特集●コロナに暴かれる人間の愚かさ

東京五輪は中止!近代オリンピックは廃止!

反五輪市民の世界的連帯の力を集めて

オリンピック災害おことわり連絡会 宮崎 俊郎

7月17日から19日にかけて実施された共同通信社の全国電話世論調査では、「来夏に開催すべきだ」は23.9%、「再延期すべきだ」は36.4%、「中止すべきだ」は33.7%という結果が出た。

来年開催すべきだという意見は今年3月から比較しても徐々に少数派に追い込まれてきている。コロナ状況に出口が見えない「閉塞感」は「オリンピックどころではない」という姿勢を招いているが、コロナの終息後にはなんとか東京でオリンピックをやりたいという「再延期」派が「中止」派を若干だが上回っているのも複雑な心性の表出なのだろう。

まずはオリンピック「延期」の政治性について考えてみたい。

3・24東京五輪「1年延期」の政治性

コロナ状況のなかで3月24日にようやく安倍・バッハ会談によって東京オリンピック・パラリンピックは1年延期が決定された。もうすでにほとんどの人たちがそのカラクリに気づいているが、その日以降にコロナ感染者数は激増している。感染拡大は3月に入ってから表面化しつつあったのに、検査体制をわざわざ抑制することで感染者数を「偽造」し、予定通りオリパラを敢行しようとしたが、それがこらえきれなくなったということだ。

ここまで引っ張ってきて感染を拡大したのはまさに「オリンピック災害」であり、安倍や小池の責任が普通ならとっくの昔に問われていて当然である。しかし、その後小池に至っては、「首都封鎖」や「オーバーシュート」などの威勢の良い言葉を並べてさも初めからコロナ対策を万全に行ってきたかのような雰囲気を醸成したが、そもそも3月24日前にはなんらコロナ対策には言及していなかったのである。

7月に入って、厚生労働省クラスター対策班の押谷教授から東京都に示された感染状況の予測文書2通を東京都が廃棄していたことが発覚した。最初の文書では「現状のままでは2週間後に都内で感染者が1万7千人に増えると予測。次の2日後の文書では3千人に減少。そしてその2日後に押谷教授が示した数字は320人。小池知事はこの数字を記者会見で発表した。「算出根拠が不十分な作業途中のもので、組織としての利用を想定していない」ので「行政文書には当たらない」と都の担当者は文書廃棄を正当化している。

しかし、この廃棄はどう見ても感染者数の隠蔽工作としか理解しようがない。検討経過を明確化するためには、逆に作業途中の文書を残すことが必須である。ここでもオリンピック強行開催への政治工作の痕跡が明瞭に見て取れるのである。

安倍vsバッハ?!

3月24日の延期決定は安倍とバッハの電話会談でなされた。これこそがオリンピックの政治性を象徴している。少なくとも小池・バッハ会談でなくてはならなかったはずだ。電話会談に同席していたのは、森喜朗組織委会長、橋本聖子五輪担当相、菅義偉官房長官で、山下JOC会長の姿は見えず、その後のインタビューにおいて「1年延期の内容はテレビで知った」と発言したくらいだから、完全に蚊帳の外だったのだ。そもそもJOCは東京都とともにIOCと東京五輪の開催都市契約を結んだ当事者であり、安倍や菅、橋本聖子ではなく、山下泰裕が小池と同席すべきだったのだ。

1年延期決定は五輪憲章違反

近代五輪において、その開催が延期されたことは過去一度たりともなかった。中止に追い込まれたのは、夏季大会で1916年ベルリン、1940年東京、1944年ロンドンの3回。冬季大会で1940年札幌、1944年コルチナ・ダンベッツィオの2回で計5回。いずれも世界戦争の拡大によるものである。

これまで延期がなかったのはなぜか。それは次のオリンピック憲章の条項による。

「オリンピック競技は、そのオリンピアードの最初の年に開催しなければならない。オリンピック競技大会は、いかなる事情のもとでも、ほかの年に繰り延べることはできない。一つのオリンピアードの最初の年に開催しないときはそのオリンピアードは取り消しとなり、その選定された都市は開催都市として権利を失う。この開催都市の権利を次のオリンピアードに繰り越すことは認められない」

オリンピック憲章とは国家に例えれば憲法にあたるオリンピックの規範である。延期というのは憲章違反であり、だから近代オリンピックにおいて延期という事態はあり得なかったのである。それをバッハIOC会長の一存で承諾し、事後の理事会で承認させたが、超法規的措置であり、本来憲章の改「正」をIOC総会の出席委員の3分の2以上の賛成を持って行ってからでないと成立しない措置だったのである。

小池百合子圧勝は何を意味するか

都知事選挙は小池百合子現都知事の圧勝に終わった。ほぼ予想通りだったが、野党統一候補の樹立が失敗に終わったことや小池のコロナ対策に対する賛意が多数だったことなどがその勝因としてあげられるが、なんとも釈然としない。

オリンピック延期vs中止は選挙戦開始時点では争点化されると見なされていたが、選挙戦中盤以降かなり後景化し、どの候補も触れなくなった。各種マスコミの世論調査においては中止派は延期派をかなり上回っていたにもかかわらず。

都民は「コロナ対策と五輪開催は両立しない」ことに薄々気が付き始めていた。しかし、中止派も延期派もオリンピックに触れることが得策ではないという政治的判断が優先したと私は見た。唯一中止を鮮明に打ち出している山本太郎ですら後半の街頭演説でオりンピックに全く触れなくなった。ここでは開催の是非に触れないことがオリンピックの政治性として場を支配したのだ。

ではなんで小池が圧勝したのか。他があまりにダメすぎたのだ。特に安倍政権の末期症状は小池や大阪の吉村を相対的に浮上させる効果を持った。人間の記憶なんていい加減なものである。先述したが、小池はオリンピック延期発表の3月24日までは何らコロナ対策について言及しておらず、その後の派手なコロナ対策のパフォーマンスは都民の目に焼き付き、都知事選を乗り切ったとしか言いようがない。選挙投票日まで街頭演説は一切行わず、オンライン選挙を貫徹しながら、毎日のようにコロナ対策でメディアに露出し続けた「公務」は実は最大の選挙対策だったのだ。

東京五輪はコロナからの「復興」五輪

小池再選はオリンピック1年延期開催をなんとしてでも実現したい輩にとって最後の頼みの綱である。延期派のスローガンはコロナに打ち勝った証としての「コロナからの復興五輪」である。この「復興五輪」というスローガンが何とも胡散臭い。

過去の東京五輪はすべて「復興五輪」だった。

第二次世界戦争によって中止に追い込まれた1940年の幻の東京五輪は、1923年の関東大震災からの復興、1964年東京五輪は第二次世界戦争からの復興、そして2020年東京五輪は3・11からの復興をアピールする徹底的に政治的なイベントである。さらに延期された東京五輪を「コロナからの復興」に衣替えしようとしている。

これらの「復興」という文脈は、決して復興していない現実を隠蔽し、あたかも復興しているかのごとく世界に対して偽装することが最大の目的である。その目的を達成するツールが民衆の目を「祝祭」に引き付けるメガ・イベントとしてのオリンピックなのだ。1936年のナチ五輪以降、近代五輪とは政治的駆け引きの材料としてボイコット戦術まで駆使されてきた政治まみれのイベントであり、今もそれは何ら変わっていない。

中止も目前だ!

オリパラ1年延期も風前の灯火だ。すでにIOCのバッハ会長は再延長はありえないと公言しているということは、コロナ終息が見えない今、中止に大きく舵を切ったということだ。IOCのコーツ委員長は開催判断を10月としたが、「ブラックボランティア」の著者である本間龍は8月末には中止宣言をすると予測する。3月時点で組織委では約3500人の職員が働いている。組織委に出向している自治体職員の処遇が問題となり、各自治体ともコロナ対策で帰任指示を出しており、その指示の解除が8月末としている自治体が多いようだ。

各自治体ともそれほどのゆとりはなく職員を組織委から引き上げるのではないかというのが本間の読みだ。特に東京都はオリパラ準備局に460人、組織委に850人と本庁職員の1割を超える職員を差し出していて、なおかつコロナ状況が追い打ちをかけており、すでに限界を超えていると言われている。

それでもやめられないのはなぜか?

一方、最後の最後までオリパラ中止を決められない事情も一方に存在する。それは「カネ」だ。延期や中止を選択することによって金儲けを企んできた連中からの凄まじい突き上げが国や都に対して有名無形で存在するのだ。84年のロス五輪以降のオリパラはまさしく「商業主義」の権化だった。オリパラ施設建設等によって都市は再編され、地域破壊によって多くの住民が追い出され、貧困化が加速する一方で、オリパラスポンサーとなった多国籍企業は巨額の富をえることとなる。さらにIOCやJOCにはそうしたスポンサーから莫大なスポンサー料が転がり込む。

様々な数字が飛び交うが、関西大学の宮本勝浩名誉教授の試算によると、経済的損失は延期の場合だと6,408億円、中止だと4兆5,151億円に及ぶという。私たちは延期によって発生してくる追加費用数千億円を中止することによってそのままコロナ対策に転用すべきだと論ずることがあるが、経費問題としてはそう簡単な計算で済ませるわけにはいかないのだ。

しかし、構造的には延期や中止によって当初儲かると目されてきた人たちが儲からななくなることを恐れてその判断に対する圧力がかかっていることは間違いない。だから簡単にやめられない。

商業主義を告発できない分かりにくさを追及

オリパラの経費問題は追及してもなかなかクリアーにならない。かなり以前に東京都に対して予算に占めるオリパラ経費の割合を質問したことがあるが、各局で関連事業を個別に予算化しており、オリパラ経費として集計していないので把握していない、という珍回答だった。この経費把握の構造は東京都だけではなく、組織委員会やJOCなどのオリパラ関連組織にも通底しており、わざと分かりにくくすることによって実質的には「オリパラ予算は青天井」という構造を創出しているのだ。

招致時に提示していたのは「コンパクト開催」として7000億円程度であったが、東京都と組織委が2019年12月にまとめた予算計画V4によると東京都と組織委がそれぞれ6000億円、国が1500億円、合計1兆3500億円。この他、東京都は大会関連費として8100億円を計上している。会計検査院は関連費用を積算していくと3兆円を超える費用がかかると見込んでいる。

様々な数字が飛び交う中、どこまでをオリンピック関連費用として積算するかによってオリンピック開催のためにかかる費用も変幻自在な数字と化しているのだ。

五輪延期のためには数千億円の追加経費が必要だと言われている。この追加経費の負担についても水面下で確執があり、決着はついていない。

いずれにせよ1年延期と決定した時点で開催都市契約の変更を行っているであろうから、追加費用についても公開してその是非について議論できるようにしなければならないはずだ。この点についての追及も時間をかけて行っていかねばならない。

「委託化」社会の構造を撃て!

最後にオリパラにおいてもスポンサーを裏で差配している世界最大の広告代理店、電通の持つ「委託構造」社会の問題性を指摘しておきたい。コロナ対策の給付金事業やマイナンバーカードを使ってポイントを還元する「マイナポイント」事業で電通の関連している企業に委託したり、電通が委託を受ける、さらに再委託・再々委託のたびに膨大な手数料という名の利益を生み出す。

日本社会は20世紀後半の低成長時代に、公的セクションを極小化し、公務員を減らすことが最高善のごとく主要事業でさえ外注=委託する構造を生み出してきた。それが「安上り」だと妄信されてきた。しかし、それによって作られたのは、委託された「民」における不可視な構造と利権体質だった。その構造の頂点に君臨するのが電通だ。

コロナ状況において支出される私たちの税金の巨額さに物申しているのではない。その税金を横取りして儲ける構造は許し難く、そしてそれはおそらく政界に還流しているに違いない。

オリパラが単に中止になりさえすればよいわけではない。オリパラの持つ隠然とした日本社会のそうした構造を白日に晒して指弾することを併せて追求しなければならないと思う。  

オリンピックは中止ではなく廃止だ!

私は東京五輪の中止発表は時間の問題だと考えている。問題は東京におけるコロナ感染の状況ではなく、世界的なコロナ状況であり、現在アメリカも縮小傾向が見えず、来年の7月になったからといって世界のアスリートや観戦客を招くことのできる見通しは全く立っていないのだ。

私はコロナ対策と五輪開催は二律背反であると考えている。とすれば自ずと東京五輪中止は自然な解答である。しかし、コロナ状況だから中止が成立するのだとすれば、オリンピックの本質に迫れていない。

これまで見てきたように、コロナ状況はよりオリンピックの商業主義・政治主義・国家主義の醜い姿をより顕わにしてきたと言えるだろう。アスリートファーストであるならば、延期時期がまた酷暑の7月23日であるはずがない。出場するアスリートの環境よりもアメリカテレビ局の放映権や他のメガスポーツイベントの日程などに対する考慮の方が優先する、都市開催などと言いながら安倍・バッハ会談で1年延期が決定される光景、憲法であるはずのオリンピック憲章など全く無視されて1年延期が決定されるなどなど、近代オリンピックの末期的症状を露呈する事態が私たちの瞼に焼き付いた。

もう限界だろう。東京五輪だけを中止しても問題解決にはほど遠い。

今こそ近代オリンピックに終止符を打ち、商業主義、国家主義、勝利至上主義から脱却したスポーツイベントのありようをゼロから考えていく必要があるだろう。

2024年開催予定のパリでは、2020東京を延期して2024年に開催してほしいという声が反対運動を担う市民からも聞かれるという。私たちにとっては迷惑な話だが、自分にたかるハエは追い落としたいというパリ市民のオリンピックに対する嫌悪感もわからないことはない。

しかし、オリンピックは中止ではなくやはり廃止でなければならない。それを成就できるとしたら世界の反五輪市民の連帯の力をおいてほかにあるまい。あくまで私たちのスローガンは、No Olympics Anywhere in the World !だ。

みやざき・としお

2020オリンピック災害おことわり連絡会(おことわリンク)のメンバー。おことわりンクは2020年東京オリンピック開催に反対する様々な人々を緩やかにネットワークする。

連絡先・URL・メールアドレスなどは以下の通り。なお絶大なるカンパを!

千代田区神田淡路町1-21-7 静和ビル1階A スペース御茶ノ水 ATTAC首都圏気付

info@2020okotowa.link
fb.com/1378883338802691

特集・コロナに暴かれる人間の愚かさ

第23号 記事一覧

ページの
トップへ