特集 ● 内外混迷 我らが問われる

連合芳野会長の春季生活闘争

管理春闘の完成型と記録されるであろう2023春闘

労働運動アナリスト 早川 行雄

一昨年10月に芳野友子が連合の新会長就任すると決まった折には、春闘が分かっていない会長で来春闘(2022年春闘)は大丈夫なのかと気を揉む声も聞かれたものだが、結果は会長の資質には関わりなく、物価の上昇基調にも後押しされながら平均賃上げ率が3年ぶりに2%台に乗る(連合最終集計)など無難な顛末となった。

周囲の懸念に応えて芳野会長の春闘音痴ぶりが遺憾なく発揮されたのは、民間大手労組を中心にストなし一発満額回答が注目を集めた2023春闘に於いてである。本稿では、30年ぶりの高率賃上げともてはやされる今春闘について、1974年以降概ね半世紀にわたる春闘の歴史を概観しつつ、主として定性的な視点からの総括を試みている。

1.官製春闘から社長春闘へ

物価上昇に追いつかない満額回答

安倍元首相は、アベノミクスで賃金上昇による経済の好循環を掲げて、経済界に対し毎年のように賃上げを要請した。いわゆる官製春闘の構図だが、これには経営側が「賃上げは、政府に要請されて行うものではない」と不快感を示し、労働側も「労働条件はそれぞれの労使が主体的に判断するものであり、政府が不当に介入することは絶対に避けるべきだ」と反発した。労働側が個別労使の自治を強調するのは賃金の社会性という観点からは奇異に感じられるが、こうした反発は政府の介入が労働運動の圧力を反映したものではないことを如実に示している。結果として2014年以降の官製春闘の下では、賃上げ率は2%台を回復したものの、マクロベースの実質賃金低下基調が定着し、社会的格差が拡大した。

歴史的な物価上昇を背景とした2023春闘は、労使賃金交渉の質的な転換点となった。芳野会長は「従来の延長ではない、ターニング・ポイントにする」と豪語していたが、この機会を捉えたのは経営側であった。金属労協関連の大手企業では、労組の集中回答日を待つことなく、要求提出直後には会社側が満額回答の意向であることが報道され、回答指定日に回答を得られた50組合のすべてでベア回答があり、そのうち86%は満額回答だった。金属大手のみならず、メガバンク3行労組も満額回答を得るなど、2023春闘は民間大手に限れば満額回答が相場を形成することとなった。とはいえ満額回答の中身を見れば、獲得されたベアは概ね3%前後であり、これでは物価上昇率さえカバーできず、今後の物価上昇で確実に購買力が低下せざるを得ない実質賃下げである。

究極の管理春闘

連合の2023春闘最終集計(6月末時点)によると、定昇込み平均賃上げ3.58%(300人未満3.23%)、ベア2.12%(同1.96%)となった。30年ぶりの高率賃上げとのことだが、2022年度(4月~3月)の消費者物価上昇率は3.3%と32年ぶりの高騰で、庶民の暮らし向きに直結した食料価格は5.7%も急騰し、オイルショック後の狂乱物価を潜った1976年以来およそ半世紀ぶりの上昇率であった。「日銀生活意識に関するアンケート」(2023年6月)で示された、“物価がかなり上がった”66.3%、“暮らし向きにゆとりがなくなってきた”56.8%という生活窮乏感に応えるには程遠い結果と言わざるを得ない。

この結果だけを見れば1970年代央以降続いた、金属大手の集中回答による低位平準化で賃金を抑え込む管理春闘(次項で詳述する)の延長に過ぎないようにも見える。首藤若菜(立教大学教授)は、賃金抑制策が経済成長を阻むというこの間の動きについて「努力をしてこなかった労働組合にも重い責任があります。労組は企業サイドといわば共犯関係にあるわけです」と批判しているが、一見労使の出来レースとも思える一発満額回答のラッシュは、こうした労使の共犯関係を外形的にも顕在化させたものである。

今春闘は、企業内大手労働組合が存在意義を失い、完璧に経営側に取り込まれたという意味で画時代的な究極の管理春闘となった。ある政府系研究機関のベテランアナリストは今春闘を社長春闘と揶揄しているそうだが、誰が賃金を決めたのかとの観点からは言い得て妙だろう。熊沢誠(甲南大名誉教授)は「大企業の「春闘」で満額回答が相次いでいる。それほどそれは寿ぐべきことだろうか」とした上で、組合要求が経営側と事前調整された低額要求で、実質賃金の向上は見込めないと批判している。実際に毎月勤労統計の実質賃金は5月まで14ヶ月連続の減少である。

連合春闘はかつてない危機的な状況に陥っているわけだが、芳野会長の認識は必ずしもそうではないようだ。経団連はインフレ下の賃金決定でヘゲモニーを握るべく、昨年段階から「賃上げでデフレ思考脱却」を掲げ、賃上げに積極的なポ-ズをとった。年明け後に開かれた芳野・十倉(経団連会長)会談でも十倉会長は「賃上げを呼び掛ける上で、さまざまな要素のうち物価動向を特に重視する」とエールを送り、芳野会長は「これほど目指す方向等について、連合と経団連が一致したことは珍しい」と応じたという。序盤から経営側に取り込まれ、無様にも手玉に取られた格好だ。

3月に行われた岸田首相との会談では、首相の「政労使会議の開催を前向きに検討する。首相と連合会長の定期会談「政労会見」の復活についても検討する」という懐柔策に、「満額回答だった」と芳野会長は喜びを隠しきれない様子で、周囲に手応えを語ったらしい。何とも度し難い能天気さではあるが、実現した政労使会議についての報道は、「政府、賃上げ機運の上昇狙う」など政府の思惑を伝えるのみで連合の影は薄かった。連合は春闘最終集計結果を受けて「労使が中期的視点を持って粘り強く交渉した結果だ。『未来につながる転換点』となり得る」とコメントしたが、現実を直視しない絵空事の総括では、実質賃金の持続的向上への展望を閉ざした2023春闘の惨状は捉えられない。芳野会長がうそぶいてみせたのとは別の意味で春闘のターニング・ポイントが記されたのである。

2.2度の利潤危機と管理春闘化

狂乱物価と生産性基準原理

2023社長春闘は、賃金決定の管制高地を完全に経営側が握る管理春闘の完成形態となった。太田薫(元総評議長)は1975年に、スケジュール闘争としての春闘は終焉したと述べているが、本項ではそれ以降の管理春闘化の歴史を、2度の利潤危機に焦点を当てながら概観してゆく。

最初の利潤危機は、石油危機後の狂乱物価に乗じて発生した。1974春闘の賃上げ率は32.9%に達した。過年度(1973年度)物価上昇率は15.6%、事後的に明らかになった1974年度の物昇は20.9%であったから、賃金の購買力を維持するのに十分な結果であった。事実1974年は毎月勤労統計をみても現金給与総額は前年比29.1%、実質賃金は同6.2%の上昇となった。この結果、労働分配率(名目雇用者報酬/名目GDP)は1970年の44.1%から1974年には53.2%まで上昇し、労働分配率が10%ポイント近く上方にシフトする構造変化がみられた。企業部門は利潤シェアの低下という危機に直面した。

原油価格高騰に伴う交易条件(輸出物価/輸入物価)の悪化から生じた海外への所得流出を企業部門が負担することの継続は、企業にとって絶対に受け入れることのできないものであった。1974年が戦後初めてのマイナス成長となったことにも危機感を深めた日経連(当時)は、1975年春闘では、1970春闘で初めて提起した生産性基準原理(昇給を生産性(実質GDP/就業者数)上昇の範囲内に抑える)を前面に押し出して、賃金引き上げを15%以下に抑えるガイドラインを設定した。一方労働側でも、従来の前年実績プラスアルファという春闘要求基準を見直し、実質賃金の確保に重点を置いた経済整合性論が台頭した。

1975年春闘の賃上げ率は、ガイドライン以下の13.1%に止どまり、1976年以降は1桁台の春闘が継続することとなる。生産性基準原理の1975年以降の春闘への適用は、日本型所得政策の誕生と戦後賃金政策の終わりと位置づけることができ、文字通り管理春闘の起点となった。

この間、1984年には労働側の経済整合性論に、国際基準に見合った所得政策としての理論的根拠を与えるものとして、佐々木孝男(元同盟政策顧問)が「実質賃金上昇率を実質生産性上昇率と等しくする」という逆生産性基準原理による大幅賃上げの実施を提唱したが、労働界では等閑に付されてしまった。その結果、1970年代後半以降、確かに実質賃金の上昇は続いたものの、その上昇幅は実質GDPを明白に下回る過少賃上げ(連合総研「90年代の賃金」1992)であり、企業部門は利潤防衛の成功体験を積むこととなった。 

因みに、ドイツの社会学者W・シュトレークは『時間稼ぎの資本主義』(原著2013、邦訳2016)で資本主義下の利潤防衛策について、当初は貨幣の増発によるインフレ政策によって実質賃金を抑えこむ政策が採られたが、70年代にはオイルショック後のスタグフレーションの発生をもって効力を失い、80年代以降の第2段階はインフレ抑制と労働組合への弱体化攻撃の時代となり、政府は年金や失業給付等の財源を将来の税収を担保にした民間からの借入、すなわち国債に依存するようになったと分析している。

90年代の利潤率低下

日本資本主義はインフレ下の景気後退(利潤率低下)というスタグフレーションを巧みに乗り切った成功体験に酔いしれる間もなく、再び利潤危機に直面した。最初の利潤危機が物価急騰後の新たな価格体系への移行で一応落着したとみなしうる一過性の危機であったのに対し、「90年代の利潤率低下」として知られる第2の危機は、資本主義市場経済に内在的な構造的危機として現われ、今日もなお継続している。

1990年代以降の長期低迷は企業部門の利潤圧縮を一つの特徴としているが、池田毅(立教大学教授)によれば、利潤率の低下は総需要の下落による資本ストックの稼働率低下(潜在産出量に対する現実の産出量比率の低下)から生じているという。確かに、資本係数(民間資本ストック/実質GDP)は1980年の1.33から2016年には2.56と大幅に上昇し、資本係数の逆数は資本生産性であり利潤率(1単位の投資から得られる利益の比率)と同様の概念なので、マルクスが予言したように平均利潤率は顕著に低下している。

利潤圧縮への対応策として企業が採用したのは、橋本寿朗(元東大社研教授)らが唱えた、定昇制度に代表される日本の賃金制度の下で、労働生産性上昇率よりも高い名目賃金の上昇が賃金シェアを押し上げて企業の利潤率を圧縮したとする説に従って、労働への配分を資本側へ移転させる諸施策であった。

成果主義賃金の導入など査定による個別労働条件の決定で労働者の団結に楔を打ち込み、1995年に日経連(当時)が公表した雇用のポートフォリオ(「「新時代」の日本的経営」所収)の採用により、非正規雇用への常用代替が促進され、膨大な半失業者的低賃金不安定雇用者層(新産業予備軍)の出現は本工労働者の労働条件改善の重石となった。

こうして1990年代央以降の利潤防衛は、損益分岐点引き下げに向けた総額人件費削減(人件費の変動費化)に向けて、賃金決定時の生産性基準原理適用に加えて、企業内での賃金制度変更や労働市場の規制緩和の進展といった政策として展開され、管理春闘の基盤を強化することとなった。

今世紀に入ってからも、企業収益好転の中で迎えた2001春闘ではトヨタの経営側が「硬直的な昇給は競争力の再生に重大な影響を与える」と主張し、ベア・ゼロで妥結したトヨタ・ショックに引きずられて、賃上げ率は2.0%に抑え込まれた。経営側の攻勢強化を象徴するように、日本経団連(現経団連)は2003 年版「経営労働政策委員会報告」(経労委報告)で、「労組が賃上げ要求を掲げ、実力行使を背景に社会的横断化を意図して『闘う』という『春闘』は終焉した」と宣言するに至った。

連合は春闘方針で「ミニマム重視」(2003~)「賃金改善」(2006~)など新機軸を打ち出すが、リーマン・ショック(2008)や東日本大震災(2011)など外生的な事件が重なったこともあって、管理春闘の壁を破るような成果には結びつかず、2002春闘以降は定期昇給相当分にも届かない1%台の賃上げが続いた。これが第2の利潤危機とともに新たな段階に至った管理春闘の帰結である。

いまひとつ重要なのは高木郁朗(元日本女子大学教授)が指摘するように、連合成立以降とりわけ1990年代央以降の春闘においては、組織労働者の賃上げ結果が所定内給与などマクロベースの賃金動向と連動しなくなった、すなわち社会的な波及力を喪失したことだ。その結果、連合の掲げるスローガンとは裏腹に、すべての働く者の生活の維持・改善に役割を果たすという運動課題にはほど遠くなっていることが、統計データからも誰の目にも明らかになったのである。

3.政府主導の賃金引上げ

アベノミクス官製春闘の挫折

失われた20年などと評される日本経済の長期停滞が継続する状況を受けて、その主要な原因が賃上げ不足による実質所得の低下であることは、労働界のみならず経済学者や民間エコノミストそして政府においても共有された認識となっている。管理春闘体制下で労働組合の交渉力が著しく減退し、春闘相場が国民経済的所得分配の基準としての位置を失う一方で、「賃金デフレ論」や「賃上げターゲット政策」が経済論壇を賑わすなか、2012年に政権復帰した自民党もデフレからの脱却には賃上げが不可欠と公言し、政府の介入による官製春闘への意気込みを示した。

安倍首相(当時)が提唱するアベノミクスの一環として、賃金改定交渉に向けた社会・経済情勢認識についての合意形成や、最低賃金の継続的な引上げなど「成長と分配の好循環」の実現を通じたデフレ脱却に向け、賃金の引上げを目標に掲げた取組を試みた。安倍首相は誰が賃上げの決定権を掌握しているのか明確に理解したうえで、経営者団体に対して賃上げの要請を行ったが、2013年9月には連合を取り込んだ「経済の好循環に向けた政労使会議」を設置し、企業収益拡大を賃金上昇に繋げるという玉虫色の合意形成がなされた。

こうして官製春闘の初年度となった2014春闘の賃上げ率は2.0%と13年ぶりに2%台を回復し、大手労組を中心にベア回答の復活も見られた。その後の春闘でも2%台の賃上げが続いたが、マクロベースの所得環境への影響は誤差の範囲に留まり、次第に経団連も政府による賃上げ要請を牽制し、ベアに拘らない姿勢を示すようになった。仮に本気で政府が賃上げによるデフレ脱却を考えていたとすれば、官製春闘はその限りで完全な失敗に終わったと言える。

インフレと構造的賃上げ

2021年10月に発足した岸田政権は、2022春闘を前に「新しい資本主義実現会議」を開き、賃上げに関して議論を行ったうえで、経済界に対し3%程度の賃上げを要請する方針を決め、アベノミクスの官製春闘が挫折して一旦途切れていた賃上げ要請が4年ぶりに復活した。2022春闘の賃上げ率は3年ぶりに2%台に乗せた。じりじりと上昇する物価を背景に、大手の一部には満額回答も散見され、今2023春闘を予兆させる結果を示していたと言えよう。

アベノミクスの官製春闘は賃金の引き上げを求める「逆所得政策」的な外見を有していた。個別企業の管理春闘の徹底がマクロ的なデフレ循環を招いていることへの対策のようにも見えるが、これは合成の誤謬というより資本主義の構造的危機を反映したものであるから、個別企業には対応のしようがない。

岸田首相はなぜ安倍政権で失敗した官製春闘の政策に回帰したのか。その理由は高騰する物価動向に求められる。高率インフレを背景とした“過大な”賃金上昇から利潤を防衛するという本来的な意味での所得政策、ある意味で生産性基準原理が徹底された1975春闘の時代への回帰である。所得政策はインフレ対策の外観をとり、時として実質賃金の向上を伴う場合もあるとはいえ、インフレ自体は名目賃金の上昇から利潤を防衛する効果があることに鑑みれば、所得政策の本質は利潤の防衛である。

経団連が岸田首相の要請に速やかに応じた(実態は経団連が根回しをしたのかも知れない)のはそのためだ。経団連は4月に公表した持続可能な資本主義の実現に向けた提言において、継続的な賃上げを中心に経済を循環させる手立てが不可欠と書いているが、その継続的な賃上げを主導するのは専ら経営者であると、社長春闘の成果を踏まえて宣言しているに等しい。

岸田政権は新しい資本主義実現に向けた提言でも、6月に策定された経済財政運営と改革の基本方針(骨太方針2023)においても構造的賃上げの重要性を掲げているが、この構造的賃上げなるものの実態は、政労使会議の合意を担保とした所得政策にほかならない。連合メーデーに出席した岸田首相は、2023春闘について、「30年ぶりの賃上げ水準となった。力強いうねりを地方、中小企業に広げるべく全力を尽くす」と訴え、賃上げに自ら先頭に立って取り組む決意を臆面もなく語り、集会後の取材に応じた芳野会長は「首相の参加は大変光栄なこと」と喜色満面に語ったという。日本労働運動史上、これほど滑稽な茶番劇をかつて観たことがあるだろうか。

アベノミクスにせよ岸田首相の新しい資本主義にせよ、問題の本質を見ずに課題先送りの経済政策を繰り返す政府。ジャパン・アズ・ナンバーワンと煽てられた時代の成功体験から抜け出せず、不祥事を繰り返しながら競争力を喪失して国策に依存するしかなくなった経済界。労働組合は言うに及ばず、政労使ともに組織やリーダーの劣化が著しい。その中で姿なき資本の論理が貫徹しているというのが、殺伐とした社長春闘の風景である。

春闘は定昇が誤差の範囲に映るほどの大幅賃上げの時代から、定昇そのものが攻防ラインとなる時期を経て、定昇の背景にある「年功的」賃金制度自体が攻撃の対象となって今日に至る。労働組合が、自ら要求・妥結の水準を水増しして、賃上げの中身を貧しいものにする「定昇込み一人平均ベア方式」(連合総研、前掲書)が惰性のように継続するなかで、2023春闘は、管理春闘が逢着したひとつの完成型を記すこととなった。

4.連合運動の死と再生

先人に学ぶ

日本経済が長期停滞から抜け出すためには、すべての働く者の賃金・労働条件の抜本的な引き上げが不可欠だが、それを可能にするのは労働組合の闘いのみである。経済界に賃上げを要請する自民党の賃上げ不可欠論は、利潤危機に陥った大企業を救済する国策の実態を、連合を巻き込んだ政労使合意で覆い隠すための煙幕のようなものと考えた方がよい。

先人の例に学ぶならば、大恐慌後の米国において、産業別労働組合の交渉力強化による賃金引き上げで労働者に購買力を付与し、国民所得の賃金部分を増大させることをもって所得再分配を実現しようとしたニューディール労働政策がある。同政策は労使関係における労働組合の交渉力不足が労働者の賃金を低下させ、不況を深刻化したという認識に立ち、1935年に制定された全国労働関係法(ワグナー法)において、労働者の団結権と団体交渉権を、米国史上はじめて実効性あるものとして規定する一方、使用者の不当労働行為(組合に対する干渉、雇用条件による差別、組合活動を理由とした解雇、団体交渉の拒否、企業内組合の結成など)を禁止することで産業別労働組合の交渉力を補完した。

構造的な利潤危機に陥った資本主義市場経済の下で、労働組合の交渉力強化に向かって運動を進めるには、かつての高度経済成長期を上回る異質の知恵と勇気が必要だ。産業別労働組合のリーダーは、労働運動の発展強化を目指す真の組合活動家であろうとするならば、ワグナー法が産別交渉を阻害する企業内組合を不当労働行為として禁止したことの含意に、しっかりと思いを致すべきである。そして連合運動には、日本の産業別労働運動をけん引してゆけるような志ある会長が必要とされている。芳野会長ではお話にならない。

分岐点に立つ連合

ある連合OBが「芳野さんは何であんなに頑ななのだろう」と首を傾げていたことがある。これは多くの連合関係者も共有している疑問だろう。ひとつの見方として、女性など集団内におけるマイノリティー出身のリーダーが陥りがちな過剰同一化の問題がある。

芳野会長の組合活動歴は、入社後年を経ずして当時の労組委員長から専従書記に誘われ、相談した会社の上司から「女子の職場移動は例が少なく、良い機会だと思うよ」と背中を押されたことに始まる。労働運動の知識や経験が白紙の状態で、職場の組合役員などから富士政治大学仕込みの「労働組合主義」を叩き込まれ、単組役員、産別役員、連合役員から連合会長へと昇り詰める過程でも、職場時代に確信させられた異次元の労使協調(癒着)や政治的反共主義への過剰同一化から抜け出せずに固執し続けているように見える。

こうした人物が連合会長や女性リーダーとしての適性を欠くことは言を俟たないが、不幸なことにこの芳野会長が今の連合にはよく似合っていると世間は看做しているのである。芳野会長の反共右翼的政治スタンス、あるいは自民党や経済界に対する軽佻浮薄な対応は、これが旧同盟系産別のトップの所業であれば、連合内でもっと紛糾したであろうが、旧総評・全国金属の流れも汲むJAM出身であることから責任追及がうやむやにされている面がある。ハト派・宏池会会長である岸田首相の立ち位置と、どこか似ていなくもない(岸田はハト派疑惑から身の証しを立てるべく、安倍晋三的政策に過剰同一化しているようにも見える)。そして岸田政権の軍拡、原発回帰、大衆収奪などの悪政に対し、連合は新しい資本主義実現会議、GX実行会議など政府系会議の末席を汚しながら、なす術もなく追認してしまう翼賛化の流れができてゆく。

芳野会長との心中を覚悟で翼賛化の道を進み破滅への奈落に転落するのか、連合運動の負の側面を集大成したような芳野友子的なもの一切と決別して、世の不条理に抗しつつ全ての働く者の未来を拓く、新しい政治と社会の実現に向けた労働運動の復権に舵を切るのか、今や連合運動は死と再生の分岐点に立っている。

2023春闘においても、JAMの下請け中小企業の価格転嫁実現に向けた政策要求やUAゼンセンのパート賃金の大幅引き上げ(ベア)の取り組み、上部団体の枠組みを超えた非正規ユニオンの共同行動など、管理春闘=賃金統制が職場を覆う閉塞の時代に、一抹の希望を抱かせる灯も見られた。いま一隅を照らす灯が、燎原の炎へと燃え広がるために、本稿が多少なりとも役割を果たすことができれば幸いである。

はやかわ・ゆきお

1954年兵庫県生まれ。成蹊大学法学部卒。日産自動車調査部、総評全国金属日産自動車支部(旧プリンス自工支部)書記長、JAM副書記長、連合総研主任研究員、日本退職者連合副事務局長などを経て現在、労働運動アナリスト・日本労働ペンクラブ会員・Labor Now運営委員。著書『人間を幸福にしない資本主義 ポスト働き方改革』(旬報社 2019)。

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