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『核と反核の70年―恐怖と幻影のゲームの終焉』(金子敦郎 著 リベルタ出版、2015.8)

空想的核戦略から現実主義者の核廃絶へ

共同通信編集・論説委員 船津 靖

著者は8年前に『世界を不幸にする原爆カード』で、原爆開発を進めたF・ルーズベルト米大統領と、原爆の無警告対日使用を主導したトルーマン大統領、バーンズ国務長官らの関係と政治判断を丹念に分析した。その上で、広島と長崎への原爆投下の理由をめぐるガー・アルペロヴィッツはじめ、いわゆる修正主義学派の主張を肯定的に評価した。

修正学派

トルーマン政権以降、原爆投下は米軍の九州・関東への上陸作戦前に日本を無条件降伏させ米兵らの多大の犠牲を回避するためだった、と主張するのが米政府の立場だ。米国民多数の理解でもある。

第二次大戦前の戦時国際法においても、害敵手段(兵器)は人道の原則と軍事的必要性の均衡の範囲内に限り適法、とされた。広島、長崎では非戦闘員の住民20万人以上が無差別に殺害され、多くの市民が火傷や放射線障害に長く苦しんだ。この極度の非人道性を正当化するためには、相応に極めて大きな軍事的不可避性がなければならない。トルーマン政権が、日本本土上陸作戦の推定犠牲者数「100万人」といった、明らかに不合理な数字を持ち出し自己弁護と広報に努めたゆえんだ。

修正学派はこの公的な歴史に疑問を投げかけた。軍事的必要性ではなく、スターリンのソ連を威嚇して東ヨーロッパや極東の戦後管理で優位に立つための外交判断が主たる理由だった、と論じた。修正学派に対しては、政策決定者の非現実的な「合理的行為者モデル」が前提とされ、巨大組織の惰性的な「官僚政治モデル」を軽視している、との指摘もあるが、市民を無差別大量殺害した原爆投下の非人道性は動かない。

前著は、原爆投下と冷戦開始という国際政治史の最重要テーマに真正面から取り組んだ。国際ジャーナリストとしての長い経験と知見を感じさせる縦横の資料解釈と叙述の妙で、読み応えがあった。

包括性と臨場感

『核と反核の70年』は、前著の概要を序章に収め、射程を一気に現在まで伸ばした。対日無差別爆撃を主導したルメイ将軍による対ソ先制核攻撃計画、マッカーサーが共産中国への原爆使用を計画した朝鮮戦争、米ソの全面熱核戦争の現実的恐怖に生きた冷戦時代、その終結、イスラム聖戦組織や旧ソ連諸国犯罪組織による核テロリズムの懸念、そして近年の国際的な核軍縮・廃絶へのうねりまで、70年に及ぶ核をめぐる重要な事実がバランスよく、包括的に描かれている。著者は「核の時代」を概観する教科書として一般読者に読んでほしい、と記している。

レーガン米大統領とゴルバチョフ・ソ連共産党書記長はジュネーブで1985年、6年ぶりの米ソ首脳会談を開いた。著者は現地で取材し、共同声明に盛られた「核不戦の誓い」にいち早く注目し打電した。翌86年にレイキャビクで開かれた首脳会談にも取材チームを率いて乗り込んだ。そうした取材経験に基づく臨場感が本書の魅力の一つだ。

歴代米大統領や軍備管理当局者らの人間模様を浮き彫りにするエピソードも満載で、興味が尽きない。上下2段組で約350頁あるが、手に取って1日余りで読了した。強硬な対ソ脅威論者で、1950年に長く対ソ外交軍事戦略の基本となる「国家安全保障会議68号文書」(NSC68)を起草したポール・ニッツェが舞台回しの役を振られている。

特に印象深かったのは(1)米核戦略理論の空想性・非人道性(2)核兵器使用のタブー化進行(3)元米国務・国防長官らによる核軍縮・廃絶への動き―である。以下、順次紹介し論じる。

対ソ核戦争計画

(1)核戦略の空想性。ソ連が1949年に原爆実験に成功するまで原爆を独占していた米軍は、予防的な核攻撃でソ連の原爆製造能力を破壊する作戦計画を立案した。46年のピンチャー計画はモスクワはじめ約20都市に20~30発の原爆を投下し、ソ連を25師団で占領する、というものだった。戦略空軍司令官となったルメイが主導し毎年更新、実行の機会をうかがったという。

ケネディ政権の国防長官マクナマラは、戦略空軍の核戦争計画を軍の抵抗を押し切って明るみに出した。定義が不明確なソ連の「侵略」に対し3000発の核爆弾でソ連の1000カ所を攻撃する、というものだ。担当者は「全面核戦争の結果、生き残った米国人が2人でソ連人1人なら米国の勝利」と語ったという。本書のサブタイトルに「恐怖と幻影」とあるのは示唆的である。仮想敵の能力を過大視しがちな軍に核戦略理論の合理性だけを突き詰めるのを許すと、危険な核のファンタジーの世界に迷い込む。

62年のキューバ危機で、空軍参謀長に昇進していたルメイは若いケネディ大統領を強硬策で突き上げた。ちなみに、地上最強の米3軍を統合する国防総省の初代長官フォレスタルは、強迫的なソ連脅威論と激務のため精神に異常をきたして解任され、病院から投身自殺した。数千万人単位での殺傷、地球規模の放射能汚染、人類の滅亡といったSF的、黙示録な世界が、核兵器と戦略理論を媒介に、現実の世界と接している。冷戦後、核弾頭の数は大きく減ったが、偶発核戦争や通常戦争からのエスカレーションの危険をはらむ基本的な構造は変わっていない。

国際規範の圧力

(2)核使用のタブー化。2005年にゲームの理論でノーベル経済学賞を受賞したトーマス・シェリングは受賞演説「驚くべき60年―広島の遺産」で、広島・長崎の後、核兵器が使用されなかったのは、核兵器使用のタブー視、ヒロシマの聖地化などによって、核兵器は非人道的で使用不可能との認識が広まったことが大きい、と指摘した。道義的な国際規範が持つ現実的な圧力、抑制機能を重視した見方だ。

ここで、英国の歴史家マーティン・ワイトが国際社会の政治哲学における系譜を現実主義者=マキャベリ主義者、合理主義者=グロティウス主義者などの理念型に分類したことを想起したい。軍備管理当局者や伝統的な国際政治学の主流は、人間性や社会に対し一般に悲観的なリアリストだとされる。一方、国際規範を重視するのは、不完全な人間社会でも交渉と協力によって実効性ある規範や進歩をもたらしうると考える合理主義者である。

国連総会は1994年、国際司法裁判所に「核兵器の威嚇または使用はいかなる状況においても国際法上許容されるか」を問う決議を採択した。これを受け同裁判所は96年(a)国際法の原則に一般的に違反する(b)国家存亡にかかわる自衛の極限的状況では合法か違法か判断できない(c)核保有国は国際管理下で全面的核軍備撤廃に向けた交渉を完結させる義務がある―との勧告的意見を出した。決議の背景には「世界法廷運動」など合理主義者の市民や非政府組織の努力があった。

ワイトの分類を著者に適用することをあえてすれば、著者もこの意味での合理主義者だろう。著者がトルーマンよりも評価するF・ルーズベルトもワイトは合理主義者に分類している。

反核に転じたリアリスト

(3)元米高官らの「核なき世界」提唱。2007年1月、米国のキッシンジャー、シュルツ両元国務長官、ペリー元国防長官、ナン元上院外交委員長の4人が連名で「核兵器なき世界」と題する論説を米紙に寄稿し、核廃絶運動に大きな影響を与えた。論文は核抑止戦略の時代錯誤、偶発事故防止措置の強化、核兵器の大幅削減などを主張した。キッシンジャーは1950年代、限定核戦争論で名をはせた学者だった。09年にはオバマ米大統領がプラハで演説し「米国は核を使用した唯一の国として行動すべき道義的責任がある」「核なき世界を追求する」と述べノーベル平和賞を受賞した。

こうした動きの先例にNSC68のニッツェがいる、と著者は指摘する。対ソ軍事封じ込めの立案者で、歴代政権で軍や国防総省の高官を勤めたニッツェは1994年、核抑止戦略を捨て去るよう論陣を張った。

冷徹な現実主義者だった超大国高官らが核廃絶という理念を提唱し始めた背景には、現実的な根拠があるはずだ。核兵器不拡散条約(NPT、通称核拡散防止条約)の耐久性、核や兵器の使用に関する諸条約・国家慣習の蓄積による国際法の発展、冷戦終結、非国家アクターの台頭、国防関係者の交流、国際的市民運動の拡大―などだろう。背景に、情報通信革命による距離の短縮・消滅、世界のグローバル・ヴィレッジ(地球村)化がある。こうした国際社会の構造変動が現実主義者の政治意識に作用し、合理主義者の思考に近づけている。

統整的理念としての核廃絶

世界の核弾頭の約9割を保有する米国とロシアは2010年、新戦略兵器削減条約(新START)に署名し核軍縮への気運が高まった。しかしその後、「核なき世界」への希望は暗転する。2014年にウクライナ南部クリミア半島をロシア領に強制編入したプーチン露大統領は同年末、大陸間弾道ミサイル(ICBM)はじめ核戦力の近代化・増強を表明した。今年3月には、昨年2月にウクライナの親露政権が倒れた際に「核兵器使用の準備ができていた」とテレビで明言した。

今年5月には5年に1度のNPT再検討会議が合意文書を採択できずに決裂した。NPT未加盟の事実上の核保有国イスラエルを非核化することを目指す「中東非核地帯構想」に米国などが反対したためだ。核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)や多くの非核兵器国が求める核兵器禁止条約への言及は、米露英仏中のNPT加盟5核保有国の反対で最終文書に盛り込むことすらできなかった。

核廃絶を実現する道のりは遠く、不可能とすら思える。それでも核廃絶を目標とするのはなぜなのだろうか? この問への答えを探す試みとして、最後に柄谷行人氏が『世界史の構造』などで取り上げるカントの「統整的理念」に触れておきたい。

統整的理念とは、無限に遠いが、理性を持つ人間が近づこうと努める指標である。超越論的仮象とも呼ばれる。例えば、歴史に目的を、自己に同一性をみるのが統整的理念だ。柄谷氏は「世界共和国」についてこう書く。「それが完全に実現することはない。しかし、それは、われわれが徐々に近づくべき指標としてあり続ける。その意味で、世界共和国は統整的理念なのである」。

「世界共和国」を「核なき世界」に置き換えて読み、核廃絶への励みとしたい。

【主な参照図書】

・『世界を不幸にする原爆カード』金子敦郎著(明石書店)

・『冷戦の起源』永井陽之助著(中央公論新社)

・『国際理論―三つの伝統』マーティン・ワイト著、佐藤誠他訳(日本経済評論社)

・『大量破壊兵器と国際法』阿部達也著(東信堂)

・『NPT―核のグローバル・ガバナンス』秋山信将編(岩波書店) “Hiroshima Report 2014” 日本国際問題研究所、広島県

・『世界史の構造』(岩波現代文庫)

ふなつ・やすし

1956年佐賀県生まれ、東京大学文学部卒。共同通信外信部、モスクワ、エルサレム、ロンドン各支局、中東部会長、ニューヨーク支局長、国際局次長などを経て編集委員兼論説委員。戦略兵器削減条約(START)の米ソ首脳会談、イスラエル核保有問題とNPT、イラク大量破壊兵器保有疑惑の国連査察などを現地取材。著書に『パレスチナ―聖地の紛争』(中公新書、2011年)。

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