連載●池明観日記─第12回
韓国の現代史とは何か―終末に向けての政治ノート
池 明観 (チ・ミョンクヮン)
2012年5月続き
≫『アメリカのデモクラシー』を読みながら≪
『アメリカのデモクラシー』にはとても重要な言葉が多い。トクヴィルは歴史に政治心理学的な思考を導入して未来を展望した。先ず第1巻でアメリカに対して次のように述べた。
「アメリカは一社会の自然で平穏な成長を人が直接見ることのできる唯一の国である」
私はアメリカにやってきたピューリタンという問題と同じように、韓国において北から南にやって来た北側の人々という問題を考えることができると思っている。南で成功していてもそれをそのまま持ってアメリカに向かった人々もいた。私は子供たちをみな自然科学の方に向かうようにしたけれど、それだからといって韓国に恨みを感じたことなどまったくない。この頃はこれから統一の日がくればどうなるだろうかと考えることが多い。中国が少しでも南北に対する姿勢を変えてくれればどうなるだろうか。北に自由に行けるようになるとして、南下した人々とその子孫がその親たちがかつて占めていた特権を取り戻すことにはならないのではないか。南北の間でどのような対話の道を選んで指導力を発揮できるのか。
南北統一といえば、今の南における嶺南と湖南の対立におけるような思考と人間性をもってしては難しいのではなかろうか。このような意味では朝鮮半島とはまだ未定の地ではないか。『大同江』(注:北の平壌にある著者の母校の同窓会誌)はそのような課題を背負わなければならないのかもしれない。その時キリスト教会はどのような役割をなしうるであろうか。かつては教会といえば北、特に平壌が中心と言われたではないか。
トクヴィルはアメリカでは連邦制を試みてその多くが成功してきたことをあげた。一ヵ所だけ引用してみよう。
「これほど数多くまた効率的な学校を建てるのに成功した国民を私は知らない。住民の必要にこれ以上に見合った教会堂を造り、これ以上によく整備された公道を建設した国民もまた知らない」
そこには「国民」ではなく「市民の姿」があった。トクヴィルはアメリカの連邦政府と州政府、連邦裁判所と州裁判所そして大統領と議会など諸般の機関が持つ問題を指摘しながらも、その構成に関して称讃してやまなかった。アメリカの行政に対して次のようなこともいった。
「合衆国の行政権の仕組みには、組織の中心も頂点もまったく見られない。行政の存在が目につかないのはこのためである。権力は存在するが、どこにその代表者がいるのかわからないのである」
アメリカでは警察官は目につくが、市内の中心に警察署の建物が号令でもするかのように突っ立っている場合はほとんど見られない。剣は目に見えないようにどこかに隠されているのであろうか。日本の朝鮮統治の場合とは全く相反するものだと何度も考えた。しかしトクヴィルは「南に下るにつれて、地域自治が活発でなくなることに気付く。……タウンミーティングの回数は減り……選挙民の力は小さい。自治の精神の覚醒が足らず、力が不足している」と言った。彼が直接経験することのなかった後日の南北戦争を予告するような文章が少なくない。彼は「集権制の巨大組織は驚くほど無力である」と見る立場であった。小さい国における暴政に対して彼が言及した文章は、我々をして韓国における軍事政権を顧みるようにしてくれるといえよう。
「小さな国家の中に暴政が打ち立てられると、それは他のどこにおけるよりも不愉快なものである……それは無数の些事に口を出す。暴政は暴虐であるとともに口うるさくもなる。その本来の領域である政治の世界から出て、私生活に浸透する。行為にとどまらず趣味まで指導し、国家の次には家庭を支配しようとする」
そうであるとしながらも、小国では「被治者が集結して、共通の努力によって暴政と暴君を一挙に転覆することは難しくない」と言った。韓国人の場合は南北朝鮮のことを考える必要があるのではなかろうか。「己を守れず、自足することもできない民の境遇ほど哀れむべきものを私は知らない」とまで言った。戦争の危険が多く戦争が起これば大きく不幸になる小国。このことを考えながらトクヴィルは「地域の利己主義」から脱皮しうる連邦または国家連合という大国の方向を示した。第一次世界大戦そして第二次と続く時代に先立って 19世紀中葉にすでにヨーロッパ連合を提言したものと言えるかもしれない。
まだ、ヨーロッパの小国らが戦争とか革命に病みついている時ではなかったか。国家間の協力がヨーロッパ連合から始まって、今日においては日中韓の間の平和にまで圧力を加えているのではなかろうか。そういうことはまだ中南米、アフリカでは程遠い課題であるような気がするのだが。このような東アジアに我々は朝鮮における南北の問題を持って来て考えてみるべきであろう。南北が利害関係はもちろん情緒までも異にするようになったとしてもである。
トクヴィルは「知られている連邦憲法としては最も完全な合衆国憲法」といった。そしてメキシコの場合は失敗したものとみて「無政府状態へと絶えず引きずられている」と見た。トクヴィルは連邦制度の長所を認めたのであったが、このことはヨーロッパの場合だと今日のEUに先立つこと100 年前の構想であったといえるのではなかろうか。彼は『アメリカのデモクラシー』第1部第8章「連邦政府について」を次のような言葉で結んだのであった。
「人間が自分自身以外に敵をもたないですむ新世界とは、なんと素晴らしい場所であろうか。幸福で自由であるために、人はただこれを望めばよいのである」
「人間が自分自身以外に敵を持たないで済む新世界」とはなんと素晴らしい場所であろうか。我が国の南北の国民はこのような国、このような時代をどれほど望んでいるだろうか。(2012年5 月24 日)
トクヴィルが『アメリカのデモクラシー』(第一巻上)に残した重要な言葉、今日においても生き残っている言葉をもう少し写して見よう。主としてアメリカについていっているのであるが。
「この国では地上のいかなる国よりも、また歴史に記憶されたいかなる時代にも増して、財産と知性において平等であり、言い換えれば誰もが等しい力をもっている」
トクヴィルはその当時ヨーロッパのどの国においても「地域共同体の自由を知る国民は一つとしてないといえる」といった。弾圧を受けてきたのだからアメリカに移民としてきた人々はそれを知っていた。韓国においてもそうではなかろうか。トクヴィルは「地域自治体から力と独立を奪うならば、そこにはもはや被治者しか認められず、市民はなくなるであろう」と言った。アメリカに対する次のような言葉はなんと美しい言葉であろうか。
「合衆国の革命は、自由に対する成熟した、思慮深い好みが生みだしたものであり、漠然として無限定な独立衝動が生んだものではない。騒乱の熱に支えられることは少しもなかった。それどころか、革命は秩序と合法性を愛する気持ちとともに歩んだ」
「人間は独立性を失って、自分の知らぬ目的地に向かって歩くくらいなら、じっと動かないでいる方をえらぶようにできている」
これはなんという素晴らしい言葉であろうか。人間に対するなんと尊敬すべき定義であろうか。独裁政権が口にしていた軽蔑的人間観と比較してみたい。彼らは人間というものはたたいて押し出さなければ動かないといったではないか。「全ての市民をあまねく一つの目的に向けて長期間歩ませうるものは、愛国心か宗教しかこの世にはない」。私自身の過去を振り返ってみてもそのような告白しかできないような気がする。人間に対する偉大な肯定とともに彼は次のように語ったのであった。
「諸個人の力の作用が社会の力の作用に結びつく時、権力が最も集中し、最も活動的な行政でもとても実行しえないことが時として成し遂げられる」
大統領が退任する頃になるとその人気は下降するといわれる。再選が可能な制度であるならば、任期の終りには再選のための「善心」(注:ばらまき予算のことなど)が流行することとなるはずではないか。大統領周辺の人物は大統領が退けば失職者という境遇を免れ難い。アメリカの場合はその後も職を得ることはそれほど難しくないといわれるが、韓国ではこの問題は深刻なようである。それで大統領の任期末にはその周辺の人物の腐敗が問題になるのではないか。このような問題をこれから韓国の政治においてはどうすべきか。そしてまた大統領がその任期末頃には無力になるという問題はどうすべきか。私は大統領をその任期末に現れる国民の支持率によって評価して見たいと思うのだが、アメリカの大統領の場合にはどうであるといえるのであろうか。
尊敬を受けながら大統領という権力の座を離れるようになれば、なんと素晴らしいことであろうか。アメリカでは彼らは国民が愛するというよりは、尊敬する人であったといわれるという。彼らは「自由の精神が支配者の強権と不断に戦い続けた社会的危機の中で成長した」のであり、戦いの惰念に民衆が燃えていた時に「決定的な革命は既に終わり、人民を脅かす今後の危険は自由の乱用からしか生じえない」と国民を説得しえた人々であるとトクヴィルは言った。
このようにしてアメリカの市民とその指導者が優秀で誠実であることを、彼は称賛したのであった。このような意味で彼はアメリカの革命を唯一成功した、それこそ革命のモデルとしたのであった。このようなアメリカの長所が、これからのアメリカの歴史や世界史においてどのような意味を持つといえるのかと繰り返し問うてみたい。このようなトクヴィルの歴史的眼からすれば、アメリカと世界との関係からして今日においても世界史の転換を期待しうるのだろうかと問うてみたくなる。
私はアメリカ史の背後にはある知的集団があるという見方をしている。民主主義は歴史を放任しているところに成立するものではない。民主主義が本当に行われるように支援しなければならない。そうでなければ、民主主義は民主主義という名において反民主主義に転落しうるであろう。ナチスこそそのような放任された風土の中で生れたのではないかと私は思っている。
アメリカは世界戦略においてとても慎重であり、あまり急がないものだと私は考えている。ソ連の崩壊そして東西ドイツの再結合の時もアメリカはそのような姿勢ではなかったか。私はそのような歴史の一大転換がただ偶然によってのみ成立したものだとは考えない。アメリカにおける黒人大統領の出現に対しても私はそのような目でながめている。かつてのソ連の世界支配はいかに独裁的であったことか。それは時間が過ぎれば過ぎるほど窒息しそうに首をしめてきたではないか。
アメリカの場合はそれとはまさに反対であるといえばどうであろうか。それはだんだんと寛大になり、開放的になりその国民に自由を与えるものであるといえるのではなかろうか。終戦以降今日に至るまで我が国に対する彼らの姿勢を見れば分かるのではなかろうか。反米主義者たちはそうではないというかもしれないが。わたしは彼らの方がより観念的であり、非現実的であるという考えを消し去ることが出来ないでいるといえよう。(2012年5月25 日)
≫比較思想の巨著である≪
トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』(第一巻下)は比較思想の巨著と言わねばならないと私は考える。それはヨーロッパと新生アメリカとを比較したものであった。「アメリカでは法をつくる者もこれを執行する者も人民が任命する。好みにおいても利害の上でも国の幸福を真摯に希求する平穏な市民」、これがアメリカの市民であるという。トクヴィルはこのようなアメリカの市民とヨーロッパの国民を比較した。国王のような支配者のいるヨーロッパの場合と市民のみがいるアメリカの場合である。専制的な収奪者である支配者という重たい経験が米国史にはなかった。われわれも長い歴史を歩んで来ながらいかに賢明な支配者、仁君を渇望してきたことか。
韓国の騒々しい政党政治をいまわれわれは眺めている。民主化運動の巨匠たちが失敗すると、独裁者の娘が脚光を浴びて登場してくる今日ではないか。若い人たちは彼女が希望のシンボルといっている。トクヴィルが「偉大な政党」と呼んだものは何であったか。
「私が偉大な政党と呼ぶのは、結果よりも原理に、個々の場合よりも一般原則に、そして人間よりも思想に執着する政党である」
このような政党は「そうでない政党に比べて気位が高く、高尚な情熱に燃え、信念に堅く、その行動は率直にして大胆である」といった。そこでトクヴィルは「矮小な政党には一般に政治的信念が欠けている」といいながら「偉大な政党は社会を覆し、矮小な政党はこれを騒がしくする」という。それはそうであろう。そのような偉大な政党はいつどこに存在したといえるであろうか。韓国の政党史とは矮小な政党のせめぎあいの連続ではなかったか。トクヴィルは「アメリカにもかつては偉大な政党があったが、今では存在しない」といった。政党政治の悲劇であり、限界であると言えるかもしれない。それは人間社会の悲劇であり、限界でもあろう。その限界を最小限度に抑えることができるものがあるとすれば、それは自分の利害関係を超えた国民の批判的活動ではなかろうか。
トクヴィルは180余年前「アメリカは現在、世界中で、国内に革命の根が最も少ない国であろう」といった。このことは今日においてもそうであろう。革命を心配する必要のない国である。ソ連もそうではなかったし、中国もまだそのような心配のない国とはいえないかもしれない。そこでは政治的変動の可能性を警戒してどれほど多くの予算を割り当てなければならないのだろうか。アメリカはその代わりにそのような予算を対外的に使用しうるのかもしれない。世界の危機からくる脅威を警戒しながら、世界の警察となることがまさにアメリカ自身に対する防衛であると考えるのではなかろうか。
トクヴィルは、アメリカにおいては出版の無限に近い拡散がまさに出版が無力になる原因になるともいった。出版の大量消費をおそれて監視の目を厳しくする必要はない。それでは今日のようなコンピューターによる批判的世論の拡大はどのように考えるべきであろうか。批判は増えているがその力は中和されているというのである。トクヴィルは次のように書いた。
「新聞の影響を中和する唯一の手段はその数を増やすことだというのは、合衆国の政治学の公理の一つである」
しかしトクヴィルは彼の祖国のフランスは勿論のこと、ほとんどすべての国がマスコミとの戦いを続けているのではないかといった。今日においてもどこでもそういう状況であるといえるかもしれないが、特にコンピューターの増大によって、いわば私的な言論と新聞や放送との間に葛藤が起こっていると言えよう。インターネット新聞もあるではないか。
民主政治の弱さは、何よりも「人民は理性よりもはるかに感情で動く」というところにあるとトクヴィルはいった。そのことはこの国においてもまさにそうであるといわねばなるまい。軍事政権のもとで多くの人が犠牲にされて苦しみ、多くの市民がその政治を拒んだのであるが、今日に至ってはかえってその政権を讃える人々が増えて、その専制政治の独裁者の娘を支持しているというまさに反動の時代ではないか。いまの若者たちはほとんどがその専制時代を経験していない。それはその時代を生きてきた人々でも、民主化後の社会特にその政治勢力に対する批判を避けられなくなった。歴史には常に過去に対する忘却と美化という反動現象が現れるものである。
過去の専制的な体制や政治と直接戦った人々でなければ、政治に対するそのような安易な姿勢というのは避けられないのではなかろうか。歴史の反復または革命に付きまとってくる反革命の歴史と時代の動揺は続くものであろう。このような状況を前にして、今度の選挙はどうなるのであろうか。いわゆる民主化勢力の反省と懺悔の時とも言えるかもしれない。
トクヴィルは専制体制の下では「理性と知性を備えた存在の集まり」はありえないといった。このような意味で韓国の軍事政権下で経験せざるをえなかった人間の転落とは本当に深刻なものであったといわねばなるまい。善良な人間は受難にあい悪人は成功した時代であった。そのような時代を経ながら抵抗した人々も他人を憎まねばならなかったし、手段と方法を選ばずに戦わなければならなったために、その心は荒廃に荒廃を重ねたと言えるのではなかろうか。戦いにおいて勝利は勝ち得たが、心は善なるものから遠のいてきた。戦いが終わった日、懺悔と和合の儀式がなければならなかったのではなかろうか。
過ぎ去った過去の悪しき戦いの日々において、転落した人間性をそのまま背負ってきたように思われてならない。悪しき時代がもたらしてくれる最も大きな罪悪というのは堕落した人間性を生み出すことにあろう。戦いの後、とりわけ権力の周辺に残った人々は、ほとんどがそのような人々であったのではないか。トクヴィルのつぎのような言葉は、人間の在り方を示した言葉として記憶されるべきであろう。
「暴力に従う人間は卑屈になる。だが同胞の持つ命令権を承認してこれに従う者は、ある意味で命令する者より上に立つ。美徳なしに偉大な人物はなく、権利の尊重なしに偉大な国民はない」
実に美しい言葉ではないか。軍事政権の暴力に協力した者は勿論であるが、それに服従した者の場合も、それに抵抗した者の場合も、その人間性は退廃するものである。だからこそその政権は全国民を退廃の穴に陥れた到底赦し難い者たちである、といわなければならないのではなかろうか。軍事政権に服従して卑屈になった人間ども、そのような人間どもが、今までこの世を楽しんでいたかつての民主化勢力が正当性を失いかけると再び発ち上がるというこの頃である。これが反動の時代というものである。
軍事政権のあいだ投獄されながら戦ってきた李在五(イゼオ)が、今まで残存していた軍事政権の亜流の権力集団に参加していた恥をかみしめて立ち上がった。そして今度大統領候補として立とうとする朴正煕の娘に、女性が大統領候補とはという疑問の声を上げて、与党あげての攻撃にあった。このような状況に当面している彼を見て気の毒な気がする。残忍な軍事独裁者の娘がその独裁者をかついで大統領になろうとするというこの倒錯した時代には、私は生きていけない、と堂々といえない彼の立場に一抹の憐れみを感じざるをえない。
トクヴィルは「アメリカの地に降り立つやいなや、ある種の喧騒に巻き込まれる」といいながら「幸福を追求してかくも動揺の絶えない国の方が、運命に満足しきっているような国より一般にずっと豊かで繁栄している」といった。そしてアメリカに対して「幸福の追求にこれほど懸命に努める国民はあるまい」といった。
「この絶えず沸き起こる喧騒は、民主政治がまず政治の世界に導入したものである……『治力』、社会全体に倦むことのない活動力、溢れるばかりの力とエネルギーを行き渡らせるのである」
これがヨーロッパ社会に比べて、その当時のアメリカ社会が見せてくれる新しい時代の姿であるとトクヴィルは言ったのであった。
トクヴィルは19世紀のアメリカのことをいっているが、私は現代のアメリカを眺めながら一種の神国論を繰り広げて見るべきではないかと思わざるをえない。アメリカこそ現代においてサミットに至ったほとんど唯一の国であるといえるのではなかろうか。第 2の国として日本とか中国を云々したりしながら、ロシアもヨーロッパの国々もあまり眼中にないというのがこの頃の世論というものではなかろうか。そしてほとんどみなが、アメリカの経済圏に入って迫ってくるアメリカの牽制を当然のように思っているのであろうか。アウグスティヌスの『神国論』を注意深く読んで行かねばと思わざるをえない。アメリカでは法律家、いかに多くの弁護士たちが政治に進出してきたことであろうか。トクヴィルはこのように語った。
「アメリカには貴人も文人もなく、民衆は金持ちを警戒している。それゆえ、法律家こそ第一の政治的階級であり、社会のもっとも知的な部分をなすものである」
そしてアメリカ人の西部への移動に対してはこのように彼らの情熱をたたえた。
「彼らにあって、豊かな生活への欲求は、やむことなき熱烈な一つの情熱と化しており、満たされれば満たされるほどまた大きくなる」
しかし彼らは非常に宗教的であった。彼らは彼らが離れてきたヨーロッパと背景を異にしていることから、キリスト教的背景即ち教派的に異なる宗教を背負っていた。それは彼らが荒れた外の世界をさまよいながら、帰ってくれば「秩序と平安のイメージ」を注いでくれる安らぎの場であった。それは彼らをして、広くて自由な活動の場をのびのびと歩ませておいては「道義の絆」に結びつけてくれるところであった。それは彼らの一次的生活世界であった。トクヴィルは次のように語った。
「政治の絆が弛むのに対して、道義の絆がきつくならないとすれば、どうして社会は滅亡を免れようか。神に服さぬ人民を、どうしてそれ自身の主人にできるか」
西方へと沈む太陽に向けて果てしなく駆けて行く馬の歩みを、小屋ともいえる教会堂のかぼそいろうそくの灯が止めたとでもいおうか。宗教があらゆる不幸を隔てなく慰める感情にのみ支えられる限り、それは人類の心を引きつけうる。
「広野から戻ってくればまた陥らざるをえない不安の中にいざなわれるのであろうか。全体主義は沈黙の社会であるが、民主主義は実際不安定であり、時には騒ぎ立て興奮する社会であるといわねばなるまい」
トクヴィルはこう続けたのであった。
「静止とまどろみが絶対王制の法則をなすように、興奮と不安定は民主的共和政の本性に由来する」
トクヴィルはアメリカの民主的制度は「環境、法律、習俗の三つ」によって成立するものであるといった。北米、中米、南米において民主主義が成功したのは北米おいてのみではないか。環境のせいもあったであろうが、それのみではない。トクヴィルはそこで次のようにいうのである。
「イギリス系アメリカ人の法制と習俗こそ彼らが大を成した特別の理由であり、私の求める決定的な要因に他ならない」
特にアメリカの東部においてはそうであった。「宗教と自由」「習慣や意見」「横行と信仰」すべてが民主社会を可能にした。西部では、「社会の動きになにかしら無秩序で、激情的で、ほとんど熱病のようなものが支配し、そのため将来が見えにくい……」「これに比べて東部では“逞しく、規則的であり、また、落ち着いてゆっくり進む”……」。歴史的に形成されたこのような習性が民主主義を可能にした。それは生の方式であり、生に対する姿勢であった。そこには戦後の韓国におけるような「国父」と呼ばれた「主権者」など存在しえなかった。
トクヴィルは『アメリカのデモクラシー』(第一巻)においてアメリカの南北戦争(1861年~65年)が起こってくることをほとんど予言したといえよう。北部では商工業に従事しながら汗を流しているのに、南部では奴隷を使役しながら閑暇を楽しみ、新しい貴族生活を追い求めるようであると彼は見なした。南部の間にはこのような社会がかかえる生産性の差などその対立は避けられなかった。黒人奴隷は解放されねばならないが、黒白間の差別のない共生までは、トクヴィルは考えられなかったようである。彼はインディアンたちは狩猟経済にとどまって敗北するであろうと考えたが、「万人が人間の平等化を求める世紀に生きている」とはっきり言及したのであった。
そして第1 巻の終わりに至って「異なる点から出発しながら同じゴールを目指して進んでいるように見える二大国民……ロシア人とイギリス系アメリカ人」を上げて、「アメリカ人の征服は農夫の鋤でなされ、ロシア人のそれは兵士の剣で行われる」といった。そのために「一方の主な行動手段は自由であり、他方のそれは隷従である」といった。それは1835年における世界史に対する予言といえるのではなかろうか。私は現代というこの時代における神国論を求めて、アウグスティヌスの『神国論』を再び読まねばならぬと考えるのである。
私は現代に現れる神の国をそれほど美化し絶対視しようとはもちろん思わない。私はその険しい顔を電池のあかりで照らし出してみて、否定している方に属していると思っている。アメリカには今もなお暗闇に埋もれて敵対する者たちが横行しているといえるかもしれない。しかし、あれがこの地上における21世紀の神の国の姿というものではなかろうか、という思いに強いられる。アメリカは世界という鏡にそのように自身が照らし出されるのを警戒しているかもしれないが、私は人間が人間の力で実現しようとする神の国とはその程度の姿ではなかろうかと思うのである。(2012年6 月21日)
(続く)
池明観(チ・ミョンクワン)
1924年平安北道定州(現北朝鮮)生まれ。ソウル大学で宗教哲学を専攻。朴正煕政権下で言論面から独裁に抵抗した月刊誌『思想界』編集主幹をつとめた。1972年来日。74年から東京女子大客員教授、その後同大現代文化学部教授をつとめるかたわら、『韓国からの通信』を執筆。93年に韓国に帰国し、翰林大学日本学研究所所長をつとめる。98年から金大中政権の下で韓日文化交流の礎を築く。主要著作『TK生の時代と「いま」―東アジアの平和と共存への道』(一葉社)、『韓国と韓国人―哲学者の歴史文化ノート』(アドニス書房)、『池明観自伝―境界線を超える旅』(岩波書店)、『韓国現代史―1905年から現代まで』『韓国文化史』(いずれも明石書店)、『「韓国からの通信」の時代―「危機の15年」を日韓のジャーナリズムはいかに戦ったか』(影書房)
池明観さん日記連載にあたって 現代の理論編集委員会
この連載「韓国の現代史とは何か―終末に向けての政治ノート」は、池明観さんが2008年から2014年にかけて綴ったものです。TK生の筆名で池明観さんが1970年代~80年年代に書いた『韓国からの通信』は雑誌『世界』(岩波書店)に長期連載され、日本社会に大きな衝撃と影響を与えました。このノートは、折々の政治・社会情勢を片方に見ながら、他方でその時々、読みついだ文学作品、あるいは政治・歴史にかかわる書籍・論文を参照しながら、韓国の歴史や民主化、北朝鮮問題、東アジア共同体の可能性などを欧米の歴史・政治と比較しながら考察を加えています。
今回縁あって、本誌『現代の理論』は、著者・池明観さんからこの原稿の公表・出版についての依頼を受けました。第12号から連載記事として公開しております。同時に出版の可能性を追求しています。この原稿の出版について関心のある出版社は、編集委員会までご連絡ください。
連載
- 連載/池明観日記─第12回
韓国の現代史とは何か―終末に向けての政治ノート池 明観(チ・ミョンクヮン)