特集●次の時代 次の思考
沖縄竹富町の教科書問題が問うもの
自治体への抑圧 日本社会はそれでいいのか
琉球文化研究所研究員 後田多 敦
文部科学省は3月14日、沖縄県の竹富町教育委員会に対し、八重山採択地区協議会が選定した育鵬社版の中学校公民教科書ではなく、独自に選定した教科書を使用しているとして地方自治法による是正命令を出した。また、沖縄県教育委員会に対しても、竹富町教育委員会へ是正要求をしなかったとして同日付で指導文書を送付したという。竹富町では教育委員会が検定を通った教科書を選定し、法的にも一定の根拠はあり、学校現場では混乱もなく使用されている。それでも日本政府は、竹富町という小さな自治体の教育の現場へ強権的に介入してきた。
*沖縄の八重山地区は、石垣市(人口約47000人)、竹富町(同3900人)、与那国町(同1600人)からなる。
小さな自治体への強圧的な日本政府の介入
数年前から八重山地区で起きている義務教育の教科書をめぐる騒動のニュースに触れながら、日本という国の現状の厳しさと醜さを実感させられている。日本政府は自国の検定を通った教科書さえも、自治体の教育委員会が法律に基づいて選定し使用することを許さない。自治体の意思を認めず許さない、政府の存在とその権限の根拠とは何だろうか。国家や政府、法とは何か。義務教育とは何か。そんなことをあらためて、考えている。
沖縄では日本の歪みが浮かび上がり、沖縄と日本との関係の軋みが明確になっている。普天間基地の代替施設建設を強行されようとしている名護市の位置からは、大きな害悪を押し付け、負担や犠牲、混乱を強いる存在が日本国である。竹富町でも名護市でも、住民の意思は日本政府によって無視される。それだけではなく、税金を用いたあからさまな利益誘導で住民の意思を左右しようと試みる。
現在の安倍政権は、日本全体からすれば多数の日本人の支持を得ているのだとしても、竹富町や名護市、そして沖縄県の問題では、その当事者である人々に支持されているわけではない。地元の意向とは真逆の政策を推し進める日本政府に、沖縄県の問題に関して正当性があるようには思えない。
八重山地方の教科書を選ぶ採択地区協議会は2011年8月、翌年度からの中学校公民教科書として育鵬社版を使用することを決め、答申した。八重山採択地区協議会がカバーする石垣市、竹富町、与那国町の三市町のうち、竹富町教育委員会は協議会の運営のあり方に問題があるだけでなく、育鵬社版を竹富町で使用するには適切ではないとして、東京書籍版を選定した。そして、2012年度からは寄付金で購入した東京書籍版を使ってきた。
地方教育行政法では、教科書選定は市町村の教育委員会の職権と定め、一方で教科書無償措置法は複数の市町村で構成する採択地区を設けて、教科書を選定することを定めている。制度自体に整合性がなく、法の未整備もあった。地方教育行政法に従えば、町教育委員会の選定に基づき、寄付金で購入し使用するという竹富町の方法は違法とはえいないだろう。実際に、民主党政権でさえも「法令上禁止されるものではない」として、事実上黙認していた。
*竹富町の中学校は各島に9校あり、公民教科書を使う2年生は今年度46名。
八重山地区の教科書問題とは何か。『琉球新報』(2014年3月24日)が特集を組んで整理しているので、それによって概観しておきたい。『琉球新報』は三つの問題点を挙げる。まず、教書を選ぶ採択地区協議会の玉津博克会長(石垣市教育長)の運営の問題、そして、教科書選定制度の問題と採択への政府の介入だ。
玉津博克会長は2011年の協議会に際し、独断で教科書採択の方法を次々と変更したため、混乱が表面化した。それまでの教科書採択では、教員が順位をつけ協議会に報告し、この順位が上位でなければ協議会で採択されなかった。玉津会長はこの教員の関与を廃止した。そして、協議会の役員会を経ずに教科書調査員を委嘱した。さらに、育鵬社版を推薦しない調査員が出ると規約を変えて、その上で協議会を非公開として無記名投票とした。協議会委員から教員をはずし、玉津会長が選んだ有識者を入れた。強引な手法を積み重ねながら、協議会が選んだのが育鵬社版中学校公民教科書だった。
このような協議会の運営は、育鵬社版の教科書を採用している自治体で用いられた手法だという。結果からみれば、玉津会長のこのような強引な手法も、育鵬社版を選択するための方法だったことになる。与那国町は石垣市に同調した。しかし、竹富町教育委員会は協議会の強引な運営に対し、平和に重点を置く教科書を用いるという自らの判断に基づいて東京書籍版を選定した。
育鵬社版と東京書籍版では、国民主権や平和主義、自衛隊、平等権などの項目で差異があり、全国的には東京書籍版の選択が圧倒的に多い。東京書籍版は、1996年の住民投票で基地縮小への賛成が多数を占めていることなど、沖縄の基地に関して比較的詳しく記述している。
育鵬社版教科書を採択するため、強引な採択協議会運営を行った玉津博克会長を石垣市教育長に任命したのは、2010年に当選した中山義隆市長だった。玉津教育長の手法への不信感がくすぶるなかで、石垣市議会は2013年9月、平和教育に関する認識などを理由に玉津教育長の不信任決議も行っている。しかし、教育長はそのまま留まっており、さらに自民党安倍政権の強力なバックアップを受けた中山隆義市長は、今年2月の市長選挙で再選されている。文部科学省が3月に竹富町教育委員会へ出した是正命令は、無償措置法や地方教育行政法の改正への動きと連動しながら、石垣市の中山市長再選などに勢いを得たものだろう。
今年1月の名護市長選挙では、市民は辺野古への基地建設に反対する稲嶺進氏を再選させた。しかし、一方で3月の石垣市長選挙では、教科書や尖閣問題などで強引な手法を取る中山氏が再選された。そこには基地問題とも異質の根深い国境や領土問題があるようにも感じられる。
竹富町はなぜ必死に立ち向かうのか
2011年に八重山で教科書選定の問題が表面化した際、歴史ではなく公民の教科書が焦点となったのを知って、もう何十年も前の記憶が蘇った。それは高校の入学試験を間近に控えた中学校三年生の冬、中学校の教師が語った次のような話だ。
―高校を受験しない生徒も、最後まで勉強しなさい。そして、卒業したからといって中学校の教科書を捨ててはいけない。特に、卒業して島を出て行く者は、公民の教科書をもっていきなさい。公民の教科書に書かれていることが日本という社会。わからないことがあったら、開いて読みなさい―
島嶼県・沖縄のなかでも、石垣市、竹富町、与那国町からなる八重山地区は、多くの小さな島々で構成されている。そのメーンランドである石垣島の中心部には3つの高校があるが、それ以外の島々には、中学校までしかない。そのため、石垣島以外の島の子供たちにとって、中学校を卒業するということは、別の島へ行くことでもあった。私の通った同級生が20数人程度の石垣島の小さな小中学校でさえも、中学卒業後はおよそ3つのグループに分かれた。3分の1程度が島の高校へ、そのほかは進学や就職で島を出た。そして、島を出た同級生のさらに半分は、そのまま400キロメートル以上も離れた沖縄島やさらに遠い世界であるヤマトで暮らし始めることになる。
竹富町に高校はない。多くの島からなる竹富町では、その町役場自体が町内ではなく、石垣島(市)におかれているという状態だ。竹富町内の中学生のほとんどは、卒業と同時に島を出ることになる。先の教師の言葉風にいえば、その彼らにとって公民の教科書は、時代によって程度の差はあったとしても、まさに日本(ヤマトや沖縄島)のガイドブックなのだ。そこで教科書が持つ意味は、多くの情報がある都市部とは大きく異なる。
同じ八重山地区でも、島に高校のある石垣市と高校のない竹富町では環境が違う。石垣市では義務教育の後、島での時間は3年あるが、竹富町にそれはない。それは教育や教科書に求められているものの違いでもある。同じ八重山地区といっても、石垣市と竹富町や与那国町では、子供たちにとって教科書のもっている意味が違ってくる。その違いを知っているからこそ、小さな自治体の住民や教育委員会は、日本政府の大きな圧力に必死に立ち向かっているのだと思う。
日本の教科書の内容は、基本的には東京中心だといっていいだろう。現在の政治や経済の中心は東京であり、使用する学生の数からしてもそのこと自体やむをえないこともある。その意味では、八重山地区の生徒たちにとって、学校で使う教科書や教えられる知識は、もともと「東京の知識」でしかない。そこに記述された「沖縄(島)」は東京から見たものである。
例えば、南北に細長い日本列島の多くは温帯である。しかし、沖縄県は亜熱帯エリアであり、その中でも八重山は熱帯の北限という微妙な位置にある。熱帯に住む八重山の子供たちは、遠くにある気候風土の違う温帯の異質な社会の文化や歴史、自然を学校で学んでいる。教科書はマイノリティへの配慮もなされているが、それでも「配慮」の範囲でしかない。それは著者や編者の意思や努力を超えたものであり、画一的な教科書の限界である。ただ、マイノリティである人々は、それはある程度仕方がないこととして容認してきたように思う。「教科書とはそういうものだ」と。
しかし、日本政府が行っている竹富町への教育介入は、このようなこれまでのぎりぎりの枠をも超えて、さらに強権的で有無を言わさないものである。日本社会のマイノリティに、そのマイノリティとしての位置さえも許さないものだといっていいだろう。日本国の豊かさや社会的なインフラの恩恵の享受という側面では、マイノリティを対等な「国民」として認めず、もう一方では権力行使の名宛人としての「国民」であることを強調する。
かつての島の教師たちには、教科書が「日本のガイドブック」「東京の知識」という側面を自覚していたのだろう。そして、10代半ばで生まれ育った島を出て行かざるをえない子供たちにとって、島の言葉や文化や暮らしの知恵だけでなく、「東京の知識」もまた必要なものの一つだった。その両方のバランスを上手く取っていた教師たちには、日本のなかでマイノリティとして生まれた者への愛情もあったように思う。
問題となった協議会を主導した玉津氏が2010年、教育長に就任した際、打ち上げたのが石垣市の児童生徒の学力向上であり、全国学力テストで県内3位以内を目指すという考えだった。「学力向上」も、その「学力」が東京中心であることを思い起こせば、もう一方の軸足があってこそのはずだ。そのもう一方の軸足を忘れたとき、「学力向上」という本来なら有益な意味を持つ努力が、島の主体的な意思への政治的な介入の呼び水となった。そして、さまざまな外圧をさらに島の中へ招き寄せる役を担うことになった。
先に紹介した3年の差が、石垣市の教育委員会にもう一つの軸足の重要性を忘れさせ、竹富町の教育委員会には覚醒させるものとなっているのかもしれない。もう一つの軸足を忘れたとき、「学力向上」は、「同化の進展」を意味することになった。
“日本”と“沖縄”のせめぎ合いからみえるもの
文部科学省が竹富町へ是正命令を出した数日後の3月18日、ロシアのプーチン大統領がクリミア自治共和国の編入を宣言した。そのロシアの動きに対しては、欧米社会だけでなく、日本政府も抗議している。プーチン大統領とアクショーノフ・クリミア共和国首相が同じテーブルに座り、クリミア共和国とセバストポリをロシアに編入する条約に調印していた光景には考えさせられた。その光景との対比のなかで、明治政府による19世紀末の琉球併合のときのことを思い浮かべたからだ。
日本政府は1879(明治12)年、警察と軍隊を派遣し武力を背景にして、琉球国を併合して沖縄県とした。その際、警察は東京から派遣されたが、軍隊は鹿児島で合流している。当時、日本政府の動きに対し、琉球国幹部らは国際社会に現状を訴え、助けを求めていた。そのため、明治政府は抗議する清国などの国際社会のまなざしから軍隊を隠し、国内問題であることを強調するため、警察は東京、軍隊は鹿児島から出発させるという方法をとっている。そして、軍隊と警察で首里城を取り囲み、琉球の王権を接収し、日本に併合した。
琉球側は激しく抵抗を続けた。琉球国併合を担当した日本政府のスタッフは、首里城を明け渡した最後の国王が一時滞在する屋敷の部屋の中まで入り込んで、逮捕拘束で脅し東京へ連行した。そして、その後も抵抗を続けた旧琉球国の最高幹部(筆頭三司官)の浦添朝昭まで逮捕している。当時の琉球人は、沖縄県の設置が「和議廃藩」でないことを主張していた。琉球国は明治日本によって強制的に併合され、沖縄県となったのである。
ロシアのクリミア編入では、クリミア自治共和国住民の投票が行われ、その後に編入の条約が結ばれているという。その具体的な状況について判断できる情報はないが、日本のニュースでも報じられる住民投票と当事者との条約締結というそれだけでも、明治日本による琉球国併合、さらには「サンフランシスコ平和条約」発効(1952年)による琉球の提供と米国統治の継続、1972年の「復帰」による日本再編入の手続きに比べても、より「民主的」だといっていいだろう。日本による琉球の併合、分離、再併合の際、民意は反映されていないし、当事者である琉球・沖縄との合意文書も交わされていない。
ウクライナの現在の政府は選挙を経ていない暫定政権であり、それに対し一クリミアでは住民投票が行われた。そして、プーチン大統領はその選挙結果に基づき、そして、当事者との条約という合意の手続きを経ている。これだけ見ても、沖縄に対して、かつて日本政府が行ってきたこと、現在の安倍政権が行っていることは、自らが非難するロシアがクリミアに対して行っていることよりも、明らかにさらに非民主的で、強権的である。
現在の沖縄の辺野古問題でいえば、仲井真弘多沖縄県知事の埋め立て申請承認は、選挙の際の「公約」を破ったものであり(本人は否定しているが)、選挙で示された県民や名護市民の民意が変わったのではない。示された県民の意思は、反対のままだ。教科書でいえば、竹富町教育委員会の決定は東京書籍版であり、しかも、その配布費用も寄付などで賄っている。日本政府はそのような住民の意思を押さえ込み、それに反する政策を強圧的・強権的に進めている。沖縄の「住民の意思」「当事者の意思」は、日本の政治には反映されない。
先に紹介した教師は、こんなこともいっていた。「教科書に書かれていること、それが日本だ」。まさにその通りなのだろう。育鵬社版公民が描く日本、そして、住民の意思を認めないあり方が日本であり、日本という国は民意が反映されないということ。日本の現状の現われとして、特定教科書の押し付けがある。もう少し丁寧にいえば、日本の政権は「日本の民意」によって成立し支えられているが、その「日本」に「沖縄」は含まれていないということだろう。
小さな自治体へ強権的に覆いかぶさる日本政府。日本の独善と高圧的な姿勢はすさまじい。マイノリティをさらに沖縄のなかの八重山、八重山のなかの竹富町と分断しながら、その社会の意思を押しつぶしていく。そこに「正義」も「正当性」も見ることはできない。沖縄はそれでもまだ日本の中だ。そのような日本は、周辺の国・地域からどのように見えているか。推して知るべきだろう。日本はいまだに経済大国ではあるが、その経済の衣をとれば、孤立の姿だけが残るのではないだろうか。
現在の沖縄にはいろいろな葛藤や曲折はあるだろうが、それでも「沖縄」が消えることはないだろう。一方で、「日本」はどうだろうか。日本人はこのような社会、このような「日本」で本当にいいのだろうか。これから先も、このような「日本」でいいと考えているのだろうか。しかし、その先にあるのは、さらなる孤立の道を歩む「日本」でしかないだろう。
* * *
脱稿後に竹富町の教科書をめぐっては動きがあった。
改正教科書無償措置法が成立(四月九日)したため、竹富町教育委員会は文科省の是正要求には応じないことを確認する一方で、八重山採択地区協議会から離脱し、国地方係争処理委員会には不服申し立てしない方針を決めた。
*(竹富町の教育委員会は3月24日、現在の教科書で特に問題は起きていないとして、文部科学省の是正命令に従わないと明らかにしている。また、教科書無償措置法の改正などの手続きも進行中である)
しいただ・あつし
1962年石垣島生まれ。神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科前期課程修了。沖縄タイムス記者を経て現在、琉球文化研究所研究員。著書に『琉球救国運動―抗日の思想と行動―』(出版舎Mugen、2010年)、『琉球の国家祭祀精度―その変容・解体過程―』(出版舎Mugen、2009年)