特集 ● 内外混迷 我らが問われる

現代日本イデオロギー批判 ―①

ナショナリズムの時代の終焉のために

「複雑怪奇」な国際情勢のなかで考える

神奈川大学名誉教授・本誌前編集委員長 橘川 俊忠

ナショナリズムの時代は終わった?

あまり真面目な学生というわけではなかった筆者の記憶に、今でも強い印象を残している大学教授の講義中の一言がある。それは、今から五十年以上前、その頃気鋭の論客として知られた坂本義和の国際政治学の開講の辞の中で発せられた。坂本は1960年代の国際政治の状況を略述した後で、「これからはコスモポリタニズムとアナーキズムが重要な意味を持つことになるだろう」という趣旨のことを述べた。

当時、ナショナリズムを研究テーマにしようと考えていた筆者にとって、かなりのショックであった。その講義で、坂本が「ナショナリズムの時代は終わった」あるいは「その思想的重要性は無くなった」と明確に述べたかどうかは定かではないが、少なくとも筆者には坂本の言葉は、そういうことを意味すると受け止められた。

60年代中頃、林房雄の『大東亜戦争肯定論』に代表されるような戦前回帰的な傾向が強まり、江藤淳や三島由紀夫などのような戦後社会批判に重ねられた右派論壇の台頭がめだってきていた。山田宗睦が『危険な思想家』を書き、日本ナショナリズム批判の必要性が強く意識された時代状況において、「ナショナリズムの時代は終わった」というメッセージは、何故という疑問を抱かせるに十分であった。

しかし、日本から世界に視野を広げ、第二次大戦後の時間的経過を考えた時、戦前への回帰とか、ナショナリズムの復活とばかりは言えない現実が進行していることに気付かされたことも事実であった。

1960年は、「アフリカの年」と言われ、アフリカ大陸全土に独立運動が広がり、欧米の植民地支配が崩壊し、次々と独立国が誕生した。これらの諸国は、それに先んじて独立を達成していたアジア諸国と連帯して、国際社会に第三勢力として登場し、次第に影響力を強めていた。

第二次大戦後の東西冷戦は、1962年のキューバ危機で最大の危機を迎えたが、米ソ両国の「自制」によって、からくも核戦争を回避することができた。その後、平和共存を求める国際世論の高まりもあって、冷戦が、熱戦となり、核戦争となり、第三次世界大戦へと拡大する危険性を低減する相互抑止の国際的枠組みも模索されるようになった。特に、核兵器については、1968年には核兵器不拡散条約が締結され、さらに核実験禁止も含めた核軍縮への機運が高まってきた。

もちろんこの時期にも激しい戦争・武力衝突が無くなったわけではない。パレスチナをめぐるイスラム勢力とイスラエルの衝突は繰り返されていたし、インドシナ半島では南北統一を目指す南ベトナム民族解放戦線および北ベトナムとアメリカ合州国の支援を受けた南ベトナム軍事政権との間で激しい泥沼の戦いが繰り広げられていた。

他方、こうした戦争に反対する反戦平和運動も国境を越えて広がりつつあった。そして、その運動は、社会主義的インターナショナリズムや労働組合運動というイデオロギー的性格の強い組織によるものではなく、市民や個人という最も基本的な人間存在そのものを連帯の基盤とする運動という性格を持つようになった。そういう運動は、国民・民族というような政治的・人為的境界を軽々と越えて広がっていった。

その運動の特徴は、定型化され官僚制的に組織されたものではなく、参加自由の不定形で柔軟な性格にあった。現在では、NGO(non-governmental organization非政府組織)あるいはNPO(non-profit organization非営利組織)と呼ばれる多様で柔軟な活動形態が生まれ、国際社会でたしかな存在感を示し始めた。1971年に発足した「国境なき医師団」などはその代表的ものであろう。こうした国境を越えた活動の展開は、交通・通信手段の発達による人々の情報交換、直接の交流の拡大・深化によって可能になったのである。

もちろん、以上のような国際的運動の連携・連帯が可能になった基礎には、政治・経済・文化など人間の基本的活動のすべてと言ってよいレベルで相互依存的関係が形成されてきたという国際関係の深部での変化があったことは言うまでもない。諸大国による勢力圏の形成と対抗関係が先鋭化し、第二次世界大戦の原因の一つになったことの反省に立って、金融・貿易関係調整のための国際機関がそれなりに機能し始めたことも、第二次大戦後の国際関係に一定の安定をもたらしたといってもよいであろう。冷戦の厳しさの外観の背後で、国際連合をはじめとする各種の国際組織の活動にも支えられて国際協調体制が潜在的に出来上がりつつあった。

1960年代の後半という時代は、今から振り返ってみれば、国際関係が相対的安定期に入った時期と言えるかもしれない。坂本義和の大胆な予測も、あながち大げさとは言えない現実があった。少なくとも、ナショナリズムは、第三世界を中心として解放のスローガンという側面が強調され、第二次大戦中のように極端化あるいはウルトラ化して人々を戦争に駆り立てる力を喪失したという意味で牙を抜かれつつあったと言っても間違いではなさそうであった。

プーチン戦争の衝撃

坂本義和が、予測した通りになったわけではないが、1973年ベトナム和平協定が結ばれ、第二次大戦後最大の戦争であったベトナム戦争も終結し、南北ベトナムの背後にいたアメリカ合州国と中華人民共和国の間で国交回復が図られ、中東もイスラエルとアラブ諸国の間で和平交渉が開始されるなど、世界は協調と安定の方向に向かうかに見えた。また、80年代に入ると韓国、台湾、フィリピン、インドネシアなどアジア諸国に民主化の気運が高まり、ヨーロッパ諸国でも民主化の波が広がり、89年にはベルリンの壁が崩壊し、91年にはソ連邦も消滅し、東西冷戦の時代は完全に終わった。

坂本的に言えば、ソ連邦の消滅は、平和共存を素通り、あるいは飛び越えて、平和共存を主張していた者にとっては想定外の別世界に入り込んでしまったかのようであった。それを「自由主義の勝利」と歓迎する者もいたが、ことはそれほど単純ではなかった。冷戦構造の消滅は、冷戦体制の下で押さえつけられていた様々な問題を噴出させることになったのである。民族問題、宗教勢力の復活、第二次世界大戦の戦後処理の不十分さの問題など、旧社会主義陣営諸国だけではなく、自由主義陣営に属していた独裁政権下の諸国でも、困難な政治的・社会的問題を引き起こしていた。まるでパンドラの箱をひっくり返したような混乱に襲われた地域もあった。

旧ソ連圏の中央アジア諸国では、イスラム教が復活し、中東の過激な勢力の影響も受けたイスラム勢力と、ソ連中央政府を引き継いだロシアの支援を受ける勢力との間で激しい内戦が繰り広げられた。そしてそれら諸国の間では国境をめぐる民族間の対立もからんで、終わりの見えない武力抗争が続いている。さらに、旧ユーゴスラビアでは、連邦体制は四分五裂し、民族・宗教対立がエスカレートし、民族浄化というジェノサイドを引き起こすに至った。旧ソ連・東欧圏では、程度の差はあれ、民族問題・宗教問題と経済格差問題さらには移民問題が複雑に絡んで、権威主義的独裁政治への志向が高まっており、不安定化の危険を抱えている状況が続いている。

冷戦終結後、一強体制を実現するかに見えたアメリカ合州国も、もはや一国で世界をコントロールする力はなく、一貫性のない中東政策は中東情勢の混迷を深めただけで、その失敗のツケを9.11テロ事件という悲惨な形で払わされることになった。アメリカ合州国ブッシュ政権は、対テロ戦争を宣言し、国連などの決議を必要としない単独行動も辞さない姿勢を鮮明にした。

国際政治の局面では、大国の力の政治の論理がまかり通ってはきたし、冷戦終結以後その傾向は一層強まってきたことは間違いないが、経済の面では、相互依存関係はかつてなかったほどに深く、強くなっている。たとえば、日米中三か国の関係を考えても、互いに最大貿易相手国であり、アメリカ合州国の国債は日本と中国が最大の保有国であり、外貨準備高では台湾も含めて、これも最大である。また、国際的経済協力機構もいろいろなレベルで組織されているが、中心国はそれぞれであるが、メンバーとしては少なからず重複しており、何らかの形での協力関係は維持されている。

概略、以上のような国際社会の状況下では、深刻で簡単には解決の方向すら見いだせないような対立・紛争があっても、世界大戦につながるような、あるいは核兵器の使用が現実になるようなところまではいかないだろうと、多くの人が考えていたはずである。第二次世界大戦の反省はまだ生きているであろうし、国境を越えた人々の経済・社会・文化などあらゆる人間活動の面での交流は飛躍的に増加し、相互理解も進んでいる。一部の極端な民族主義者・排外主義者がいても、彼らが各国で政権を掌握して、戦争を仕掛ける可能性はほとんどないだろう、と。

かつて坂本義和が予測したように、世界はまだ次第にナショナリズムの意義を小さくする方向で動いていると考えているところに、ロシアがウクライナに本格的な軍事侵攻を開始した、という事実が突き付けられた。このロシアの行動は、国際社会に極めて大きな衝撃を与えた。

第一に、国連安全保障理事会の常任理事国が、国際連合の意志を無視して軍事侵攻を開始したこと。これは、第二次世界大戦の反省の上に築かれてきた国際社会のルールを、そのルールの守護者たるべきものが公然と踏みにじったことを意味する。

第二に、独立の主権を有する「大国」同士の本格的「戦争」であり、世界戦争・核戦争を誘発させかねない危険性をもっていること。

第三に、侵攻の根拠に、ロシアの建国神話をあげ、ロシア・ウクライナ同祖論という古色蒼然たる論理と反ナチ戦争の勝利者という現代ロシアの神話的論理を主張していること。

第四に、地政学なる疑似学問を持ち出し、西欧諸国の勢力拡大への対抗措置として軍事行動を正当化していること。

第五に、開戦以来、予測不能の事態が続き、停戦の見通しのないまま泥沼状態に陥っていること。

そして、第六に、この戦争が双方共にナショナリズムを刺激し、国内的にはそれなりに高い国民的支持をえていること。特に、戦争を仕掛けた側のロシアで、プーチンに対してある意味で予想外の支持を維持していること。

プーチンが始めたこの戦争は、当初の本人の思惑を越えて泥沼化しそうな情勢であるが、長期化すればするほど、当初の衝撃は薄らぐかもしれないが、その人々の意識に忍び込む心理や論理の問題が深刻化する。その問題は、戦場から遠く離れた日本にも否応なく侵入してくるにちがいない。

不安によって養われるナショナリズム

プーチンの戦争は、マスコミやインターネット上で伝えられる情報によれば、泥沼化・長期化を免れそうもないという。日本では、遠くの戦争ということで関心が衰え始めているような感じがしないでもない。プーチンが、戦後まがりなりにも積み上げてきた国際社会のルールを破壊してしまったことの深刻な意味を考えることもしなくなる、戦争が遠くで日常化してしまっていることによって同情や悲惨さに対する感覚も鈍化する、というようなことが進行すれば、ただでさえ強いとはいえない戦争反対の声は小さくなるばかりだろう。

しかし、戦争の長期化は、確実に不安感を浸透させる。不安感は、不安を与える原因が不明確であればあるほど強められる。なんとなく不安という状態は、不安の原因を明確に認識しようとする意欲や意識を減退させ、そうした意識が減退すれば、不安を解消するという処方箋を、それが多少怪しいものであっても受け入れやすくなる。陰謀論やデマが入り込むかもしれない。

現に、極めて不確実な根拠を持ち出して、中国やロシアの領土的野心を誇大に宣伝し、有事に備えると称して、防衛予算という軍事費を世界第三位の規模にまで拡大しようという動きはすでに始まっている。何にどう使うのかという具体的な計画すら示されていないのに、総額だけは膨らますという。ウクライナ支援をちらつかせながら、武器輸出の解禁を画策する。放っておけば、核武装まで言い出しかねない。

しかし、それ以上に問題なのは、国を守る、国家を防衛する、国民に敗北の苦難を味合わせない、など国家・国民のためなら何でも受け入れる、自分達の権利や自由すらも差し出してしまうような心性を植え付けられることである。それさえできてしまえば、軍事費の増額も、そのための増税も、武器輸出三原則や非核三原則の自由変更も、思うが儘になる。そこまでいけばナショナリズムは完全復活だ。

ウクライナに対するプーチンの戦争は、そういう風に考える「ナショナリスト」にとっては大きなチャンスにちがいない。しかし、日本のナショナリズムをめぐる思想的状況は、それほど単純ではない。第二次大戦以前の皇室崇拝を中心としたナショナリズムは、ごく一部の勢力には説得力を持つかもしれないが、国内的だけでなく国際的にもその方向には大きな困難が立ちはだかっている。自国第一主義を「グレート アメリカ アゲイン」とか「大英帝国の夢よ、もう一度」、「偉大なる中国の復活」というような言葉で飾ることはできない。自国第一主義が蔓延する世界で、その時流に乗って日本ナショナリズムの復活を図るにはどうしたらよいか、真剣に考えているナショナリストがいるかどうかは知らない。もしそういうナショナリストがいるとしても、その先を越したナショナリズム批判の論理を鍛えることはできる。対立や排除の根拠となり、ウルトラ化する危険をはらむナショナリズムの時代を今度こそ終わらせるために、思考を重ねたい。

(この項つづく)

 

きつかわ・としただ

1945年北京生まれ。東京大学法学部卒業。現代の理論編集部を経て神奈川大学教授、日本常民文化研究所長などを歴任。現在名誉教授。本誌前編集委員長。著作に、『近代批判の思想』(論争社)、『芦東山日記』(平凡社)、『歴史解読の視座』(御茶ノ水書房、共著)、『柳田国男における国家の問題』(神奈川法学)、『終わりなき戦後を問う』(明石書店)、『丸山真男「日本政治思想史研究」を読む』(日本評論社)など。

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