特集 ● 内外混迷 我らが問われる

「支え合う社会」を旗印に自民党を退場させる

立憲民主党、支持拡大へ何をなすべきか

ジャーナリスト 尾中 香尚里

聞き手 本誌編集部

『維新は自民候補に勝てたのに…「補選全敗」となった立憲が政権交代を実現するために改善すべきこと これまでは「敵前逃亡」を繰り返していた』(PRESIDENT Online)を読み、その趣旨をさらに分かりやすく伺おうと、尾中香尚里さんにお話を聞いた(編集部)

 

尾中: 私の記憶で間違いがなければ、『現代の理論』は安東仁兵衛さんがやっていらっしゃったんですよね。毎日新聞におりましたときに菅直人さんの番記者をやっていたので、菅さんからずいぶん安東さんや『現代の理論』の話は伺いました。

立憲民主党と「民主党」は違う

――― プレジデントオンラインを拝見して、立憲民主党を評価する視点と、それをめぐるメディアのあり方を改めてお聞きしたいと考えました。

尾中: まず立憲民主党についてです。

現在の党所属メンバーを見ると、民主党時代のメンバーの再結集のような感じになっていますが、実際には、両者は大きく異なります。政権を作ったときの民主党と、現在の立憲民主党では、結集の仕方が異なるのです。立憲民主党は、民主党が政権を取るまでの過程を執行部で経験した初代代表の枝野(幸男)さんが、民主党とは違う形での結集を、かなり意識して模索した。それはそこそこうまくいったと思います。

今から30年ほど前、小選挙区制度が導入されて二大政党制を作ろうという動きが出たときには、自民党と当時の野党第一党の社会党の国会での議席数には大きな差がありました。「1と2分の1政党」と言われていましたよね。それを、自民党と同じぐらいの規模の二つの政党が争う二大政党にしようと思ったら、当然のことながら保守系の人たち――あの時は小沢一郎さんたちが自民党を離党するという大きな動きがありましたが――、いわゆる「改革保守」と言われた人たちと、民主リベラル系の人たちが合体しないと、規模の面では二大政党にならなかったわけです。私たちメディアも「小選挙区制になるんだから、野党はまとまらなければいけない」という圧力を、野党の方にばかりにかけ続けました。

そもそも選挙制度改革はなぜ始まったのか。きっかけはリクルート事件でした。自民党の政治と金の問題を解決するために政治改革が模索されたのに、それがいつの間にか選挙制度改革になった。そこから自民党ではなくて野党をどう改革するかという話にすり変わってしまったのです。とにかく「野党は一つにまとまれ」と言われて、それこそ自民党中枢にいた小沢さんのような方から社民党――左派の方は来なかったけれど――の方に至るまで、かなり「雑多」に集まって、大きな野党第一党の民主党ができた。ある意味「非自民(非共産)であれば何でもいい」といったまとまりでした。でも、結果として民主党自身がどちらの方向に向かっているか、よく分からない政党になってしまいました。

民主党が下野した後に希望の党騒動(2017年)があって、野党第一党(民主党から民進党に改名)が粉々にされた。その中でリベラル系の立憲民主党が立ち上がって、野党第一党になった。野党が一旦バラバラになって、それぞれ、希望の党も立憲民主党も理念的にある程度純化して――あまり純化という言葉は好きではありませんが――一つにまとまった形で政党としてできあがったわけです。

小選挙区制と野党第一党

尾中: 当然、そのときからまた「野党はまとまれ」という声が出た。小選挙区制だから当然のことです。でも、枝野さんはそこで新たに野党がまとまっていくにあたって、かつての民主党と同じ方法はとりませんでした。「この指止まれ」型とでも言いますか、この政党は新自由主義に対して「支え合う社会」を目指す、再分配を重視する政党だ、その旗印のもとに、もう一度結集をしてくれ、と呼びかけた。そこで国民民主党の多くや社民党の一部を吸収してまとまったわけです。

形式的には旧立憲民主党が一旦解党して新しい党になっていますが、結果として政党名は立憲民主党のまま変わらず、代表の枝野さんもそのまま。立憲民主党が結党当時に掲げたリベラルな政治理念を、一定程度守った形で野党が結集することに成功したのです。だからこそ、それを共有できなかった国民民主党の玉木雄一郎代表は、立憲には来なかった。

こういう形でまとまった政党なので、今の立憲民主党はかつての民主党ほど党内政局が起こらない。昔みたいに「党内バラバラ」とか「寄り合い所帯」とやゆされることも、ほとんどなくなりました。党内で政治理念や基本政策の違いが小さいからです。今、小沢一郎さんの周辺が党内で妙な動きをしているようにみられていますが、大きな動きになる見通しは、全くといっていいほどありません。そこはやはり、旧民主党から今の立憲民主党へ、ある意味成長したところだと思います。

ところで、支持者の皆さんの中で、党のメンバーの中で政策が合わない人をひどく叩くような動きがたまにみられるようですが、そこは注意した方がいいと思います。

例えば、元首相の野田佳彦さんのことを批判する声があります。野田さんが保守系の政治家だからということかもしれませんが、野田さんだって、例えば前の都知事選(2020年)では、共産党の志位和夫委員長と一緒に、宇都宮健児さんを応援しに行きました。そういう人に対してまで「応援する気になれない」などと言ったら、とても幅の狭い政党になってしまいます。有権者の方は多様なのに。

二大政党があって、一つの政党が例えば真っ白な旗を掲げ、もう一つの政党が真っ青な旗を掲げていたとします。旗印の色は鮮明であるべきです。でも、それぞれの政党に真っ白と真っ青の人しか集まっていなかったら、水色の人はどうしたらいいのでしょう。

政権を目指そうと思ったら、その旗印のど真ん中の人もいるかと思えば、政策的に少し中心から外れた立ち位置の人もいるかもしれません。立憲民主党で言えば、党内で保守系と言われるような人たちですね。でも、それは当たり前なんだという寛容さがあってもいいはずです。

保守系の人でも、政党に対するフォロワーシップがちゃんとあって、党と自分の掲げる政策に少し幅はあるかもしれないけれども、今この党が向かおうとしている方向にきちんとついて行こうとしている。党勢拡大のために、つまりは党の旗印を広めるために、地方議員を増やすなど、地道に汗をかいている。そういう方がいらっしゃるなら、その方は許容されていい。少なくとも今見る限りでは、現在の立憲民主党には、旗印と全く違うことを言う、それこそ新自由主義的なことを言い、再分配なんてくそくらえと言う人、そこまでの人はいないと思います。

旗印がしっかり立っていることと、そこに集う人の間に多少政策的な幅や多様性があることは、ある程度両立させなければいけない。そういう意味で今の党の置かれている環境は、そんなに悪くはないと思います。

もっとも、今の所属議員の皆さん、特にベテラン世代の方には、やはり民主党政権を作っていく過程の中で政治家として大きくなってきているので「かつての民主党再び」という気持ちをお持ちの方もいらっしゃると思います。小沢一郎さんや、あるいは岡田克也幹事長の発言など聞いていると、そんなふうに感じます。

だから「野党で候補を一本化すべきだ」と言い、維新や国民民主党と選挙協力を模索するとか、共産党とも連携を考えようなどという声が上がります。中には、立憲民主党も過渡期の政党であって、やがて立憲も維新も国民民主党も割れて新しい野党第一党を作り上げる必要がある、と考えている人もいるかもしれない。

でもこれは違うと思います。かつての民主党時代の価値観を、十分にアップデートできていないのではないでしょうか。野党であれば国会での協力は必要なことですが、連立政権をともにする可能性がある選挙協力の場合、旗印が共有できない政党との安易な選挙協力を行うべきではありません。それは現時点において「与野党で1対1の対決構図をつくる」こと以上に優先すべきことだと思えます。まずは旗印を掲げる野党第一党自身が大きな中核政党になって、そのうえでその旗印に共感してもらえる中小の野党と手を結ぶ、そうした手順が必要です。

かつての民主党と今の立憲民主党は違うのです。まず、所属議員全員がきちんと、こういう共通認識を持ってもらうことが非常に大事だと思います。

立憲民主党と労働組合の関係

――― 野党を支えるはずの労働組合、連合が中心ですが、これが機能せず、野党に繋がっていません。立憲民主党の議員でも労働問題に関心のある人が大きく減っているようです。

尾中: これは政党もさることながら、まずは労働運動の担い手である連合自身の問題だと思います。連合は、立憲民主党は国民民主党とくっつけだとか、共産党と組むなとか、政治についていろいろ言う前に、まずは労働問題にきちんと取り組んでほしい。

労働貴族という言葉まで使うつもりはありませんが、これだけ非正規雇用の人が増えて、あるいは私自身もフリーランスですけれども、その非正規雇用からも外れたような人たちが、将来を不安に思いながら働いている。そういう立場で働く人たちをもっと貪欲に味方につけて、労組はいざというときに頼りになる存在だと思わせてほしい。そうすることによって、こういう苦しい労働の現場で働いている人たちの嘆きにも、より耳を傾けることができるようになるでしょう。それを立憲民主党でも国民民主党へでも、自らの支持政党に伝え、政治家の方々が自分ごととして考えるように促すべきです。

このような活動を続けていけば、当て職のように組織内候補を用意するのではなく、当事者性のある人たちを候補者として吸い上げる力も持てるようになる。もちろん、これは連合だけではなくて、政党自身の候補者発掘能力を磨く必要があるわけですが、連合がそういったところで力になれるかもしれないわけです。政党と労働組合の両方が努力しなくてはいけません。

賃上げしても物価がもっと上がるとか、健康保険の自己負担額が上がっているとか、そういうごく普通の人たちの声をなかなか吸い上げられないから、政治に対する関心も薄れてしまうわけです。「言っても仕方ない」と泣き寝入りしてしまう。この人たちの声に耳を傾け、政治に反映させる回路を作らないといけません。

立憲民主党は結党から日の浅い政党です。それも、一度民主党で曲がりなりにも一所懸命作ろうとした「野党第一党の枠組み」を粉々に壊されたところから立ち上がった政党なので、ゼロどころかマイナスからのスタートだったと言っていいかもしれません。自分たちを応援してくれる支持母体を再構築するのは、ものすごく大変です。でも、それをやらないことには、自民党と政権を争う国民政党にはなれません。

党内だけの問題ではありません。党の外にいる支持者の皆さん、あるいは自民党を批判している層の皆さんが、政治について高みの見物をして「立憲がやってくれないよね」と不満を言うばかりでは、どうにもならない。政党に任せて勝手にやらせて失敗したら叩くのではなく、後ろから力強く押し上げていく力が、応援する側にも必要になります。

今はSNSで運動が広がるということもあります。今年の通常国会の入管法反対の運動は、SNSで繋がり、広がる面があったけれど、政治的には結果を得られず残念でした。が、もう少しさかのぼれば、検察庁法の改正問題がありました。ネットで批判の声が広がって、結果として本当に検察の人事を変えるところまで行くことができた。ある意味かなりマニアックなテーマでしたが、あれで世論が大きく動き政治を変えたことには、立憲の皆さんもびっくりしていたと思います。

だから有権者も、立憲を単独で孤立させて「あいつら弱いよね、ダメだよね」と言うだけではダメで、後ろから「お前らしっかりしろよ、後ろは支えるから」という力を作る事が必要です。そもそも立憲民主党の結党自体、別に枝野さん一人が立ち上がって誕生したわけではなく「枝野立て!」という有権者の大きな声があったからできたわけです。

今、政治が自分と直結している、自分の人生が1本の法案で変わりうる、というリアリティを持てていない。政治が変わると私たちの生活がこう変わるんだ、というリアリティを持ってもらいたい。

自治体はわかりやすいですね。例えば(東京都)杉並区のように新しい区長が生まれると、まちが変わっていく、という姿を見せやすい。国政の場合、政権交代がない状態が続いているので、こういうことをイメージしてもらいにくいのですが、それでも「1本の法案で私の暮らしが変わる」と実感してもらう、有権者に政治は「自分ごと」だと知ってもらう。そういう基礎をつくるところからスタートすべきだということでしょう。

自民党を退場させ取って代わるのが野党第一党

――― 保守のあり方がとても劣化していることも関係していませんか。保守がまともではない、と。

尾中: 「保守政党・自民党の中にまともな政治家がいない」という意味でおっしゃっているのなら、単に自民党に期待するのをやめて、立憲民主党中心の政権ができるよう行動すればいいだけだと思います。

「まとも」とは概念が違うかもしれませんが、今でも自民党の右傾化、新自由主義化を嘆いたうえで、自民党内のリベラル勢力に期待し、彼らが政権を握ることを望むような風潮が、野党支持者の皆さんの間にもみられます。でも今の時代、これは誤りです。

55年体制の時代は、自民党が野党になることが想定されていませんでした。社会党が政権交代可能な数の候補者を、選挙で擁立しなかったからです。だから、自民党の中に保守とリベラルの人たち、つまり「角福戦争」の「角」と「福」が両方いないと困る状態でした。自民党内の複数の勢力の間で「疑似政権交代」を起こしていたわけです。

でも、今は小選挙区制で与党と野党が政権を争うという時代です。自民党の中で「保守」と「リベラル」が入れ替わるという時代ではなくなりました。リベラルを求めるなら、ほぼ壊滅している自民党の中のリベラル勢力ではなく、立憲民主党に求めるべきなのです。

でも、これは未だに有権者に浸透していないですね。それが分かったのは、2021年に岸田政権ができて、直後の総選挙で立憲が負けたときです。

岸田政権が発足する直前まで、立憲は各種選挙で勝ち続けていた。広島を含めた三つの補選や横浜市長選などです。あれで自民党は「総選挙で負けるかもしれない」とおびえて、総理だった菅義偉さんを事実上引きずり降ろしました。そして、後任の岸田首相が「新しい資本主義」とか、急に立憲民主党みたいなことを言い出した。「抱きつき戦術」ですね。

きっとあのとき「だったら岸田さんでいいんじゃないか」と思った人が多かった。自民党の表紙が変わっただけで、政権交代が実現した気になってしまったのでしょう。政権交代とは自民党の中で首相が変わることではなくて、選挙で政権政党が変わることなのだということが、未だに理解されていないのです。

自民党は既に、55年体制の頃のようなキャッチ・オール・パーティー(包括政党)ではなくなっています。民主党が政権を取っていた2010年、野党だった自民党は、谷垣総裁の時に綱領を変えています。政権を失ったことで、自民党は「自分たちは何を目指す政党であるのか」ということを突きつけられたのでしょう。

当時は民主党政権が「子ども手当」で盛り上がっていた頃でした。自民党は、子ども手当なんかけしからん、頑張った人がより報われる社会にすべきだという、極めて新自由主義的な綱領に変更した。「自助、共助、公助、そして絆」という、あの路線です。民主党政権に対して別の選択肢を用意するという点で、これは実は正しい。

そもそも、綱領を変える前の段階で、自民党は21世紀に入って、新自由主義的政党に振れてしまっています。

自民党は、55年体制の「角福戦争」の「福」の方、清和会系の人たちがわりとタカ派的な保守で、「角」の田中角栄さんらの田中派(現在は茂木敏充幹事長が率いる茂木派)や、現在は岸田総理が率いる宏池会が、わりとリベラルだと言われていたわけです。しかし30年前、自民党が割れて小沢さんたちが党を出て行き、いわゆる田中派の系譜は党内で力を失い始めました。その後、清和会の小泉純一郎首相が「郵政選挙」で、田中派の系列の綿貫(民輔・元衆院議長)さんたち「郵政反対派」を、刺客まで立ててみんな切り捨てました。のちに多くの議員が復党しましたが、彼らは戻っても、もはや党内で力を持てない。

こうして自民党は、人材の面でも新自由主義的政党に転換していて、綱領を変えたのはむしろその結果と言ってもいいでしょう。

だから、岸田さんが本当に、自らが打ち上げた「新しい資本主義」をやってのけるというなら「それは自民党の綱領違反だから、離党して立憲へ行きなさい」という話だと私は思っています。そして、実際のところ「新しい資本主義」など全くできていないですね。綱領から外れたことなど、しょせんできないのです。

自民党は旗印を「見えないようにして」選挙を乗り切ったわけですが、今や旗印は野党の方が見えています。立憲の「支え合う社会」は、有権者には十分伝わっていないかもしれないけれど、それを旗印として立てていることは事実です。第二党の維新の「身を切る改革」も、新自由主義的な改革保守であるぞということで、旗印が立っているわけです。

今は野党第一党と第二党の間に対立軸があって、自民党が一番訳がわからない。いっそのこと自民党が割れて、立憲と維新に吸収されて二大政党になれば、対立軸がとても分かりやすくなると思いますけどね。

半世紀前の自民党のイメージで今の自民党を語ってはいけない。まして、自民党にそのようなものがあるかもしれないと期待してはならない。そのようなものを求める人は野党に期待せよ、というのが私の考えです。

とにかく自民党政権が行き詰まったら、次は自民党の中から新しい人が出てくるのを探すのではなく、野党に政権を渡せ、と。それが小選挙区制度の求めている政治の形なのだということを、もう一度確認すべきです。

だから、今の野党第一党は、自民党が何かとんでもないことやろうとしているときに、ただ「反対」というだけではだめです。「代わって私たちが政権を担う。私たちは違う政策で政権を運営する」と言わなければなりません。

「反対と言うだけじゃだめ」と言うと「批判をやめて『提案型野党』になれと言うのか」と大きく勘違いされてしまいがちですが、そうではありません。「提案型」とは、自民党に対して「こういうことをやれ」と言って、取り上げてもらったら「自民党さんやっていただいてありがとう」と言うだけのような、そんな情けない政党ではありません。「私たちが新しい政権を担う、そして違う道を目指す」と明確にすべきです。提案すべきは「目指すべき社会像」なのです。

よく安倍さんが「この道しかない」とおっしゃっていましたが、そこに「この道しかないはずがないではないか」と言う。「この道」ではない「別の道」で私達はちゃんと政権を動かせる、ということを、説得力を持って言うのが野党第一党の役目です。政権を批判する能力と、次の政権を担当する能力を、同時に持たないといけないのです。

野党は気持ちよく「反対」を言うだけでいい。面倒な政治は自民党にやってもらおう。そんな政治はもう不可能です。自民党政治への懸念というと、すごく保守化しているとか、安全保障面で危険な方向に行こうとしているとかいうことが言われますが、私はむしろ、コロナ対応がまっとうにできないとか、マイナンバーカード問題の対応がボロボロとか、自民党に「ごく普通の政権担当能力」がどんどんなくなってきていることの方が、よほど心配です。こんなことで国民の命と暮らしを本当に守れるのかと。

自民党の政党としての耐用年数は、とうに過ぎています。代わりの政権政党を育てなくてはいけない。劣化した自民党に退場を促し、代わりに政治を担うのが野党第一党です。

メディア劣化の実態

――― 政治状況と関連して、メディアのあり方、メディアの劣化が気になっています。

尾中: あまり個別の記事をどうこう言いたくはないのですが、最近私が印象に残った記事は、確か日経新聞に載った「若い人に風呂なしのアパートが人気」というものです。多分風呂なし物件を売っている不動産屋さんが広報しているのでしょうが、ここの問題は「若者の多くが風呂なし物件にしか住めない経済状況だ」ということです。それを、まるで良いことが起きているかのように書く。取材に入る段階での価値観が違う感じがしました。

記者を教育するシステムの質が極端に落ちているように思えて心配です。例えば、地方の取材網がどんどん切られています。私自身もそうでしたが、記者は入社すると、まず地方の支局に派遣されて、警察回りからスタートして警察と地元の自治体行政を見て、それぞれの地域面に書くことから始まります。

記者としてある程度鍛えられて、基礎が身についた段階で東京や大阪の本社に来るのですが、今それをやると若い記者は辞めてしまうそうです。こういうかつての記者教育のすべてが今の時代に合っているかどうかと言えば違うかもしれませんが、少なくともこれに代わる教育システムが確立しているとは思えません。新聞社の経営自体も悪くなっているので、いつまでも地方支局を置いておけない事情もあるのでしょうが、結果としてそれが記者のレベルを下げることにつながっていないかと心配です。

自分の仕事に近いところの話で言えば、野党報道にも変化が見られます。

私は毎日新聞の政治部で野党担当を務めていました。当時の野党第一党だった民主党が福岡で党大会を行ったことがあるのですが、会社は私と後輩記者の2人を福岡に出張に出しました。紙面も広く空けてくれて、党大会とその関連記事を大きく書けました。共産党も結構長く担当しましたが、共産党大会についてもやはり、大きく紙面を空けてくれました。政権与党の動向を追うのが中心の政治報道のなかで、野党はこういうときでないとなかなかまとまった記事にならないので、党大会などの行事はかなり大きく扱うというのが、当時はデフォルトでした。でも今は、多分野党の党大会の記事なんて2段ぐらいで終わってしまうのではないでしょうか。国会の記事でも、代表質問や予算委員会の集中審議など目立つ場面を含めて、報道量がかなり減っている印象を受けます。

人がいないのでしょう。「多弱」と言われるほど政党の数が増えて、一方で野党担当の記者さんは減っている。十分な取材ができない事情もあるのかもしれません。おそらく今、担当記者は定例の記者会見を追いかけるだけで精一杯です。とにかくそういうことに紙面を割いてもらえなくなっているという感じは非常に強いです。

政治を心配するなら「メディアのあり方」を考えなくてはいけないでしょう。

若者世代の変化に期待

――― 他国を見ると、若い人たちが新自由主義に反対して行動しています。アメリカのウォールストリート占拠運動や、今フランスも移民の少年が警官に射殺されたのに対して多くの若者が抗議しています。でも、日本だけは若者も新自由主義に染まっているのか、立ち上がりません。

尾中: 日本ももう変わってきているのではないかと思います。私も詳しいデータを持っているわけではありませんが、新自由主義化しているとか保守化していると言われた若者が、そろそろ30代、40代になっている。日本維新の会の年齢層別支持率を見ると、支持する人の年齢は少し高い。よく立憲民主党への支持が高いのは50、60代以降と言われています。確かにその年代は相変わらず支持率が高めですが、18、19歳の選挙権を持ったばかりの世代に、意外に立憲の支持がある。若者が保守的だという捉え方は少し古くなってきているかもしれないと、漠然とですが思っています。

ただ、フランスなどと決定的に違うのは、若者が街頭に出て行動するという動きが、日本では決して多くはありません。フランスでは若い人だけでなくて、年金の支給開始年齢が2歳上がるというだけで大掛かりな街頭行動が起きたりしますが、日本はこうはいかない。安保法制のときには大きな行動がありましたが、日常的にこうした行動があるとは言いがたいですよね。

何か問題が起こったときに「政治を動かさないと変わらない」というところに結びつく気運が足りないだけなのかなと思います。グレタさんのような行動を支持するような空気は、若い人にはすごくあると思うのですが、自分たちと政治が結びついていないから、政治ではなく社会運動へ向かう。先ほどの話に戻りますが「1本の法律が社会を変える、そしてその法律は国会でないと作れない。国会議員とともに世の中を変えないといけない」というところにリアリティがないんだろうと思います。

立憲民主党が支持を得るべきなのは、こういう人たちではないかと思います。彼らは立憲が嫌いなのではなく、そもそも立憲の存在が見えていない。「自分たちが今抱えている問題は、政治で解決できる」ということが伝わっていない。今自分たちが苦しいのは天災のようなものであって、政治的な人災だというところに頭が向かない。そこをどうやって結びつけることができるか。立憲民主党の最大の課題はそれかな、と思っています。

おなか・かおり

1965年福岡県生まれ。1988年毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長、川崎支局長、オピニオングループ編集委員などを経て、現在はフリーで執筆活動をしている。著書に『安倍晋三と菅直人――非常事態のリーダーシップ』(集英社新書)、共著に『枝野幸男の真価』(毎日新聞出版)。9月上旬に新著『野党第1党:「保守2大政党」に抗った30年』(現代書館)を刊行予定。

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