コラム/沖縄発
海の向こうから
ピアニスト 下里 豪志
(「はぁ‥」)
この人気コラムにお誘いいただいたのが数週間前、基本的になんでもやってみようの精神で生きる私は何のためらいもなく引き受けた。
私はピアニスト。高校生まで沖縄で育ち、東京の音楽大学を経て、2017年にヨーロッパへ渡り、イタリア、フランスでクラシック音楽を学んでいる。そんな私が沖縄にまつわるなにかを語って誰のために何を残せるだろう‥そう考えて過去の投稿を読み漁り、出たのは大きなため息であった。
どの方も深い考察と鋭い視点で沖縄の日常を綴り、「青い空と美しい海、太陽と見間違えるような鮮やかな花々‥沖縄大好き!」と旅行へ来てくれる多くの人が抱くイメージではなく、湿気を帯びた生ぬるい沖縄の風を自由に操り、根深い沖縄の課題を引き出し、それを共有する大人なものばかり。恥ずかしながら私にはまだそのようなものはお届け出来そうになく、今回の投稿は音楽家の私の夢を遠い海の向こうから思い描いてるものだと、息抜きのつもりで読んで頂きたい。
1.クラシック音楽の道へ
夏の夜空に鳴り響く太鼓の音、結婚式をぐんと格式あるものへと誘う琉球舞踊‥独自の美しい伝統芸能をもつ島に生まれながら私がなぜピアノに触れ、腕を磨こうと遥々海外まで来てしまったのか。
あれは小学四年生の春。音楽の授業が教室から音楽室に変わり、いちばん仲良しの友人がピアノを上手に弾けると言うことが発覚。その時の彼女の手元、音楽室のピアノの音は(多少美化されているかもしれないが)今でも鮮明に覚えている。彼女の演奏を聴いて私はピアノに興味を持ち、私を含め彼女とピアノを囲む人の輪に感化され、私もピアノが弾きたいと言う衝動にかられた。
そこから心躍る音楽を求めて、一心不乱に大学卒業まで努力するわけだが、ヨーロッパに渡り、(正しいかどうかはさて置き)外国人の友人たちの、喋るように自然と溢れる音楽に感動する反面、自分の未熟さを感じながらも迫りくる"音楽を仕事にすること"を真剣に考えはじめてから、私は音楽を通して何をしたいのだろうかと問うようになる。
2.音の向こうにいる「人」
本来クラシック音楽というのはいくつかのルーツがあるが、大きな流れとしては教会音楽に端を発するバッハと言う作曲家からはじまる。
1600〜 バロック時代
劇音楽が誕生した1600年から、大バッハ(J. S. バッハ)が亡くなる1750年までの約150年間をバロック音楽の時代と呼ぶ。政治的には絶対主義の時代。
1700〜 古典派
絶対主義体制下にあった人々も、科学の発達や思想の変化にしたがって、絶対主義に対して疑問を持ち始める。彼らは神や神への信仰の代りに、心のよりどころを人間の理想に求めようとしだす。
1800〜 ロマン派
18世紀のヨーロッパを支配していた啓蒙主義は、理性を偏重し過ぎ、伝統を軽視する傾向があったため、19世紀になると、それに対する反動としてロマン主義が生まれてきた。なによりもまず個人の人間性を尊重する芸術へと進化する。
1900〜 近現代
18世紀末のフランス革命によって生れた自由と平等の精神は、各国の市民階級の中に深く浸透し、ウィーン体制に対する彼らの抵抗には根強いものがあった。革命の震源地であるフランスではもちろん、そのほかの諸国においても、政治的な変動や社会体制の変化が相次いで起こり、ヨーロッパだけでなく、世界全体がそれによって揺り動かされるようになってくる。
ざっと歴史的流れを書いてみたが、ものすごく簡単にすると ↓
――バロック音楽 | 宮廷や教会で演奏された音楽 |
――古典派 | 民衆に向けた音楽へと進化 |
――ロマン派 | 個人の思想などが盛んに |
――近現代 | イメージを音にしたりより音楽の可能性が多様化 |
※今回は分かりやすいように主にピアノの作曲家たちから見た四期に分けている。(より細かく見ていくとコラムの趣旨からはみ出るため申し訳ないがここまでで‥)
そんなわけでこの音楽史をもとになにを語りたいかと言うと、我々演奏家は小さい時から作品の時代背景を知りなさい。イメージしなさいと教わってきた。今でこそネット上で情報を簡単に手に入れられるが、ガラケー時代においては本を読むもしくは、先生から口頭で教わるものを頼りに学習するしかなかった。では、その時代背景を知ってなにになるのだろうか。
――「感じ方の違い」
音楽の感じ方は実に様々だ。特に歌詞をもたない器楽曲においてはどう感じるかと言うものは重要なポイントだ。そんな中、私たち演奏家はあくまで自作曲でない、人の作品を再現するわけで、自分がどう感じるかの前に、作曲家が何を伝えたくてその筆に力を注いだのかを知らなければならない。その助けになるのが時代背景を知るということだ。少しうっとりしてしまいたいハーモニーであっても時には歯を食い縛って前進する曲かも知れないし、単純なメロディの繰り返しでも、最後の一回はこぼれる涙のように時間をかける必要があるのかもしれない‥そのようなどんなに問いかけても聞こえることのない作曲家の声を求めて日々学びつづけるのである。
より深く感じるために考えるのだ。
忘れてはならないのは、歴史的天才作曲家たちも今を生きる私たちと同じ「人」なのである。同じ喜怒哀楽をもつ人間だ。
3.沖縄の命を繋ぐ
話は戻って私は高校生まで沖縄で育った。沖縄で唯一専門的に音楽を学べる県立開邦高等学校の芸術科音楽コースというところに進学した。
あたかもピアノの世界にどっぷりな人生のようだが、実は小学校一年生から、中学校中頃まで私はエイサー団体にも所属し、いとこの琉球舞踊の本番にもしょっちゅうでかけていた。
あの言葉にならない優美さへの憧れ、地鳴りする太鼓の音には心と身体が勝手に今でも動きだす。その感動を知っておきながら私はまだ沖縄の人たちをクラシック音楽でも感動してもらおうとしている。とんだ迷惑かも知れないが・・・。
クラシックのコンサートは敷居が高い。私はその敷居の高さに美しさを感じており、そこに一度飛び込む勇気を聴衆に持って欲しいと沖縄での演奏活動に力を注いでいる。
東京の「ブランド総合研究所」が行った「地域の持続性調査2022」によると沖縄県は幸福度、愛着度、定住意欲などのアンケートにて全国1位をマークした。
しかし、それと同時に自殺率やうつ病もやや高い傾向にあり、全国平均を少し上回っているほどだ。特に女性の自殺率は2010年以降急激に上昇しており、深刻な問題となっている。(これには様々な要因があるらしいが今回は割愛させていだだく。)
ここからは完全に私の考えであるが、沖縄の芸能文化は人との繋がりが非常に重要である。エイサーも舞踊もその場の空気をみんなで感じ幸福感へと昇華されるが元の性格や、幼少期の経験値でその文化に交わることができ、救われる人には偏りがあるかも知れない。誰しもがいちゃりばちょーでー最高!とはならないであろう。
それに対して、クラシック音楽の鑑賞は例えホールに500名集まったとしても、舞台で奏でられる音楽に対して聴く人それぞれが静かに自分のなかで何かを想い、時に過去を振り返り、明日を想像するのである。愉しむ瞬間自体は全員一人なのだ。
そこへ導きたいと私は演奏会のときトークを必ず挟む。曲のどこに耳を傾け、作品の世界の中に飛び込もうと思考するヒントを提案している。もともと感受性の高い沖縄県民にこの「思考する喜び」が広がればより多くの人が充実した日々をこの小さな島で過ごしていけるのではないかと思っている。
且つて私も音楽を感じることでしか表現できなかったのだが、留学先で素晴らしい友人たちと出会い、人にだけ与えられた「考える」と言う楽しみを知った。
どこに向かって生きていけばいいのかわからなくなったとき、この何かに興味関心を抱くきっかけと力があればなんだかんだあっという間日々は過ぎていってくれる。
余談だが、私はLGBTQのトランスジェンダーに区分されるセクシャルで、自分のお腹を痛めて子供を授かることができない。だから自分のためだけに生きてきた30年、これからの何十年。向かいどころがない人生だと私にとってはあまりに長すぎる。だが、音楽と生きている今、弾きたい曲、その曲を知るために作品に託された音楽以外の芸術文化(踊りやうた、絵画にポエム‥)を知ろうと思うと人生一度では足らないくらいだ。音楽以外のスポーツなどの他分野にまで心動かされるようになったくらいだ。
そう思う今、地元沖縄で考えることと感じること、両方の喜びを持つ人が一人でも多く増えて欲しいと願っている。私一人で全てのことは出来ないが、会場に駆けつけてくれた人たちが少しずつ輪を広げていってくれたらきっと1人くらい救われたと言う人が出てくるかも知れないからだ。
そんなこんなで偉そうな事を書き、穴があったら入りたいくらいとっ散らかったコラムとなってしまったが、結論老若男女問わず、勉強は出来なくても考える喜びを共有するひとが更に増えたら愛する故郷沖縄ももっと鮮やかな島になってくれるのではと言うことだ。
あくまで今の私の願いで、将来ピアニストをやめて恩納村あたりでサーターアンダギー屋さんをしだしたら「何言ってんだか」なんて思いながら読み返すかも知れないが、きっといいことがあると思いながらこの思いを心の中に秘めながらピアニストとして生きていきたいと思う。
なんと言ったって、それが命を繋ぐと言う、人としての役割を果たす私にとって唯一のチャンスなのだから。
しもざと・たけし
沖縄県南風原町出身。1993年生まれ、10歳よりピアノを始め、沖縄県立開邦高等学校音楽コースを経て、上野学園大学演奏家コースに特待生として入学、首席卒業。2017年、ヨーロッパへ渡りイタリア・イモラ国際ピアノアカデミー、パリ・エコールノルマル音楽院にて研鑽を積む。ヨーロッパでの国際コンクール受賞歴に加えて、メス国立交響楽団の他国内外のオーケストラと共演。近年はTVやラジオなどのメディアでも取り上げられ、第55.56回沖縄タイムス芸術選賞奨励賞受賞。
コラム
- 焦点/最低賃金「平均1000円」は余りにも低い東京統一管理職ユニオン執行委員長・大野 隆
- 沖縄発/海の向こうからピアニスト・下里 豪志
- ある視角/『わたしを忘れないで』を読みながら本誌編集委員・池田 祥子
- 追悼/生協運動の可能性を広げ続けた人――横田克己氏の訃報に接して神奈川大学名誉教授・本誌前編集委員長・橘川 俊忠