論壇

時代は動き「維新」の旗は色あせる

大阪の「維新政治」を再考する(その2)──新型コロナの流行が暴いた『イベント資本主義』の陳腐さ

元大阪市立大学特任准教授 水野 博達

ポピュリスト橋下の登場

2008年、大阪で政治の舞台に登場した橋下徹は、「民意は選挙の票に示された」と言い、独善的な施策展開を合理化して来た。また、橋下・維新への支持は「フワッとした支持だ」とも言っていた。そのことを手掛かりに前号の「維新政治」を再考する(その1)において、橋下・維新の「民意」なるものの再検討を行った。

要約すれば、それは、新自由主義的な社会の変化の中で、かつては存在した共同で考えたり行動したりした職場や学園、同業者や職能集団、地域生活の中に自然にあった自主的で相互扶助的・自治的な「居場所」を喪失し、人々の日常の生活の中で共通の利害感や意思を形成する場と機会を失い、孤立したバラバラな<個人>のあり様へと変化したことと関連付けて検討した。この公共性や社会性(階級性・階層性)を欠いたバラバラな<個人>が、あたかも自立した<個人>であるかのような言説が横行してもいた。そのような時代の世相が、橋下・維新の「民意」形成の社会的な条件であった。

フワッとした支持であってもバラバラな<個人>を橋下・維新の支持に結びつけるために、インパクトある言動が繰り出された。だから、政治主張は、強く、激しく打ち出すことになる。いわゆるポピュリズム的政治の演出である。打倒すべき「敵」を設定し、打破すべき「旧弊」をあげ、住民の共感を組織する手法である。

ここで見えやすい打倒すべき最大の敵と旧弊は、安穏と机に座っているとする公務員であり、非効率で無駄な役所の仕事であった。これは、何も橋下・維新の斬新な政策ではなく、「公から民へ」の民営化論、「効率化とコストカット」の労組敵視・生産性向上など世界的な新自由主義の主張の二番煎じであった。

この二番煎じの橋下・維新の主張が斬新に見えたのは、大阪経済の地盤沈下が続き、広く住民のなかにフラストレーションが蓄積されていたこと。それに加えて、長年の大阪府・市の首長と労組の癒着による非効率で無駄な行政の予算執行、さらに公務員の職場規律の乱れや闇給与の支給などの悪弊が目に余るほどだとマスコミが執拗に報道していたからである。だから左派的な感覚を持つ一部の人たちが、橋下・維新の会を改革派だと勘違いすることも起った。多くの良識的な人々からも支持を集めることにもなった。

とりわけ、多くの人が騙されたのは、大阪府市が関西電力の大口株主であったが、大株主として橋下が「脱原発」の旗を掲げたことである。しかし、2012年、国政進出を決めて策定した綱領的文書「維新八策」には、脱原発の政策はなかった。「脱原発」の旗は、あっさりと引き下ろされたのである。橋下・維新の「脱原発」は、スポットライトに照らされて人々の喝采を浴びるための舞台衣装であり、多くの資本家とも良好な関係を結ぶためには邪魔になると、あっさりと脱ぎ捨てた。「脱原発」は、三文オペラのペテン師の衣装であったのだ。

ポピュリズムの政治とは、民衆の支持を取りつけるためにペテンも含めたまやかしの政策を掲げたりするものであるが、それとは別に、本当は実現したい政治目標と施策を持っているものである。

「フワッとした民意」からガッチとした政党へ

維新が国政へ挑戦した2012年から、すでに10年余りが過ぎた。松井一郎・吉村洋文の2頭体制による維新の会は、橋下時代とは、異なった政党へと変化して来た。

橋下徹の人気と突破力に依存した政党から、ガチっとした組織政党へと変わっている。地方議員毎の後援会をきちんと組織・整備し、軍団のように本部の指令一つで行動する秘書集団を作り上げた。「ガチっとした組織政党」であるとは、個々の議員は、維新政治実現のための「弾」なのである。選挙の「広告塔」とみなされる候補者も多く、議員の資質が、折に触れて問われることになる。問題が起これば、弾は即刻切り捨てられることになる。

自民党が、議員個人の後援会の連合体の性格を強く持つのに対して、議員の秘書が一団となって行動できる強みが、さしあたり、近年の維新の選挙での強さを発揮する要因の一つである。

自民党の経済・金融、外交・国防などの国政の基本政策は、経団連などに結集している独占資本の利害を集約・調整したものであるが、同時に、各地方行政、中小商工業者や農漁業者の団体、医療・介護・福祉関係団体、教育・文化関係など、さらには今日では労働組合などに対しても広くウイングを延ばし、それらの利害集約を図ってきた。独占資本以外の各層の利害・要求に対しても、いわば国の再分配機能を生かして対応している。自民党が「国民政党」であると自任している所以の政党の構造である。党が、独占資本以外の各層に広くウイングを延ばして機能できるのは、個々の議員の後援会や派閥の存在とその役割である。国民各層の利害は多様であり、相互に対立し、錯綜していたりする。各利益集団・諸個人は、国や地方公共団体などと関係を持つことによって自らの利害を実現するため、特定の派閥や議員を選択して後援することになる。その結果、「国民政党」である自民党が、議員個人の後援会の連合体の性格を強く持つことになり、結果として自民党の多様性と力の源泉ともなっている。

では、自民党と比較して維新の会が、ガッチとした組織となっているのは、なぜであろうか。

維新の会は、歴史も浅く、大阪を除けば小政党である。一致団結・結束して闘うことが選挙に勝ち、組織を伸ばすことになると維新自らが考えていることは、容易に推測できる。しかし、それだけでは、彼らの結束の強さを説明できない。維新の各議員、後援者、中心的な支持者の結束力は、維新の会がどのような人々の支持をどのように獲得してきたかにその秘密がある。つまり、求心力が生まれる根拠である。

維新を恒常的に支持し、後援会などに参加する層とはどんな層か。選挙活動の観察や投票結果などの分析からいえることは、下層の労働者、失業者や退職高齢者ではない。これまで自民党を支持してきた比較的安定した経営の中小商工業者層でもない。タワーマンションに住む30~40代の高額所得のサラリーマンや個人事業者など「新住民」が集住する地域には、維新の支持層が多いことが分かっている。(注1)

自民党から維新へ鞍替えした議員の支持者でなく、新たに獲得した支持層は大括りしていえば、これまでの経済・社会関係で既得権益から外れて来た層、あるいは、既得権益に対する反感を感じてきた層である。言葉を変えて言えば、それぞれの市場・職場で、他者との厳しい競争に晒される環境・条件のもとにある業種や職種で働く人々であるとも言える。例えば、新自由主義的グローバル時代に脚光を浴び始めた IT・情報関係、金融関係、デザイン・広告関連業、コンサル業、人材派遣業、旅行代理店、そして、不動産業や弁護士・税理士などの30~40代の層に支持者が多いと考えられる。

これらの層は、従来の既得権益のもとにある仕事や人材や情報のネットワークと闘いながら、自分たちが勝ち上がっていく機会や情報のネットワークを求めている。生活感覚としても、そのような新しい市場を獲得することが自分たちの未来を築くことになると感じている。だから、橋下以来、維新が掲げてきた大阪の経済成長を実現する国際ハブ都市化、国際金融都市化など人・モノ・カネ・情報が集中するグローバル・メガ都市を目指すという「大風呂敷」に夢を感じ、これらの実現のための「大阪都構想」にも賛成してきたのだと言える。

つまり、一致団結・結束して闘う維新の求心力の土台には、既得権益と闘い、自らの生存の基盤を広げたいという支持者の生活の在り方や信条があると見ることができる。既得権益と闘う排他的な意識に支えられた結束の強さである。

以上は、新自由主義の時代の階級的・階層的な生活意識と政党の関係から見たことである。これに加えて、20代~40代の子育て世代を新しい支持層として獲得したことである。小中学校児童への医療費援助、教材・タブレットの配布や給食の無料化、私立学校の学費支給、保育料の補助や学習塾への補助などの施策によって、子育て世代を獲得したことである。

こうした社会福祉・社会保障の光が当たる裏側で、在日朝鮮・韓国の民族学校への私学助成の打ち止めや、反戦・平和教育、人権教育への弾圧・抑圧、学校での日の丸掲揚、国歌斉唱の強制と教職員の処分・弾圧、また、交響楽団や文楽などへの助成カットを含め、文化・教育面における偏狭で排外的・差別的空気を醸成する施策が行われた。保健所や公立病院の廃止・削減を行い、新型コロナ感染症への対応に失敗した(新型コロナ感染症の死者が大阪府は6000人超え、全国約4万人の15%で全国一の死亡者数)。また、「自民党の票田である」との理由で地域の町内会・自治会への助成取りやめと、「地域協議会」に組織の再編が進められた。

以上のように維新の特徴を並べて見ると、改めてはっきり言いえることがある。それは、維新の目指すものは、イギリスのサッチャー政権が行った政治と同じで、まず、強力な労働組合――イギリスでは、炭鉱労働組合、大阪では、教職員・公務員の労働組合――を徹底して弾圧し、「公から民へ」の民営化、「効率化とコストカット」など停滞する資本主義を生き返らすための世界的な新自由主義政治の二番煎じであったことがわかる。

揺らぐ維新の旗印、万博とカジノ開設

維新政治が「一丁目一番地」だとしてきた大阪市を廃止し大阪府に財源と権限を一元化する「大阪都構想」は、二度とも住民投票で否決された。一回目の敗北で、橋下が下野し、二回目の敗北で松井が政界から消えることになった。二人の創設者が退場し、大阪維新の会は、吉村府知事が代表になり、若い第二世代が執行部を担うことになった。(幹事長:横山英幸・39歳、政調会長:守島正・39歳、総務会長:岡崎太・53歳)

「大阪都構想」は住民投票で否決されたが、維新は、「大阪府・市行政一元化条例」を府議会・市議会で通過させ、大阪市の都市開発・都市整備のための財産・予算、権限を大阪府に事実上一元化する「妙手」に打って出た。大阪を「副首都」として東京と並ぶ二極化をあくまで求めていくと言う。「大阪の成長を止めるな」のキャッチフレーズは捨てた訳ではないと松井は強弁して来た。 

大阪湾の埋立地・夢洲において、2025年に開く大阪・関西万博とカジノを中心としたIRの二つの事業は、維新が「大阪の成長を止めるな」と言ってきた政治目標の一大集約点・旗印である。この二大プロジェクトは、当初計画から次々に変更を強いられ、予算の増大と開催規模の縮小、開催時期の未確定など混迷状態に陥っている。

破綻の始まりは、万博開催とほぼ前後してカジノを開設する計画の変更である。今日でもなお、IRの全面開設の時期だけでなく、部分開設の日程すら確定できていない。

万博開催には、巨額の費用が必要である。会場設備費だけでなく、夢洲への交通アクセスの確保にかかる費用もある。当初計画では、複数の事業体がカジノの経営権を求めて競争入札となるので、大阪メトロ中央線延伸費用の一部202億円を業者に負担させることを目論んでいた。しかし、2020年の新型コロナ感染症のパンデミックもあって、世界のカジノ事業界は、経営不振。カジノ事業は、将来見通しとしても事業の維持・拡大は難しいと判断するようになった。カジノの開設計画を持っていた横浜、千葉、和歌山などは、こうした傾向を見て取り、誘致を断念した。大阪では、米国MGMリゾートとオリックスの連合体が唯一手を挙げた。同業者の撤退の中で、業者間の競争がなくなれば、もはや夢洲への交通アクセスの費用負担など言い出せない。大阪府市は、業者との契約交渉では劣勢となり、業者が有利な位置を占めるに至ったのである。

交通アクセスの費用だけではなく、IRの開設も、縮小した部分開業ですら2020年代後半とあいまいとなった。全面開業の時期も白紙となったのである。また、「IRに公費負担はない」と維新は議会でも説明してきたが、夢洲で液状化や土壌汚染が発覚すると、その対策費790億円を大阪市が負担を決めた。しかも、事業者との基本協定では、追加の対策費用が生じたら大阪市が負担することになっている。

今さらカジノ・IR事業をやめられない大阪府市は、事業者に足元を見られて、次々と譲歩を迫られる。こうなれば、IR用地に定期借地契約は35年で賃料は年25億円となっているが、それも事業開始が揺らいでいるので、値切られることになりそうである。

さて、万博の方はどうか。工事の入札が次々と不成立となっており、本当に2025年4月13日に開催できるのか。上ぶれした建設費などの不足分が大阪府・市の財政負担に跳ね返って来るのでは、等々問題は山積みだ。世界各地から出店・参加は本当に確保できるのか。万博の先行きは、不安が満載である。

大阪府・市などが出資し、万博の目玉になる「大阪ヘルスケアパビリオン」は、当初の建設費74億円の約2.6倍が業者から示され、特徴ある屋根の構造や材質を変更して99億円にまで工事費を圧縮した。その結果、目玉の特徴がある屋根は万博終了後撤去され、万博の「記念碑」は残らないことになる。また、大催事場、小催事場、迎賓館などのテーマ館4件の不成立に続いて、2022年12月には、「いのち輝く未来社会のデザイン」に関する中心的テーマ施設で、映画監督・川瀬直美などの著名人がプロデュースするテーマ館が軒並み応札する入札者がいないか、予定価格内に入札額がおさまらないという事態となった。

万博の会場建設費は、国と大阪府・市、経済界が三分の一ずつ負担することになっているが、巨大イベントの実施計画において、反対されるのを回避するため事業費用を安く見積もるのは、いつものことである。しかし、今回は、コロナ渦や世界的な物価高、円安などもあって、予定価格では、応札すらないなど入札不成立が続いた。

また、万博会場の整備以外の工事も問題山積みである。夢洲への大阪メトロ中央線の延伸の工事では、地中障害物の撤去などが必要になり、当初予算の250億円から346億円になる見込みだ。さらに、シャトルバス専用道として使う阪神高速道路淀川左岸線も、土壌汚染と軟弱地盤の対策が必要となり、当初1162億円から2900億円と約2.5倍に跳ね上がっている。しかも、阪神高速道路淀川左岸線の2期工事完成時期が2027年から最大8年も遅れる見通しとなっている。こうした費用額や工事完成時期は、2022年末に見直した数字であり、今後どれくらい上ぶれするかは、われわれには、予測することができない。

いずれにしても、維新の目玉政策の二つの巨大プロジェクトが暗礁に乗り上げつつあるのは、単に、コロナ渦や世界的な物価高・円安などの条件が偶然重なったからではない。イベントによって経済成長を図るという政策自体が、もはや時代遅れになっているのだ。

1970年代初頭に先進資本主義国は、高度経済成長の時代を終え、スタグフレーションの長期停滞に突入した。この長期停滞を打ち破る方策が新自由主義的グローバリゼーションであった。この時代の始まりでは、「都市の時代」が語られ,メガ都市が主体となり、そこに国を巻き込みながら巨大イベントを企画・実施する「イベント資本主義」による消費市場の創出が、成長の手法として注目されるようになった。商業主義で巨大化したオリンピックの開催は、その典型である。

維新の万博とカジノ・IRという二つの巨大プロジェクトは、まさに、このイベント資本主義による消費市場の創出だ。人々を一時の饗宴・祝祭に動員する時空間を用意するために巨額の資金が公私の金庫から、かき集められ、つぎ込まれる。一時の感激・快楽を求めて人々は祝祭の場へ自分の懐から金を出して移動し、食い、飲み、歌い、スマホをかざす。人々の感性と意識は、イベント主催者が目指す政治的文化的方向へと誘導されことにもなる。巨額なイベント事業には、無駄な出費や汚職、不正な資金の横流しや横領が付きまとう。巨大事業の「遺産」は、後に残される多額の負債である。

こうしたイベント資本主義は、持続可能な社会・経済の在り方から外れたものであるとの批判が、今や世界の流れとなっている。コロナ渦で、一時の饗宴・祝祭の場に、多数の人を集めることが忌避され、人々の日常生活様式と意識も緩やかではあるが変化して来ている。コロナ感染症流行の中で強行された東京オリンピックは、そのあとに何を残したか。正に、イベント資本主義の虚妄さである。 

大阪・関西万博とIRをめぐる行き詰り現象は、維新政治が時代の流れに追い越されてきた結果なのだ。

維新政治を打ち破る「命と生活が第一」

2023年の統一地方選挙が4月に迫っている。日本維新の会の馬場伸幸代表は、国政で野党第一党に立つためには、統一地方選挙で現有地方議員400議席の1.5倍、600議席の獲得が必要だと主張。立候補者集めに腐心している。候補者全員に「公認料」を支給することや子育て中の候補者には「ベビーシッター代」などを補助するという。

維新政治との闘いの焦点は、やはり、大阪にある。住民投票で「大阪都構想」を打ち破った流れを絶やさないことだ。まずは、カジノ・IR、大阪万博を徹底批判していく活動である。闘いは続けられて来た。

2022年5月、市民5人がカジノ・IRの予定地の土壌対策費790億円の支出は違法であると、土地の定期借地契約の差し止めを求め、監査請求をおこなった。大阪市が「875億円の賃料が入る」と主張するが、事業者の撤退や経営不振で賃料の不払いや値引きが想定され、市の負担増ともなる危険性を指摘していた。

また、「市民団体カジノの是非は府民が決める 住民投票を求める会」は、昨年約21万筆の署名を集め、大阪府に住民投票条例の制定を迫った。直接請求に必要な府内の有権者の50分の1(約14万6千人)をはるかに超える署名数であった。吉村知事は、「必要な手続きは実施してきた。改めて住民投票を実施する意義はない」との意見を付し、府議会で2022年7月29日、維新と公明党によって否決した。しかし、短時間で21万筆の署名が集まったことは、府民の多数がカジノ開設に疑問や反対の意思を持っていることを明らかにした。

さらに、2023年1月16日、市民有志85人が、カジノ・IRの賃料は不当に安いと賃貸契約の差し止めを求めて監査請求をおこなった。通常、土地の評価鑑定では、その土地で想定される最も有効な用途を基に行われる。ところが、市は、鑑定にさいして、カジノ・IRによる影響は「考慮外」にするように指示した。鑑定評価を委託された不動産鑑定業者の4社中3社が「1㎡当たり、月額428円」と同一額を示した。カジノや高級ホテルによる収益などIR事業は、国内では前例がないから、評価から外すように大阪市が指示した結果であるという。この監査請求は、正に、巨大イベント事業に付きまとう公権力と資本による画策された不法・不正行為の告発である。

ところで、万博の目玉として、空飛ぶクルマの日本初の商業運航を目指すという。離着陸の場5か所が候補に上がっている。ドローンを含めて上空は、航空法などによって厳しく規制されている。開発される「空飛ぶクルマ」の技術的完成度がどうかだけでなく、都市上空を低空で飛行する「クルマ」は、この厳重な法の規制をどうクリアーできるかが大きな課題となる。「飛ぶクルマ」の商業運航は、大阪万博を梃に、航空法などの規制に穴を開ける目論見なのだ。地方行政、国、資本が結束し、住民を大動員する巨大イベントは、従来の法制度や慣習に穴を開ける「規制緩和」の機能を持つ。ここでも、住民の十分な監視が求められる。

資材や人件費の高騰もあって、設備建設や各事業運営の入札不成立が続出している。これは、業者側が予定価格を引き上げるための作戦でもある。だから、万博予算はさらに上ぶれすることになる。このことは、巨大イベントが、建築工事費の水準を引き上げるだけでなく、さらに大阪・関西の物価を引き上げていくことになる。こうした万博・IRが生み出している不正義・違法行為とともに、巨大イベントのもたらす様々な影響を人々に訴えていくことが重要であろう。

問題をはっきりさせよう

そもそも夢洲は、ゴミの処分地。中・長期の大阪港湾の事業計画では、コンテナを中心にした新しい物流拠点を整備することであった。それでは資本を一挙に集中して経済の急成長の効果を上げることはできない。短期に大阪の成長を可視化するものとして夢洲に万博・IRを誘致する計画への変更が、維新によってなされたのである。大阪・関西の中・長期的経済成長を見越した大阪港湾整備計画は反故にされ、目新しくキラキラと映える万博・IRの誘致計画への変更。それは、持続可能な経済・社会の発展とは縁も所縁もない「イベント資本主義」なのである。

経済の急成長は乱開発を生み、人々に災禍をもたらす。夢洲での万博・IRの様々な問題点を最も象徴的・集中的に示すのは「夢洲大災害発生」の危険性である。夢洲は、軟弱地盤の埋立地。多数の人が集まるイベント開催に適した土地ではない。島へ行き来するアクセスは、当初計画とからも遠く、貧弱なものである。台風、地震・津波、あるいは大火災が発生したとき、島から脱出するのには困難を極める。消防・救援隊が駆けつける経路は、脱出しようとする人人で詰まっている。夢洲は大災害をもたらすことになる。

さらにまた、カジノは,博打である。博打場に投げ込まれる銭で収益を上げる胴元の業者から、行政が地代や税金等を巻き上げて利益を得るというのは、地方公団体のあるべき姿であるのか。破産的な博打への金の投入や依存症にかかる人とその家族の不幸を顧みず、「博打場の寺銭」で財政を潤すという維新と行政の姿は、時代劇にでてくる悪代官の姿ではないか。こうした不正義を許してはならない。

二つのイベントと並行して、維新勢力は、「大阪の成長を止めるな」の方向として、観光行政(インバウンド)の充実、メディカル産業やITベンチャーの育成・支援、国際金融都市構想などのための法人税軽減策を語っている。こうした経済成長優先施策の対局で、人々の生命、生活,人権が見捨てられてきた。この点を地方選挙の争点に仕上げ行くことが重要であろう。これについて、少し触れておく。

二つのイベントに人々の目が注がれているが、その対極で、防災と老朽化するインフラの改修・整備がおろそかになっている。大阪の街は、台風や津波に襲われれば、中心街は地下街を含めて水没の憂き目にあう。地下鉄、橋、道路、上下水道等都市のインフラの老朽化も進んでいる。こうした点に予算をきちんと回さなければいけない。

また、コロナ感染症の流行で明らかになった大阪の公衆衛生と医療体制の脆弱性である。これまで、維新が進めた命や健康、生活を守るための公共事業のコストカットが、公衆衛生と医療体制の脆弱性をもたらしたことへの批判と改善策は急務である。

さらに、住民の日常生活からは、見えない、見えなくされている人々への反差別・人権確保政策を求めることである。それらは、維新政治の排他的な差別・分断政策の結果、ジェンダー問題や無権利状態に置かれている非正規労働者問題など多岐にわたる。ここでは、幾つかに限って例示する。

朝鮮・韓国籍の民族学校への私学助成の回復を含め、在日・帯日外国人の人権施策の充実は、大阪を世界に開かれた国際都市へと語る以上、欠かせない。従軍慰安婦や徴用工問題に対する、従来の排外的・差別的な歴史修正主義の大阪府・市の姿勢を正さねばならない。

通常の小中、高等学校生への手厚い支援策に比して、支援学校の教室不足等設備面でも教員配置数でも改善が放置されていることへ注視を求めたい。現に求められている支援学校の改善と「支援学校はインクルーシブ教育に反する」という主張と対立させない対策・政策が、ここでは求められる。

まとめて言えば、維新の時代遅れとなった新自由主義による経済成長優先、人権軽視の政治に対して、われわれ住民は、一人一人の命と健康、生活を、人権を第一に置いた大阪を再建する旗印を高く掲げることが求められている。経済が成長すれば、上から下へトリクルダウンで金が回り、皆が豊かになれるという新自由主義の嘘っぱちから、人々が目覚める時が来ているのだ。

維新は、全国展開において大阪の実績を語るが、大阪の二つの巨大プロジェクトが迷走する中で、もはや、議員定数の削減など「身を切る改革」(注2)の実行といったことしか宣伝できなくなっている。2023年統一地方選挙は、維新の虚偽の実績宣伝を打ち破り、古くなった維新の旗印に対峙できる新鮮な旗を掲げよう。混迷する時代にあって、各地方自治体から希望へ道を切り開くため、新しい時代への旗印を掲げよう。

地方自治体は、本来、住民の自治を育て、住民自治によって支えられ、発展させるものであることをどの地方自治体の選挙でもはっきりさせて闘い抜いていきたいものである。

 

【注】

(注1)櫻田和也著 「ポストモダン都市におけるイデオロギーの条件」(「『橋下現象』徹底検討」、インパクト出版、2012年)

(注2)議員定数の削減は、多数勢力が議席を独占することになり、少数の意見や住民の多様性を議会が集約できないことになる。それは、人々の政治への関わりを削りとり、民主主義の豊かさの「身を切る」悪政を呼ぶ。

 

なお、本稿執筆に当たって、馬場徳夫(どないする大阪ネット)さんから、大阪港湾事業やカジノ・IR、大阪万博に関する資料の提供を受けました。文末になりましたが、記して感謝の意を表します。

みずの・ひろみち

名古屋市出身。関西学院大学文学部退学。労組書記、団体職員、フリーランスのルポライター、部落解放同盟矢田支部書記などを経験。その後、社会福祉法人の設立にかかわり、特別養護老人ホームの施設長など福祉事業に従事。また、大阪市立大学大学院創造都市研究科を1期生として修了。2009年4月同大学院特任准教授。2019年3月退職。大阪の小規模福祉施設や中国南京市の高齢者福祉事業との連携・交流事業を推進。また、2012年に「橋下現象」研究会を仲間と立ち上げた。著書に『介護保険と階層化・格差化する高齢者─人は生きてきたようにしか死ねないのか』(明石書店)。

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