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京都大学大学文書館――企画展「1969年再考」について

京都大学大学文書館 渡辺 恭彦

『現代の理論』編集部より

現在、京都大学大学文書館では、「1969年再考」という企画展を、55点の展示資料とともに、京都大学時計台記念館1階、歴史展示室で開催されています。開催期間は2023年3月7日(火)~2023年6月4日(日)までです。

この企画展の担当者の一人、渡辺恭彦さんに、今回の展示会についての概要とその意義についての寄稿を依頼しました。企画展は現在も進行中ですので、この号では、展示の趣旨と開催から2カ月たった中間的な報告をお願いし、他のテーマは8月初旬の本誌次号で掲載予定です。

企画展「1969年再考」開催から二カ月たって/展示の趣旨(今号)

以下は次号掲載予定――①教養部の出来事/②自主講座と反大学/③1969年の出来事/④医学部における運動と農学部ゼネストの背景/⑤大きすぎた代償と大学の制度改革/⑥「1969年再考」を企画して

京都周辺の方やこの企画展に関心ある方は、展示室に足を運ばれることをお勧めします。

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企画展「1969年再考」開催から二カ月たって

京都大学時計台記念館一階歴史展示室で開催している「1969年再考」についてご紹介します。

企画展開催から二カ月近くたちました。この間、新聞記事に掲載され(京都新聞4月27日付夕刊ほか)、三里塚闘争関係資料の整理や保存に携わっている社会運動史研究者が来訪を予定してくれるなど、少しずつ関心を集めているのではないかと思います。大学近隣にある古書店の御主人は、チラシ設置を許可してくれただけでなく、1969年に当事者として運動にかかわった知人に案内を回してくださるなど、とても協力的でした。現在も、当時の記憶が偏在していることが窺われます。

広島在住の方が企画展をご覧になり、興奮した様子で電話をかけてこられたこともありました。その方は、1969年に広島県内有数の進学校に入学した後、大学へは進まず、社会運動に携わってきた経験をお持ちとのことでした。原爆をめぐる問題や社会運動の経験を語り継ぐことに使命感を持っておられ、その思いをますます強くされたようです。

もちろん、今回の企画展に対して、実態と異なるという意見を持たれた方もいらっしゃいました。1969年当時に工学部助手であった方からは、工学部の闘争は1968年頃から始まっており、当事者から見ると企画展での描き方には違和感がある旨を伝えられました。

いただいたご感想やご意見を少しずつ消化し、1969年とは京都大学にとって何であったのかを今後も考えていきたいと、思いを新たにしました。

また、企画展と直接の関係はないのですが、京都大学では大学について考える集会が学生によって企画され、定期的に開催されています。教職員や地域住民をも巻き込む形で、昨年度から6回ほどの集会が開催されました。2023年4月25日開催の集会では、当企画展「1969年再考」も紹介していただき、当時のことを現在の学生が知るきっかけになったのではないかと思います。

以下、簡単ではございますが、企画の概要をご紹介します。興味を持たれた方は、ぜひ歴史展示室で資料現物をご覧いただければと思います。また、お越しいただくのが難しい方には、展示の記録写真をデータで送付することもできます。御所望の方は、京都大学大学文書館までお問い合わせください。

展示の趣旨

1960年代後半、パリ五月革命をはじめ、世界各地で学生を主体とする若い世代による騒乱が巻き起こりました。1968年には日本の各大学で激しい学生運動が展開され、京都大学においても1969年は波乱の年となりました。東大闘争、日大闘争に遅れて始まった運動は、瞬く間に広がり、学内は騒然とした雰囲気に包まれました。各所に机や椅子でバリケードが築かれていきます。学生と大学当局との衝突、さらには学生集団同士の争いも起こり、多数の負傷者を出すことにもなりました。

その一方、バリケードの中で自主講座や反大学の授業が行われるなど、学生自身の主体的な動きも見られました。一過性のものであったかもしれませんが、そこからはほとばしり出る学生のエネルギーを感じとることができます。

また、教官が学生の問いを受け止め、負傷した学生の救援活動を行うなど、人間的な関係が結ばれる場面も見られました。

本企画展では、新たに寄贈された資料も繙きながら、これまで顧みられることの少なかった局面にも焦点を当てることを試みました。今日、コロナ禍の影響で学生同士や教員とのつながりが制限され、大学のあり方があらためて問われる事態に直面しています。今一度「大学とは何か」を考えるきっかけとしていただきたく、本企画展を構想しました。

なお、一連の騒乱については、大学当局側による資料では「紛争」という言葉が使われ、闘争主体である学生諸団体が配布した資料では「闘争」が使われる傾向があります。こうした事情を踏まえつつも、本企画展では、「紛争」と「闘争」のいずれかに定位して1969年の出来事全体を定義づけることよりも、まずは個別の出来事を紹介することに重きを置きました。そのため、展示では紛争と闘争という言葉の両方を使っています。いずれが妥当であるかの検証については、今後の課題とさせていただければと思います。(渡辺 記)

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