発信●日韓関係修復のための市民提言
本誌読者、市民のみなさまへ
日韓関係修復のための日韓市民の提言募集
現代の理論編集委員会(2019.7)
いま、日韓関係が非常に危機的な状態に陥っています。首脳どうしの話しあいすらまともに開くことができない状態がつづいています。こうした事態の解決を政治家だけに任せておけばいいのでしょうか。むしろ、政治家たちは、国内世論の動向を意識してより強硬な手段に訴えるばかりになっていて、解決の道から離れるばかりではないかと危惧します。
いまは、心ある市民がみずから声をあげて平和と友好の日韓関係を構築するように提言すべきなのかもしれません。有名無名にかかわらず、さまざまな職業、属性をもった一人ひとりの市民が声を寄せることで、現在の対立・敵対の関係を終わらせる知恵を出し合うことができるのではないかと考え、この欄をつくりました。
以下のとおり、市民からの文章を求めます。
1 一人、500~2000字程度。エッセイ、詩、イラストなど形式は問いません。
2 テーマ 「日韓関係をどうするか」「私と韓国(日本)との出会い」「日韓の歴史問題について」など、関連する内容であれば可です。
3 発表方式 ウェブ版現代の理論にコーナーをつくって公開します。転載は自由として、なるべく広く読まれるようにします(内容の変更厳禁)。
4 原稿の送り先:nikkanteigen@gmail.com
(趣旨に反する内容の原稿は、編集委員会の責任で掲載を断る場合があります。責任者・本誌編集委員・黒田貴史)
--日韓関係修復のための市民提言--
韓国と出会って46年目の夏に
鴨 良子(韓国語翻訳者、8月6日)
日韓関係が、近年最悪だという。日に日に政権間の対立が激しくなるのを眺めていると、さてどうしたものかと却って冷めてしまう。今まで何度か繰り返されてきた日韓関係の悪化も、今回ばかりは解決の糸口が見つからないという雰囲気である。そういう中で私は、日韓の人々がこの間、お互いの国を行き来して築き上げてきた交流の厚さが、昔と段違いであることに期待をかけたいと思う。
日韓の政権間の対立がどうであれ、両国の一般人が作り上げてきた確固たる友好がある。いわゆる90年代、韓流ブームに日韓が沸いていたころ、日本の高校が修学旅行先を韓国にし、日韓の高校が交流しあい、地方自治体同士も互いに公務員を派遣したりした。日本人と結婚した韓国人の友人は、子どもの通う小学校から授業で韓国の家庭料理を子どもたちと一緒に作ってほしいと頼まれたし、私が保証人をしていた留学生は公立の高校に招かれて、交流プログラムで授業をした。日韓共同開催のワールドカップは、日韓が友好関係にあった時代を誰もが思い出す良い例である。
しかしブームというものは過ぎ去るものである。大事なことはそのブームで芽生え,蒔かれた友好の種が、今は一時代前とは比較にならないほど広く深く根付いているという事実である。現政権同士の対立で、人々は個人的友情まで捨てるだろうか?
90年代に、私も日韓の女子中学・高校の交流を手伝ったことがある。はじめに日本から韓国へ向かった。彼女たちは片言の日本語と韓国語や英語で、時に絵を描き、顔を見つめ合ってジェスチャーを交わしては喜びに溢れてキャッキャッと笑い、言葉の壁を越えていく。
次の年は韓国側が日本の高校へやってきて、引率の教諭たちもそれぞれにホームスティをし、これまた身振り手振りで意思疎通をした。
私はその2年間を手伝ったが、この交流は私が期待したほど長くは続かなかった。日本の側は校長が変わり、日韓関係が怪しくなると日本側の保護者から心配の声が上ったと聞いた。韓国の校長は「大丈夫です。こういう時だからこそおいでください。私たちは生徒たちを守ります」とおっしゃったが、日本の側から頼んで始まった交流なのにと、今も韓国の校長先生のお人柄を思い出すたびに済まなくて胸が痛む。
東日本の大震災があったとき被災地にあったその日本側の高校に、かつて交流した韓国の学校から、お見舞いの手紙や励ましの言葉を書いた日本語の大きな垂れ幕が届いたという。民間レベルの交流とはこういうものである。なお、初回の交流で日本から韓国へ行った中学生は、その後大学で韓国語を学び韓国に留学して日本にある韓国の会社で働いた。もう一人の中学生は中国語を学び中国に留学した。これもわずか1、2年の交流がもたらしたことである。あの時の日韓の生徒たちが、その後もっといろいろな形でそれぞれが隣国と関わっているのだろうと思う。
私が韓国と関わるようになって46年になった。1973年、韓国を代表する知識人と言われるある先生の講演を聞いて、隣国に関心を持つようになった。まだ日本の女性が韓国に行くのは珍しかった70年代に、児童養護施設で働いていた私はその先生の紹介で同じ職場で働いた友人を誘い、韓国の児童養護施設に10日間ほどお世話になり、子どもたちと過ごすという貴重な体験をした。
そして82年8月、今回のように日本の歴史教科書歪曲問題で日韓が騒然とする中、またもやこの先生から、韓国の大学で日本語を教える教師を求めているけれどどうか? と声をかけられ、この先生の国なら大丈夫だろうという程度の気軽さで、タクシーの運転手は日本人乗客を拒否していますというニュースを聞きながら韓国へ行き、結局8年半を韓国で暮らした。軍事政権下から民主政権に変わるまでの激動の日々を、学生のデモとそれを応援する人々の姿を目の当たりにした暮らしは、何物にも代えられない私の宝となった。
91年に帰国してからも、平均して年4回ほど韓国へ行っている計算になるが、私にとって韓国は故郷と同じように懐かしい人々がいる国、会いたい人がいるから行く国である。
日本でも保証人を探すのが面倒なことなのに、私の日本の友人は、私が韓国で教えた学生たちが日本へ留学して来たとき喜んで保証人になってくれたり、招いて泊めてくれたりした。忘れていたが、思えば私の親族たちも日本に来る韓国の人たちに対してなかなかの協力者だったんだなあと思う。一体韓国から何人のお客さんが、何日何十日我が家に泊まったことか。そもそも私の親族たちには、お客さんが韓国人だから日本人だからという意識がないようだ。
私もまた、韓国の友人が田舎へ帰省するのにくっついて行って泊めてもらい、彼女のご両親のお世話になったことがある。韓国の大学の非常勤講師という不安定な立場での暮らしを乗り切ることができたのも、アルバイトを世話してくれた韓国の方々のおかげである。日韓の政権の関係がどうあろうと、私は今もひんぱんに韓国へ行く。そして万が一にも「日本人帰れ!」と言われたら、「待て待て待て、その言葉聞き捨てならぬ! なぜ?」と話し合ってみたいと思う。
こんな時期だからこそ・・・
善元 幸夫(日韓合同授業研究会、8月6日)
日韓合同授業研究会は1995年ソウルで第1回の交流会を行った。組織に頼らない市民運動として始まった。環境教育・歴史教育・ユニクな教育実践の3つの領域で日本と韓国の双方の現場の教員を中心に交流を続けている。
今、日本では韓国旅行をする際に危険な反日デモに注意しろといっている。交流会が続く間にも多くの困難な問題があった。1995年の8月の開催直前、日本の閣僚の植民地時代を肯定するように受け止められる発言で開催が危ぶまれた。しかし私たちは「このような時代だからこそ」という判断のもとで実施した。そして今、日本の安倍政権の韓国に対する「常識を疑うような行動」は、韓国国民の感情を逆なでしている。
今、多くの交流事業が停滞している。自主規制のもとで交流が取りやめになっている。
私たちは8月2日から5日、ソウルの近郊・パジュで第25回の交流会を行ってきた。私たちの会員の一人が、東京の小学校で実践しようしていた朝鮮通信使の授業が中止になった。上からの指導である。朝鮮通信使の授業は、韓国製品の輸入ではないし、朝鮮通信使は検定教科書にも載っている事実だ。この授業は朝鮮通信使が命の危険をも顧みず、海を渡って、平和と友好のために行われたことを伝えようとしているもので、中止に追い込まれることは、まったく理解ができない。
パジュで集い、日韓の仲間が一緒に学び討論するなかで、留まることがない関係悪化を黙って見過ごすことはできないと、参加者一同で緊急の共同声明を採択した。信頼と友好とりもどすために、発信していこう、行動していこう、という決意を表した。このことを多くの人と共有したいと考える。
*なおこの声明はプレスなどへの公表、政府への要請として送る予定である。
「国」や「民族」を背負うのをやめよう
黒田 貴史(編集者、8月5日)
「韓国は慰安婦問題を解決したくないのでしょう」
慰安婦問題についての日韓合意に対して文政権が見直しを検討しはじめたときに、知り合いから突然そういわれて驚いた。インターネットでつまらない書きこみをつづけているような人ならとくに驚くこともないが、ある出版社の社長だ。
この発言の主語である「韓国」とはなにを指すのか。韓国の政府のことか? もしも、韓国政府を指しているとすれば、日本との関係をむずかしくしている慰安婦問題を早期に解決すべきだと考えるのが合理的だろう。むしろ韓国政府としては、解決に本気でとりくむ意思が日本政府にはないことが最大の壁だと考えているにちがいない。
思い出してみると、慰安婦問題や韓国人BC級戦犯などの戦後補償関連の裁判が続いていた90年代後半から2000年代はじめがこの問題を解決する最大のチャンスだった。一連の裁判でほとんどが敗訴したとはいえ、事実認定では、悲惨な被害の実態を認める判決が多かった。しかも一部の判決では、立法によって新しく被害者回復のための権利を創設して解決するべきだという付言をつけた判決も出ている。このときに政府がそれに応じて解決をはかっていれば、こんなにこじれることはなかっただろう。
この時期は、戦後補償問題に対するとりくみがある一方で、「新しい歴史教科書をつくる会」などの歴史修正主義のグループが登場し、右派の政治家たちがNHKの慰安婦問題をとりあげた番組へ介入するということもおきた。現在の国会議員の構成を見ると、歴史修正主義の立場に近い政治家が増えているし、その手の首長の顔も思い浮かぶ。
つい数日前、名古屋市長の河村たかしが、「あいちトリエンナーレ2019」で展示された「平和の少女像」に対して「どう考えても日本人の心を踏みにじるものだ。即刻中止していただきたい」(朝日新聞、2019年8月2日)などと発言し、展示の中止を要求した。河村の心は「踏みにじられた」のかもしれないが、それがどうして「日本人」全般の問題にすり替わるのか。件の出版社社長なら個人の勝手な発言ですむが、政治家が市長という立場を使ってそういいだしたら、権力の濫用にほかならないだろう。
「韓国は」「日本人は」というおよそ実態がつかめない主語で何かがわかったかのように勝手な憶測をいう。私たちも気をつけるべきだろう。「日本側から見た歴史」「韓国側から見れば」とつい発言していることがないだろうか。そうすることで「国」や「民族」を背負っているつもりになる。しかし、それでは不毛な対立をあおるだけではないか。「私」が責任を負えない「国」も「民族」も背負わずに、もっと自由になろう。