論壇
岸田内閣と芳野連合、それぞれの始動とリスク
連合芳野・清水指導部は春闘要求額を3連敗前に戻せ
グローバル総研所長 小林 良暢
自民党の岸田総裁が、第100代内閣総理大臣に就任してから1ヵ月が過ぎた。新内閣が皇居での親任を終えた後の記者会見で、岸田首相は自らの内閣を「新時代共創内閣」と名付けた。
ご祝儀相場に見放された岸田内閣
だが、翌10月5日の東京株式市場では、日経平均株価が、前日比326円超安の2万7844円と、1ヵ月ぶりの安値となり、「ご祝儀相場」から完璧に見放された。これをスポーツニッポンは、「岸田内閣『薄味』船出―顔ぶれも期待値もさっぱり」との大見出しで追い打ちをかけ、「岸田新総裁が選出された日から、新内閣発足までの1週間で、株価は計2300円余り下がった」と報じた。
岸田首相が、新内閣の政策として「成長と分配の好循環」や「令和版所得倍増」、また「新自由主義からの転換」、「新しい日本型資本主義」、さらに「経済安全保障」、「格差是正政策」を掲げ、それらの財源としての「金融所得課税」など諸政策を打ち上げた。これらのてんこ盛りにしただけの諸政策からあえて絞り込めば、「新しい資本主義」と「経済安全保障」が、岸田内閣の二枚看板である。
経済安保は半導体
まず、「経済安全保障」から吟味しよう。
岸田政権の発足から1週間後に日経平均株価が、2万9000円台に戻した。その理由は、新政権のいま一つの看板政策である「経済安全保障」が浮上したことだという。
「経済安全保障」と聞いて、海外からのアクティビスト(企業の経営内容などに積極的に関わる、いわゆる「もの言う株主」)などの海外投資家は、我々を日本市場から締め出すのではないかと警戒を強めていた。岸田流「経済安全保障」の狙いは、一言で言うと半導体産業の育成・保護である。
日本経済新聞朝刊(2021/10/9)が、世界最大の半導体生産受託会社である台湾積体電路製造(TSMC)とソニーグループが、半導体の新工場を熊本県に共同建設する計画の大枠を固めたとする記事を報じた。TSMCはこの工場で、先端技術を使い、自動車や産業用ロボットに欠かせない演算用半導体生産の2024年稼働を目指すという。
世界の半導体市場に於ける日本メーカーの地位は、2000年には2位に東芝、3位にNEC、さらに8位に日立と、トップ10に3社が入っていたが、2020年には1社もない。最先端の演算用半導体はTSMCなどのファウンドリメーカーに製造委託している状態である。
技術的に半導体の性能やコストを左右するのは、回路線幅が20ナノ台(ナノは10億分の1メートル・単位が小さい方が先端技術)の微細加工技術である。熊本TSMCはこの生産を行うというが、TSMCが現在到達している5ナノに比べると世代遅れであるが、それでも、官民挙げてTSMCの工場を日本に誘致したかったのである。
半導体の地政学リスク
熊本のTSMCの総投資額は8000億円、このうち日本政府は半分の4000億円を補助金で支援する方針だという。一企業の一案件へのプロジェクトに4000億円もの補助金を出すのは、異例の対応となる。岸田内閣は、「経済安全保障の観点から先端半導体を生産する国内拠点が欠かせないと判断して」、10月末の衆院選後に編成する21年度補正予算案に計上する。
それでも、日本の半導体不足には間に合わない。日経新聞(2021/10/29)が伝えているところによると、トヨタなど国内乗用車メーカー8社がまとめた9月の国内生産台数が、前年同月比50%減の39万8千台に減少した。40万台を割り込むのは新型コロナウィルスの感染が拡大した2020年5月以来1年4ヵ月ぶり。だが今回は半導体の不足が原因である。メーカー別にみると減少幅が最も大きいのはSUBARU(スバル)で75%減、次いでダイハツが68%減、ホンダ56%減、トヨタも55%減に及んだ。
先端半導体は、TSMCを筆頭に東アジアに生産が集中している。このアジア各社の半導体工場がコロナで休業に追い込まれた。米中対立など地政学リスクが高まるなか、最先端半導体をめぐる覇権争いと台湾海峡を巡る地政学的リスクと、まさに表裏一体の「安全保障」なのである。
「新しい資本主義」
10月26日に首相官邸で開催された「新しい資本主義会議」の初会合で、岸田首相は成長戦略によって生産性を向上させ、その果実を働く人に賃金の形で分配することで、所得水準を伸ばすと強調、それには新産業を創出して個人消費を活性化させて次の成長につなげると、そのイメージを描いて見せた。
しかし、ポストコロナの足許の現実に目を向けると、現実はもっとシビアだ。
週刊ダイヤモンドの特集「新階級社会」(2021/9/11)の「階層調査データ」よると、今回のコロナ禍は、すべての階層に格差を広げる影響をもたらしたわけではなく、「中間層」と「アンダークラス」に集中砲火を浴びせ、階層間格差のさらなる拡大をもたらしたと、橋本健二早稲田大学教授は指摘する。
まず中間層の平均世帯年収は2019年で805万円あったが、20年にはコロナ禍で678万円と、1年で127万円も激減した。これで、「中流」から「下流」に転落した人が続出した。また、一般的な非正規労働者よりも所得が低い「アンダークラス」は、世帯年収が393万円と、ついに400万円の大台を切った。とりわけ介護・物流・ごみ収集や建物メンテナンスなどのエッセンシャルワーカーや、背中に黒い鞄を背負って弁当やピザなどを宅配するギグワーカーは、典型的な「アンダークラス」である。ギグワーカーの請負単価は1件300円、1時間で3件の依頼をこなして時給換算すると900円、一日フルで働けても月収14万円にしかならない新貧困階級だ。
こうした、中間層の下方分解と、特に所得の低いアンダークラス対策をどうとるかが、ポストコロナ最大の政治課題である。だか、岸田首相の「新しい資本主義会議」においては、言葉として、生産性向上の果実を通じて賃金アップして、所得水準を伸ばし、分厚い中間層を再構築すると言うだけである。
「分配」への好循環
岸田内閣が掲げる「新自由主義からの転換」「成長と分配の好循環」「令和版所得倍増」などのいくつもの新たなキャッチフレーズは、どれに絞り込むのか不明の中で、首相が強調するのは「成長と分配の好循環」だ。
その一つは、非正規社員の増加による「所得格差の是正」に、「分配」の観点から気を配るべきだと考えており、そのために数十兆円規模の経済対策を実施すると言われている。
いま一つは企業による資金の分配だ。これまでの雇用維持対策では、企業を延命させて産業の新陳代謝を遅らせ、成長力強化にはつながらない。岸田首相か後押ししたいのは、技術革新に対応するリスキリング(学び直し)など、人材への投資だという。
首相が主導する方向は、政府の役割を経済安全保障、エネルギー・環境に絞り込んで、民主導の技術革新を生み出す側面支援を進め、持続的な成長を通じて分配を可能にする、「改革→成長→分配」の好循環だという。それこそ日本が目指す道で、改革なくして成長と分配の好循環はないという。
「改革→成長→分配」の好循環がどうつながるのか、よく意味が解らない。
この点について、日刊ゲンダイ(2021/10/27)で経済評論家の杉村富生が「1億総貧乏社会 必要なのは成長戦略」で、「なぜ日本人はこんなに贅乏になってしまったのだろうか」と問いかける。この30年間、年収はまったく増えていない。OECD(経済協力開発機構)によると、アメリカの年間平均賃金が6万9392㌦(約791万円)なのに対し、日本は3万8515㌦(約439万円)にとどまり、約半分の水準だという。
一方、総選挙では与野党そろって「分配Jを叫んでいる。財源は「金持ち、有価証券売買益、企業増税」と主張する。しかし、企業増税をすると企業は海外に脱出、経済は死んでしまう。そもそも日本には突出した金持ちはいないし、所得1000万円以上の世帯は12%と、1996年の19%をピークに減り続けているという。だから、「求められているのは成長戦略ではないのか」。杉村は最後に、「国民所得三面等価の法則とは『生産、分配、消費』が一教するということだ」と結んでいる。
私も、はるか昔に大学で学んだ経済学のイロハである。だが、GDP世界3位の大国ニッポンが三面等価の通りにならないのは、「生産=分配=消費」の“=”が断ち切れて、等価循環にならないからだ。これを正すには、生産による付加価値の分配を受け取り、それを消費している労働者・労働組合が動くしかない。
連合芳野体制への懸念と期待
10月の連合大会で、芳野友子会長の新執行体制がスタートした。
だが、大会直前まで候補者が定まらず迷走の果ての会長決定であった。
連合の会長選がある年は、メーデーが終わると役員推薦委員会(役薦委)が設置され、この役薦委が、春闘時に設置される共闘連絡会議であるA(金属=JC系5産別)、B(化学・食品・繊維)、以下CからFまでの6つの大産業グループに、候補予定者の提出を求める。その名簿をもとに役薦委が会長・事務局長らの三役候補を調整、9月には候補者推薦名簿が提出され、それが連合定期大会に提案され、採決されるという流れで決まる。
ところが、今年は各グループから候補予定者の名前がまったく上がってこず、これが躓きの始まりだった。UAゼンセンの松浦会長の名も挙がったが固辞され、役薦委内部から「こうなったら、役員推薦委員長の難波淳介運輸労連委員長を」との声が出たが、出身組合の全日通労連の反対で流れた。10月の連合大会が迫るなかで、窮余の一策として会長代行の中で名簿順位の上から昇格させたらという知恵者の案に押され、会長が決まった。それか連合初の女性会長だった。
だが、この登場をめぐっては、「ジェンダー平等に積極的に取り組む姿勢を示す意義がある」(日経電子版 ”Nikkei View”2021/10/7)とか、「(新会長は)多様性を呼び掛け、性差別解消や非正規雇用で働く女性らの待遇改善への強い決意を示した」(東京新聞2021/10/7)など、各紙好感を以って迎えた。
筆者は連合新三役人事ついて、いつもその組合せに関心を持ってきた。
文末に「連合春闘31年の歩み」の表(下線部クリックで表示)を用意した。
まず、この表の右の列にある連合の歴代会長・事務局長の変遷を見てもらいたい。
初代の山岸会長(情報労連)・山田事務局長(全繊同盟)は民間の賃金事情に疎く、会長代行に藁科(電機労連)を就け、JC系産別に配慮、春闘初陣の指導は藁科に委ねた。2代芦田(全繊同盟)も鷲尾(鉄鋼労連)を事務局長に据え、4代笹森(電力)には草野(自動車総連)、5代高木(UAゼンセン)には古賀(電機連合)、6代は古賀・神津(鉄鋼労連)のJCコンビが安倍内閣の政労使会議に参画、14春闘で6年ぶりにベアを復活させて、7代の神津・相原(自動車総連)のJCコンビに引き継いだ。
このように、賃金に疎い会長にはJC系にサポートさせるか、JCコンビで春闘を仕切るのが連合人事の妙である。
だが今回は、また、組織運営の柱となる事務局長に清水秀行・日教組委員長が就き、官公労出身で初めて春闘を仕切ることにしたという。春闘を直接指導した経験のない芳野、それをサポートするのも日教組の清水だ。
清水は記者会見で、「日教組には私学や独法化した大学の職員らもいて、春闘にはさまざまな形で関わってきた」と、意欲を示したという。また、三役の一角に名を連ねる会長代行も、川本自治労委員長・松浦UAゼンセン会長で、いずれも春闘のメイン戦線から遠い。
22春闘の内外経済は荒れ模様だ。この連合のJC抜きの体制で、はたして春闘初陣の「指導」を仕切れるかとの懸念が残る。
連敗春闘の逆転戦略
そこで、ふたたび「連合春闘31年の歩み」(下線部クリックで表示)の表に戻り、春闘賃上げの列を見てもらいたい。この列の右の勝敗は、春闘の星取表である。春闘はもともと「前年実績+α」の闘いだから、前年を上回る年は「〇」(勝ち)、下回ると「●」(負け)、連合が統一要求を見送った年は「や」(休場)と表記している。
だから、連合春闘初陣の90春闘は、前年実績+αを獲得して「〇」白星スタートを切ったが、91春闘以降は「●」黒星続きで、連合初期の12年間を通算すると、バブル崩壊の後遺症もあって3勝9敗の負越しである。
次の転機は2002春闘、トヨタが史上最高の利益1兆円を上げるも、奥田経団連会長の一喝で「ベアゼロ春闘」になり、翌03春闘は連合が統一要求を見送って「や」、これが3年続き、「不毛の時代」と言われた。
ここから脱出したのは06春闘からで、以降3年は「〇」を取り戻した。06春闘は高木会長(UAゼンセン)の初陣で、「とにかく有額回答を取ってこい!」とハッパをかけて、「前年実績+α」を引き出し、これを3年続けたのである。でも、賃上げをよく見ると、前年に比べて200~300円アップでしかなく、これでも春闘かと揶揄され、組合員からは賃上げの実感がわかないとの声が多かった。
なぜこうなったかというと、表の「春闘の呼称・スローガン」の列のコメントをみるとわかることだが、高木春闘に呼応したのは「パート共闘」「有志共闘」の流通・中小・内需系の組合で、自動車・電機のJC系の主力産別はベア要求を事実上見送り、「定昇維持」で要求を揃えたからである。
ここから脱出てきたのは、2014年のアベノミクス・政労使会議の「官製春闘」に参画するようになってからである。この政労使会議の設置については、筆者もその設置に少しばかり携わり、内閣府に助言もした。2013年9月にスタートした政労使会議で、当時の安倍首相が仕掛けたことが、官邸から厚労省の中央最低賃金審議会へ「圧力」をかけて全国最賃を大幅にアップしたことである。
この安倍内閣の勢いを受けて、14春闘は率で2.2%、15春闘も2.4%アップと2連勝した。このままこの勢いを続ければ、16春闘には2.5%、その先には3%台も視野に入ると、筆者は書いたり、講演して回った。
だが、15年4月の消費税引上げで、その影響から乗用車の販売が激減、16春闘の要求についてトヨタ労連がベア要求を見送ったのに押されて、連合が統一要求を前年の「2%以上」から「2%程度」に変更したことで、結果、ベア半額の負け戦になった。この回答に一番がっかりしたのは安倍首相ではないか。政府が最低賃金を毎年上げ続けているのに、正規軍の連合が3年目に賃上げを日和ってしまったからだ。
その後の連合春闘は芳しくなく、直近の19~21春闘は「●」3つの3連敗中である。
連合は、22春闘に当たっては、大それたことを言わなくていい。まず、賃上げ額と率を3連敗前の水準をめざすことを基本戦略に据えることである。具体的には「額で7000円、率で2%半ば」に戻すことである。
連合芳野・清水指導部はこれをもって、自動車・電機・JAM・基幹労連の要求決定の大会・中央委員会に出向いて、「前年実績+α」を頭を下げて訴えかけることから始め、山場の機関会議の度に押し掛け、ダメ出しして回ることである。
こばやし・よしのぶ
1939年生まれ。法政大学経済学部・同大学院修了。1979年電機労連に入る。中央執行委員政策企画部長、連合総研主幹研究員、現代総研を経て、電機総研事務局長で退職。グローバル産業雇用総合研究所を設立。労働市場改革専門調査会委員、働き方改革の有識者ヒヤリングなどに参画。著書に『なぜ雇用格差はなくならないか』(日本経済新聞社)の他、共著に『IT時代の雇用システム』(日本評論社)、『21世紀グランドデザイン』(NTT出版)、『グローバル化のなかの企業文化』(中央大学出版部)など多数。
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