特集 ●総選挙 結果と展望
ICT教育(デジタル化)の陥穽
学校教育のデジタル化は深刻な問題を孕み、学力の低下をもたらす
河合塾講師 川本 和彦
オンライン教育の問題
(1)格差が拡大する/(2)学習効率が悪い/(3)スマホ依存を助長する/(4)対面の強みが失われる
デジタル教科書の欠陥
(1)「書く」ことが減る/(2)「位置」で記憶できない
学力は低下する
景気が良くなれば、つまり消費や投資が活発になって雇用・賃金が改善すれば、それに応じて物価も上がる。物価を上げれば景気が良くなる、わけではない。
にもかかわらず、ここ数年の日本における金融行政は、物価を上げること自体を目的とするような本末転倒ぶりが目立つ。頭が悪い(ように見える)首相や財務相はともかく、頭が良い(はずの)日本銀行総裁にそれがわからぬはずがないだろう。
それなのに「2%の物価上昇」を言い続けるのは、他に言うことがないからだ。目標達成の手段として掲げる「ゼロ金利政策」「量的緩和政策」「量的・質的緩和政策」とキャッチフレーズは次々と変化しても、やっていることは日本銀行による国債買い取り、買いオペレーションただ1つである。
教育現場で情報通信技術を活用するICT教育についても、同じようなことが言える。「オンライン教育」「デジタル教科書」「GIGAスクール構想」など、キャッチフレーズのバリエーションは豊富である。そこには、教室にパソコンやタブレットさえ整備すれば、学力が上がるという信念が見られる。
この信念、何ぞ正しいことがあろうか。いや無い。
ICT教育と呼ばれるものの具体例は多いが、ここでは以下の2点にしぼって考察を進めたい。
①オンライン教育
⇒既に実現している。
②デジタル教科書
⇒一部で実現し、2024年度に全面移行することが目標とされている。
オンライン教育の問題
通学せずとも自宅で受講できるオンライン教育は以前から存在したが、一気に拡大するきっかけとなったのは、言うまでもなく2020年以降のコロナ禍である。私が授業を持つ予備校でも、4月から約2カ月、すべての授業がオンラインで行われた。
オンライン授業はこのような非常事態、地震などの災害時以外にも、例えば心身の故障で通学できない子どもが授業を受ける権利を保障するというメリットがある。
だがメリットのみ評価して、言い換えるとデメリットを過小評価して、多くの授業をオンラインに置き換えようというのは暴論だ。大リーグの大谷選手が俊足だからといって、試合のない日には陸上短距離やラグビー、サッカーの試合に出てもらうようなものだろう。これ、確実に負傷します。
オンライン教育には、以下のような問題がある。
(1)格差が拡大する
年収格差
内閣府は2020年の5月から6月にかけて全国の15歳以上、1万128人を対象とする調査を行った。
それによると、学校から授業やメールでの学習指導などオンライン教育を受けていたのは、子どもが中学生の場合、年収600万円以上の世帯が約4割だったのに対して、600万円未満の世帯は約2割と、半分にとどまった。
ちなみに学習塾や習い事など学校外でオンライン教育を受けていたのも、前者が36%で後者が20%、反対にオンライン教育を受けていない割合は、前者が34%で後者が55%だった。子どもが小学生や高校生のケースでも、同じような格差があった。
無回答が多数あったので実態を完全に把握したとは言えないだろうが、現実と正反対の結果とは思えない。年収が高い家庭は年収が低い家庭に比べて、デジタル環境に恵まれているのは明らかだ。「今どき小学生でも、みんなスマホを持っているのは常識だろう」というのは、今どき非常識だろう。日本では母子家庭の約半数が、年収125万円に満たない貧困層である。スマホどころか電気代・水道料金の支払いに苦労する層が存在する。
学歴・地域間格差
内閣府調査はまた、住んでいる場所が東京・愛知・大阪の三大都市圏かどうかや、親の学歴によっても格差があることを示している。
オンライン教育を受けているのは中学生の場合、三大都市圏だと41%、それ以外だと23%だった。そのどちらにおいても、世帯年収による格差が存在した。
学校以外のオンライン教育では、親が大卒以上だと45%が受けていたが、非大卒では20%であった。
親の学歴と親の年収と、ほぼ対応するだろう。
地域による情報格差も、以前から存在する。秋田県ではTBSが放送されていない。秋田県民は「逃げ恥」も「半沢直樹」も見ることができないのだ。これは在日米軍基地の7割を沖縄県に押し付けていることに次ぐ、地域差別ではなかろうか。いや、もちろんそこまでのことではないのだが。あるいは電車に乗って1~2時間でヨドバシカメラに行くことができるかどうかというのも、案外無視できない格差である。
オンライン教育の範囲を拡大するということは、既に存在する格差をさらに拡大することである。
体質面での格差
「電磁波過敏症」という病状がある。広い意味ではアレルギーの一種とされ、頭痛やむくみ、呼吸困難など様々な症状がある。悪化すると、うつ症状が見られるようになる。その8割が合併症として、化学物質過敏症を起こしてしまう。認知度が低く、「気のせいだろう」「さぼる口実だな」と心無い言葉で傷つく子どもがいる。
理解ある学校では、そういう子どもを別教室で電子機器を使わない個別授業をしている。だがすべての学校で、ましてや家庭で、そういう対応ができるわけではない。本人の責任ではない「体質」で、教育を受ける機会が奪われるというのは間違っているのではないか。
格差とは無関係だが、健康面でもう1つ触れておく。パソコンやスマホの長時間使用は子どもに限らず、視力低下や睡眠障害につながること、これは否定できないだろう。
健康問題は、後述するデジタル教科書においても不可避である。
(2)学習効率が悪い
授業を全く受けないよりはいいのだが、オンラインによる授業は対面による授業に比べると、学習効率と言う面で大きく劣る。
親の年収が高い子どもでも、自分専用のパソコンを持つ子どもは多くない。スマホか、せいぜいタブレットである。つまり画面が小さいのだ。字を読むだけならともかく、グラフ・図表によっては読み取りにくいものがある。そこだけ拡大すると、その周囲が画面から出てしまう。ある生徒は私に「老眼で苦労されている先生の気持ちがよくわかりました」と、とても失礼なことを実に礼儀正しく言ったものである。
集中力の持続も問題だ。ライブ配信でなければ、いつでも好きな時に好きなところで受講できるというのは、オンライン授業の強みのようで弱みである。教室で椅子に坐っているより寝転んで画面を見ているというのは、腰には良いだろうが、緊張感がないので集中力も落ちている。またライブ配信、生放送でなければ後で繰り返して受講できるが、「後でもう一度見ればいいや」という気持ちは集中力を決定的に落とす。教室に録音機を持ち込んでいる生徒は、例外なく成績が伸びない。
(3)スマホ依存を助長する
これは学力低下とも関連するのだが、そして日本だけの問題ではないのだが、今は大人も含め人類の少なからぬ部分がスマホ依存症である。比喩ではなく、ニコチンやアルコール、ギャンブルへの依存症と同レベルの「病気」なのだ。
1日にスマホの画面を見ている時間は、日本の高校生では男子で4時間、女子で7時間だ。7時間!通学・授業・食事・入浴以外のほとんどではないか。これでは、自宅で勉強する時間がほとんどないだろう(それでも偏差値50以下の大学なら、現役合格することは可能である)。
彼ら彼女らは「スマホの画面を見ながら、でも勉強もしている」と言う。だが画面でゲームをしながら小林秀雄の文章を読解するというのは、天才棋士・藤井聡太君でも難しいと思う。「いや自分には、できる」というのが事実なら今後のノーベル賞は日本人が独占するであろう。ニッポンは前途洋洋だなあ。
んなわけ、ないだろ!スティーブ・ジョブスやビル・ゲイツは、自分の子どもにはスマホ使用を厳しく制限していたのだぞ。
日本中のスマホを消滅させるのは、残念ながら不可能だ。しかし、できる限り接する時間を減らす努力は必要だろう。オンライン教育は、これに逆行する動きである。
(4)対面の強みが失われる
教員はしばしば、同じ内容の授業を異なる教室で行う。とはいえ一言一句、まったく同じということはありえない。
同業の方であれば賛同頂けると思うが、教員は児童・生徒・学生の表情を見ながら授業を進めている。生徒の多くが「?」という表情をしているときには、先に進めるのを止めてもう一度、同じ内容について説明することもある(そうではない、一方的に話すだけの教員はいるでしょうが、批判は差し控えます)。
自宅でリモートワークをしている会社員が、同じようなことを言っていた。曰く「ある提案に賛成したといっても、対面でなければ、積極的に賛成したのか渋々賛成したのか、よくわからない」。そうでしょう。
教室があって黒板があって、椅子と机があって、生徒も教員もそこへ行くことが可能であるならば、やはり対面授業が基本である。オンラインは対面の補完と位置づけるべきであろう。
デジタル教科書の欠陥
デジタル教科書は紙の教科書と同じ内容をデータ化して、パソコンやタブレット端末で利用するものだ。法改正で2019年度から使用できるようになり、2021年度からは、各教科における授業時間数の2分の1未満と定めていた制限がなくなった。有識者会議は2024年度からの本格導入を求める提言を出している。全ての小中学生に1人1台の端末が行き渡る「GIGAスクール構想」へ向けて、大きな前進である。デジタル庁設置など、菅政権の政策も追い風となっている。もっとも「2024年度」というのは目標であり、当面はデジタル教科書と紙の教科書を併用するらしい。
うまく使うことができれば面白い。問いに対してクラス全員が同時に、自分の回答を電子黒板にアップすることができれば、同じ問いに対しても様々な捉え方、自分では思いつかなかった発想を瞬時に知ることができる。疑問点についても、その場で調べるということが習慣となっていくかもしれない。
だがこれもオンラインの授業と同じで、メリットがあるからといってデメリットを軽視するわけにはいかない。以下、述べておこう。
(1)「書く」ことが減る
21世紀になってから、授業中にノートをとらない生徒が増えた。話を聞くとノートを「とらない」のではなく「とれない」のである。高校でも黒板にチョークという従来のスタイルではなく、パワポを多用するところが増えている。
それを眺めているだけ、ということが続くと「聞きながら書く」ことができなくなる。「書きながら理解する」ことも難しい。ましていわんや「聞きながら書きながら理解する」なんてのは、もう神業、到底無理ですな。
近頃は新聞記者も同様らしい。
授業を聞いて黒板を見てノートに写すというのは、ただひたすら受け身の作業のようだがそうではない。ノートをとっているとき、脳は単に文字や記号を書きだすだけではなく、複数の情報を瞬時に記憶する。教員の声の調子で「ここは重要な箇所だ」と判断することができ、◎などの記号を書ける。またノートの余白に「?」と書いておけば、後で質問したり調べたりすることも容易である。
今どきの若者は文字を書くよりタイピングする方が速いが、タイピングは話された、書かれた内容をそのままキーで打つだけで、その時の脳はあまり回転していない。
もう1つ、原稿用紙に文字を書くメリットというものがある。マス目に文字を書く際に、人は1センチ四方のどこにペン先を置くか、一瞬ではあるが1文字書く度に考えている。タイピングでは、そういった脳の働きが期待できない。レポートなどは昔ながらに、原稿用紙に書かせるべきである。
(2)「位置」で記憶できない
何年も前に読んだ新聞や雑誌の記事を記憶しているのに、先週ネットで調べたことを忘れてしまうことはないだろうか。「それはお前の加齢が原因だ」と言うなかれ。紙の教科書にある情報は、タブレット画面の情報より確実に定着する。それは「右ページの上の方」とか「左ページの欄外」など、位置で憶えているのだ。英単語は紙の辞書で調べた場合、電子辞書で調べた場合に比べて、記憶に残る期間が3~10倍という試験結果もある。
学力は低下する
ここまでの駄文にお付き合い頂いたあなたは、「ICT教育で、学力はむしろ下がるのではないか」と思われたかもしれない。
実はそうなのです。
国際学習到達度調査(PISA)の調査委員会がまとめた報告書は、衝撃的な内容であった。「先進国クラブ」とも呼ばれるOECD29か国のデータを分析すると、学校でコンピューターの使用が長くなればなるほど、数学の成績も文章読解力も下がっていたという。なぜなのか。
これまで指摘してきたことの他にも、原因と考えられることがある。
教室で教員と生徒、あるいは生徒間の対話はそれ自体が思考を育む場であるが、それがコンピューターによって妨げられている可能性が高い。あるいは川島隆太・東北大医学教授が以前から指摘しているように、道具が便利になり楽をすればするほど、脳が活性化しなくなるということもあるだろう。
学ぶ意欲、好奇心や探究心がある子どもにとっては、ICT教育も捨てたものではない。何かを調べ、その過程で新たな疑問があればさらに調べ、知識の幅が広がっていく。自分の思い込みが是正され、視野が広がることもあるだろう。
で、そういう意欲、誰が持っているのですか?
いい歳をした社会人であっても、スマホでコミックを読んでいるのはまだまともだ。大半はゲームをしたりグルメ情報を検索したりしている。ラインで「カントの純粋理性批判は正しいのか」なんて議論をしている者は、皆無であろう。
物価が上がれば景気が良くなるわけではないのと同じで、電子機器が教育現場に普及すれば学力が上がるというのは、ほぼ妄想である。
にもかかわらず、政府がICT教育を推進するのは何故だろう。理由は2つ考えられる。
1つは、「言い始めたから止められない」ということだ。東京オリンピック・パラリンピックと同じである。無観客で経済効果がほとんどないのに、「決めたから変更できません」と強行してしまった。
だがもう1つはオリ・パラと異なり、経済効果が計算できることだ。ICT教育がすべての学校に広がれば、パソコンやタブレットの売上高は膨大であろう。時間があれば、某エプソンなどが自民党に企業献金しているかどうか、それこそネットを活用して調べておいてくださいませ。
デジタル庁などは、そういう利権確保のために創設されたのではあるまいか。
かわもと・かずひこ
1964年、福岡県生まれ。全国紙記者を経て現職。ホームレス支援団体「ほうゆう」会員。
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