コラム/深層
高市早苗の「通称使用の法制化」とは?
それは選択的夫婦別姓を阻止するためのツールだ
本誌編集委員 池田 祥子
2026年2月8日(日)に実施された衆院選で、自民党は小選挙区で249議席を獲得し、比例区を合わせると、316議席。定数465の3分の2を超える結果となった(議席占有率は86.2%)。小選挙区制が導入された1996年以降、いずれも最多である。もっとも絶対得票率は26.9%であるが。
それに対して、今回の選挙直前に結成された中道改革連合(衆議院の立憲民主党と公明党)は、絶対得票率は11.8%。ただし獲得議席は、小選挙区で7、全体で49議席にとどまった(公示前は、立憲・公明合わせて167議席)。
全体の投票率は、53.74%。前回も53.64%だったそうだから、日本人全体の政治意識もこの程度にとどまっているのであろう。
ただし、今回の突然の(「思いつき的」)衆議院解散総選挙については、前々からの疑義がつきまとっている。
一つは、衆議院解散にまつわる権限の根拠である。「法」関係者の間では周知のことであろうが、今回の「衆議院解散」の根拠も、暗黙の裡に、憲法第7条第3項とされている。
第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行う。
3 衆議院を解散すること。
・・・これは、明らかに戦前の「天皇親政」時代の遺制ではないか。
このように、現行憲法にも、本来的に是正すべき条項があるにもかかわらず、これまでは、憲法9条をめぐる大きな「憲法改正/改悪」という政治的課題を抱えている状況の中では、与党も野党も憲法を触ることに及び腰になっているのかもしれない。
それにしても、「任期」が定められている衆議院で、膨大な費用もかかる総選挙。
「解散」されるには相当の理由と根拠が示されるべきであろう。首相一人の「人気度の測定」あるいは国民の「合意とりつけ」などのために、簡単に衆議院の解散は行われるべきではない。したがって、戦後の、この憲法7条に基づく「解散」の悪例は早急に是正されるべきである。
いま一つは、今回でも北海道などで新たに問題にされている「小選挙区制」自体の不公平性である。「多くの投票数が、死票となってしまう」現行の「小選挙区制」の検討も、捗々しく進んではいない。
「選択的夫婦別姓」とは?―「個人」から始まる「共同・連帯」
私は、「現代の理論」の前々号(第42号)において、日本の結婚制度=「家」制度=夫婦同姓制度の歴史を簡単に振り返っている。
明治維新から始まる日本の近代史において、1875(明治8)年、国民すべてに「苗字必称義務」が課せられたこと。さらに1898(明治31)年の「明治民法」によって、「氏」が「家族名」として一般化され、婚姻によって「家」に嫁入りする女は、その家の「氏」を称することとされた。(養子縁組の「婿」取りの場合は、男が家の「氏」を称する。)
その明治民法制定から、第二次世界大戦終了の1945年までは47年、その戦後から今年までは81年。「戦後」がいかに長く続いているかがよく分かる。
もちろん敗戦直後、「明治民法」は改定され、新しい戦後「民法」が制定されている。そこでは、「大家族制度」は廃止され、「一夫一婦」の核家族が単位とされた。しかし「嫁取り」の風習はそのまま継続され、結婚(嫁取り)に際して、女が男の「氏=姓」を名乗る風習は、疑われることなく踏襲されてきた。(しかも、世帯主は原則「男」である。)
幼い頃から身体ごと馴染んでしまう生活上の風習は、それ自体が無意識的に身体化されるために、相対化されるのは難しい。
しかし、「男女平等」思想の下、女性の教育年限の長期化、就労の広がり、結婚年齢の上昇(16、17、18歳から20代初め、さらに24、25歳・・・)、と同時に、就労期間の長期化、また、一方での、個々人の権利意識やフェミニズムの浸透、世界的な「男女平等」施策の一般化etc.と相まって、近年、個人の(つまり「私の」)「氏名」が、結婚に際して変えられなければならないことへの疑問、違和感、抵抗が広がってきたのは当然であるだろう。
誕生の時からずっと、「私は、○○△△だったのに、なぜ、結婚したら××△△にならなければいけないのか。個人的にも、周りの人々にとっても、私はずっと○○△△だったのに・・・」
こうして、日本に長く続いてきた「家族同氏(姓)」の制度が持つ「強制性=抑圧性」、つまり「女性差別」性が自覚化されクローズアップされてきたのである。しかも、見渡してみれば、「結婚に伴う同姓の強制」は、日本だけだという!
ただし、自分の生まれた時からの「名前(氏名・姓名)」をたとえ「愛ある結婚」に際しても変えたくないと思うのは、どこまでも「個人的な願望」である。中には、結婚に際して、愛する夫と「氏=姓」ごと同一になりたいと願う女性も少なくはないだろう(いや、未だに多数かもしれない)。だとすれば、そのように願う人々の思いまで、否定するつもりもないし、権限もない。
こうして、登場してきたのが「選択的!」夫婦別姓・・・という願いと主張なのである。「選択的」とは、何と、個々人に即した「柔軟かつ、つつましい」要望であることか・・・。
しかし、この「つつましい!」「選択的夫婦別姓」の要求や運動に、片や、激しい反対論も存在する。
例えば、八木秀次(麗澤大学)は、「夫婦が別姓になれば、子供は両親の一方とは姓が異なる。親子別姓だ。そうなると共通の姓が存在しない家族が生まれる。姓は法制度としては家族の呼称ではなく個人の呼称の一部となる。/これは全国民のファミリーネームの廃止を意味する。それが家族の帰属意識や一体感の毀損につながる。」(産経新聞、2025年3月12日「正論」)
見ての通り、この八木の激しい反対論は、日本の「家族主義」擁護の、さらに彼自身の「男性性」が付加された一方的な感慨である。嫁になる女性が、人生の途上で「姓」を変えることの理不尽さや不都合、ある意味では「人権」にも関わることにいささかも思いが至っていない。というよりも、気づいてもいない、というべきだろうか。
また、例えば、次のような事例もある。これまで、子どもたちは、母方の祖父母とは、姓が異なる、つまり、祖父母―孫関係では、母方とは「姓」は異なるが、「祖父母-孫」の関係性からすれば、父方、母方の双方でも変わることはない。
さらに、私の父(元の氏名は李祥雨)の弟は李徳雨、妻は金容順である。その二人の間に4人の子どもが居るが、「家族」の存立そのものや「親子の愛情関係」に何の支障もないことは明らかである。結婚時点で「女性」の姓が「男性」の姓と同一化することが強制(法規定)されているのは、世界でも日本だけ!・・・という事実にも、「日本人」として改めて謙虚に向き合うべきではないのだろうか。
高市早苗首相の「通称使用の法制化」―日本の「家族主義」の死守?!
ともあれ、高市早苗は、かつての安倍晋三路線の継承者であることを旗印にしている。「日本的家族主義」を守る!という点でも、安倍晋三同様、高市早苗は強固である。
もともと、「選択的夫婦別姓」をめぐる歴史は、国連の「女性差別撤廃条約」(1979年採択)に日本もまた批准したことから始まっている(1985年)。その後、法務省の法制審議会が「選択的夫婦別姓」制度の導入を求める「民法改正案」を答申している(1996年)。ここまでは、日本の対応も、極めて誠実であり良心的であった。
ところが、自民党は、その法制審議会の「答申」を「棚上げ」し、何とその後「知らんぷり」を決め込み、30年もの歳月が流れてしまった。その間に、国連の「女性差別撤廃委員会」による「選択的夫婦別姓制度の導入」に関する勧告は、2003年、2009年、2016年と続き、さらに一昨年2024年にも、対面審査を伴う勧告が出されている。
そのような「停滞状況」に、意外なビッグニュースが飛び込んできた。それは、2024年6月10日、経団連の「提言」(「選択的夫婦別姓」の導入に必要な法律の早期改正を求める!)である。そこでは、妥協的に用いられている「通称使用」が、国内的にも、国外ではなお一層、不正やトラブルを起こしやすいこと、等々が挙げられている。
しかし、自民党内にも何人かの「選択的夫婦別姓」制度への賛同者が手を挙げたけれども、高市早苗首相の登場、および直近の総選挙での「2/3」以上の議席の獲得という結果になった現在、「選択的夫婦別姓」の実現は残念ながら遠のいたと言わなければならないだろう。
それに代わって、高市首相の主張する「通称使用の法制化」が、すでに「男女共同参画会議」にも、十分な議論もなく持ち込まれたと指摘されている(連合の芳野友子会長、上西充子法政大教授など)。今後、さらにその実現に向けての動きが早まることであろう。
しかし、女性の「通称使用」そのものが、現行の「結婚による氏・姓の同一化」という制度を前提にした上での、女性たちの「妥協策」でしかないことを、高市早苗はどこまで認識しているのだろうか。そしてまた、それは、一人の女が「結婚姓」と「旧姓=通称の姓」という「二つの氏・姓」を使い分けるという、どこまでも「ややこしい愚策」でしかないことを、承知しているのだろうか。
いまや「女王様」然とした高市早苗首相に、「通称使用の法制化」など、何の意味もないこと、現実をただ混乱させるだけであることを、率直に「モノ申す」自民党議員が、はたして居るのだろうか・・・寂しい現実である。
いけだ・さちこ
1943年、北九州小倉生まれ。お茶の水女子大学から東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。元こども教育宝仙大学学長。本誌編集委員。主要なテーマは保育・教育制度論、家族論。著書『〈女〉〈母〉それぞれの神話』(明石書店)、共著『働く/働かない/フェミニズム』(小倉利丸・大橋由香子編、青弓社)、編著『「生理」――性差を考える』(ロゴス社)、『歌集 三匹の羊』(稲妻社)、『歌集 続三匹の羊』(現代短歌社、2015年10月)など。
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