コラム/関西発

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神戸学生青年センターのきのうきょうあす

神戸学生青年センター館長 飛田 雄一

<スタートのころ>

神戸学生青年センターは神戸市灘区、阪急六甲より徒歩3分のところにある。各種セミナー、貸会議室、宿泊施設、アジアからの留学生への奨学基金、古本市などなど、けっこういろんなことをしている。逆につかみどころがないのか、コリアンセンター、有機農業センター、古本市センターと考えていてセンターに来て、ますます何をしているか分からんという方もいる。

センターの前史は、1955年、アメリカ米国南長老教会が六甲キリスト教学生センターを設立したことから始まっている。1966年に日本基督教団兵庫教区に伝道活動を委譲された。1969年11月、「学生センタービル建築準備委員会」が設置され、その後1972年4月、新会館がオープンしている。「財団法人神戸学生青年センター」(法人登記は翌年1月完了)の活動が始まったのである。

<朝鮮史セミナー>

最初に始まったセミナーは朝鮮史セミナーだ。第1期は、「朝鮮と日本-その連続と断絶をめぐって-」をテーマに、①古代Ⅰ・朝鮮の古代国家 井上秀雄、②古代Ⅱ・モンゴール侵入と義兵闘争 井上秀雄、 ③中世・いわゆる李朝封建制の成立と崩壊 韓皙曦、④近代Ⅰ・近代朝鮮と日本 中塚明、⑤近代Ⅱ・朝鮮解放の闘い 韓皙曦、⑥第二次大戦後の朝鮮と日本-日韓条約と朝鮮の統一問題- 中塚明を開いている。きっかけは講師としても登場している韓皙曦さんの訳書『朝鮮・自由のための闘い』の出版記念会に集まったメンバーが継続的に朝鮮史を勉強しようということから始まったと聞いている。韓さんは1998年に亡くなられるまでセンターの理事で、朝鮮近代史の専門図書館・青丘文庫(現在は神戸市立中央図書館内)の創設者でもある。現在までの朝鮮史セミナーの記録はセンターのホームページhttp://ksyc.jp/でみることができる。

<座学よりフィールドワーク?>

座学のセミナーに対して近年では現場を歩くフィールドワークが盛んだが、その走りともいえるのが「兵庫県下の在日朝鮮人の足跡を訪ねる旅」(1989.11.3~4)でないかと思う。甲陽園地下工場跡、昭和池、城崎等を、鄭鴻永さん、徐根植さん、寺岡洋さんの案内で訪ねた。

その後、京都マンガン記念館・東九条(1991.11)、さらに韓国へも江陵端午蔡(1996.6)、公州民族文化祭(1987.10)、珍島霊登祭(1998.4)、東学農民革命(1999.7)、済州島4・3(2000.5)、安東仮面劇フェス(2002.9)へ。2001年6月には朝鮮民主主義人民共和国ツアーも行い、2010年にはゲルマン・金さんの案内で中央アジアのコリアンを訪ねる旅も行った。私自身は、この中央アジアの旅が一番印象に残っている。

朝鮮史セミナーは朝鮮半島全体を視野に入れたものだったが、初期の頃にはセンターが韓国的だとか北朝鮮的だとかいろいろ揶揄された時期もあった。

<センター出版部>

センターには弱小ながら出版部があるが、設立のきっかけは朝鮮史セミナーだ。先に紹介したように、「解放後の在日朝鮮人運動」をテーマに夏期特別講座(1979.7、梶村秀樹)を開催したが、この時は最初からテープ起こしをして出版する企画だった。当時は今以上に生々しくタブーとされるようなテーマであるが、講演録という形で出版するのがいいだろうという判断だった。当時、大阪、京都でも朝鮮史セミナーが開かれており、共同企画のセミナーおよび出版だった。そして1980年7月、『解放後の在日朝鮮人運動』が出版されたのである。話題となり新聞でもとりあげられて7刷まで出されているが、今でも在日朝鮮人史を研究する上でこの本が基本文献となっている。出版物の目録もホームページをごらんいただきたい。朝鮮史セミナー関連以外にも、キリスト教セミナー、食料環境セミナー関連の本をだしている。

比較的売れた本は、以下の本だろうと思う。

・ 中塚明『教科書検定と朝鮮』1982.9(二部に新聞記事)在庫なし。
・ 朴慶植・水野直樹・内海愛子・高崎宗司『天皇制と朝鮮』1989.11(絶版)
・ 尹静慕(鹿嶋節子訳、金英達解説)『母・従軍慰安婦―かあさんは「朝鮮ピー」と呼ばれた―』1992.4
・ 鄭鴻永『歌劇の街のもうひとつの歴史―宝塚と朝鮮人』1997.1
・ 韓国基督教歴史研究所編著(信長正義訳)『三・一独立運動と堤岩里教会事件』1998.5
・ 金英達『朝鮮人従軍慰安婦・女子挺身隊資料集』1992.7
・ 竹内康人編著『戦時朝鮮人強制労働調査資料集―連行先一覧・全国地図・死亡者名簿―増補改訂版』2015.1

私自身も金英達と共編著で『朝鮮人・中国人強制連行・強制労働資料集』を出した。1990年版(絶版)1991年版(絶版)1992年版、1993年版(絶版)1994年版の全5冊だ。1990年から始まった「朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える全国交流集会」にあわせて作ったものだ。

弱小出版社にしてはよく出したものだと思う。『教科書検定と朝鮮』のように飛ぶように売れた本もあれば、「いい本です、類書がないです」と褒められながらも余り売れなくて倉庫に眠っている本もある。直接注文の他に、全国の書店でも「地方小出版流通センター扱いの本」と注文してくだされば入手できるので販売協力をよろしくお願いしたい。

<阪神淡路大震災とセンター>

1995年1月17日の阪神淡路大震災はセンターにとっても大きな出来事だった。

当時、ようやく電話が通じはじめた4、5日目に韓国ソウルに避難していた関学の留学生から国際電話が入った。面識のない留学生だった。大学院の手続のために早急に戻らなければならないが、神戸市灘区の自宅が全壊でもどれない、なんとかしてほしい、というものだった。交通が遮断されていた時期だが、関空から船でポートアイランドへ、そして徒歩ででも神戸学生青年センターまで来てもらえばなんとかすると返事をした。これが、センターを被災留学生・就学生専用の避難所になるきっかけだった。

すでにセンターに避難していたアルバイトの留学生と相談をして、センターを一時避難所として①新しい宿舎の斡旋をする②募金を集めて生活一時金の支給をする等の方針を決定してボランティアとともに活動を開始した。

被災留学生・就学生は韓国人、中国人、フィリピン人が4月24日までおよそ延1300人がセンターで生活した。新しい宿舎の斡旋は、近距離の適当な宿舎がなかったこと等の理由でふるわなかったが、留学生らが自主管理するかたちでセンターのキャパを考えて独身者を大学の研究室に追い出したりしながら人数調整をしてしのいでいた。

<おお当たりの古本市>

留学生救援活動が一段落したころ、大口のカンパをいただいたことから「六甲奨学基金」がスタートし、現在も続いている。兵庫県下の大学・短大・専門学校・日本語学校で勉強するアジアからの留学生・就学生に月額5万円の奨学金を支給しているのである。基金1300万円から毎年100万円を支出し、一方で募金を集めて5名分300万円の支給を行なうものだ。予定通り募金があれば13年間続くし、満たなければ数年で終了するというものだ。

元本が予想以上に目減りをしたので、資金集めのために「古本市」も始めた。今年が18年目である。最近では、400万円ほど売りあげるので、センターの一番有名なイベントとなっている。全国から古本が寄付されそれを文庫新書児童書100円、単行本300円で販売するのである。文庫本の販売が一番多いので平均単価130円としたら約3万冊が売れていることになる。古本市のおかげで奨学金は現在も継続している。来年も古本市を開催するので古本の寄附をお願いしたい。ブックオフへ本を持って行って受ける焦燥感を味あうことはない。

<フットワーク? ネットワーク?>

センターは、1972年4月の設立から43年。「平和・人権・環境・アジア」をキーワードに活動を続けてきた。私自身は、学生時代からセンターに出入りしておりアルバイトもさせてもらっていた。そしてそのアルバイト時代に、無事卒業したら正式に職員として採用してもらう約束までとりつけていた。そして1978年に採用していただいた。感謝している。他の仕事についていたらどんなことをしていたか、想像もできない感じだ。

阪神淡路大震災後に神戸にできた外国人支援グループ「NGO神戸外国人救援ネット」のニュースにこんな言葉があった。「強いネットワーク、軽いフットワーク」私はこれがいいと思う。このスタイルで、センターの「あす」を歩んでいきたい。よろしく。(在日総合雑誌『抗路』1号の拙稿を一部利用した)

ひだ・ゆういち

1950年神戸生まれ。1969年、東大の入試がなかったので(?)神戸大学農学部入学。1978年同大学修士課程修了しセンターに主事として就職。1991年より館長。他にNGO神戸外国人救援ネット代表、強制動員真相究明ネットワーク共同代表、在日朝鮮人史運動史研究会関西部会代表、むくげの会会員など。著書『日帝下の朝鮮農民運動』(1991年9月、未来社)など。hida@ksyc.jp

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