コラム/沖縄発

琉中交流史の一断面

『御冠船料理の探求』(鄔揚華著)に見る

出版舎Mugen代表 上間 常道

中国・上海出身の鄔揚華(う・やんふぁ)さんは、RBCiラジオ「揚華の琉中さんぽ」(毎週日曜朝8時半~)のパーソナリティとして、また、ブログ「鄔揚華のニイハオおきなわ」の書込みを通じて、日本語が達者な快活な中国女性として、沖縄では比較的よく知られた存在だが、京都大学大学院工学研究科博士後期課程の単位を取得した建築学専攻の才媛でもある。 その彼女が、沖縄の歴史、とりわけ琉中交流史に関心を持ち始め、中国での資料発掘を通じて、冊封使録の“白眉”と言われている『中山伝信録』(1721年)の著者である徐葆光(じょ・ほこう)に関する貴重な資料と情報をもたらしたのは、2003年のことだった。

同年、中国文聯出版社から刊行された彼女の著書《徐葆光『海舶集』―日文注釈―》は、「海舶集」全3巻(「舶前集」「舶中集」「舶後集」)のうち、それまで存在が確認されていた「舶前集」と、それまで現物の所在が不明だった「舶中集」「舶後集」を含む全巻を、徐葆光の出身地である蘇州近辺にある二つの図書館で発見し、それを公表した著作物である。

鄔さんのこの著作は、学界でも高く評価され、夫馬進編著『使琉球録解題及び研究』(京都大学文学部東洋史研究室、1998年、のち増訂版:榕樹書林、1999年)でも基礎文献として取り上げられ、その所論が採用された。 文献資料だけでなく、徐葆光の墓跡などの調査を重ねた末、それまであいまいだった生没年を確定したことも大きな仕事だった。それまでは、たとえば、1983年刊行の『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社)収録の「徐葆光」の項目(島尻勝太郎氏執筆)では、生没年が「?~1723(?~雍正1)」となっていたものを、生年と生誕地は「康煕10(1671)年 蘇州府長洲県」、没年は「乾隆5(1740)年 病没」であることを突き止めたのである。

その後も研究を続けられた鄔さんが、私の知り合いでもある彼女の友人をともなって来社されたのは2009年、用件は「舶中集」の影印版を日本で初公開するとともに、各詩の詳解を付した本を出版したいとのことだった。「舶中集」は徐葆光たち冊封使一行が沖縄に向けて出帆したときから帰帆した時期までをテーマとして扱った漢詩群で構成されていて、当時の沖縄(琉球)のようすや人物交流が克明に描かれていて貴重な資料だったから、何度かの打ち合わせを経たのち、わが社で刊行することが決まった。それが『「徐葆光 奉使琉球詩 舶中集」詳解』である。

出現する漢字にはパソコンでは打ち出せない文字種が多数あり、それをいちいち作字しながら作業を進めるのは困難を伴ったが、印刷会社の協力を得て、翌2010年6月には出版することができた。

なかには、「月蝕詩(七月十五日)」という作品があって、そこでは、教科書にも出てくる、かの有名なマテオ・リッチ(中国名:利瑪竇 りまとう)についても触れられている。マテオ・リッチは中国人と協力しながら、ユークリッドの『原本』の前半を漢文に翻訳した著書『幾何原本』の訳者の一人だが、そのことについても書き込まれている。

じつはこの時、つまり徐葆光たち一行が琉球を訪れた際、二人の測量士を伴っていて、彼らは琉球諸島をかなり詳しく測量したらしいことがわかっている。測量士を随員として来航した冊封使節は、後にも先にもこのときだけだったから、康熙帝が進めていた正確な世界地図作成の一環としての測量だったのかもしれない。この時の滞在日数は歴代最多の252日で、その理由は冊封使一行が持ち込んだ物品の販売に手間取ったからだというのが通説だが、測量のための日数を必要としていたからだという考え方も成り立つ。

いずれにせよ、『中山伝信録』と「舶中集」は、当時の琉球の政治・社会・物産・文化などを知るために不可欠の資料である。

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『「徐葆光 奉使琉球詩 舶中集」詳解』刊行からちょうど5年後の2015年はじめ、こんどは、みずからが上海の有名料理店や沖縄の識名園などで、中琉の一流料理人の協力を得て試みた「御冠船料理」の再現作業に関する本を出版したいと、新たな企画を持ち込んでこられた。

「御冠船料理」の「御冠船(おかんせん・ウクヮンシン)」とは、冊封使一行が中国―琉球間を航海したときに乗船した船舶のことで、一行が新国王のための王冠を舶載していたことから名づけられたというのが一般的な語源説である。中国側では、おおむね「封舟」と呼んでいた。

『御冠船料理の探求―文献資料と再現作業―』 B5上製、260p、出版舎 Mugen、定価

「御冠船料理」は、その冠船に乗ってきた使者たちを歓待するために琉球国王自らが主催して開いた宴席でふるまわれた接待料理のことである。これらの宴席はふつう七回催されたので、「七宴」とも呼ばれている。 この料理に関する文献資料はわずかしかなく、しかも基本的な材料しか記されていないので、なかなか全貌が摑めなかったが、そのわずかな基本資料を読み込み、現在の中華料理や「満漢全席」などを参照して全49品のレシピを作り出し、これまでにない完成度の高い「御冠船料理」を再現した。

その成果をより生かすために、そもそもこの料理が生み出されるもとになった東アジアの文化交流・物流関係はどんなものであったかを明らかにする作業も同時に進めた。

その結果、仕上がったのが本書である。

刊行までに2カ年以上かかったが、鄔揚華さんの新見解があちこちに散りばめられていて、やりがいのある編集作業になった。

うえま・つねみち

東京大学文学部卒。『現代の理論』編集部、河出書房などを経て沖縄タイムスに入る。沖縄タイムス発刊35周年記念で『沖縄大百科事典』(上中下の3巻別刊1巻、約17000項目を収録)の編集を担当、同社より83年5月刊行。06年より出版舎Mugenを主宰。

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