特集 ● 歴史はどう刻むか2・8総選挙
プーチンとトランプによる二つの「時代転換」
ドイツの兵役制復活と巨大な防衛予算
在ベルリン 福澤 啓臣
1.新しい兵役制度
ドイツ連邦軍の現在
2.軍事ケインズ主義
兵器の時代転換:戦車からドローンへ
3.崩壊寸前の大西洋同盟とヨーロッパの混迷
4.欧州、つまりドイツがたどるべき道
5.トランプ政権とグリーンランド領有
プーチンのウクライナ侵略戦争は4年を経過したが、終結の兆しは一向に見えない。このヨーロッパの安全保障体制を根本から覆した戦争に対応するために、ドイツは今年から兵役制を復活させた。加えて、軍事ケインズ主義とも呼べるほどの巨大な防衛予算を組んでいる。
一方米国のトランプ政権は、昨年末に「安全保障戦略」を発表したが、その内容は、懸念されていた大西洋同盟の解消を示唆するものだった。それだけでは終わらず、トランプ大統領は、グリーンランド領有の意向を示し、NATO体制の根幹を揺るがす発言を繰り返している。そのため、メルツ政権は綱渡りの対応を余儀なくされている。
1.新しい兵役制度
ドイツ連邦共和国(以下ドイツ)は、今年1月1日から兵役制度を復活させた。ただ、この新しい兵役制は、2011年まで実施していた男子全員を対象とする徴兵制とは異なり、志願制を基本としている。
新しい制度では、2026年1月から18歳のドイツ人の若者全員に質問票を送り、軍務の意思があるかどうかを確認する。男性には回答義務があるのに対し、女性は任意回答になっている。そのうち女性を含めて、兵役志願の意思を示した者について、健康診断や能力テストなどの適性検査を行い、適格と判断された者が兵役に就く。最初の志願兵は26年の春頃から訓練に入る予定になっている。
新しい兵役制は、期間は6ヶ月で、支給月額の2600ユーロ(1ユーロ=160円で換算すると約41万円)に加え、宿舎、食事、装備、保険などの現物給与が受けられる。制服着用時の鉄道無料乗車もある。社会保険料の負担がほとんどないため、手取額は2300ユーロ(37万円)ほどになる。兵役期間を12ヶ月以上に延長すると、大型車免許取得や大学進学などの支援プログラムが受けられる。参考までに自衛隊における初任給は、高卒でおよそ20万円程度である。
ドイツ連邦軍の現在
現在(2025年)のドイツ連邦軍は、約18万4千人規模の職業軍隊である。冷戦終結の後、徴兵制は段階的に縮小され、2011年に停止された。その結果、兵力規模は大きく縮小し、現在に至っている。日本の自衛隊(22万人)と比べてもより小ぶりである。冷戦直前の1989年当時(旧西ドイツ)は約47万人で、正規兵のほぼ半数、約20万5千人を徴兵で賄っていた。
NATOの欧州加盟国の中では、トルコ(正規兵約65万人)に次ぐ規模の通常兵力を有し、第二の軍事大国であった。メルツ首相は、ドイツ連邦軍を欧州第一の通常兵力を擁するようにすると表明しているが、冷戦時代に戻るような強大な軍隊は想定していないようだ。政府の計画では、10年後の2035年に正規軍26万人を目指している。今年はまず2万5千人を集める。
新しい兵役募集の条件で、果たして十分な志願者が集まるのか、懸念されている。志願者の母集団から試算してみよう。それが結構複雑なのだ。ドイツは移民社会である。全人口8350万人(2025年現在)は明白だ。その内1400万人が外国人で、さらに1300万人が「パスポート・ドイツ人」と呼ばれる移民系のドイツ人である。生粋のドイツ人は、「バイオ・ドイツ人」と呼ばれている。
すると、兵役の登録対象となるドイツ人の数は、バイオとパスポートを合わせて6950万人になる。その内18歳人口の男子は約35万人になる。健康状態による不適格者を除くと、30万人が登録義務の対象になるだろう。そこから最低2万5千人が志願すれば、目標は達成される。
言い換えれば、登録対象となる若年男性30万人のうち、1割に満たない若者が志願すれば、当初の目標は達せられる。ドイツ安全保障研究所や国防大学の試算でも、十分な志願者が集まるだろうという見方をしている。その上、既に連邦軍は長年男女混成部隊を運用しているので、女性も志願できる。
世論調査では、概ね60%以上の国民が兵役制に賛成している。30歳以下の世代では、60%が反対しているが、30%ほどは賛成している。この数字から見ると、2万5千人の募集人員は集まるのではないだろうか。
もし2万5千人が集まらなかったら、抽選で徴兵することになる。CDU/CSUの中には、以前のような徴兵制を復活させるべきだという意見が強くあったのだが、この志願制プラス抽選案(デンマーク・モデル)を、ボリス・ピストリウス防衛大臣が強力に推薦し、押し切った。平和な社会環境のもとで成長してきた若者を、強制的に徴兵することは、社会的に混乱を引き起こすだろうから、国民、特に若者層を説得しながら、増やしていくという考えが通ったのだ。NATOが要求する数は、2035年までに最低6万人だが、そこに達するには数年かかるだろう、と国防省は見ている。
ドイツの軍隊の入隊式では、「祖国ドイツに対してではなく、自由と民主主義を守るためである」と宣誓する。パスポート・ドイツ人も兵役に志願できるので、「祖国ドイツのために」の宣誓では、しっくり来ないのは理解できる。それと、ドイツの基本法(憲法)では、ドイツ人だけを特別に扱う(優先する)ことは許されていない。だから、入隊式での宣誓も「自由と民主主義を守るために」となるのだ。
それに、「ウクライナの人々は、自由を守る最前線で戦ってくれているのだ。そしてそれは、ひいてはドイツのためでもある」とメルツ首相以下、多くの政治家が繰り返し示してきた共通認識に沿うものだ。
このようにドイツ社会では、祖国や愛国心は匙加減を必要とするテーマだ。人類史上最大の悪行とされているナチスのユダヤ人大虐殺は、祖国愛を極限にまで突き進めたナチズムの政治・社会体制によって蛮行された。そのため戦後長い間、左翼系の国民は愛国心に距離を置き、たとえ持っていたとしても公では示さないで、心の奥にしまっておいた。
筆者は覚えているが、1990年の世界サッカー選手権大会で、ドイツが優勝したとき、左翼の友だちがドイツのチームを応援し、ゴールごとに一憂一喜していた。そして、このような「自然な愛国心だったら、許されるだろう」と言い、「健全な愛国心」があるのだと再確認していた。
最後になったが、ボリス・ピストリウス(66歳)国防大臣を簡単に紹介する。1976年、つまり16歳でSPDに入党した大ベテランである。今回のメルツ新政権にショルツ内閣から続投している唯一の大臣だ。2023年に国防相に就任して以来、歯切りのよい発言をする実務家肌の政治家として評価が高く、政治家人気バロメーターでは常にトップクラスに位置している。昨年の総選挙では、SPDは不人気なショルツ首相の代わりにピストリウスを立てるべきだ、という声が高かったが、本人は辞退した。
2.軍事ケインズ主義
プーチンによるウクライナ侵攻を受け、当時のショルツ首相はいみじくも「時代の転換」を宣言した。すなわち、ドイツはそれまでの「平和の時代」から「戦争を前提とする時代」に移行したのだ。そのため、まず特別会計で、総額1,000億ユーロ(16兆円)を国債で調達し、連邦軍の装備近代化のために特別基金を創設した。通常の国防予算も2022/23年の500億ユーロ(8兆円)から、25年には624億ユーロ、26年には827億ユーロ、27年には933億ユーロ、28年には1,365億ユーロ(22兆円)へと段階的に増額する計画である。
さらに25年には、メルツ首相が就任前まで「債務ブレーキは緩和しない」と明言していた方針を突如大転換し、大幅に緩和して、2032年までの期限限定で5,000億ユーロ(約80兆円)規模の特別基金を計上した。これにより、トランプ大統領が要求するドイツ国防予算のGDP比5%を達成することになる。さらに、安全保障に関する予算は上限なしと加えられた。ただし、このGDP比5%の内、1.5%は道路、橋梁、港湾施設などの軍民両用インフラに支出されると決められている。
これらの防衛関連予算を合計すると、ピーク時には20兆円規模に達する可能性があり、日本の防衛関連予算(約8兆円)と比べて突出した拡張と言える。世界の戦力ランキング(Global Firepower 2025版)では、日本は8番目、ドイツは14番目にランクされている。このような規模の防衛予算は、2025年の連邦政府の歳出額(約87兆円)と比べても極めて巨大であり、ドイツが短期間で極めて異例の軍備拡張に踏み出していることは明らかだ。別の見方をすれば、それだけドイツ首脳が、核兵器をちらつかせる「ならず者帝国ロシア」を深刻な脅威と認識すると同時に、トランプ大統領による「ヨーロッパ離れ」に強い危機感を抱いていることを示しているとも言える。
このように、特別基金と通常予算を通じて軍事支出を急拡大させることは、軍事ケインズ主義的な需要拡大型政策と見做すことができる。「軍事ケインズ主義」とは、景気刺激や完全雇用の維持など経済安定を目的として、意図的に軍事支出(軍備拡張や戦争準備を含む)を拡大する考え方・政策を指す経済概念である。米国では、冷戦期に高水準の軍事支出を維持してきたが、完全雇用や安定成長を支えた要因ともされている。
軍事ケインズ主義に対する批判も聞かれる。まず、予算の多くが債務によって賄われているため、ドイツの債務額は急速に膨らんでいる。そのため、将来の世代への負担が増すので、世代間の負担の平等がますます保たれない。気候変動の被害も将来の世代にとって増えていく。地球上の資源も現世代がどんどん使い果たし、枯渇した状態を残していく。これでは、将来世代に二重三重の負担を強いることになる。
このような膨大な額の軍事予算は、国民の豊かさの拡大には寄与しない出費であることは間違いない。さらに、このような大規模な軍事支出が、軍事産業や関連産業の設備投資と雇用を生むが、果たして経済成長にまで結びつくのか、という疑問もある。最近自動車産業の不振による大量解雇が報じられる反面、軍需産業の生産拡大に伴う雇用拡大を受けて、前者の失業者を後者が吸収できるのではとの報道がよく見られる。しかし、経済研究所の研究によれば、軍需産業が自動車産業の失業者を吸収できる規模は限定的である、という指摘もある。
それでも、ドイツの軍需産業は我が世の春を謳歌している。それを如実に示しているのが、ドイツ最大の兵器メーカーであるラインメタル社がドイツの証券市場でDAX(40の優秀銘柄)に入り、自動車企業として長年DAXに属していたスポーツカー・メーカーのポルシェが昨年外された事態であろう。
ラインメタル社は、ドイツを代表する防衛・軍需企業であり、「レオパルト2」戦車の主砲や火器システム、弾薬などを供給している。2022年以降のウクライナ戦争を背景に軍事需要が急増し、売上げ、雇用、株価のいずれも大きく伸びている。特に株式時価総額が爆発的に上昇している。2021年には35億ユーロ(5千6百億円)だったのが、2024年には268億ユーロ(4.3兆円)と3年間で8倍近い伸びだ。防衛需要の急増を背景に、典型的な「戦時特需企業」となっている。
さらに数多くのスタートアップ企業が、ウクライナの軍隊及び企業と密接に協力しながら、ドローンやAI使用の兵器の開発・生産に取り組んでいる。現在ウクライナ軍が実戦によって得られた最新の戦闘データを保有しているからだ。ラインメタル社もウクライナに合弁企業を持っている。
兵器の時代転換:戦車からドローンへ
軍需産業が受注ブームに沸いているが、兵器はほとんどが注文生産なので、ただ作ればいいという訳ではない。新しい兵器の場合、構想から受け渡しまで10年以上を要することも珍しくない。既存の生産ラインを使う場合でも、2年から4年もかかる。だから、受け渡された時に、その兵器が時代遅れにならないように、将来を見越して発注されなければならない。
2022年から始まったウクライナ戦争では、兵器の時代転換が見られる。20世紀の地上戦で主力兵器だった戦車が、あまり活躍できなくなっている。1943年に行われた赤軍の1000台とドイツ軍の400台の戦車が対峙し、戦ったクルスク付近(現在のウクライナ国境)での戦車戦は有名だ。だが、今度のウクライナ戦では一台20億円(ドイツのレオパルド戦車)もする戦車が、A.I.を組み込んだ数万円から数十万円のドローンの餌食になっているのだ。
これらの兵器には技術革新が生かされている。その典型が、現在活躍している光ファイバー・ドローンだ。ドローンは通常GPSで位置を確認しながら飛んでいるが、敵は妨害電波(ジャミング)を出して、GPSを使えなくする。その対抗手段として、登場したのが、光ファイバー・ドローンだ。オペレーターとドローンを光ファイバーで直接結び、ドローンからの一人称映像(FPV)で現場を見ながら、操縦できるようになっている。最初は数キロメートルの光ファイバーをお尻に付けたドローンだったが、現在は20kmから30kmもの長距離でも飛行可能になっている。これらのドローンが飛び交う戦場を上から見ると、蜘蛛の糸が縦横に飛び交っているようだ。ロシア軍が先に投入したが、ウクライナ軍も使うようになっている。
「ドイツは戦争をしていないが、ハイブリッド戦争の真っただ中にいる」とアレクサンダー・ドブリント内務大臣は昨年12月15日に、対ドローン防衛センター(ベルリン)の開所にあたって述べた。ハイブリッド戦争とは、サイバー攻撃や非軍事的な手段を用いた戦いを指す。
連邦検察庁の発表(昨年12月20日)によると、昨年国籍不明のドローンによる違法行為は1000回以上も記録されている。これらは、ロシアによる行為だと推測されている。多くの場合、バルト海を航行するロシア船から飛び立ち、ドイツにおけるウクライナ兵の訓練場や国防軍の基地などの上空を飛行し、偵察していると言われている。何度か国際空港の上空にも現れ、離着陸が中断される事態が起きている。爆発物を搭載しているかもわからないので、これまで撃墜も捕獲もしていない。それとこれまで、基地上空は軍、基地の外に出た場合は警察と、管轄が法的に別れていた。それが今回の防衛センターの設置を機にして、一体化された。
昨年の12月3日には、ドイツが新しく購入したシステムArrow3(弾道ミサイルなどを大気圏外で迎撃する長距離防空システム。6000億円もする)の試験操作の直前に、3台のドローンが基地上空に飛来してきた。100m上空を飛んでいたドローンを国防軍は撃墜しようとしたが、果たせなかった。結局、ドローンはどこかに飛び去ってしまった。
ドイツはこれまでミサイルやロケットによる攻撃を想定して、パトリオット防空システム(レーダー、射撃管制装置、発射機などの一式で1600億円もする。迎撃ミサイルは一発6億円もする)を米国から購入し、9セット設置されている。これでは、首都ベルリンと大都市ハンブルクぐらいしか守れないと言われている。その上、最近は数多くの高速ドローンによる攻撃の可能性がある。数百機のドローンが一斉に飽和攻撃をしてきた場合、パトリオットによる防御では、数的にもコスパ的に全く割に合わない。
3.崩壊寸前の大西洋同盟とヨーロッパの混迷
12月の半ばにベルリンがウクライナ和平外交の中心地になった。メルツ首相が米国の特使、ウィトコフとトランプの娘婿のクッシナーを招き、加えてゼレンスキー大統領とヨーロッパの首脳が集まり、二日間にわたって協議をしたのだ。そして、例のロシア側の要求を大幅に反映したとされる28ヶ条の停戦案に対し、ウクライナとヨーロッパの意向を反映させた20ヶ条案をまとめたのだ。プーチンが目論んだ欧州と米国の分離作戦が成功しかかったのを、なんとか引き留めた感じだ。
停戦で問題になるのは次の二点である。まずロシア側は、現在激しい攻防が繰り広げられているドンバス地方を、ウクライナ側が割譲し、国際法に則って、認めろというのだ。ウクライナが領土割譲を認めるには、ゼレンスキー大統領だけで決められることではない。国会が認めなければならない。もちろん国民投票も必要だ、と発言している。
もう一点は、ウクライナ軍に対する米国の支援である。戦闘の勝敗を左右する米国の軍事衛星による情報などは、ウクライナ軍には不可欠だ。ヨーロッパでは代替できない。もし米国が、この支援を打ち切れば、ウクライナの敗北は早晩避けられないであろう。さらに、停戦が成立した後も、米国が何らかの形で停戦監視に関与し、停戦不履行への制裁を約束しない限り、安全は保障されない。米国の署名を欠いた安全保障は、プーチンにすれば、これまでのミンスク合意と同様、紙に記された単なる条文に過ぎない。
4.欧州、つまりドイツがたどるべき道
米国と欧州は第二次世界大戦後、大西洋同盟として深い絆で結ばれていた。一つは、自由民主主義を守るという価値観同盟である。もう一つは、北大西洋条約機構(NATO)による軍事同盟である。これによって、米国が巨大な軍事予算を費やし、欧州をソ連から、あるいはロシアから守ってくれていた。そのため、特にドイツは冷戦終了後、防衛予算を大きく減らし、平和の配当として、福祉予算などに回すことができた。米国は、経済力に翳りが出てきた頃から、欧州は自分たちの安全保障を自ら確保すべきだ、と迫っていたが、ヨーロッパ諸国は防衛予算をそれなりに増やすことはしてこなかった。そこで、郷を煮やしたトランプ大統領が、「金を出さない国は守ってやらない」とまで発言するに至った。その上、2022年にロシアが、ヨーロッパが想定していなかった形でウクライナへの侵略戦争を仕掛けてきた。それを受けて、トランプ大統領は、防衛予算をGDP比2%から、3%、さらに5%へと引き上げるよう要求してきた。昨年ドイツは、将来的にGDP比5%水準を視野に入れた防衛支出計画を打ち出し、対応を急いでいる。
残るのは価値観同盟だが、こちらもトランプ大統領就任以来、大きく揺らいでいる。現在の米国政府の民主主義の理解は、ドイツを含むヨーロッパ諸国のそれと大きく乖離しているのだ。そのことは昨年12月に公表された米国の「安全保障戦略」でさらに明確になった。そこでは、ドイツの主要政党によるAfD(ドイツの連邦憲法擁護庁は同党を極右勢力と判断している)への政治的ボイコットを「自由の侵害」だと捉える姿勢が見られる。さらにEUのデジタル規制法を同じような理由で槍玉に挙げている。これらは軍事同盟にとどまらず、価値観同盟の前提そのものを揺るがす、トランプによる第二の「時代転換」とも言えるだろう。
国内の三権分立を軽視し、国際法を無視し、米国第一主義を強行しているトランプに対し、ヨーロッパはご機嫌伺いをしながら、軍事同盟内に米国を引き止めようと躍起となっている。本来なら、米国に国際法を守るように勧告すべきだが、上記のような理由で、それができないのだ。ダブルスタンダードと批判されているが、現在の段階でトランプ大統領を失うことは、絶対避けなければならないというのが、メルツ首相はじめ、ヨーロッパ首脳の脳裏に刻み込まれているに違いない。メルツ首相はこの中でも、トランプのご機嫌を伺いながらも、ヨーロッパの意向をはっきり伝えるので、評価されている。
ヨーロッパがたどるべき理想の道は、米中露の覇権国家に挟まれた状況の中で、グローバル・サウス諸国やその他の国々と手を結んで、人権・民主主義・国際法の遵守を掲げた国連中心―アナレーナ・ベアボック前外相は昨年第80回国連総会議長に選ばれた―の価値観同盟ブロックを形成することにしかないだろう。そのリーダーとしてドイツは先頭を歩むべきなのだ。
これには、新しい時代を切り拓く勇敢な政治力が必要だ。東方外交を進めたビリー・ブラントと東西ドイツ統一を達成したヘルムート・コールといった先輩政治家がいる。先輩の轍を踏むべきだと言うのは簡単だが、実行は極端に困難だ。特に国連憲章に則った国際法の履行は、執行機関ともいえる国連安全保障理事会において、拒否権を持つ常任理事国の二国が、国際法を無視する行動をとっている現状では、不可能だ。
しかしその一方で、1月17日に「国連海洋法条約の下での、国家管轄権外区域における海洋生物多様性の保全および持続可能な利用に関する協定」(2023年採択)が発効した。世界の海洋環境保護にとって極めて重要な協定であり、国連がなお有効に機能していることを示す好例である。
同じ日にパラグアイの首都アスンシオンでは、欧州連合(EU)とアルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイから成る南米の貿易圏「メルコスール」との間で、自由貿易協定が、25年間に及ぶ交渉の末にやっと署名された。これにより7億人の人口を擁する二つの巨大な経済圏が結びつくことになる。
ブラジルのルーラ大統領は、「この協定は国際法を尊重し、相互の繁栄のために結ばれるものだ」と述べた。現在の国際情勢において、この協定の締結は、人権・民主主義、国際法の尊重を基軸とする価値観同盟ブロックの形成と言う点で、極めて重要な意味を持っている。だが、欧州議会及び各国議会での批准が残っている。
ウクライナは、できるだけ早くプーチンの停戦案を受け入れるべきだ、という意見がドイツにも根強くある。その代表的な論客である哲学者のダヴィッド・プレヒトの意見によれば、このまま戦闘を続けても、ウクライナは、早晩兵力が尽きて、負けてしまうので、これ以上の人命の犠牲を増やさないためにも、同案を受け入れた方が得策である。それと、その際問題として残る停戦後の安全保障だが、ロシアには再び攻撃する余力はない。4年かかっても、ウクライナの領土を少ししか占領できなかったではないか、とプレヒトは言う。たしかに早く停戦が成立すれば、ドイツなどの膨大な軍予算は将来減らせるかもしれないというおまけがついてくる。ある程度合理的な考えだ。
ドイツからのウクライナへの支援額は、軍事、財政、医療、民生などをまとめると、2025年終了までの4年間で580億ユーロ(10兆円)になる。さらにドイツ国内おけるウクライナ難民への給付金は、同期間内で5兆円強である。合わせると、15兆円もの巨大な額に膨れ上がる。 この予算は、プーチンのウクライナ侵攻がなければ、社会福祉にも回せた額だ。防衛関連支出の急激な拡大と相まって、プーチンのウクライナ侵略戦争は、ドイツ社会の根幹を大きく揺さぶっている。
5.トランプ政権とグリーンランド領有
ドナルド・トランプ大統領は就任早々から、「グリーンランドが米国の安全保障にとって決定的に重要であり、米国の領土になるべきだ」との発言を繰り返している。今年早々のヴェネズエラのマドゥロ大統領拘束の後、次はグリーンランドだと発言し、ヨーロッパのNATO加盟国に動揺を与えている。
マルコ・ルビオ外相は、「購買」という選択肢も出しているが、武力行使の可能性を否定していない。仮にNATO加盟国であるデンマークに属するグリーンランドが、武力によって米国に併合される事態が生じれば、NATOの崩壊を意味する。そして、ドイツを含むヨーロッパの安全保障は大混乱に陥るだろう。ドイツ政府内には、武力の行使は考えにくいとの見方が圧倒的だが、トランプ政権の行動は予測困難である。
穿った見方として、防衛大学のカルロ・マサラ教授が次のような見解を発表している。米国は今年建国250年周年を迎えるが、その節目に、トランプ大統領が、グリーンランドを領有し、米国の領土を22%も拡大した「偉大な大統領」として歴史に名を残すことができれば、彼の巨大なエゴを満足させることになる、というのだ。その動機は軽薄に見えるが、強大なエゴと権力を持つトランプ大統領の行動原理として、決してありえないシナリオではない。
これらの動きを見て、メルツ首相は、「欧州の核抑止の在り方を根本的に再検討する必要がある」と述べ、米国の核への過度な依存からの脱却を示唆している。ポーランドでも同様の議論が進んでいると報じられている。現在ヨーロッパ全体には100から130発の米国の核爆弾が配備されており、そのうち約20発がドイツ国内にあると推定されている。米国は、欧州駐留の7万人の米兵とこれらの核兵器を撤去するとは、まだ具体的に述べていない。欧米軍事同盟はなお首の皮一枚でつながっているに過ぎない。大ロシア帝国の復活を夢想するロシアの独裁者とアメリカ帝国の領土拡大を夢見る大統領に挟まれて、欧州の安全保障体制は混迷を極め、その行方を見通すことはいまや非常に困難だ。
(2026年1月末日 ベルリンにて)
ふくざわ・ひろおみ
1943年生まれ。1967年に渡独し、1974年にベルリン自由大学卒。1976年より同大学の日本学科で教職に就く。主に日本語を教える。教鞭をとる傍ら、ベルリン国際映画祭を手伝う。さらに国際連詩を日独両国で催す。2003年に同大学にて博士号取得。2008年に定年退職。2011年の東日本大震災後、ベルリンでNPO「絆・ベルリン」を立ち上げ、東北で復興支援活動をする。ベルリンのSayonaraNukesBerlinのメンバー。日独両国で反原発と再生エネ普及に取り組んでいる。ベルリン在住。
特集/歴史はどう刻むか2・8総選挙
- ファクトを発信して、フェイクファシズム政権を潰せ慶応大学名誉教授・金子 勝
- 政治の終焉か、世界と結ぶリベラル政党の再建か!本誌代表編集委員・住沢 博紀
- 虚構の概念によって縛られた思考の落し穴神奈川大学名誉教授・本誌前編集委員長・橘川 俊忠
- 「トランプ関税」は違法など最高裁の2判決が「暴走」にブレーキ国際問題ジャーナリスト・金子 敦郎
- 「中道」の旗、寒風に翻らず大阪公立大学人権問題研究センター特別研究員・水野 博達
- 歴史の逆流に抗して労働運動アナリスト・早川 行雄
- 「言論改革」を推進する放送法改正韓国・聖公会大学研究教授・李昤京
- プーチンとトランプによる二つの「時代転換」在ベルリン・福澤 啓臣
- 近日追加発信選択的夫婦別姓でよいのか、廃止すべきは戸籍制度では本誌代表編集委員・千本 秀樹
- 高市・フェイクまみれの裁量労働制拡大を止めよう!全国一般労働組合全国協議会 中央執行委員長・大野 隆
- 昭和のプリズム-西村真琴と手塚治虫とその時代ジャーナリスト・池田 知隆
- 構造主義的視点からみた西欧のポピュリズムとその後――(1)龍谷大学法学部教授・松尾 秀哉
