今日、この頃

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今日、このごろ

地域生活で培われたもの

J. Mutou

昨夏の猛暑を過ぎたあたりから、14年間同居している犬の介護が始まった。2年ほど前に後左足の皮膚に腫瘍ができ、いまや左足3分の2ぐらいに広がっている。しかも右乳最下部にも昨秋頃から乳腺腫ができ、現在ピンポン玉ぐらいになっている。傷口の痛みに関しては、包帯の取り換え時を嫌がる程度だが、医者に聞けばこのような傷なら痛いはずという。その苦痛からの解放には、足の付け根からの切断手術しかないという。しかし、犬には手術に耐える体力はないだろうという判断で、本犬の生命力に寄り添うことを選択した。そのぶん介護の負担は増すことになった。

この犬を飼ってからまもなく最愛の人々との別れが続いた。この犬をこよなく愛してくれた親しい友人が、その年くも膜下出血で亡くなった。まもなくして母が癌手術を受け、再発した癌の再手術後亡くなった。その頃私を慰めてくれていた友人が、3年後またしてもくも膜下出血で亡くなった。その時々の強烈な喪失感から私を癒してくれたのがこの犬であった。息子たちが自立した後にやってきたこともあって、いろいろな場面での思い出には、この犬とともにあることが多い。


晩秋の頃その犬の容態が急変して以来、緊張して眠れない夜が続いた。それがきっかけで、夜の時間の長さを呪う不眠症とやらに陥ってしまった。冷え冷えとした日没が憂鬱となり、五木寛之の語る「愁想」という言葉がいやにフィットしてしまった。医者に泣きついたものの、処方された導眠剤を飲むか飲まないかの新たな闘いが始まった。結論的に言えば、趣味やサークル仲間との会話の機会を積極的に求め、ウォーキングやヨガなどで体を動かし、なんとか心の風邪引きを鎮め日常の睡眠リズムに移行することができた。薬は何回か服用したが、体に合わなかった。

この経験でのなによりの学びは、直に触れ合う人々の言葉の温もりこそが、心に柔らかな光を灯してくれるものだという発見であった。もちろん親しい友人の恩恵に与ること大ではあったが、近隣で出会う人との挨拶だけでも明るくなる自分を感じた。挨拶を交わす人がこれほど多くいたのかという発見は、実に新鮮な感覚だった。ゼロから始まった新興住宅地での35年間の生活で培われたものの発見だった。

現在わがペットは歩けたり歩けなかったりの状態だが、食欲だけは旺盛である。必死に生きようと頑張っている。先のことを悩むよりは、今やるべきことに専念すればいいと思うようになった。その日を大事に生きればいい、と。きっとこれはこれから始まる「老いの愁想」と仲良く歩む方策の一つなのかもしれない。先は何もわからない。その時はその時なのだ、と。

その後『誰でもできる!「睡眠の法則」超活用法』(菅原洋平著、自由国民社)という本を読んだ。それによると私のとった深夜の行動は、すべて睡眠にとってマイナスのことをしていたようだ。眠れなければ居直って、本を読む、深夜ラジオを聞く、起き上がって腹筋運動などをする……これらは交感神経を活発にさせ、灯りを点けることでメラトニン分泌を不活発にさせ、脳の眠りのサイクルをますます狂わせるものだったらしい。

眠れない深夜に読んだ本の一つに辻井喬(堤清二)著の『彷徨の季節の中で』がある。昨年11月末の氏の訃報は、私の「愁想」感をさらに深めるものだった。現代の理論社編集部にいた当時(1970年当初)、安東仁兵衛さんの話の中に彼は活き活きとした姿で登場していた。「ムトー君、どうも君は無愛想でいかん。ツツミのところに修行に行くかね」との脅し文句に何度か登場した人物として記憶に残っている。その頃、西武やパルコなどは実にハイセンスな店作りで新鮮だった。この本が出版されたのもその頃である。この本は自叙伝といわれるが、登場する人物像はかなりぼかされた表現になっている。東大細胞仲間の安西与兵なる人物は安東仁兵衛氏のことと思うが、抑えた表現とはいえ若かりし頃の安仁さんの姿を懐かしむ自分がいた。しかし、この本の基調となっている複雑な家族関係に対する冷徹な視線は、自虐的存在としての自己へも容赦がなく、客観的存在としての自己を描くうえで、複眼的かつ俯瞰的視点を欠かさない。こんな複雑きわまりない本を読んで眠りを誘えるわけがない、と今さらながらに思った。


 

(元本誌編集部)