コラム/沖縄発

アーティストと女優のコラボレーション

『浜辺にのこり、歌にきざまれた
        人々の夢・沖縄』によせて

出版舎Mugen代表 上間 常道

今年の年明け早々、普天間飛行場のフェンス際に建つ私設の美術館 佐喜眞美術館(佐喜眞道夫館長)の学芸員 上間かな恵さんから、出版編集企画(海辺の小石の写真:比嘉良治、ウチナーグチのネーミング:北島角子)の相談をメールで受けた。北島さんは彼女の伯母さんにあたる。

かな恵さんは私と同じ姓だが、姻戚関係にあるわけではない。といっても、彼女の出身地 本部町字具志堅と私の両親の出身地 今帰仁村字今泊は隣接する集落どうしなので、まったくかけ離れているわけでもない。

初対面は20年ほど前だった。私が沖縄タイムス社出版部に所属していたころで、ゾルゲ事件に連座して1943年8月、40歳で未決のまま巣鴨で獄死した沖縄出身の在米画家の生涯を描いた邦字新聞の連載原稿を、当時、北米毎日新聞社の代表取締役をされていた野本一平氏が知り合いを通じて持ち込まれてきた。検討した結果、刊行を決定。『宮城与徳―移民青年画家の光と影―』として発刊して間もないころだった。野本さんの知人だという、長野県上田市に開館して間もない戦没画学生慰霊美術館「無言館」の館長 窪島誠一郎氏から連絡をいただき来沖されたおり、夕食を共にする機会があったが、そのとき氏に同行されて来られたのがかな恵さんだった。

1月下旬、かな恵さんは企画案を持って宜野座映子さんといっしょに相談に来られた。初対面の宜野座さんは気さくな方だったが、その後、辺野古での新基地建設反対運動の先頭に立って闘い、映画作りや作劇など幅広い活動を通じて反戦活動を行っている元教員であることを知った。かな恵さんのメールでは、写真展のようすを見た彼女の、「この過程と写真には、残すべき沖縄の肝(チム)がある!」という直感が、この本の出版を決意した契機という。

私も直感にもとづいて、「映像の方がいいのではないか」と提案したが、本としてのレイアウトの大まかな案を持ってこられていたので、それを見つめているうちに、映像に残すにはもう一度同じ場面を再現しなければならないことに気づき、本として刊行するという意見に同意し、刊行するための準備を開始した。

◇ ◇ ◇

アーティストの比嘉良治さんとは直接お会いしたことはなかったが、1987年から2003年まで名護市で隔年開催されていた「フォトシンポジウム in 沖縄」の提唱者であることは聞き知っていたし、友人のカメラマンからニューヨークに短期留学したさいお世話になったという話を聞いていたので、赤の他人という感じはしなかった。しかし、実際に作品に出合ったのは2007年、沖縄県立博物館・美術館の開館時、開館記念展のカタログ『沖縄文化の軌跡 1872-2007』の編集を請け負ったさいだった。カタログには比嘉さんの作品は掲載されていなかったが、「海外のアーティスト」についての解説(翁長直樹学芸員)の中で触れられていたので、このさいどんな作品なのか知っておきたいと思い立ち、ネットを通じて写真集を検索した結果、『シャツの鼓動』(1988年、角川書店)を手に入れることができた。同書はシャツのさまざまな表情を92点のモノクロ写真で表現した、やや風変わりな作品集で、その表紙を参考図版として解説文に添えた。

さらに1年後、開館1周年記念展覧会「移動と表現―変容する身体・言語・文化―」のカタログには、中国で出会った人々の表情をとらえたカラーとその日常生活の諸物を切り取ったモノクロの組写真10点、アメリカの画家オキーフの色彩を想起させる抽象画ふうのカラー組写真10点が掲載されているが、いずれも真四角に焼き付けられていた。

同書掲載の「作家略歴」によれば、比嘉さんは1938年名護生まれ、56年名護高校卒業、61年多摩美術大学絵画科卒業、64年渡米、67年コロンビア大学大学院修了、その後、ロングアイランド大学(LIU)美術部教授、84年写真集『翔べ!子どもたち グワテマラの命』(角川書店)を刊行、2000年LIU名誉教授、04年ピンホールカメラによる写真集『虹の暗箱』(毎日新聞社)を刊行― などとなっている。

北島角子さんは、沖縄では知らない人はいないというほど名の知れた沖縄芝居の女優である。1931年沖縄芝居の役者で劇作家の上間昌成の娘として本部町で生まれ、39年家族とともに日本の委任統治下のパラオへ移住、46年沖縄に引き揚げ、名護高校を卒業しているから、同校出身の比嘉さんの先輩ということになる。その後、沖縄芝居の役者として活躍、81年、一人芝居「島口説」(謝名元慶福作)で第36回文化庁芸術祭賞演劇部門優秀賞など、数々の賞を受賞。沖縄戦を語り継ぐ一人芝居の第一人者である。また、63年に始まったRBCiラジオ番組「民謡で今日拝なびら」に今年まで53年間出演したが、その軽妙なウチナーグチの語りは人気を博していた。

◇ ◇ ◇

コラボ写真集の編集作業は、6月に比嘉さんが来沖され、Mugen事務所で打ち合わせを終えたあと本格化した。写真展の画像を中心に新たに撮影した作品を加え、作品の深みをだすためにダブルトーンで印刷し、10月に予定されている第6回世界のウチナーンチュ大会に間に合うように作業を進めること、全世界のウチナーンチュにも楽しんでもらえるよう英訳とスペイン語訳を付すことなどを決めた。レイアウトは比嘉さんご本人にお任せし、翻訳関係の仕事はかな恵さんと宜野座さんが受け持ってくれたので、私の仕事はそれらを整理して印刷会社に廻すデータを作成することが中心だった。

私自身は大阪育ちのため、ウチナーグチのニュアンスがよくつかめないので、北島さんのネーミングを見て思わず吹き出してしまうというようなことはなかったが、中にはニヤリとする画像とネーミングのコラボもあって、作業をしながらけっこう楽しんだ。

仕上がった本を見ると、小石の表情とそれに添えられたネーミングに、沖縄北部やんばる出身のふたりの芸術家の、ふるさとの自然と文化とことばによせる思いの深さがにじみ出ていて、ユーモアのなかにも、しみじみとした味わいを感じ取ることができた。


それが『浜辺にのこり、歌にきざまれた人々の夢・沖縄』(A4、変形上製本、97頁。写真(ダブルトーン)96点。定価本体2,222円+税)であった。

『浜辺にのこり、歌にきざまれた人々の夢・沖縄』

うえま・つねみち

東京大学文学部卒。『現代の理論』編集部、河出書房などを経て沖縄タイムスに入る。沖縄タイムス発刊35周年記念で『沖縄大百科事典』(上中下の3巻別刊1巻、約17000項目を収録)の編集を担当、同社より83年5月刊行。06年より出版舎Mugenを主宰。

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