緊急投稿

セクハラは女性「差別」であり「人権侵害」

政府・官僚の人権意識の低さー法整備への論議が急務

青山学院大学法学部教授 申 惠丰

麻生・福田発言で浮かび上がる日本の現実

今年4月に表面化した、女性記者に対する福田前財務事務次官のセクシュアル・ハラスメント(セクハラ)をめぐっては、麻生太郎副総理兼財務相が「(福田氏)本人が否定している以上、断定できない」「(福田氏が女性に)はめられたのではないかという意見もある」「セクハラ罪っていうものはない」「(福田氏が退職したのは)役所に迷惑をかけたからだ」などとして、事態を矮小化するだけでなく女性を貶め二次被害を与える放言を繰り返してきた。女性団体らの抗議を受けて麻生氏は一応の謝罪をしたものの、彼の思考様式は一連の発言で知れ渡ったし、「セクハラ罪はない」という点に関しては譲る気配はない。

それどころか、このほど(2018年5月18日)政府は、「現行法令において『セクハラ罪』という罪は存在しない」との答弁書を閣議決定するに至った。この経緯は、セクハラという女性にとっての人権問題に対する政府閣僚の驚くべき意識の低さをさらけ出すとともに、セクハラの違法性を日本の国内法の中できっちりと位置づけ、明文化することの必要性を明らかにするものだ。「セクハラ罪というものはない」ということは、日本の刑法に「セクハラ罪」という罪名はないという意味では正しい(但し、セクハラでも悪質なものであれば刑法上の強制わいせつ罪などにあたりうる)。

セクハラについて規定する日本の法令は、男女雇用機会均等法が事業主に対してセクハラの防止及び事後対応の措置を義務づけている規定と、人事院規則が省庁について同様の義務を定めている規定、及び職員はセクハラをしないように注意するという注意義務の規定があるにとどまる。民事訴訟で争うとすれば、故意又は過失によって他人の権利・利益を侵害したものは賠償責任を負うとした不法行為の規定を用いるくらいしかない。麻生発言・閣議決定がはからずも浮き彫りにしたように、日本には、何がセクハラにあたるかを明確に定義した上でこれを禁止するという、法律上の明文の禁止規定が存在しないのだ。

しかし、このような状況は、本来決して放置されてよいものではない。日本が1985年に批准した女性差別撤廃条約は1条で「女性差別」を「性に基づく区別、排除又は制限であって、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のいかなる分野においても、女性(婚姻をしているかいないかを問わない。)が男女の平等を基礎として人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを害し又は無効にする効果又は目的を有するもの」と定義した上で、女性差別を禁止する立法措置その他の措置を取ることや、差別があった場合には裁判所などの公的機関による実効的な救済を確保することを締約国に義務づけている(2条)。

国連の女性差別撤廃条約委員会の勧告

セクハラは女性にとって、自分が対等な人間としてではなく単に性的な対象として扱われ卑下されていることを認識させるものであり、ショックで就業意欲を失うことをはじめ、精神的にも身体的にも大きなダメージを与えるから、十分に、条約1条にいう「女性差別」すなわち、女性が平等に基づいて人権を認識・享有・行使することを害する目的又は効果をもつものにあたる

国連の女性差別撤廃条約委員会(条約により設置されている、個人専門家からなる委員会で、締約国の報告書を審議したり、人権侵害に関する個人通報を審理したりしている)は実際、「女性に対する暴力」をテーマとした「一般的勧告19」の中で、セクハラの問題も取り上げ、「女性が、職場におけるセクシュアル・ハラスメントのようなジェンダー特有の暴力を受けた場合、雇用における平等は著しく害される。」「セクシュアル・ハラスメントは、身体の接触及び接近、性的意味合いをもった発言、ポルノの表示及び性的要求(言葉であるか行為であるかを問わない)といった、歓迎されない性的行動を含む。そのような行為は、屈辱的でありえ、安全衛生の問題となる可能性がある。そのような行為に異議を唱えることが、採用又は昇進を含む雇用関係において不利益となると当該女性が信じる合理的な理由がある場合、もしくは敵対的な労働環境を創出する場合には、そのような行為は差別となる。」としている(邦訳は山下泰子ほか編『ジェンダー六法[第2版]』信山社、2015年を参照)。

ジェンダーとは、社会的・文化的な意味合いをもった性差のことを言い、女性が女性であるがゆえに受ける暴力を国際人権法では「ジェンダーに基づく暴力(gender-based violence)」と言っている。女性差別撤廃委員会は、この一般的勧告の中で、強かんのような極端な形態の性暴力だけなく、セクハラも、女性が女性であるがゆえに被害を受ける「ジェンダー特有の暴力」の問題として指摘し、締約国に対して実効的な対策を求めているのである。委員会は、日本に対する「総括所見」でも、職場でのセクハラが横行していること、均等法では違反企業名の公開以外に制裁措置が設けられていないことに懸念を示し、実効的な防止と救済のための法整備をするよう勧告してきた(総括所見の内容は、『ジェンダー六法』及び、国際女性の地位協会年報『国際女性』に詳しい)。

「セクハラ罪っていうものはない」という、刑法の規定についての形式的な論評はともかく、日本の政府閣僚たちの頭の中に、セクハラは女性に対する「差別」であり人権の問題なのだという認識がどこまであっただろうか。一人の人間としてあたり前のように仕事や勉強をしたいというときに、女性であるというだけで、卑猥な冗談を浴びせられたり、体を触られたりする。多くの場合は、上司や指導者にあたる男性によってである。それがどれだけ女性に屈辱感や恐怖を与え、社会生活や日常生活を困難にし、仕事や勉学の機会を奪うことになるものなのか。今回の福田氏の事件の被害者、またこれを機に体験を語り出した被害者たちの経験に少しは耳を傾けるとよい。そして、横行するセクハラに関して、きちんとそれを定義し禁止した規定もないということが、わざわざ閣議決定するほどに明らかになったというならば、そのような法律の規定と、救済のための法制度を今こそ整える必要があるだろう。

「ないない尽くし」の日本―法整備へ真剣な論議を

国連の人種差別撤廃条約に加入し、私人による人種差別をも禁止する義務を負っていながら、「外国人お断り」のような社会生活上の人種差別、さらには「 ~人は死ね!殺せ!」のように人種差別や暴力を扇動するヘイトスピーチを野放しにしてきたことにも窺えるように(2016年にはヘイトスピーチ対策法が成立したが、これも、禁止規定を含むものではない)、日本では、「差別」の問題に対する人権意識があまりに低すぎる。しかし、人種にせよ性にせよ、何らかの属性で人を排除し人権を否定する「差別」の問題は、人権問題の中でも中心的なテーマであって、ヨーロッパ諸国やカナダ、オーストラリアなど多くの国では、差別を禁止する法律(大別して、人種差別・性差別など個別分野の法律を作る場合と、様々な差別禁止事由を盛り込んだ包括的な法律を作る場合とがある)と、それに違反する差別があった場合に救済を図る委員会のような国内人権機関を設けて取り組んでいる

差別禁止法もない、国内人権機関もない、「ないない尽くし」で、被害者が訴えるとすれば民法の不法行為という一般規定くらいしかない、加えて様々な二次被害を受けるために泣き寝入りが多いという日本のお粗末な状況を、これ以上放置するわけにはいかない。今回の顛末を契機に、セクハラは女性差別でもあり、女性の人権を否定する人権侵害なのだということをふまえて、法整備に向けた真剣な議論を始めていくべきだ。

しん・へぼん

1966年東京生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了、国際人権法専攻。現在、青山学院大学法学部教授。国際人権法学会理事長。著書に『人権条約上の国家の義務』(1999年、日本評論社)、『国際人権法―国際基準のダイナミズムと国内法との協調[第2版]』(2016年、信山社)など。

特集●“働かせ改革”を撃つ

第15号 記事一覧

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