特集●資本主義のゆくえ

明仁天皇自身による象徴天皇制の再編強化

「生前退位」発言の意味するもの

筑波大学名誉教授・本誌代表編集委員 千本 秀樹

はじめに

2016年8月8日の、実質的に生前退位を求める明仁天皇のビデオメッセージは、マスコミはもちろん、国民の圧倒的多数に好意的に受け止められた。このことが意味するものは何か。

明仁天皇の主張の本質は、「天皇は国民統合の象徴として強力でなければならない。自分は老齢でそのような力を発揮できなくなったから、皇太子に譲位して、さらに強力な象徴天皇制を築いていってほしい」ということである。

これは天皇自身による天皇制再編強化の提案であり、それが国民の多くに受け入れられたということは、明仁天皇が象徴天皇としていかに強い統合力を持っているかということを示している。明治天皇や昭和前半期の昭和天皇が、政治的・軍事的権力をあわせ持つことによって強力さを誇示したことにくらべれば、明仁天皇が非政治的な立場を装いながら、このような強い統合力を持ったということは、強力な天皇として歴史に特記されるほどのことである。

それはわたしの、また統合される日本国民の精神的自由にとって、どのような意味を持つのか。

1. 第3次天皇制永続宣言

明仁天皇は、すでに5年ほど前から生前退位の意向を宮内庁関係者に伝えていたようで、2015年12月の天皇誕生日前の記者会見で意向表明が検討されたが、年明けから関係者による勉強会が続けられ、6月には文案の詰めの協議に入ったということである。天皇が生前退位を表明するということは、皇室典範、すなわち法律改正を天皇が提起することになるために、それは「憲法を守る」と言い続けてきた明仁天皇が、明確に憲法違反を犯すことであるから、宮内庁としても慎重にならざるをえなかったであろう。ただ、7月にNHKにリークされたときに、宮内庁が必死に否定したのは、今から見れば噴飯ものである。

日本国憲法第4条は「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」としており、第7条で10件の国事行為を「内閣の助言と承認により」行なうと定めている。ただ第10項に「儀式を行ふこと」とあり、これが皇室祭祀を含むとすれば、憲法そのものが政教分離の原則に反する。

このことから、定められた国事行為以外を行なうことは憲法違反であるという主張がある。天皇のいわゆる「公的行為」とは何かという問題である。明仁天皇即位当時、主要な公的行事への出席は、昭和天皇から引き継いだ国民体育大会と植樹祭、それまでは皇太子担当であった豊かな海づくり大会への出席であったが、明仁天皇は即位してから、「公的行為」を限りなくと言っていいほど拡大してきた。このことをビデオメッセージでは次のように語っている。

「天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。」

国事行為以外は私的行為であり、それを公的行為として行なうことは憲法違反であるという主張は、憲法第1条に象徴の定めがあり、象徴の地位を明仁天皇的に解釈するとすれば、それは違憲論よりは国民受けするであろう。昭和天皇時代の天皇自身による象徴論は、「常に国民のことを考えている」という程度以上を出なかったから、晩年の数カ月、公的行為どころか国事行為さえもできなくても、「病床にあってさえも国民のことを考えてくださっている」ということで象徴としての役割を果たしていると考えられてきた。

明仁天皇はそのような象徴の地位を飛躍的に拡大した。新しい象徴天皇制を創出したといってもよいだろう。  明仁天皇が高齢になるに従って、公的行為の縮小が提案されてきた。しかし天皇自身がそれを認めなかった。メッセージではこう語る。

「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終りに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。」

ここで語られていることは、「天皇は強くなければならない」という明仁天皇の天皇イメージである。憲法第5条では摂政を置くことが定められているのに、それに反してまでも生前退位を行なおうというのは、自分が強化した象徴天皇制を、さらに次代に引き継いでほしいという思いである。メッセージはこう閉じられる。

「このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の努めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。」

「長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ」というのは、明治憲法の万世一系国体観念を思い起こさせるが、それに続くくだりは、天皇制は永続する、国家のありかたは永久に変えさせないという、超ド級の政治発言である。これが改正を認める憲法第96条違反でなくて何であろうか。

わたしは「国体の護持」と「神州の不滅」を述べた「終戦の詔書」を第1次天皇制継続宣言、「日本は五箇条の御誓文」から民主主義国家であったとする「新日本建設の詔書」、いわゆる「人間宣言」を第2次天皇制継続宣言と呼んできた(拙著『天皇制の侵略責任と戦後責任』)。今回の天皇メッセージは、いわば第3次天皇制永続宣言である。

2.明仁天皇はリベラル派?―大きな勘違い

明仁天皇の「平和」や「民主主義」に関する発言から、国家主義、戦争のできる国家への道を暴走する安倍政権に対抗するリベラル派の旗頭として期待する声をよく耳にする。それは単なる勘違いではないか。

まず、天皇の言動に、どれほどの個人的意思が反映されているのかを検証しなければならない。原則として天皇は国政に関する権能を有しないからである。明仁天皇の最初の発言は、践祚2日後、1989年1月9日、即位後朝見の儀における「お言葉」であった。ここでは「……平和国家として国際社会に名誉ある地位を占めるに至りました。……皆さんとともに日本国憲法を守り……」と、護憲発言として話題になったが、これは竹下内閣の閣議決定を経たものであり、天皇の個人的意思は入っていないと見る向きが多い。

特に注目されたのは、戦後70年、2015年8月の全国戦没者追悼式における「お言葉」である。

 「戦没者を追悼し平和を祈念する日に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

終戦以来既に70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後というこの長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。

ここに過去を顧み、先の大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」

安倍首相の70年談話が、例年よりはるかにトーン・ダウンしたのにくらべ、「平和の存続を切望する国民の意識」ということばが、「安倍首相より踏みこんだ」と評判になった。ただ、宮内庁が「安倍談話の原案がないと『お言葉』の案が作れない」と迷走する首相官邸に要請したと伝えられるように、「お言葉」も宮内庁がお膳立てしていることは確かである。しかし、今の宮内庁官僚に、天皇本人の意思を無視して作文はできないだろうから、ある程度明仁天皇の考えが入っているだろうことは想像できる。

注目したいのは、安倍談話には形だけ残った、侵略と謝罪という文字がないことである。これは最近の戦地訪問における発言にも共通している。2015年4月8日のパラオ国主催晩餐会における天皇の答辞を見よう。

「ミクロネシア地域は第一次世界大戦後、国際連盟の下で、日本の委任統治領になりました。パラオには、南洋庁が設置され、多くの日本人が移住してきました。移住した日本人はパラオの人々と交流を深め、協力して地域の発展に力を尽くしたと聞いております。クニオ・ナカムラ元大統領始め、今日貴国で活躍しておられる方々に日本語の名を持つ方が多いことも、長く深い交流の歴史を思い起こさせるものであり、私どもに親しみを感じさせます。

しかしながら、先の戦争においては、貴国を含むこの地域において日米の熾烈な戦闘が行われ、多くの人命が失われました。日本軍は貴国民に、安全な場所への疎開を勧める等、貴国民の安全に配慮したと言われておりますが、空襲や食糧難、疫病による犠牲者が生じたのは痛ましいことでした。ここパラオの地において、私どもは先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います。」

植民地支配や同化政策には何の反省もなく他人ごとで、それどころか「安全な場所への疎開を勧める等、貴国民の安全に配慮した」などと恩着せがましい態度である。宮内庁職員が案文を作ったにしても、ここは気を悪くされないように直した方が良いぐらいのことを天皇はいえなかったのだろうか。

実はフィリピン訪問に際しても同様のことがあった。2016年1月27日、フィリピン大統領主催晩餐会における天皇の答辞である。

「当時貴国はスペインの支配下に置かれていましたが、その支配から脱するため、人々は身にかかる危険をも顧みず、独立を目指して活動していました。ホセ・リサールがその一人であり、武力でなく、文筆により独立への気運を盛り上げた人でありました。若き日に彼は日本に1カ月半滞在し、日本への理解を培い、来る将来、両国が様々な交流や関係を持つであろうと書き残しています。リサールは、フィリピンの国民的英雄であるとともに、日比両国の友好関係の先駆けとなった人物でもありました。

昨年私どもは、先の大戦が終わって70年の年を迎えました。この戦争においては、貴国の国内において日米両国間の熾烈な戦闘が行われ、このことにより貴国の多くの人が命を失い、傷つきました。このことは、私ども日本人が決して忘れてはならないことであり、この度の訪問においても、私どもはこのことを深く心に置き、旅の日々を過ごすつもりでいます。」

独立運動家をかばってあげたよ、あるいは育ててあげたよとでもいいたいのだろうか。そのあと軍事侵略したのは日本である。戦争についても、日米間の戦闘のまきぞえにしてごめんねというスタンスで、侵略当事者としての主体的な反省や謝罪はない。

高齢をおして、サイパンをふくめ戦地訪問を続けるのは、おそらく明仁天皇自身の意思であろう。しかしそれをもって、明仁天皇=平和主義者=リベラル派と見るのは早計である。

「お言葉」を長々と引用したのは、彼の発言が保守派は当然として、右翼のかなりの部分までもが了承する範囲内に留まっていることを理解していただきたいからである。もちろん右翼の一部は、天皇の護憲発言を憲法違反の政治発言であるとか、反日であるとか、皇室を左翼の巣窟にするなとか騒いでいるが、天皇の発言は、日本遺族会をはじめとする保守平和感情の範囲内に留まっているのである。靖国神社、日本会議でさえ、「平和」を主張する。問題は、どのような平和なのか、いかにして平和を実現するのかということである。安倍首相の誤ったことば使いである「積極的平和主義」がそれをあらわしている。

明仁天皇は侵略戦争であったとは、けっして言わない。戦争の犠牲者が国家による犠牲者であったとは絶対に認めない。保守派と右翼が、戦死者を国家への貢献者と位置づけているからである。

今、日本の国論は二分されている。立憲主義・反戦派か、それとも改憲・「積極的平和主義」かである。力関係は安倍一強で圧倒的だが、安倍首相には国民全体を統合するヘゲモニー力はない。これほど根本的な対立は、政治危機をもたらすはずである。にもかかわらず日本政治が変革に向かうのを躊躇しているのは、資本の支配の強力さと合わせて、明仁天皇が、反戦派、リベラル派、保守派、右翼の一部までをも強力に統合しているからである。その統合力を見ようとしないリベラル派は、明仁天皇を、反安倍だ、自分たちの味方だとだまされている。安倍首相が多数を維持して強権を発動しているのは政治的詐術によるものだが、その上に強力な天皇が存在しているのである。

3.精神の絶対的自由を

先に引用した部分に、「天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に」という一句がある。これは、自分が考える象徴の意味を理解してほしいということだろうが、同時に象徴天皇制を承認せよという強制も含まれる。

最近のマスコミがいう「公的行為」には、明らかに皇室祭祀も含まれている。これは宗教行事であって、私的行為にほかならない。一連の即位行事に含まれる大嘗祭も、天皇が神になる儀式であるから、宗教行為であるが、莫大な費用は公式行事のための宮廷費から支払われている。私的生活のための内廷費から支出するとしても、それも税金であるから問題である。

宮廷費は国事行為に限定すべきだ、内廷費は一般の社会保障を基準とすべきだという憲法学者の意見もある。少なくとも国事行為の「儀式を行ふこと」の儀式から、皇室祭祀は除くべきである。

このような宗教的存在である天皇を「国民統合の象徴」として承認せよというのは、信教の自由に反する。それ以上に、問題は憲法第1条にある。「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」の、「総意」である。「総意」であることを確かめていないからではない。それ以前に「総意」であると断定しているところにある。簡単な理屈でいうと、天皇が象徴であることを認めない人間は非国民であるということだ、日本国憲法第1条は強力な精神的暴力性を持っていると、わたしは繰りかえし発言してきた。

明治憲法も「現人神」であることを承認させるという暴力性を持っていた。しかしそれは、繰りかえすが、政治力・警察力・軍事力を背景に成立していた。だからほとんどの臣民は天皇は神ではなく人間であると認識していたが、「神である」と信じている「かのように」ふるまっていた。しかし今回の生前退位を支持する8割から9割の国民は、「御高齢なのにおいたわしい」と理解を示す。戦前のような物理的強制力はないにもかかわらず、天皇自身が示す象徴天皇像を受け入れているのである。残りの1~2割の多くも、退位しないでほしいという思いを持っているのではないだろうか。

安倍政権は今後の政治動向次第で倒れるかもしれない。しかし象徴天皇制自体は強力であり、根本的な社会変革への道は容易ではない。けれども皇位継承者が少ないという現状は変わらない。その危機感も明仁天皇が天皇制の強化を提案する一因だろう。皇位継承者をふやす皇室典範改正について、悠仁親王がいるからと消極的な政治家も多いが、女性天皇や女系天皇を警戒する勢力は、旧皇族の皇族復帰、あるいはたとえば秋篠宮の娘たちに女性宮家を創設させて、明治天皇のY遺伝子を継承する旧皇族と結婚させて皇位継承者を誕生させるというような奥の手を検討している。

かつて小泉信三というミッチーブーム、大衆天皇制の設計者がいた。今、天皇家の危機にあって、小泉のような設計者がいないために、明仁天皇自身が提案者となった。皇族制度がどうなるかは不透明である。しかしわたしは自由な社会をめざしたい。それは「わたしはどんなものにも統合されたくない」、「自分は何者にも象徴されたくない」という、精神の絶対的自由が保障される世界ではないか。

ちもと・ひでき

1949年生まれ。京都大学大学院文学研究科現代史学専攻修了。筑波大学人文社会科学系教授を経て昨春より 名誉教授。日本国公立大学高専教職員組合特別執行委員。本誌代表編集委員。著書に『天皇制の侵略責任と戦後責任』(青木書店)、『「伝統・文化」のタネあかし』(共著・アドバンテージ・サーバー)など。

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