農民と寝食を共にすることで信頼を勝ちとって、現状に即した政策を提言する必要性を痛感したのではないか。著者はそう指摘する。

双葉町長・岩本忠夫は元々原発反対派だった。戦後、酒屋業から青年団運動にたずさわる中で1958年に社会党に入党。双葉町議から福島県議になる。「原子力の平和利用」が主流の時代、使用済み核燃料、推進と規制の同居する原発行政、被曝の問題など、現在も問題となる論点で、推進派の木村守江知事と戦った。ところが1970年代、反原発運動は、保守色濃厚な地域性と党派性から、行きづまってしまう。1970年代末、社会党を離党し、反原発運動から足を洗った岩本は、1980年代、汚職事件を契機に町長に当選。プルサーマル計画や原発増設を推進する超積極派に転向して、慎重派の佐藤栄佐久知事と激しく対立した。転向の理由を、著者は「愛郷」(開沼博)とはみない。「権力の自己目的化」とまで踏みこんでいて、かなり手厳しい。

廃藩置県時、旧中村藩の断行した武士帰農策で土地を失い生家が没落した半谷清寿は、相馬地区で羽二重事業を興した実業家である。松方正義の知遇をえて支援者になり、憲政会系衆議院議員を3期つとめ、精錬業や電力事業にも携わった。鉄道用地買収をめぐって冤罪で入獄したことを機に、双葉郡富岡町夜ノ森の原野開拓に着手。農本主義的思索を深めていく。半谷の思想には「官民調和」「天孫族」など、政党政治を理解しない点や荒唐無稽な所も多い。だが、その反面、純農主義からの脱却、電力の「地産地消」、小作制度廃止、中央集権批判と高度な地方自治、果敢な平和主義など、瞠目すべき主張も多いようだ。

鈴木安蔵は日本国憲法の実質的起草者として名高い。京大時代、学連事件に連座して、在野憲法学者としてファシズム批判を展開したが、戦時中転向。戦後、高野岩三郎の憲法研究会で植木枝盛やワイマール憲法に範をとった草案を作成。現憲法に大きな影響を与えた。安蔵本人は戦争放棄の考案者ではない。1950年代以降、字義通りの九条解釈と非武装中立を唱えたのは、民族問題の階級性を見失い、英米帝国主義からの民族解放を母国に期待して戦争協力したことへの反省が大きい。米国に従属する日本やアジアの民族解放は社会主義と植民地民族解放勢力にしかできない。九条と非武装中立による米国からの離脱こそアジアの民族解放につながる。社会主義との「階級的対立的構造」の枠組を重視する安蔵にとって、原子力の危険性とは原爆のことであった。原発ではなかったのである。

* * *

貧困、戦争、転向、反原発、経済発展、平和憲法、原発事故 ───  本書は、被災地や個人の平板な歴史ではない、目配りがいきとどいた日本近現代史の見事な縮図になっている。ここに描かれるのは陰鬱な敗北の歴史である。考えてみれば当然の話、に見えて、実はそうではない。平田良衛と鈴木安蔵などマルクス主義者の抵抗は、戦後日本では、輝かしい勲章とされてきた。近年では、栄光視されたこと自体、知らない人がいるかもしれない。また、半谷清寿の遺志を引き継ぎ、科学万能・物質主義が生んだ公害を告発した子息・半谷六郎は、元富岡町長だったこともあって、原発を大歓迎した。岩本忠夫はいうまでもあるまい。「原子力の平和利用」は浜通りの寒村を貧困から解放した。彼らは原発事故までは、歴史の勝者だったのである。フクシマは日本社会の価値観を一変させた。彼らは原発事故を阻止できなかった。3・11は勝者を敗者にかえたのである。「すべての歴史は『現代史』である」(クローチェ)ことが、これほどあからさまになったのも珍しい。

それでも著者は問いかけることを止めない。彼らが存命であれば、原発建設や原発事故を目の当たりにして、どのような態度をとるであろうか、と。その具体的な推理の内容は読者に確認してもらうほかはない。ただ、無残に感じられる部分も少なくない。たとえ存命であっても、原発建設に反対しなかった可能性が、暴かれるからである。また、原発事故を目の当たりにして、彼ら四名の抵抗者がとると目される行動も、英雄的とはあまりいいがたい。どこか弱々しく物たりない。華々しさを期待して、結論から読む人の中には、失望する人もいるのではないか。

これは、著者の柴田哲雄氏が、中国政治専門といっても、中国史上最大の売国奴、汪精衛(兆銘)の研究者でもあったことと無縁ではあるまい。方法論の自覚がないジャーナリストなら、日本社会における「高貴なる敗北」者の系譜に、四人の抵抗者を並べて満足したかもしれない。だが、かつてファシズムに傾倒する近代主義者、汪兆銘の姿をえがき、陳公博をジャック・ドリオと比較した著者は、慎重かつ禁欲的に議論をすすめ、安易にプラス評価を下さない。そもそも彼らは、苦しんでいる人たちと正面から向き合い、行動することによって、貧困をはじめ、人間が生んだ悪と戦った人たちであった。その行為は原発事故でゆらぐはずがない。フクシマを前にして我々は何をなすべきか。それは、かれらの具体的な思想と行動を一つ一つ、白日の下に明らかにしさえすれば、それだけで自ずと伝わるはずである ─── この揺るぎなき確信に本書は支えられている。その確信は正しかった。なかでも、岩本忠夫も提起した低線量被曝について、「専門家の言うことに身を任せ」「善意の暴力性」と斥ける、開沼博を厳しく批判した箇所(108~112頁)は、本書の白眉、といっていい。

* * *

なお、個人的に気になった部分は、本邦におけるワイマール憲法の一般的な評価の高さが、どうやら鈴木安蔵たちに由来することである。ワイマール憲法はドイツでは当初より左右双方から袋叩きだった。「共和主義者のいない共和国」だった。社会権への関心だとしても、かすかに違和感が残る。一方、ワイマールからの徹底的断絶を志したボン基本法への評価は、戦後から今にいたるまで、ドイツでは圧倒的に高い。また、建設的不信任投票の創出者、ワイマール期民主主義の牙城だったこともあって、プロイセンの民主主義的使命、なる言葉さえ、戦後飛び出したほどだ。もとより、ナチスを生んだ当事者ドイツと日本とでは、評価が違うのは当然である。だが、スターリン憲法への高評価まで含めて考えあわせれば、実質的起草者として顕彰するだけでは済まない問題が鈴木憲法学には残されているのではないか。門外漢ながら、そう思わずにはいられない。

歴史は過ぎ去ったのではなくて、現在に堆積されている。原発とはなんであったのか。日本人は、この問いに答えねばならない。本書はその手がかりになる書物である。

おかざき・きよのぶ

1973年、松山生まれ。名古屋大学文学研究科、博士(歴史学)。愛知県立大学研究員。中国経済史。著書に『多角的視点から見た日中戦争』(集広舎、共著)がある。『社会経済史学』『史林』『現代中国研究』などに寄稿。

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