論壇
平成という時代をどう読み解くか
不作為と無責任の体系だったのか?
市民セクター政策機構常務理事 宮崎 徹
平成という時代の終わりに際して、当然のことながらさまざまな総括が提起されている。スピードにたけた刊行スタイルということで、まずは新書が出回っている。筆者の読書範囲は狭いのであるが、そうした類の新書を2,3取り上げ、参考や刺激になる論点を中心に紹介してみたい(以下、敬称略)。
平成は「転から結」か「終わりの時代」か
保阪正康の『平成史』(平凡社新書)によれば、元号は文章の句読点のようなもので、前段と後段を切り離すものであり、またつなぐものでもある。このとき、偶然か、世界も大きく変わっていることが興味深いという。たしかに、前の代替わりの前後、昭和63年(1988)にはアメリカ大統領にジョージブッシュが当選し、レーガン大統領による西側陣営の勝利という次の時代を受け継いでいくことになった。一方で、ソ連の東欧支配は急激に崩れ、続いてソ連自体が崩壊するに至った。
そしていま、トランプのアメリカを先頭にヨーロッパで広くポピュリズムの波が広がり、内外の戦後的秩序が様変わりしようとしている。保阪は「歴史には人知を超えたな何かが存在するのではないかと思われる」と述懐している。そして、さらにさかのぼり、「明治、大正の流れが昭和に凝縮し、その昭和が因となり、『結』としての平成がある」と位置づける。
起承転結でいけば、昭和は「転」であり、そこで戦争という大きな失敗とそれを超える民主主義体制を作り上げた。「日本は近代150年の中でめまぐるしく変化し、そして平成でやっと落ち着きを取り戻した」という。もちろん、平成時代を賛美しているのではなく、政治の劣化をはじめ時代の病については、むしろ厳しく指摘している。であれば、大きな、根源的な問題が次々出てきたという意味での「結」といって良いのかもしれない。
分かりやすい歴史的な位置づけという点では、水野和夫・山口二郎『資本主義と民主主義の終焉』(祥伝社新書)も参考になる。そのなかで山口は、平成とは終わりの時代であるとし、「理想」「戦後」「発展」という3側面が終わったのだと指摘する。ここでいう「理想」とは、冷戦の終焉で国際的に民主化と自由化が進展するという明るい希望や国内政治改革などである。しかし、国際的には新たなタイプの地域紛争の激発、国内的には3年で終わってしまった民主党政権により「政治はもとの木阿弥になったというより、悪くなった」。こうして「いったん盛り上がった理想は次々と崩壊し、やがて理想すら」失ってしまった。
「戦後」の終わりとは、端的には、自民党にもいた戦争体験者が野中広務を最後にいなくなったことだという。そのときから「実体験を伴わない机上の論理が跋扈し、歴史修正主義に対する歯止め」がなくなった。同時に「社会党が事実上消滅し、戦争経験や国民の平和志向の感情に依拠していた革新政党が解体」した。
そして、「発展」の終わりについては水野が説明する。一国の経済力を測る有意義な指標として一人当たりGDPがある。円高やバブル経済の嵩上げもあって日本は1988年にはスイスについで世界第2位だった。しかし、21世紀に入ると、下降線をたどり、03年にトップ10から陥落し、直近17年には25位まで下がっている。日本の少子高齢化のように成長要因が失われつつあることが大きいが、エネルギー問題をはじめ成長制約がのしかかり 、いわゆる新興経済諸国でも工業化による発展はむずかしい。
いまは、「世界的に成長の基本的条件が消滅しつつある」。その集約的な現象は、ゼロ金利の蔓延であるという。つまり、金利がゼロでもそれを使って投資をしようという意欲が出ない、いいかえれば利潤機会がなくなっている。これをもって、資本主義は「卒業する時期」にさしかかっていると指摘しているのだろう。これが本書のタイトルに「資本主義の終焉」と入れている所以だと思われる。
たしかに、物的な成長は限界に突き当たり、それゆえ現状はマネー資本主義といわれる金融的拡大に狂奔する資本主義というイメージが強い。しかし、あえて異論を挟めば、物的成長の限界は資本主義の終焉ではなく、その発展段階が大きく変化してきているとみなすこともできる。古典的なペティ=クラークの発展段階説が漠然と教えているように、経済発展の主導推力は第一次産業(農業)から始まり、ついで第2次産業(工業)、そして第3次産業(サービス)へと変遷する。
だから、いま工業化段階の資本主義は卒業時期にあるが、これからはサービスを主体とした発展段階に入るとみえる。それも従来型の狭義のサービス産業ではなく、ITを活用した生活全般のサービスの高度化であろう。それこそIT化でものづくりの生産性は上がり、資源配分(ヒト、モノ、カネの使い方)の上ではサービスに重点を置いた新しい経済構造ができるかもしれない。とはいえ、新しい経済とはいっても、いわゆるGAFAのようなマンモスが市場を独占し、人々を支配する危険も大きいのが現実だ。また、そうした新しい経済構造ができる前にマネー資本主義として自爆するかもしれない。
こうした論点はともかく、水野は日本経済の現在の低成長について、それは「停滞」ではなく、むしろ「成熟」とみるべきだという。従って、バブル崩壊後の低成長を「失われた20年」というのは適切ではなく、「次の時代を迎える準備期(近代を卒業するため)とすべき」であるとする。これは、なかなかポジティブな歴史展望であるが、資本主義を卒業できるか、いろいろ弊害をもたらしながらなお資本主義的発展となるのか、議論の余地があるところだ。
さて、歴史的位置づけに紙幅を割きすぎてしまったようだ。平成時代には、特に安倍政権の長期化のもとで社会の底が抜けたといわざるをえないような事態が次々と出来している。そうした崩壊現象を招くに至った原因を政治と経済に絞って取り上げれば、小選挙区制という政治改革と市場主義という経済改革の2つになろう。改革は常に正義や進歩であるわけではないのだ。
平成の大きな落とし穴――その1 選挙制度改革
まず小選挙区比例代表並立制の弊害である。つい先日の参院選挙がそうだったように、このところ国政選挙の投票率は50%を前後している。ということは、現行の小選挙区制の下で衆院選の選挙区(政権選択選挙)に焦点を当てれば、おおむね有権者の半分の過半数、つまり25%程度で第1党になれるということである。数字の上ではすべての選挙区で25%を上回れば、全選挙区を制することができる。
さらに、自民党に顕著なように小選挙区制は党組織の性格を変えた。党のトップへの権力集中である。選挙の公認権、党財政、人事の決定権がトップに集中する。従来の派閥は無力化していく。議員たち、特に若手はトップに首根っこを抑えられる。これでは党幹部への批判や異論は出せず、議論は不活発となり、やがて政党として沈滞していく。しかし、当面、権力を握った者には党の運営が以前とは比較にならないほどやりやすくなる。
中選挙区制のときには各選挙区で複数の派閥出身者が当選してきたので、与党議員といっても必ずしも一枚岩ではなかった。派閥は政治資金をはじめ問題点も多いが、思想や政策の違いによるグループ形成という側面もあったのだ。そして、諸派閥の拮抗のなかで政権の暴走に待ったがかかる。よくいわれるようにタカ派の政権が行き詰れば、ハト派に変わるという党内での擬似政権交代もあった。
小選挙区制の弊害について保阪は、まず国会の劣化を挙げる。「自らの思想や信念を武器に与野党の論客がやりあうといった光景は今やまったく見られない」。なぜこうなったのか。
「答えは簡単だ。小選挙区比例代表並立制こそが元凶だ」といいきっている。思い起こせば、この選挙改革こそが政権交代をはじめ日本政治を前進させるものであり、これに反対するのは「時代遅れ」「守旧派」としてそしられる時代の雰囲気があった。
山口も小選挙区制の問題に言及し、この悪しき制度を与党が変えることは「今後、数十年」ないとしている。なぜなら、小選挙区制は選挙区が狭く、金もかからない。中選挙区制では同じ党の候補とも戦うので候補者に独自性が求められたが、小選挙区制では他党の候補だけを攻撃すればいい。要するに、与党政治家にとって楽だから「これを変えるインセンティブはまったくありません」と悲観的な見立てをしている。
選挙改革は、イギリスのように二大政党制のもとでの政権交代を通じて民主主義の活性化を図るという善意の動機によるものだったのだろう。しかし、地獄への道は善意で敷き詰められているという警句もある。あるいは、「何より政権交代を」という焦りがもたらしたのかもしれない。たしかに、2009年総選挙のようにオセロゲーム的な激変は起こりえる。しかし、現実が示すようにこの改革には大きな負の側面があった。他人事には思えないが、この改革を推進した政治家、議論をリードした政治学者は、いまどう考えているのか。それにつけても、当時の熱狂的な改革ブームのなかで、孤軍奮闘、小選挙区制反対の論陣を張り続けた朝日新聞の故石川真澄編集委員のことが思い出される。
平成の大きな落とし穴――その2 市場化改革
次なる落とし穴は市場主義の席巻である。とはいえ、市場主義を嫌うあまり、市場メカニズムという優れた赤子まで産湯と一緒に流してしまうのはまずい。道具ないしメカニズムとしての市場と、主義化した市場崇拝論とは別である。経済的資源の配分方式として市場が、ベストではないにしてもベターであることは歴史が示している。
例えば、日本経済という大きな範囲でヒト、モノ、カネといった資源を上手に配分するためには、価格をシグナルとする市場メカニズムによるほかない(必要性が高く、需給が引き締まって価格が上昇するところに資源は集中するといった具合に)。その配分を中央当局のコントロールで行なおうとした社会主義的計画経済は多くの無駄を生み出し、破綻した。いくら中央集権的なコンピュータが精緻なものになったとしても、人々の多様な需要動向と供給体制をマッチングするのは至難である。価格が反映する需給動向を見ながら試行錯誤的に供給を調整し、すり合わせていくしかない。分散的、分権的な経済システムがベターだ。
しかし、市場だけが資源配分の原理ないしメカニズムではない。経済人類学の知見によれば、どんな時代にもどんな社会でも3つの配分原理が並存してきた。交換と再分配と贈与(互酬)である。どの原理が支配的かでその社会の特徴が決まる。現代社会は市場交換が支配的である。しかし、例えば福祉国家を通しての再分配、家族やNPOを通じての贈与や互酬も立派に存在している。3つは影響度の変化を伴いながら、いつでもどこでも並存する。つまり、人間が生きていくためには3つの配分原理の良いバランスが大切なのである。
ところが、市場主義はこうした歴史や論理を無視して市場を絶対化する一種のイデオロギーである。はしょっていえば、戦後の先進諸国で高度成長を元手とした福祉国家が限界に遭遇したとき、経済の重荷となっている福祉をはじめ政治、社会的な要素を取り払おう、そうすれば経済の元来のバイタリティーがよみがえるという考え方である。歴史的には1970年代末のイギリスのサッチャー政権を嚆矢とする。政策的には公社公団の民営化や規制緩和を突破口に市場化を広く推進するものである。 日本でも80年代後半の中曽根政権の国鉄、電電公社、専売公社の民営化を皮切りにこうした市場化という世界的潮流への追随が始まった。その到達点の象徴が小泉政権による郵政民営化である。
市場主義というイデオロギーは経済的現実に大きな変化をもたらすだけではなく、人々の考え方や感じ方にも深い影響を与える。市場主義は、福祉政策をはじめ政府の関与を嫌う経済的自由主義を媒介として、新たな衣装をまとった19世紀的な自由主義となる。経済問題は市場の自己調整作用でやがて自然に解決するという自由放任の古典的保守主義の系譜に立つものでもある。失業が起これば、賃金は下がり、そうすれば雇う企業も現れるという類だ。
すなわち、市場主義は、その系として新自由主義、新保守主義を伴う。さらにいえば、「すべてを市場に聞け、相場に聞け」というのは一種のニヒリズム(虚無主義)の性格を帯びる。なぜなら、モノやサービスのそれぞれを人々が評価し合い、価値を決めていくという主体的なプロセスは必要ないということだからだ。価値を定立する作業の放棄、考えることやめることである。将来に向けても、市場が示してくれる方向に従っていれば何とかなる、それがバブルに彩られれば明るいニヒリズムとなり、うまくいかなければ無力感に浸り、突如興奮する本来のニヒリズムとなる。
よろめきのポピュリズム
金子勝の『平成経済 衰退の本質』(岩波新書)は、市場主義や新自由主義に基づく経済改革の顛末を次のように総括している。新自由主義は、実は丸山真男の「無責任の体系」と親和性を持っているという。「すべては市場が決めるという論理は、何もしない『不作為の無責任』を正当化してくれる。失敗しても、それはあくまでも市場の働きの結果であり、自己責任ですまされることになる」。たしかに、責任を問われる経営者や役所にとってまことに都合の良い政策イデオロギーなのである。
そして、「周回遅れの新自由主義は取り返しのつかない格差社会を産み落とした。格差が拡大して貧困に陥っても、それは自己責任なのである」。付け加えれば、一見消極的に見える無責任の半面で、例えば規制改革のなかで「改革利権」が生まれている。加計学園の認可問題も改革特区という規制緩和が恣意的に使われている一証左であろう。新自由主義は受動と能動を使い分けている。つまり、やりたい放題なのだ。
金子はこうした点を踏まえて、安倍首相の「特異なポピュリズム」という興味深い指摘をしている。橋下徹や小池百合子のポピュリズム的手法を使いこなすほど演説や答弁の能力が高くないので、「無力感とニヒリズムという感情を引き出す」手法となる。こうして、「投票率が低下すればするほど、強い組織力をもつ公明党の力が発揮され、多数の議席を独占できる」のである。これを「無力化のポピュリズム」とも表現している。
すなわち、「人々を煽る扇動型ではなく、人々を諦めさせる黙従型の衆愚政治である」とする。政治家や官僚が次々と問題を起こしても、「またか」になり、慣らされていく。「それによって諦めとニヒリズムというマイナスの感情が引き出される」のだ。実際、安倍内閣の支持理由で最も多いのが「他にいないから」という消極的な支持なのである。いうまでもなく、これを許しているのは代替的な選択肢を出せない野党の責任であろう。
さらに一言付け加えれば、現政権の市場主義や新自由主義は極めてご都合主義、ないしはつじつまが合わない代物である。株や投資信託を日銀や年金基金が買いあさり、株価の維持に努めている。官製相場である。日銀はかなりの数の上場企業の筆頭株主になっているという異常さだ。さらに日銀はGDPに匹敵するほどの国債を抱えており、市場をゆがんだものにしている。これでは市場が発する警告は聞こえず、突然、市場の暴力的解決にさらされる可能性が高い。黒田日銀総裁による異常な金融緩和に、わが亡き後に洪水は来たれ、というニヒリズムを感じるのは筆者だけだろうか。
危うかった金融恐慌
この文脈で、最後に西野智彦『平成金融史』(中公新書)を紹介しておきたい。バブル崩壊後の不良債権処理は平成の経済、その中枢神経である金融にとって最大の課題であった。ここにおいても問題の先送りがかえって困難を倍加するという、いつものパターンが顕著だった。景気が回復すれば、不良債権は解消していくだろうという根拠の薄い楽観ゆえの不作為が、まさに昭和金融恐慌並みの危機を招いていたのである。長銀や日債銀の破綻や銀行界の大再編はまだ記憶に新しい。
金融当局のまとめでは、平成期の預金金融機関の破綻は182件、うち銀行が22、信用金庫27、信用組合133である。元年時点での預金金融機関は990だったので、実に18%強が消滅したことになる。ちなみに、昭和金融恐慌の破綻比率は16%程度であったという。
決済や信用を担う金融という神経系統のどこかが破砕され、それが伝播すれば日本経済は崩壊の道をたどる。結果的に大惨事に至らなかったから良かったものの、この綱渡りのような、あるいは薄氷を踏むようなプロセスを当事者の証言をもとに丹念にたどった、まさに迫真のドキュメントが本書である。時に背筋が寒くなる局面が描写される。
西野は結論的に、バブルに対する認識の遅れ、そして特にその崩壊後の展開に対しても認識の遅れが著しかったことを問題視している。繰り返せば、それが問題の先送りと対策の後手を招いた。しかし、西野はインタビューを踏まえて、当時の当局者には「先送りした」という自覚が驚くほど欠けていると指摘している。
金融システムの危機と実体経済の悪化という「負のスパイラル」が本当に起きるのか、仮に起きたとしてどこまで進むのか、当局に確たる見通しはなかったのだという。つまり、「最悪の事態」をイメージし、対策を練る能力がなかったのだと厳しく批判している。ここでも、無能力と不作為、無責任の体系が浮き彫りになる。
もう紙幅が尽きてしまったが、こうして、悲しいかな、平成の政治と経済は「無責任の体系」を克服できなかったということになるのだろう。また、鯛は頭から腐っていくという。平成の大事な時期に安倍総理を棟梁に戴いたことは、まことに不幸だったといわざるをえない。
みやざき・とおる
1947年生まれ。日本評論社『経済評論』編集長、(財)国民経済研究協会研究部長を経て日本女子大、法政大、早稲田大などで講師。2009年から2年間内閣府参与。現在、本誌編集委員、生活クラブ生協のシンクタンク「市民セクター政策機構」常務理事。
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