コラム/深層
国は個人を見張りたがる
戸籍、婚姻届、防犯カメラ
文筆業 笠井 一成
庚午年籍、宗門人別張、壬申戸籍。日本の権力は昔から、人民登録が好きである。
ところで現行戸籍法は制定以来、姓名にフリガナを記載しない。すると、例えばヤナギダかヤナギタなのか、ヒロフミかそれともハクブンか、後世に伝えることは不能となる。登録の瑕疵である。
日本の権力は登録好きなのに、なぜ登録を損なうのか。
フリガナ記載を許可し「音訓にとらわれない読みがなが振られた氏名を戸籍に登録すれば、その読み方を行政が認めたととられる可能性(朝日2021.3.13)」を恐れるから、だという。
姓なら、例えばカモの足は銀杏の葉に似ているから「鴨脚」をイチョウと読ませるみたいな。名ならば「月」と書いてルナ、「海」がマリンとか。そんなの行政は認めない! 認めたら国語が混乱する!
行政の硬直である。「姓名にルビをふれば国語が崩壊する」と懸念するのなら、「姓名登録は国語の音訓から自由」と立法すればよい。フリガナなしのほうが、登録としてはよほど不誠実だろう。
ちなみに私の名は一成と書いて「いっせい」と読む。「かずなり」その他では断じてない。しかし私が死ねば、読みは闇雲に帰す。
1987年6月。事実婚であるわれわれ二人に子どもができた。もし女の子なら父の姓に、男児なら母の姓にしようと二人で決めた。赤ん坊の性別は当時、生まれるまで分からない。
母方姓なら放置。自動的に姓は母方になる。父方姓だと面倒くさい。それには婚姻届を提出し、いったん全員が父方の姓になるしかない(父権臭漂う「認知」は論外)。
結果、生れたのは女児。それで私は婚姻届を出しに役所へ。だが、夫婦別姓を常識とするわれわれである。妻の復姓のために離婚届も提出。
それから35年。私たちは改めて婚姻届を出した。妻から一千万の借金をした不届者がいるからである。もし妻が先立てば、借金は帳消しとなる。そうは問屋が卸さない。婚姻により私は妻の債権を相続する。逃げ得は許さない、という目的。
ほとんどの日本人は夫の姓を名乗るから、私の反骨は当然、妻の姓の名乗りを選ばせる。それに伴い、課せられる変更手続きはマイナカードと国保と年金と運転免許証。これら全部、夫婦別姓ならしなくてすむ行政の無駄仕事。紙の無駄、人件費の無駄、時間の無駄。
ところで、マイナカード導入構想当時の反対スローガンは「国民総背番号制」。国が個人を見張るのはダメという意味である。
ダメと言いたい気持ちは分かる。が、国民はとっくの昔から見張られているよ。防犯カメラで。物理的に。それへの反対は、私は聞いたことがない。
話をまとめる。
戸籍、婚姻届、防犯カメラ。国は個人を見張りたがる。
私は言う。いくらでも見張ればよい。反体制も何もかも、まっとうな言論に隠し事はないのだから、いくらでも見張ればよい。こちらは言いたいことは必ず言うし、拒否は死んでも貫きますから、と。
かたや見張る側の国。あちらは隠し事だらけ、らしい。なので記録を損ない廃棄し、あろうことか改竄まで平気の平左。佐川宣寿がいい例である。
刑訴法239条。「何人でも犯罪があると思料するときは告発できる」「公務員は職務を行うことで犯罪があると思料するときは告発をしなければならない」。後者は、公務中の悪事を告発しない公務員は職務怠慢の責を負う、という意味である。さよう、佐川は告発されるべきであった。
国は個人を記録したがる。同時に国家権力は、集めた記録を恣意的に改竄もする。こうして日本は三流国家への道を突き進む。
後記・・・2023年に戸籍法改正。2024年以降、氏名にフリガナが加わることになった。
かさい・いっせい
笠井(旧姓) 一成。1959年生。文筆業
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