特集 ●総選挙 結果と展望

ドイツ保守政党の混迷をみる

2021年ドイツ連邦議会選挙とキリスト教民主・社会同盟

大阪市立大学教授 野田 昌吾

1 敗北とカオス

メルケル後のドイツ政治の枠組みを決める選挙として注目された2021年9月のドイツ連邦議会選挙は、長年彼女がその党首を務めたキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)(注1)が敗れ、19年ぶりに社会民主党(SPD)が第1党に返り咲くという結果に終わった(表1)。この年の初めの段階では、SPDの支持率はわずか15%、首位を走るCDU/CSUの37%からはるかに離れた第3位であり(注2)、首相候補のO・ショルツの「首相になる」という発言がまったく空しく響くような状況であっただけに、驚異の逆転劇だと言っても過言ではない。CDU/CSUの側からすると、衝撃の逆転負けということになるが、得票率は前回から8.8ポイントの大幅減の24.1%、結党以来初めてとなる得票率3割を割り込む数字で、まさに惨敗と言ってもよかった。

表1 2021年ドイツ連邦議会選挙結果

得票率(%)増減(Pt)議席
SPD25.75.2206
CDU/CSU24.1-8.9197
緑の党14.85.8118
FDP11.50.792
AfD10.3-2.383
左翼党4.9-4.339
SSW0.10.11
その他8.63.8

*投票率76.6%(+0.4)  総議席736
(出所)Bundeswahlleiter資料などから筆者作成。

この逆転劇の大きな原因として指摘されるのは、CDU/CSUの首相候補であったA・ラシェットの「候補者としての弱さ」であり、また彼の失策である。ドイツでは、第1党の座を狙う主要政党は、勝利の暁に首相に据えようとする政治家を「首相候補」(Kanzlerkandidat/in)として有権者に提示し、選挙戦を戦う。今回の選挙では、SPDはメルケル政権で副首相兼財務相を務めたショルツ、CDU/CSUはドイツ最大州ノルトライン・ヴェストファーレン州首相でCDU党首であるラシェットと、いずれも実績のある人物を首相候補に据えたが、選挙調査機関Forschungsgruppe Wahlenが出口調査で「誰が首相としてふさわしいか」を尋ねたところ、67%がショルツと答え、ラシェットだとしたのはわずか29%であった。ラシェットへの評価は、信頼性、好感度、専門知識、将来的問題の解決能力のいずれの点でもショルツに大きく劣り、信頼性と好感度については緑の党の首相候補 A・ベアボックをも下回った(表2)。Forschungsgruppe Wahlenは、ラシェットは「歴史的に弱い候補」だったという評価を与えている(注3)

表2 首相候補に対する有権者の評価(%)

首相としてふさわしいもっとも信頼できるもっとも好感が持てる一番専門知識がある将来的問題を最も解決できる
ラシェット(CDU/CSU)2912131414
ショルツ(SPD)6729334429
ベアボック
(緑の党)
231424611

(出所)Forschungsgruppe Wahlen, Wahlanalyse: Bundestagswahl 26. September 2021, S.1.

もっとも、ラシェットがはじめから「決定的に弱い候補」であったというわけではない。たしかに、後述のように、ラシェットの首相候補選出については自陣営に強力なライバルがいたこともあって異論も小さくなく、そのことも関係して、ラシェットの評価は当初ショルツ、ベアボックよりも低かった。しかし4月に正式に首相候補に指名された後、ラシェットへの評価は急速に上昇、ベアボックを抜き、ショルツに接近した。7月中旬の調査では、ショルツ51%に対しラシェットは47%と、評価は拮抗するに至っていた。

しかし、ラシェットが犯した一つの「失策」から状況は一変する。7月半ばにドイツ西部で大洪水が発生し、被災地の州首相であったラシェットは、大統領とともに被災地を訪問したのだが、大統領の演説中に背後で関係者と談笑している様子をカメラに収められてしまった。被災者に寄り添い、救助や支援の作業に当たる人たちをねぎらうべく現地を訪れたはずの州政府の責任者が、大統領のメッセージもそっちのけに楽しげに笑いながら喋っている様子は、将来の首相候補のイメージを決定的に損ねることとなった。これによって潮目は変わり、7月末の調査ではショルツとの差は19ポイントと再び広がり、その後、40ポイント前後にまで拡大した。

ラシェット評価の急落に連動するかたちで CDU/CSUの支持も急速に低下し、8月末にはとうとう22%でSPDに並ばれ、9月に入るとSPDに逆転を許すこととなった。焦るラシェットは、CDU/CSUの急落とSPDの伸長の結果によって計算上可能にもなってきたSPD・緑の党・左翼党3党による「赤色政権」成立の脅威を煽り立てるキャンペーンを展開する一方、にわか仕立ての政策専門家チームを披露するなど、反転攻勢を図ったが、どれも功を奏せず、SPDに2~3ポイントのリードを許したまま、投票日を迎えた。そして実際の選挙結果は、ほぼこの最終盤での情勢どおりとなったのである。

惨敗を喫したCDU/CSUは一気にカオスの様相を呈することとなる。敗北の将ラシェットは開口一番、敗北を認めるどころか、選挙前の低落傾向に歯止めをかけSPDと肩を並べたことを成果と述べ、明確な勝者が(したがって敗者も!)いない以上、政権づくりの負託はCDU/CSUにも与えられたのであり、積極的に政権樹立を目指すと宣言した。これに対し、ただちに、もともと彼の首相候補選出に不満を持っていた姉妹政党CSUからだけでなく、CDU内からも激しい批判が噴出する。ラシェットの責任が厳しく追及され、党首交代の声が上がったことはもちろん、「我々は選挙に負けたのであって、政府をつくる資格などない」とか「今までどおりの惰性を続けていれば破滅の道を辿る」など、ラシェットが掲げる連立政権樹立という目標自体を真っ向から否定する声が指導的政治家の口から発せられた。

ラシェットへの怒りはCSUで特に大きく、党首のM・ゼーダーは「第2党の地位から政権づくりを行う資格など引き出せない。キャスティングヴォートを握る緑の党と自民党(FDP)に馴れ馴れしく近づくようなことはしてはならないし、この三党連立は是が非でも成立させなければならないものでもない」とCDU党首を冷たく突き放した。権力の座に就くことを至上目的としてきた生粋の統治政党と言ってもよい保守政党CDU/CSUの指導的政治家たちの口から、政権への執着をこのように真っ向から否定するような発言が出ること自体、きわめて異常な事態だと言ってよい。CDU/CSUは、惨敗の結果、党指導と選挙後の党の進路の双方でまったくの混乱状況に陥ったのである。

このような状態では、CDU/CSUは、そもそも連立交渉の相手として認めてもらうことすらできない。選挙戦ではCDU/CSUとの連立以外事実上考えられないとの態度を示していたFDPは、CDU/CSUの惨敗を受けて、同党との連立を早々と見切り、緑の党と一緒になってSPDとの交渉を優先する方向に舵を切ったが、 CDU/CSUの混乱状況は、FDPになお残るSPDとの連立へのためらいを断ち切る格好の理由を与えてくれるものでもあった。FDP党首の Ch・リントナーは、交渉相手を決める判断材料として「政権への意思と党内のまとまり」の二つを挙げたが、CDU/CSUにはそのどちらも欠けていることは明らかであった。CDU/CSUからすると、みじめというほかない。

すべては惨敗がもたらしたものだと言えば、そのとおりである。先に述べたとおり、選挙戦の展開を見れば、一つの出来事で一挙に「風向き」が変わっただけとも言える。今年7月に発表されたある調査によると、有権者の圧倒的多数は実際の投票先として複数の政党を考えており(注4)、その点で、何かのきっかけで一気に支持を失うということはまったく不思議ではない。だが、これだけの逆転負けは、そしてその後の混乱ぶりも考えると、そうした一つの出来事や指導者の「失敗」だけでは説明できないものであると言える。この小論では、16年間続いたメルケル政権時代のCDU/CSUを振り返り、今回のCDU/CSUの惨敗とその後のカオスがなぜ起きたのかという問題をより長いスパンの中で考えてみたい。大敗を喫し、これから再生の道を探ることになるCDU/CSUにはいったいどのような課題があるのかも、ここから浮かんでくるはずである。

(注1)CDUとCSUはそれぞれ独立した別個の政党であるが、CSUは南部バイエルン州だけで候補者を立て、CDUは同州には候補者を立てないという合意の下、「姉妹政党」として、連邦議会選挙では両党統一の首相候補を立てて戦い、連邦議会では統一会派を組み活動している。そのため、本論では、連邦レベルでの全体的な動きや共通の課題を論じる際は、CDU/CSUを一つの党のように扱ったが、行論からも明らかなとおり、両党の関係はつねに緊張を孕んでおり、決して一括りにはできないことに注意されたい。

(注2)以下断りのない限り、世論調査の数字は、Forschungsgruppe Wahlenの調査結果を用いた。各種データは、 https://www.forschungsgruppe.de/Startseite/からアクセスできる。

(注3)Forschungsgruppe Wahlen, Bundestagswahl 2021: Kurzanalyse, 26. September 2021, S.1.

(注4)Viola Neu und Sabine Pokorny, Vermessung der Wählerschaft vor der Bundestagswahl 2021 : Ergebnisse einer repräsentativen Umfrage zu politischen Einstellungen, Berlin: Konrad Adenauer Stiftung, Juli 2021, S. 52ff.

 

2 メルケルの政治指導とCDU/CSUの「復活」

今回の選挙は、16年間続いたメルケル首相の下で第1党になることが再び当たり前になったCDU/CSUがはじめてメルケルなしで戦った選挙であった。今日のCDU/CSUの危機を理解するためには、少し迂遠なようだが、CDU/CSUがどのように再び「当然の第1党」になったのかを確認しておく必要がある。

メルケルの下で「復活」を遂げる以前、CDU/CSUは深刻な危機に陥っていた。コール長期政権への批判から1998年選挙でSPD・緑の党に敗れ、下野することになったCDU/CSUは、続く2002年選挙でも勝利できなかった。この2回の選挙で明らかになったのは、CDU/CSUの支持基盤の狭隘化である。CDU/CSUが戦後の西ドイツにおいて構造的優位政党であり続けてこられた理由は、新旧の中間層を中核に一部の労働者層をも支持基盤に組み込んだ同党の「国民政党」としての性格と、ほぼ毎回45%以上の女性の安定的な支持にあったが、ドイツ統一以後、そうした構造的強みは失われ、旧東独地域で勝てなくなり、旧西独地域でも北部や大都市部で支持は停滞した。CDU/CSUは、もっぱら旧西独の南部および非都市部の保守的有権者にしかアピールできない政党となり、新しいライフスタイルやエコロジー、連帯と寛容を重視する都市部の特に高学歴中間層や若い女性たちに支持を伸ばせなくなっていたのである(注5)

メルケルが首相となるのは、その次の2005年選挙の結果によってである。7年ぶりの政権復帰であったが、しかし選挙結果はCDU/CSUにとって不満足なものでしかなかった。CDU/CSUはたしかに得票率でわずかだがSPDを上回り、第1党に返り咲くことには成功したが、得票率自体は前回選挙から3.3ポイントも下回るもので、南部・非都市部の保守的男性有権者の党という過去2回の選挙で露わになった構造的問題はまったく解消されなかったのである。

CDU/CSUは、東ドイツ出身の女性A・メルケルを首相候補として戦ったが、新自由主義的政策を前面に掲げるメルケルの選挙指導は、男性的な「伝統、業績、安全」という同党のイメージをむしろ強化さえした。その逆に、ハルツ改革と呼ばれる社会政策の構造改革によって支持を失っていたSPDは、CDU/CSUの新自由主義的スタンスを激しく批判することによって「社会的公正」の党として支持を回復し、CDU/CSUとほとんど肩を並べることに成功する。メルケル首相の16年は、このように勝ちきれなかったことにより余儀なくされることになったSPDとの大連合政権においてスタートしたのであった(注6)

皮肉にも、この不本意なかたちでの政権復帰がCDU/CSUの「復活」を用意することになる。首相に就任したメルケルは、この2005年選挙の「失敗」から大きな教訓を引き出した。CSUの抵抗を押し切るかたちで自ら強引に路線の新自由主義化を推進した結果、勝利を逃してしまったメルケルは、新自由主義路線の限界を悟るとともに、自らが先頭に立って党を政策的に引っ張るという指導スタイルも放棄してしまう(注7)。自分自身の権力オプションを広げておくことを最優先に、あらかじめ自らの立場を打ち出すことは避け、世論の推移に注意しつつ、政策決定については政府・与党内の議論や調整に任せ、最終的にその結果に従うという「待ちの政治」、悪く言えば「成り行き任せの政治」が、メルケルの政治指導を特徴づけていくものとなる。メルケルがこのスタイルを確立する首相第1期目は、ちょうどSPDとの大連合だったということもあり、最低賃金の導入、反差別法、育児支援政策など、CDU/CSU内の保守派などからは「政権の社会民主主義化」と批判されるような一連の政策がSPD閣僚のイニシアチブによって実現を見るのである(注8)

この「指導しない政治指導」による政権政策のリベラル化は、たしかに一方で保守的支持層の一部をCDU/CSUから遠ざけることにはなったが、モダンで中道的な社会の変化に対応したものであり、首相であるメルケルの評価を高め、CDU/CSUの支持率の目減りを補うこととなった。そのあおりを食ったのがSPDである。大連合の成果はメルケルに横取りされる一方、財務相をはじめ党所属の重要閣僚による統治責任を意識した政策は支持層にアピールせず、2009年選挙でSPDは一挙に10ポイント以上減らし、23.0%と大敗する。このSPDの大敗により、CDU/CSUは前回からさらに得票率を減らしながらも、第2党以下を大きく引き離す第1党の地位を確保し、離反した保守的市民層の受け皿となったFDPとの間で11年ぶりとなるブルジョア連立政権を樹立するのである。

「指導しない政治指導」による「静かなる政策変容」は、この第2期政権でも継続する。徴兵制廃止、脱原発、家族政策の転換、再生可能エネルギーの推進など、伝統的保守主義の立場からは考えられない数々の「進歩的」改革が実行ないし提起されることになった。他方、この第2期政権では、メルケルの指導の欠如の結果として、久々に政権復帰し新自由主義的政策などで自己主張を強めるFDPとCDU/CSUとの対立による混乱が半ば常態化したが、しかし対立の矢面に立たない「待ちの政治」によりメルケル自身は大きく傷つくことはなかった。逆に、共通通貨ユーロに支えられたドイツ経済の好調とユーロ危機をめぐるEU政治において彼女が示した存在感とによって、政権2期目にメルケルの国民的人気は絶大なものになった。

こうした絶大なメルケル人気に支えられて、CDU/CSUは2013年選挙で得票率41.5%、約20年ぶりの4割台を達成した。この結果は、ユーロ危機に苦しむ近隣諸国とは対照的なドイツ経済の好調ぶりからメルケル率いるCDU/CSUが大きな支持を集めたということであるとともに、過去2期の政権において、多分に「成り行きの政治」の産物でしかなかったとは言え、モダンで中道的な社会の変化に適応するような政治をメルケルが展開してきたことが広範な都市的中間層によって支持されたということでもあった。メルケルによる「成り行きの政治」は、支持基盤の狭隘化という長年の構造的問題の克服へとCDU/CSUを導いたのである(注9)

だが、この「成り行きの政治」による「成功」は長続きしなかった。CDU/CSUは大勝したものの、連立パートナーとしてのFDPを失い、再びSPDと連立を組むことになる。メルケルとしては、第2期政権における新自由主義的FDPとの連立での混乱からも、「寛容・公正」に軸を置くSPDとの連立の方が望ましいものであっただろうが、それはともかく、SPDとの大連合による彼女の第3期目の政権は、2015年の「難民危機」を契機として、その「モダンさ」への激しい逆襲を招いてしまうのである。

2015年9月、メルケル政権は、ハンガリーに滞留する難民受け入れのためオーストリア国境の開放を行った。この政策も実はメルケル流の「成り行きの政治」の産物であった。ユーロ危機の時もそうだったのだが、このヨーロッパ難民危機についても、メルケル政権は、事態が切羽詰まるまで対岸の火事のように眺め、何ら方向性を示してこなかった。しかし事態が逼迫するなか、市民の間で難民支援の声が高まり、最終的にこれに押されるかたちでメルケルは国境開放を決断したのである。

だが、これまでは機能してきた「成り行きの政治」はこの難民危機では上手くいかなかった。メルケルの「われわれは成し遂げられる」という言葉とは裏腹に、大量の難民の流入に受け入れ態勢はすぐにパンクし、CDU/CSU内部からも激しい批判が挙がった。市民の間でも当初の好意的な声に代わって、批判の声の方が大きくなっていった。ところが、今回の問題ではメルケルは、これまでとは違い、世論や与党内の議論の推移に従って自らの立場を修正するようなことはせず、世論や与党内の議論の大勢にむしろ正面から対決する姿勢を示していった。

メルケルがなぜこの問題では「成功の方程式」を放棄したのかという点は、彼女の政治を評価するうえで重要な問題だが、それはともかく、彼女が難民問題で示した「信念の政治」は、国民の間での彼女の人気の急落を招くとともに、CDU内では彼女を批判する者が誰もいなかったこれまでの状態に終止符を打ち、さらにその後のドイツ政治にとって何より重要なことに、2013年選挙後勢いを失っていた新党AfDを復活させただけでなく、その極右政党化を促進することになったのである(注10)。メルケルの難民政策自体は、党内での激しい批判にもかかわらず、これまでの彼女からすると考えられないような力強い政治指導によって、2015年12月のCDU党大会で受け入れられた。メルケルはこの党大会での演説で「世界に開かれ多様な国」「好奇心に溢れ、寛容で、わくわくする国」、これこそ「誤解の余地のないドイツ」であると述べたが、こうしたメルケル政権の「モダン・寛容」の姿勢が、保守層の離反を招いたのが、2017年選挙なのであった。

この選挙でCDU/CSUは一挙に8.6ポイント減らし、32.9%という過去最低水準に落ち込む敗北を喫した。反対に大きく躍進したのは、右翼政党AfDとFDPである。両党とも、前回棄権者の票とともに、CDU/CSUから離反した保守的有権者の票を大量に吸収し、二桁得票率を達成した(注11)。SPDも大きく伸びず、第1党の地位を確保したCDU/CSUは、紆余曲折の末、メルケル首相の下で三回目となるSPDとの大連合政権を発足させるが、保守層離反による敗北の衝撃は大きく、党内ではメルケルの難民政策に激しい批判が行われ、彼女の党内での指導力は大きく揺らいでしまった。とどめは、翌2018年10月に行われた西部のバイエルン州とヘッセン州での州議会選挙での大敗である。両州ともCSUあるいはCDUは10ポイント以上減らし、反対にAfDは10ポイント前後得票を伸ばした。ヘッセン州での大敗の翌朝、メルケルは、党首辞任と今期限りでの政界引退の意向を電撃的に表明した。

(注5)野田昌吾「混迷からの脱出は見えてきたか?――2002年ドイツ総選挙とキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)――」『法学雑誌』51巻1号、2004年、参照。

(注6)野田昌吾「2005年ドイツ連邦議会選挙とメルケル大連合政権の成立――キリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)はなぜ「敗れた」か?――」『法学雑誌』53巻2号、参照。

(注7)野田昌吾「ドイツ福祉国家の変容をどう理解するか――近藤正基著『現代ドイツ福祉国家の政治経済学』に寄せて――」『ゲシヒテ』第 4 号、2011 年、42‐43頁。

(注8)野田昌吾「2013年ドイツ連邦議会選挙」『法学雑誌』60巻3・4号、2014年、132頁以下、参照。

(注9)同上。

(注10)AfDについては、野田昌吾「「ドイツのための選択肢(AfD)」の台頭 」水島治郎編『ポピュリズムという挑戦――岐路に立つ現代デモクラシー』岩波書店、2020年、参照。

(注11)野田昌吾「2017年ドイツ連邦議会選挙」『法学雑誌』64巻3号、2018年、参照。

 

3 意図された党指導の空白とその代償

メルケルの辞意表明は、地元バイエルン州議選で大敗を喫したCSUにおける党首交代論も後押しし、メルケル政権の内相でもあったH・ゼーホーファー党首も辞意表明に追い込まれることとなった。CSUでは、ゼーホーファーとの権力闘争の末にすでに2018年春にバイエルン州首相の座を彼から奪うことに成功していた野心家のM・ゼーダーがすんなりと新党首に選出されたが、CDUの方は3人が立候補し、1971年以来となる競争選挙となった。決選投票の末、新党首となったのは、メルケルが後継候補の一人として目を付けてザールラント州首相を辞めさせ党幹事長として引っ張ってきたA・クランプ⁼カレンバウアーであった。

しかし、その彼女は2020年2月、就任からわずか1年余りで党首辞任の意向を表明する。メルケルを党首辞任に追い込んだ「モダンか保守か」という路線問題をめぐる党内対立を克服し、党の一体性を回復することを課題としたクランプ⁼カレンバウアーだったが、メルケルが引き続き首相の座にとどまっていたため、政策上のイニシアチブを取るにもそもそも限界があり、またメルケルが今季限りで首相を退くということで、党内の有力政治家は次期首相候補の座を狙って党首の足を引っ張り続けた。党首辞任の直接のきっかけは、東部チューリンゲン州での組閣をめぐって露呈した彼女の権威不足であったが、この騒動が起きる以前に彼女の権威はすでに失われていた。党の路線対立の克服による党指導の再確立という課題は、首相後継問題が絡むことによってより複雑となり、党指導の空白状態が続いたのである。

この党指導の空白状態は、さらにコロナ・パンデミックによって継続する。クランプ⁼カレンバウアーの後任を選ぶ党首選は延期され続け、権力を持たない彼女が引き続き党首を務めるという宙ぶらりんの状態が約1年もの間続くのである。党首選に名乗りを上げた3人の候補者も、党首選の先延ばしに異議は唱えなかった。感染爆発状況下で急いで党首になっても、危機対応によって国民の評価が上がっているメルケルの影に追いやられてしまうし、路線転換も訴えにくい。しかも、同様にバイエルン州首相として危機対応で評価が上がっているCSU党首ゼーダーと首相候補の座を争わなければならない。CDU/CSUの支持率も高く、何も党首選を急ぐ必要はないというわけである。党指導の空白状態は、メルケルが引き続き首相にとどまっていたことで覆い隠されると同時に、助長されたのであった。

最終的に、この宙ぶらりん状態は、これ以上のその継続が自身に不利に働くと考えた候補者の一人、保守派のF・メルツによって終止符が打たれた。彼は世論調査では3人の候補の中で最も支持が高く、党内の保守派や青年組織を中心に支持声明が次々と上がっていた。そのため、党幹部会が2020年12月に予定されていた党首選のさらなる延期を決定すると、メルツは、優勢である彼の勝利を阻止しようとする「党エスタブリッシュメントによる策謀」だと党幹部会を激しく非難する行動に出た。この激しい抗議を受け、党首選は予定より1か月遅れの2021年1月にオンライン方式で実施されることとなった。

メルツは第1回目投票こそ1位になったが、決選投票では中道的スタンスを採るラシェットに敗れた。こうして、メルケルの辞任からすると2年以上続いた党指導の空白状態に一応の決着が付けられたわけだが、党代議員の支持は大きく二分されていたうえに、メルツのあまりに攻撃的なスタイルが反発や不安を生んだという側面もあり、これで党指導と路線をめぐる問題に完全に決着が付いたとは言えなかった。そのことは、CDU/CSUの首相候補選出をめぐって明らかとなる。

ともかく、こうしてCDUの宙ぶらりん状態は一応解消されたが、その長期にわたる持続の代償は小さくなかった。CDU党首となったラシェットだが、彼のCDU/CSUの首相候補選出にCSU党首であるゼーダーが待ったをかけたのである。CDU/CSUの首相候補の選出には成文化されたルールのようなものはなく、そのため、これまでも何度か両党の党首の間で激しい対立が生じてきた。メルケルの陰に隠れてしまうことを恐れ、また、コロナ対応で評価の高いゼーダーとの対決を避けるためもあって、党首選をぎりぎりまで先延ばしにしてきたわけだが、早くに党首を選出して路線問題を含めて選挙に向けた全党的な態勢を整えられなかったCDUは、国民的人気が高いCSU党首による挑戦を受けると、大混乱に陥ってしまった。

CDU党幹部会はラシェットを首相候補として支持したが、これに対しCSUは、ラシェット支持でCDU内部が必ずしもまとまっていないことを見て取り、「CDUの広範な支持が確認できない」という、先のメルツの「党エスタブリッシュメント」批判を彷彿とさせる表現で、CDU党幹部会の決定の受け入れを拒否したのである。問題の収拾をはかるべく、CDU/CSU連邦議員団会議が開かれたが、何と発言者の3分の2もがゼーダーを支持するという驚くべき事態となってしまう。このことは、CDU議員の多くもゼーダーを支持したということを意味したが、連邦議員だけでなくCDUの複数の州首相、州組織、また青年組織からもゼーダーを支持する声が次々と挙がった。コロナ対策で回復したメルケル人気に支えられた高い支持率に安心して、党指導の立て直しを先延ばしにしてきたツケが最後の最後で噴出したと言ってもよい。

最終的には、2021年4月、CSUがCDU幹部会の決定を尊重することでラシェットが首相候補に決まるが、この首相候補選出劇は、CSUばかりでなくCDU内にも多く存在したゼーダー支持派に大きな不満を残し、その後の選挙戦にも大きな影を落とすことになる。

先延ばしの代償は、より直接的には選挙に向けての準備不足というかたちで表れた。スタッフは、投票まで半年を切るなか、大慌てで宣伝を組み立て(直さ)ねばばらなかった。ゼーダー支持の広がりもあって、CDUでも彼の首相候補選出を念頭に「強さ」とか「安全」といった標語の入ったポスターが用意されていたが、結局、それがそのまま使用されたという(注12)。この例が示すように、ラシェットをどう売り出すのかということをきちんと検討するにはあまりにも時間がなかった。

そうであればこそ、チーム戦で戦わなければならなかったはずのラシェットだったが、彼は、党首選とその後の首相候補選出で明るみに出た党内の亀裂が選挙戦のなかであらためて表面化することを恐れ、「政権チーム」を組織することを拒否し続けた(注13)。党首選ではメルツの指導スタイルを「ワンマンショー」だと批判し、政治と選挙はチームで戦うものだと唱えていたラシェットだったが、結局、チームをつくる勇気が持てなかったことで、彼一人で選挙戦を戦わざるをえなくなった。その中で起きたのがあの写真事件だったのである。この事件をきっかけに支持率が急落し、最終盤になってSPDに逆転されてはじめて、ラシェットは「将来チーム」という名の政策専門家チームを立ち上げるが、党内からの批判の噴出を危惧して指導的政治家はほとんど起用されず、起用された数少ないメンバーもメルツとCSU所属でデジタル相のD・ベアだけで、党首選および首相候補選出の際のしこりを意識した人選であることが透けて見えるものであった。

「小さな政府」を唱え続けるメルツと、ドイツの抱える問題として選挙で各党が指摘したデジタル化の遅れの責任者であったデジタル担当相のD・ベアという二人の「将来チーム」(!)への起用が象徴しているように、CDU/CSUは、選挙後にCDU/CSUが主導する政府がいったいどのような方向を目指すのか、メルケル政権の継承なのか、それともそこからの転換なのか、はっきりした態度を取れなかったのである。これもまた党指導と路線問題の決着の先延ばしの代償にほかならない。

しこりや疑問を残した首相候補選出は、選挙活動にももちろん影響する。自分自身納得がいかない、あるいは、自分自身でもその適性に自信が持てない首相候補をどうして有権者に売り込めるかというわけである(注14)。首相候補の座をラシェットに譲ったゼーダーにも、このことは当てはまった。だが、彼はほかでもないCSU党首であった。にもかかわらず、野心家で自信家の彼は、首相候補としてのラシェットを心から受け入れることができず、ラシェットを支持する発言はしても、つねにそこに留保や嫌味を添えてしまうのであった。これは、政治指導者としてのゼーダーの未熟さあるいは欠陥と言ってもよいかもしれないが、いずれにしても、CDU/CSUは、選挙を一致団結して戦う態勢にはなかったのである。「負けに不思議の負けなし」という言葉があるが、CDU/CSUは負けるべくして負けたとも言えるし、惨敗後の党のカオス状況も起こるべくして起こった、あるいはすでにそこにあったものなのであった。

(注12)Frank Stauß, Chaos, seit 2018, in: Süddeutsche Zeitung vom 10. September 2021, S.5.

(注13)Robert Rossmann, Das Verzweiflungsteam, in: Süddeutsche Zeitung vom 4. September 2021, S.4.

(注14)Roman Deininger, Gift im Wasser, in: Süddeutsche Zeitung vom 13. September 2021, S.4.

 

4 メルケルの「遺産」の消失

メルケル首相の「指導しない政治指導」がもたらした「静かなるリベラル化」によって「復活」を遂げたCDU/CSUは、その党の「静かなるリベラル化」の象徴として機能したメルケルを退場に追い込んだ後、選挙市場においていったいどのような状況にいるのか。あらためて今回の選挙でのCDU/CSUの得票結果を簡単に確認しておこう。

表3 属性別投票結果(%)

2021前回比(Pt)201720132009
選挙結果24.1-8.932.941.533.8
西ドイツ25.9-8.234.142.234.6
東ドイツ17.1-10.527.638.529.8
18-29歳11-14253427
30-44歳19-11304133
45-59歳24-7313931
60歳以上34-7414942
労働者20-5253528
職員20-11313933
自営26-10364933
年金生活34-7414940
失業14-6202422
男性24-6303931
女性24-12364436
義務教育31-6374637
中等教育26-8344334
大学入学資格20-11313930
大学卒20-10303731

(出所)年齢別と教育水準別はForschungsgruppe Wahlenの数字、職業別と性別についてはInfratest dimapのものを使った。

まず、各種属性別の投票結果を見てみよう(表3)。年齢別での得票を見ると、平均以上に大きく減らしているのは44歳以下の年齢層で、とくに30歳未満はわずか11%しか得票できていない。30歳未満の第1党は緑の党(22%)で、FDP(19%)、SPD(17%)と続き、CDU/CSUは第4党でしかない。反対に60歳以上では前回よりも7ポイント減らしながらも34%を獲得、35%のSPDとほぼ拮抗した支持で、この両党は高齢層では何とか「国民政党」であり続けている。

男女別では女性の落ち込みが目立つ。西ドイツの政党システムにおけるCDU/CSUの優位を支えてきたのは女性の支持であったが、今回24%しか得票できなかった。前回2017年選挙でCDU/CSUは男性票を大きく失った(反対にFDPとAfDは男性得票率を大きく伸ばした)が、女性票は相対的になお高い水準を維持していた。これが今回、12ポイントも一気に減ったのである。メルケルによって繋ぎ止められていた女性票が流出した格好である。今回女性票を大きく増やしたのはSPDと緑の党で、両党とも6ポイント増やしている。

職業別で見ると、職員層(-11Pt)と自営層(-10Pt)で大きく減らしている。この二つの職業で今回大きく伸ばしたのもSPDと緑の党であり、CDU/CSUが減らした分だけ得票率を伸ばしている。CDU/CSUが相対的に得票率を維持しているのは年金受給者だけで、それ以外ではすべて3割にも届いていない。教育水準別では、大学入学資格以上の教育水準を持つ有権者からの得票が10ポイント以上減っている。大学入学資格取得者、大卒者のいずれも20%で、前者ではSPD(23%)に次ぐ第2党、後者では緑の党(27%)に大きく引き離されたSPDと同率の第2党である。

東西別では、東西双方で大きく減らしているが、旧東ドイツ地域で2割を大きく割り込んだ。今回、旧東ドイツではSPD(24.1%)、AfD(18.9%)に次ぐ第3党となっている。州別で見ると、前回は一つもなかった2割を割った州が、全16州中今回7つもあり、ベルリンを含む旧東ドイツ5州以外に旧西ドイツの2つの都市州も含まれている。3割以上を得票したのはCSUの地元バイエルン州だけだが、これまで4割達成では満足できなかったCSUにとっては今回の31.7%という結果は大惨敗と言ってもよいものである。ほかに4分の1を超えたのもラシェットが州首相を務めたノルトライン・ヴェストファーレン州(26.0%)だけだった。

表4 政党間の票の得失(単位千票)

CDU/CSUSPDFDP左翼党緑の党AfD棄権
CDU/CSU-1530-49020-92080-50
SPD1530180640-260260520
FDP490-180110-24021040
左翼党-20-640-110-480-90-320
緑の党92026024048060300
AfD-80-260-21090-60-180
棄権50-520-40320-300180

前回選挙からの各党間の票の移動の差し引き合計。それぞれ横に読む。たとえば、今回、CDU/CSUはSPDに1530千票を奪われ、AfDから80千票を奪った。
 (出所)Infratest dimap.

最後に政党間の票の得失を見ておこう(表4)。今回CDU/CSUが最も多くの票を流出させたのはSPDで153万票である。メルケル政権発足後の過去3回の選挙でCDU/CSUはSPDから合計111万票奪っているが、今回の流出分はこれを40万票上回り、メルケル政権発足以前の振出しに戻っている。次いで多いのは緑の党で、92万票が流出している。メルケル政権下の「静かなるリベラル化」によって、緑の党の支持層からも得票が可能になったCDU/CSUであったが、2013年選挙で奪った票の2倍以上を今回緑の党に奪われている。そしてFDPに49万票と続く。なお、FDPには前回にも136万票を失っている。前回98万票も失ったAfDに対しては、今回わずかだが得票を回復した。

メルケルの下でのリベラル化により構造的問題を克服したかに見えたCDU/CSUであったが、メルケル首相の16年間が終わった今、再びそれ以前のような状況に舞い戻ってしまっている。あるいは、もっと深刻な状況であると言った方がよいかもしれない。旧東ドイツで得票できず、女性からの高い支持ももはや得られない。大都市部では振るわず、高学歴中間層からの支持も得られない。

メルケルの下での「静かなるリベラル化」によって、緑の党の支持者とも大きく重なる、都市部に暮らす豊かで教養ある新しい中間層の支持を獲得するようになったCDU/CSUであったが、前回選挙後の方向性喪失の中で、彼らは再びCDU/CSUに背を向けるようになっている。CDU/CSUが強かった保守的な南部バーデン・ビュルテンベルク州議会で緑の党が第1党になったことが象徴的だが、今日のブルジョア的政治空間の住人はかつてのような伝統的価値観の押し付けには批判的で、個人が多様なライフスタイルを自由に選択することをむしろ積極的に認める人たちでもある(注15)。メルケルを退陣させたCDU/CSUは、結局、AfDからほんのわずかな票を奪還できただけで(それもコロナ禍によるポピュリスト的争点の意義の低下によるところが大きい)、現在の保守的政治空間で無視することのできない、「モダン」や「公正」に価値を置く大勢の人たちを逆に他党に追いやってしまったのだった。

(注15)野田昌吾「ドイツ保守政治空間の変容――キリスト教民主・社会同盟の「復活」とその背景」水島治郎編『保守の比較政治学――欧州・日本の保守政党とポピュリズム――』岩波書店、2016年、参照。

 

5 おわりに

CDU/CSUは今後どこへ向かうことになるのだろうか? それは、ドイツ政治全体の今後も大きく左右する問題である。

今回の選挙でCDU/CSUは、たしかにAfDから若干の票を奪い返したとはいえ、前回AfDに失った票のほとんどを回復することはできなかった。そのうえに、党指導と路線をめぐる混迷もあって、「モダン」を志向する有権者の票を大幅に失ってしまった。その結果が戦後最低の得票率での敗北であったのだが、この右翼的有権者と新しい中道的市民層との間での股裂きという状況は、多くのヨーロッパ諸国の保守政党がすでに直面している問題である。

これまでCDU/CSUは、「市場と社会的公正」あるいは「保守もモダンも」という二兎を追う中道的スタンスを取ることで、衰退著しいヨーロッパ各国の保守政党と比べて比較的安定した勢力を保持することに成功してきたが、いまCDU/CSUは、この股裂き的状況に直面して、ヨーロッパにおける「普通の保守政党」のようになるかどうかの岐路に立っているとも言える。すなわち、多くのヨーロッパ諸国の保守政党のように、右翼政党と対抗しつつ右派的あるいは保守的有権者を主たるターゲットする中規模政党としての立場を(事実上)受け入れるのかどうかという岐路である。

考えてみれば、これまでのCDU/CSUの「国民政党」としての自己規定は、政権政党であり続けようとする活力によって支えられてきたところが大きい。その活力を、CDU/CSUは、メルケル政権の16年の間に、逆説的だがその首相と政権の成功によって、知らず知らずのうちに摩耗させてきたのであった。メルケルの「待ちの政治」の成功は、彼女に対する党内の挑戦者を次々と挫折に追い込んだが、その結果、彼女自身が退場を余儀なくされたとき、彼女にすぐ取って代われる指導者は党内には残っていなかった。メルケル辞任後の党指導の空白の長期化はその帰結であるし、選挙後、政権への執着があれほど希薄だったのも、党の活力の衰退の表れと言えなくもない。

CDU/CSUは右派的な「普通の保守政党」路線を退け、なおも「国民政党」の立場にこだわり続けられるであろうか? 選挙後にラシェットの批判者が唱えたように、下野という選択は、たしかにそのために必要な活力再生の機会を与えてくれるようにも見えるが、しかし逆に「貧すれば鈍する」で、野党暮らしのなか、安易な右派路線の誘惑に負けてしまう可能性も小さくない。いずれにしても、今回のSPDのように、党の団結を回復するとともに、党のプロフィールをあらためて明確にできなければ、復活はできない。CDU/CSUはいったいどのような道を進むであろうか?

のだ・しょうご

1964年大阪府生まれ。大阪市立大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。1995年大阪市立大学助教授。2007年より現職。専門はヨーロッパ政治史、政治学。著書に『ドイツ戦後政治経済秩序の形成』(有斐閣)。『「再国民化」に揺らぐヨーロッパ』(共著、法律文化社)など。

 

特集/総選挙 結果と展望

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