特集●日本を問う沖縄の民意

参考―戦後賠償訴訟に関する法的解釈の歴史的変遷の諸例

戦後賠償訴訟に関して現れた条約による請求権放棄の法的な意味に関する諸例をまとめておく。下記の通り、時代により、また裁判所により大きく法的解釈が異なり、また変遷している。冒頭に挙げた国連の決議及びジュネーブ条約に接近する長い道のりでもあった。

1-1 米国訴訟中の日米両国の政府意見書

請求権は消滅した(“extinguished”)。 日米両国政府の当時の見解は、「サンフランシスコ平和条約の国民の請求権放棄条項によって、同権利は消滅した」であった。

1-2 原爆(補償請求)訴訟の東京地裁判決

同上、請求権は消滅した。

〇 韓国大法院新日鉄事件判決の『権・趙反対意見』

「『完全かつ最終的に解決されたことを確認する』は、請求権は消滅したか、行使できなくなる趣旨である。」

2-1 原爆(補償請求)訴訟における日本政府主張

外交保護権の放棄に留まる。国民の請求権は消滅しない(よって政府は補償義務はない)。しかし、この主張は戦後賠償訴訟の進展により、実質的に請求権は消滅したと同じことを主張していることを暴露した。

2-2 オランダ捕虜・抑留市民戦後賠償訴訟の控訴審で、日本政府が主張。

サンフランシスコ平和条約の国民の請求権放棄条項によって、外交保護権を放棄し、請求権は実体的に消滅したのではないが、「国内法上請求に応じるべき法律上の義務はすでに存在しないので、請求を拒絶できる。」(2001年2月27日)同条約の締結過程で日本政府が主張した解釈である。

2-3 西松建設最高裁判決

「請求権は実体上消滅するのではないが、裁判所に対し請求する権能を喪失したものと認める」(2007年4月27日)

ここで日本最高裁判所は、日中共同声明の「戦争賠償の放棄」の文言は、「サンフランシスコ平和条約の枠組み」で解釈するべきで、同平和条約の国民の請求権放棄条項は、外交保護権の放棄であり、請求権を実体的に消滅させるものではないが、裁判上訴求する権能を喪失したと判決した。これは、

① 結局「救済されない権利」と判決したという評価ができるが、

② 実体的権利は消滅しないという判決の趣旨を拾い上げると、少なくとも被告企業が和解に応じて金員を支払っても、実体的権利に対する正当な支払となる。(同判決は、「上告人(被告企業 筆者 注)を含む関係者において、被害の救済に向けた努力をすることが期待されるところである」と付言し、明示していないが、企業の自発的和解を勧告したとも受け取れる。)

③ さらに発展させ、日本国において「裁判上訴求する権能を喪失した」と判決したが、実体的権利は存在しており、「被害者の属する国の裁判所」では、同権利を認容することができる。→2012年の韓国大法院差戻判決につながる。

〇 韓国大法院新日鉄事件判決の『金・李・盧個別意見』

「外交保護権の放棄に留まる。請求権の行使はできる」

〇 韓国大法院判決(2012年5月24日)

「人道法に違反する不法行為による損害賠償権は、日韓請求権協定の範囲に含まれていない」「含まれているとしても外交保護権の放棄に留まり、請求権は消滅しない」(原告敗訴判決を破棄差し戻した)

3 イタリア破棄院(最高裁)のCivitella判決(2008年10月21日)

ドイツとイタリアの請求権放棄条約は反人道的な行為による損害賠償請求権に関しては無効である。

4 1949年、ジュネーブ条約の共通条項

国際人道法に対する重大な違反行為 (拷問或いは非人道的な処遇)による責任については、加盟国は責任を免除することはできない。また、他の加盟国の責任を免除することはできない。(1949年「戦時における市民の保護に関するジュネーブ条約」148条。)

(上記1乃至4とは位相を異にして)

〇 韓国大法院判決(2018年10月30日新日鉄事件判決)

大法院の判決は、政治的に伸ばされていたが、今般大法院が原告勝訴の判決をした。原告勝訴の判旨は3と「含まれていない」点を共有する。「人道法に違反する不法行為による損害賠償権は、日韓請求権協定の範囲に含まれていない(『多数意見』)。この「含まれていない」ことは、日韓請求権協定が同請求権について「外交保護権の放棄」に留まるとか、消滅したという議論とは別個な議論である。日本の朝鮮半島の植民地支配そのものが違法であって、この上にあって非人道的な不法行為による精神的損害の慰謝料請求権は、日韓請求権協定の討議の対象ではなかったとの認定である。この議論は、戦争と平和条約における国民の請求権に関する取り決めとは別個な旧植民地の独立と戦争動員の責任問題として区別される。

しかし、内容上、逆に言えば「人道法に違反する不法行為による損害賠償権」は、協定又は条約で明瞭に議論され、且つ明瞭に消滅させるという手続きを踏んでいない場合、「含まれる」とは解されないという態度であるともいえる。位置づけは難しいところで、本来は、戦争と平和条約の問題とは位相が異なり、植民地の独立と植民地支配の賠償問題として、別系列に位置づけするべきであろう。

戦時下の人道法違反の行為の被害者は、国家間の条約でその損害賠償請求権を放棄されないという考えは、戦後賠償訴訟の展開とともに次第に有力になってきた。

戦争に関して、国家はすでに万能ではない。国家は現代の国際人道法に劣後する。

(2019年5月8日 弁護士 髙木 喜孝)

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