論壇
テキヤ政治家・倉持忠助の「電力問題」(下)の②
フリーランスちんどん屋・ライター 大場 ひろみ
『市電の危機』
「テキヤの電力問題」に取り組んで、電気に関する知識を得たであろう倉持忠助は、東京市会議員になってから、東京市電気局の赤字に関して斬り込んだ。
とはいっても、彼が実質経営していたといわれる『上野浅草新聞』は閲覧する機会がないので、彼の著作(というよりパンフレット体のものである)『市電の危機―東京市政の黒幕をあばく』(1934⦅昭和9⦆年)掲載の『上野浅草新聞』記事や演説会での演説から見るより他ない。
それによれば、東京市電気局の赤字は年額1932(昭和7)年で300万円、33年で750万円、34年で1000万円の欠損と増大する一方であった。
倉持は赤字の理由を、「財界の不況、省線高架の完成(上野―秋葉原―東京までの中央線・山手線の高架化を指す)、地下鉄の伸張(現在の銀座線)、自動車自転車の発達、電気局被服工場、機械工場其他の人件費の膨大等々々」と挙げる。この部分の文章の書かれた32年は昭和恐慌の末期であり、第1次上海事変、血盟団事件(前蔵相井上準之助や三井の團琢磨殺害)、5・15事件と戦争やテロが相次ぐ、不景気で血生臭い年である。一方交通手段はどんどん発達・多様化し便利になっていった時代でもある。他、33年の文章では、「公債利子の幾倍増」を理由に挙げている。「以上種々なる原因の下に、路面電車は世界的に行詰っていると云われている」が、赤字の解消のため1800人の従業員の首を切るという方針に倉持は猛反発し、赤字の一番の理由として、電力購入価格が高額であることを強調した。
電力の高額であることを巡って、彼のいうところの要点をまとめると、三つになる。
一つは、高い電気料金の仕組みを理解するため「電気を知れ!」ということ。二つ目は対策として「電気を自営せよ」、三つ目は高い電力の「黒幕をあばけ!」である。
「電気を知れ!」
まず本の序に「今日以後の我々の生活は、全部電気に依て支配されるといっても過言ではありません。ところが今日その電気に依て、怖ろしい搾取を受けて居り、それが不当なものである以上、電気なるものの正体を見極めて」「先ず電気を常識とせよ」とくるので、何だか昭和初期というより、今の自分が言われているみたいだ。
電気がどのように出来て、どのように運ばれるのかを知るのはそんなに難しいことではないが、コストの計算方法は今でも確立されておらず、電気料金の決め方も、納得するのは難しい。例えば、資源エネルギー庁の電源別電力コストの説明を見て、原発の事故や廃炉の費用、将来にわたる環境への影響について見積もっていない計算に納得できるだろうか?
また同じく資源エネルギー庁の、2030年エネルギーミックスが達成された状態を想定して、コストを見積もる案も再生可能エネルギーが増加すると発電量が変動的なため、蓄電池などの設備コストが必要になる。長期的には投資の見込みが立ちにくいため、資本家が資本投下の高いベースロード電源から逃げる。そして「資本費が低く可変費が大きいピーク電源が増えるため、価格変動幅は非常に大きくなり、電力価格が高くなる」のを前提にして案を立てる(2021年検証段階)。つまり再生エネをお荷物扱いである。本気で環境問題に取り組むつもりがあるのか問い正したくなる。
まことに、電気を知り、騙されないようにするのは今でも難しい。倉持の指摘は今こそ生きている。
とはいっても、現在と比べて、昭和初期の電源構成はシンプルである。
『関東の電気事業と東京電力 資料編』の府県別発電所一覧によると、関東圏の電源は、東京府では水力が5か所(西多摩郡3、八丈島2)、島嶼部(大島、新島、三宅島、神津島)では火力(石油)を用いて小規模発電をしているのが特徴的だが、他は全て火力(石炭)であり、千住(お化け煙突で有名、東京電灯)、芝浦(東京市)、隅田(鬼怒川水力から送られる電力が渇水期に減ずる時の補充用として建設)が規模が大きく、他の中小規模発電所も含めて、その電力は東京電灯と東京市が売電として、並びに東京市や各企業の電気軌道などが主に使用する。つまり都市で地産地消する構造である。千葉県は水源が乏しいのか、水力が少ないが、火力(ガス)の利用が多く、規模もごく小規模なので鉄道が使用する以外、例えば工業利用は進んでいないと推測される。神奈川県で川崎(鶴見、瀬田)など、茨城県で日立の中大規模火力(石炭)などが稼働している以外は、埼玉、栃木、群馬、山梨、静岡、福島、長野、新潟県までほとんど水力発電であり、特に大規模発電は高圧電線で東京や横浜・川崎近辺へ運ばれるのが、1929(昭和4)年の送電系統図で見てとれる。地方で生産した電気を都市部へ運び、消費する。原発以前に水力利用によって、地方を電力植民地にする現在の構図が既に確立されていたことがわかる。
その点を倉持が自覚していたかどうかは後述するとして、彼の論点はまず鬼怒川水力からの買い取り価格の高さから始まる。
前述した通り、東京市は電気を1913年から鬼怒川水力電気から買い取っており、32年までは購入電力の70%を鬼怒電が占めていた。その価格が10年契約で1kWhあたり2銭5厘だったのを、28年12月東京に乗り込んできた日本電力と2銭2厘8毛の契約をした。そのため鬼怒電との契約も同額に下がったが、33年の更改に向けて、東京市は鬼怒電から年間1kW102円以下で買うと議会に提案したのを、高いと倉持は批判している(32年7月記事)のだが、わかりにくいのでその先も含め『関東の電気事業と東京電力』に拠って事情を説明する。
東京市はそれまで電気を鬼怒電(37000kW)=年額1kW118.84円、東京電灯(12000kW)日本電灯(4000kW)=98.77円の卸価格で買っていた。更改を前に32年7月、東京電灯、日本電力、鬼怒電の3社に対して1kW年額102円以下、容量1万kW以上で引き受け条件の提示を求めた。倉持はこの時点でのことを言っている。日本電灯が早々に契約締結してしまった後、すったもんだあって、結局3社一律年額98.77円、鬼怒電18000kW、東電12000kW、日電23000kWで契約して、1kWhあたり2銭5毛(負荷率55%)となった。だいぶ安くなったようだが、倉持は、これで142万円以上の節約となってもまだ電力は高いというのである。
1930(昭和5)年3月、倉持ら市の電気予算委員会は関西各都市を視察した。これを「大名旅行」だなんだと批判されながら、倉持が「忍従して調査してきた」という事実の1つは、東京電灯が、「電力戦」(注1)の協力なライバルであった京阪・北陸拠点の大同電力から「東京に進出しないという条件付きで特に高く買っているのが65円」。表面価格は年間kW85円だが、桃山発電所から塩尻まで大同電力が引いた送電線で送られてきた電力は、その先東電の送電線を通るので送電費用を東電が大同から戻され実質65円となるという。また大同が傍系で作った天竜川電力は釜無川で東電向けに電力を流していたが、天竜川が大同に売る電力は年kW45円である。
ここで更に電気を作り運び維持するコストの問題になる。倉持は「越中の山奥から変電所を置き送電鉄塔を継ぐ、これが1哩7万円と資本家のいう儘にしても、総額千7,8百万円で、而もこれが常時50万キロ(*この数字はよくわからない)送電可能の設備で、おまけに50年が寿命であるとなれば一体いくらの計算になるのだ」と問う。その上、需要家が設備費一切を持って最高kWh16銭(電灯)の電気代は、「実に驚くべき高値である」。今日の電気料金の仕組みとは違うが、33年に採用された「総括原価方式」も、原価に利益率3%を乗せるという、資本家にとって常に利潤が保証される損のない制度で倉持のいうのと変わらない。ちなみに1銭が現在に当てはめていくらかを計算するのは難しいが、仮に30円位と見積もると、kWh16銭は480円となり、現在の売電基準の31円と比べてべらぼうに高いことは確かだ。
実はこれより前、電気料金値下げの運動は全国で展開されていた。
1928(昭和3)年、これより10年前に「米騒動」の発生地となった富山の滑川町や東水橋町などが中心となって、富山電力(大同電力傘下)に対して「電灯争議」が起こった。当時16燭光で月額70銭(設備損料別)という他県に比較しさらに高い料金を、水力電源に近いにもかかわらず徴収され、資本家が高い配当を得ていることに憤って、3割5分の値下げ、電気町営を目指すことなどを要求して、「電気料金値下期成同盟会」を結成し、電気料を支払わず供託したところ、会社は断線するなどの強硬手段に出た(滑川町では、最初に断線にやって来た工夫が、「約50名の女房達に取り巻かれて袋叩きにされんとする」)。町民はレンタルであった電気器具の電球を会社に返し、町にランプの灯りを供出させなどして自衛、民主的な集会と宣伝、声明を繰り返して闘った。たちまち闘いは富山全体や石川県にも拡がったが、最終的には知事の一任となり、1割3分7厘の値下げなどで決着することとなった。同盟会は要求とのあまりの乖離への遺憾と「正しき経済組織の改革を量らん」と声明を発表、滑川町はあくまで電気町営を主張して同盟会も退会していたので、「横暴なる富電」を指弾し、町営の実現を目ざすことを宣言した。
運動は大阪、静岡などへも飛び火し、関西圏内の電気料金値下げにつながった(以上『富山電灯争議の真相』安倍隆一⦅堂前事務所⦆参照)が、関東圏でも神奈川、茨城、千葉などで展開され、いささか電気料金が引き下げられた(『東京電力』)。
『富山電灯争議の真相』では、最後に東京電灯の儲け率を元債と比較して表記している。
即ち、「発電元債1キロ1銭二厘3毛 買入電力元債1キロ1銭7厘8毛 …電灯(家庭電熱を含む)1キロ14銭」。このボロ儲けを目当てに各会社が「電力戦」を繰り広げながら生産量を拡大に次ぐ拡大を繰り返し、利益を莫大に上げている。「それも既定のボルト(百ボルト)より電圧が常に低下している」ような水増し電気で。当時は電圧が不安定だったのだろうか。
ともかく、倉持の電力に対する認識は、独自のものでなく、社会問題として顕在・共有化されていたのだ。
「電気を自営せよ」
富山・滑川町のラジカルな人々が電気町営を目指したのと意を同じくして、倉持も自営を主張した。その根拠は関西視察で目にした、京都市の電気自営(事業体としては「京都市水利事務所」)である。
琵琶湖疎水を利用した蹴上水力発電所と蹴上インクライン(船を運び上げる水上の軌道)は、アメリカを視察した田辺朔郎のアイディアで発案された。1887(明治20)年の東京電灯による初電力供給に遅れること4年、日本初の水力発電所とその電力を巻き上げに利用したインクラインの営業が1891年暮れにスタートした。京都でも1889年7月、京都電灯という電灯事業会社が京都政財界有力者や市民の出資で開業(88年)、火力による送電を開始していたが、市への電灯供給は当面こちらへ委託した。他ほとんどの電力は動力用として、発電機の直流から交流への変更、増台、変電所の設置などによって紡績、紡織など、そして京都電気鉄道(1895年開業、民営から後市営へ)への供給を増やしていった。また1914(大正3)年には夷川、伏見水力発電所が建設された。市は直接の電灯供給も始め(1912年募集開始)、東京の三電競争の如く、京都電灯との熾烈な値下げ陣取り合戦が繰り広げられたが、1915年裁定が入り、供給区域は市を二分、協定料金は定額16燭光65銭、従量制1kWh13~8銭と全国的にも最も安い水準であった(それ以前、市の料金は定額16燭光45銭、従量制kWh5.5~1.8銭である!)。
値ごろな電気料金が需要をどんどん増大させ、収入はうなぎ上りだった。市営電気事業は「消費地に立地し、発電コストの安い新鋭水力を擁し、新しい料金算定方式を用いて、全国的にみても最も安い電力供給を実現して以来、料金の低廉化に努めてきた」(『琵琶湖疏水の百年』京都市水道局)。値下げはしても上げることはなく、公債を償還しながら市財政への繰り入れも行うほど順調な経営を、倉持は学んだ。琵琶湖疏水は灌漑、水道、水運、電力供給と、何重もの暮らしへの貢献を担った、公共事業としてお手本のようなインフラである。
倉持は蹴上発電所について「此処の生産原価は、普通株式並に減価償却20年と見て、1キロ2厘乃至3厘とは京都市理事者が公然と発表していることなのだ」という。
水力を自営せよという倉持の主張に対して、火力の方が安いから作れという市議に反論し、倉持は火力と水力の利便性について比較してみせる。それを要約すると以下の表になる。(注2)
| 発電方式 | 火力 | 水力 |
| 設備費 | 安い | ダム建設に費用がかかる |
| メンテナンスと寿命 | メンテナンス・修理が日常的に必要で耐用年数が短い(例えばボイラーは7年) | 一度作れば寿命が長い |
| 燃料費 | 石油は高い 石炭は相場が変動し高い(上乗せされた値段で売られる) | 水はタダ |
| 供給安定性 | 安定供給でき、随時発電が可能 | 渇水期があり安定供給できない |
| 結論 | 火力は水力の補助として使うべき 実際電力会社はそうして使っている | |
その上で、大東京になり(人口が増大)、「どんどん水道は拡張せねばならぬのだ。その結果として電気も起せる」、つまり二重のメリットがある。しかし倉持はコストや利便性ばかりを問題にしているのではない。
「電気は水と等しく民衆を露おすべきものである。何故かなら、水力電気は、地勢に依て生ずる天与の賜である。即ち国家的の大利益であり、此の自然の恩恵は国民全体に均霑さるべきである。これに若干の人工的設備をしたからといって、他の営利企業と同日に論ずることは出来ぬ。天界を私することは許さるべき訳がない。当然これは公共事業として、その正体を明々白々にしつつ、進展すべきである。」
これは宇沢弘文の唱えた、「社会的共通資本」としてのインフラの定義(注3)を先取りする考え方である。
倉持は市議会で電気の原価を問い正し、「原価計算」というあだ名を付けられたが、「現在の処では、電力会社が自ら電気事業が公共事業であることを自覚し、その使命の下に、電気の生産費原価を明示することは、到底望み得ない状態にある」ので、「生産費原価を現わすことは、東京市の如き自治団体が、身を以て体現することに依ってはじめて成し遂げられることであり、これこそ崇高至大な公共的大使命であるべきである」と主張。自治体の使命を公共性の追求(当たり前だけど)に求めた、それこそ崇高な宣言ではないだろうか。重大事故を招いても原発の再稼働に邁進する「貪欲な利殖鬼」である電力会社や、それを支える自治体の面々に、倉持の爪の垢でも飲ませたい。
「黒幕をあばけ!」
倉持は「電気自営」について、東京市がその前から自営を試みていた例をも挙げている。
関東水力電気は1928(昭和3)年開業の佐久発電所(30年最大出力55000kW)を擁していたが、竣工前に東京市と買収契約を交わしていたといい、証拠に倉持は1925年3月の東京市と関東水力電気の契約書を挙げている。この買収が成功していれば「京都市並みに1キロ3厘で発電出来た」のに、「此の買収問題に絡んで不正でもあるかの如きデマが飛ん」で市会の反対に遭い、その後「某大電力会社の買収するところとなってしまった」(東京電灯のこと。実際は買収はしていないが株式の14.5%以上取得、電力のほとんどを買い上げた)。市会で反対の急先鋒は入山市会議員弁護士であり、現在東電の最高法律顧問に成りすましていると倉持は指弾する。
また自営ではないが、1933年3月、天竜川電力(現矢作電力)から安く電気を買おうとしたが送電線が横浜までしかなく頓挫。
曰くまた、33年11月現在で、多摩川水力電気(氷川発電所31年開業、出力4000kW)の買収計画があるのに、買収額410万円が高いと反対する議員がいる(結局買収計画は成らず)。
倉持は様々な反対にあう背後に電力閥の策動をみる。多摩川水力の買収に関し、「電力統制の政治的勢力」が東京市に先んじて大きな出力で請願を出したら争いになると憂慮しているが、電力統制とは、倉持にとっては「五大電力の統制という、電力会社の結束があり、茲に厳然たる一つの電気王国を形成している」と五大電力(東京電灯・東邦電力・大同電力・宇治川電気・日本電力)のカルテルのようなものを指すらしい。が、電力統制は電気事業の整理・統合と共に規制を加える国策として論じられた。
「電力戦」と、その後の各地における電気料金値下げ運動とが、皮肉にも電力統制の波を引き起こした。1926年に野党の政友会が電力統制論を発表。27年には若槻内閣に臨時電気事業調査部が設置された。29年、政友会の田中内閣下で臨時電気事業調査部が設置される。27年の調査会メンバーは官僚2、学者1名の他は電気事業関係者7名他である。29年は逓信大臣が会長、官僚、学識経験者、電気事業関係者で占めている。今でも何とか調査会は利害関係のある人間が中心になるから、好き勝手言う場になるのは当然じゃないかと思うが、その後32年末に改正電気事業法が施行され、「電気料金が従来の届出制から認可制に改められたこと、供給区域の独占を認める行政方針と対応させて電気事業に供給義務が課せられたこと(『東京電力』)」などが定められた。結果、電力会社の統合と国家管理を推し進め、その後の戦時体制における42年の配電統制令(国家による電力運営管理。電力事業の地域ブロック化が戦後の9大電力となる)につながった。勿論東京市電気局も京都市水利事務所も、この波に吞み込まれて消えた。
小河内ダム
倉持は東京市の電気自営に関して、「水道第2期拡張計画、4950万円の起業に依て、副産的に電気を起そう」という、小河内ダム計画を最も力を入れて論じている。「奥多摩小河内村に大ダムを作り、常時66億立法尺の水を湛えるという山口貯水池(*東京市水道局1934年竣工)の10倍にあたる大貯水池を作るのだ。此の貯水池を利用し、常時1千立方尺の水を落して全くの副産物として電気を生ぜしむる計画」に対し、商工省の地質調査もクリアしたところが、内務省が、地盤が悪いから半里下ったところでなければ許可しないとケチをつけた。そんな下に作ったら2百万円も余計にかかって電気出力も期待通り見込めず大幅欠損というので、「奇怪なり内務省」と憤っているのだ。倉持はこの妨害も「電力統制側の偉大なる政治勢力」が動いたと推測しているが、結局1926年の候補地調査に始まって38年起工式、43年にアジア太平洋戦争の激化によって工事中断、57年に竣工という経過を辿って、今も貴重な東京都の水がめであり、同年多摩川第一発電所(最大出力19000kW)も開業して倉持の念願もかなった。この時にはもう彼はこの世におらず、電力もこの程度では雀の涙と化していたが、目にしていたらどんな思いだったか。
しかし水力のメリットを強調する彼の考慮していなかった問題として、ダム建設による土地収用が、東京府小河内村、また山梨県丹波山村、小菅村の人々にのしかかっていたことについて触れないわけにはいかない。
小河内村の人々が、東京市の水源確保のために、ダム用の土地買収を巡って、翻弄され壊滅していく過程を、リアルタイムに、そして冷徹に描き出したのが石川達三の小説『日蔭の村』(1937年)だ。31年6月から始まった村への東京市水道拡張課長による土地収用の働きかけに対し、村長は、水道の重要性、村を犠牲にすることの意義を「大乗的見地に立って」村議会を説得して答えたが、倉持のいう「内務省による計画の変更指示」や、多摩川水系を利用する神奈川県の反対などにより、遅々として進まないこと6年。その間に養蚕や炭焼き、林業、麦畑などで成り立っていた村の経済が工事計画に振り回されて放棄され、無気力になった村民を金融業が入り込んで高利の借金漬けにし、土地を担保に取り立てる、土地に執着するものは発狂し家に火を付けるなど、惨い有様で村は崩壊していくのに、倉持のような東京市民の目は行き届いていなかった。
村の青年が恋人に言う。「僕は自分ひとりでこの村に日蔭の村という名をつけているんです」「東京という大都市が発展して行く、すると大木の日蔭にある草が枯れて行くように小河内は発展する東京の犠牲になって枯れて行くのです。」
恋人は日蔭に住みたくなかったので村を出て行く。が、出て行けばいいのでなく、東京の日蔭にならなければこの村は平穏に暮らしを守っていけたのだ。
また或る青年は「われわれが村を犠牲にして立ちのくのは東京市民の生活のためだ。しかるに東京市民はわれわれの苦労を全然知りはしない」と訴えるが、多くの村民は生活に悩むばかりで東京市民の反省などはどうでもよかった。しかし、「生活即政治」がモットーの倉持には、この村民の「生活」を望む声こそが届くべきだった。彼の活動の限界は都市下層民までであり、彼等に安価で便利な都市生活を提供することで想像力は終わっていた。
この小説は、水力発電の計画には触れていない。あくまで水源としての利用目的しか描かれていないが、そこまで到れば村民の立場はもっと悲惨である。彼等には電気もガスも届いておらず、ランプで生活していた。
待たされた挙句、法外に安い土地買収価格を東京市から提示された村民は絶望する。
「もはや東京市の勝ちであった」「買収される方に三分の弱味ができているのだ。いやだと云えば土地収用法が発動されるという。始めには三拝九拝して納得させ、東京市の恩人などとおだて上げて、次に袋の鼠と追いこみ、最後に首ったまをつかまえて有無を云わせず引きずりまわす、それが慣用手段であった。」
多くの人には、成田闘争が、各地の原発建設が、そして昨今の再開発事業が目に浮かぶだろう。しかし私は水道水を飲み、電気を豊富に使う。だからこそ、小河内村の人々に対して「尊い犠牲」などというつもりはない。「惨い、あってはならない犠牲」だ。少なくとも最初はダム計画に進んで協力したのに、進め方が村民の存在を置き去りにしていたので起きなくてもいい問題が起きたのだ。何度も陳情に行く村長の声を東京市側は無視した。多くの再開発問題の事案は、住民の声を無視することに端を発する。また膨張する大都市と枯れる小自治体の構図は、金を巡って食いつぶす貪欲な資本主義の結果でもある。公共事業のあり方を、「社会的共通資本」(人が人として暮らしていくための基盤)として考え直したい。
(注1): 「電力戦」とは、第1次大戦後、水力による電源開発が加速し、供給が過剰になった結果、電力会社が供給先と供給量を争うようになったことをいう。1924年以降は送電線も15万4千Vの長距離高圧送電にまで達し、大同電力と日本電力が中部の山から京浜方面まで電線を伸ばしてきたのが、関東圏での主に東京電灯との「電力戦」の始まりである(『東京電力』)。
(注2): 現在の観点からいうなら、水力の開発による土地収用や環境破壊(「小河内ダム」の項を参照のこと)、また火力(特に石炭)の公害(実際浅草火力発電所⦅1895年開業⦆の建設に当たっては煤煙の懸念により住民の反対運動が起き、煙突の高さは60mになった)に対する検討も必要だろう。
(注3): 「社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する」(宇沢弘文『社会的共通資本』岩波新書)。つまり「人が人として暮らしていくための基盤」であるが、自然環境、社会的インフラ、制度資本の3つのカテゴリーに分けられる(水力発電はこの3つにまたがっている)、さらにその要件を4つ定義するが、中でも要件の3,「社会的共通資本は、たとえ私有ないしは私的管理が認められているような希少資源から構成されていたとしても、社会全体にとっての共有の財産として、社会的な基準にしたがって管理・運営される」(石川幹子『緑地と文化』岩波新書)が、倉持の考えと通じている。
おおば・ひろみ
1964年東京生まれ。サブカル系アンティークショップ、レンタルレコード店共同経営や、フリーターの傍らロックバンドのボーカルも経験、92年2代目瀧廼家五朗八に入門。東京の数々の老舗ちんどん屋に派遣されて修行。96年独立。著書『チンドン――聞き書きちんどん屋物語』(バジリコ、2009)
論壇
- 韓国オプティカルハイテック争議の現局面朝鮮問題研究者・大畑 龍次
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