コラム/沖縄発
「薩摩の琉球侵入」と「琉球は倭に併合」との
あいだ――東アジア「冊封体制」の架空化
出版舎Mugen代表 上間 常道
2、3年前から進めている出版企画との関係で、このところ、近世の東アジア世界の国際関係に関連する書籍や論文を紐解く機会が多い。もちろん、このアジア世界のなかで占める沖縄の位置をできるだけ正確に見通すことが主眼だが、ことがらの複雑さや、さまざまな見解が錯綜していて、なかなか確たる像が結べず、書籍と論文のあいだを行ったり来たりしている。
1372年の年始め、中国・明朝の太祖(朱元璋)は、使者の楊裁を琉球国に派遣し、自らの即位と年号(洪武)の創始を告げ、詔諭した。それに応えて、その年の暮れ、中山王察度は弟の泰期を使者にたて、楊裁とともに北京に赴かせ、表(天子に宛てた手紙)を奉じて方物(土地の産物)を献上した。それに対して、太祖は、察度には大統暦及び織金文綺と紗羅を各5匹(10反)、泰期らには文綺、沙羅の襲衣を賜った――これは、琉球国(中山)が中国に朝貢(進貢)した最初のようすを描いた『明実録』の文章で、その後、1874年に最後の進貢船が派遣されるまで、500年あまり続いた琉球国の進貢の歴史の幕開けだった。
1404年、察度の世子(王位継承者)である武寧が、姪の三吾良亹(サングルミー)らを遣わして、王(察度)の訃を告げた。天子は礼部に命じて、使いを遣わし、これを祭り、布帛(織物生地)を賻し(死者を弔って、遺族に金品として贈り)、武寧に詔して爵(王位)を襲(つ)がせた――これも『明実録』の記事で、中国皇帝(永楽帝)が初めて琉球へ冊封使を派遣したことを記録したものである。
この時の使者(冊封使)が時中という行人(正八品の官職)であることが、琉球国の正史『球陽』に記されている。最後の冊封正副使である趙新と于光甲が派遣された1866年までの462年間に、冊封使は23回にわたって43人が派遣されている。
これで、琉球国は、東アジアの、いわゆる「冊封体制」に組み込まれることとなった。当時の東アジアから東南アジアにかけては、琉球以外に、朝鮮、安南(ベトナム)、暹羅(タイ)などが冊封国として、相互に交流・交易を図っていた。
ところが、明末の1609年、薩摩が琉球に侵略すると、東アジアの冊封体制は一変した。琉球は明と朝貢・冊封関係をもっていなかった日本の幕藩体制下に置かれたが、一方では、従来の中国との冊封関係を続けたため、一見すると、冊封体制がそのまま持続したように見えた。しかし、薩摩の侵入は東アジアの冊封体制を根本的にくつがえしたのである。
そのことを、夫馬進の『朝鮮燕行使と朝鮮通信使』(名古屋大学出版会、2015年)は、みごとに描いている。著者によれば、普通日本では薩摩の琉球侵攻などと呼ばれている事件を、当時の中国人や朝鮮人の多くが「日本が琉球を併合した」、あるいは「琉球は倭に併合された」と記し、この認識をもとにして琉球と日本を眺め、外交政策を立案していた、という。こうした事実から、著者は、この事件を日本史の問題としてではなく、「世界史あるいは東アジア史における一事件」として見るべきだと指摘する。
この事件によって、東アジアで相互に行き来していた琉球と朝鮮との正式な交通が途絶えてしまった。それはただ、2国間の関係が断絶したというレベルにとどまらなかった。
本章(「第三章 一六〇九年、日本の琉球併合以降における中国・朝鮮の対琉球外交―東アジア四国における冊封、通信そして途絶―」)の目的の一つは、少なくとも一六〇九年に日本が琉球を併合してから以後は、東アジアに中国と個々の外国の間で結ばれる冊封関係を超えた冊封体制などというものは、存在しなかったことを言うにある。あるいはまた、時の国際構造を理解するために、冊封体制などという概念を用いることが有効でないばかりか、しばしば誤った認識を導くことを言うにある。(夫馬進前記著作より)
後漢にその始原をもち、隋唐時代の東アジアをモデルにし、明清時代まで、一時は断絶しながら連綿として続いたとされる東アジアの「冊封体制」は「存在しなかった」。具体的な歴史的事実を根拠に、そう断言されたのである。そのことはまた、1962年に、『岩波講座 日本歴史 第二巻 古代2』で、東アジア世界を「冊封体制」ということばで概念化した西嶋定生の所論の否定でもあり、これまでの私の東アジア像をひっくり返すような衝撃だった。
「倭の琉球併合」後の3国は、相互に「本音と建て前」が解離し、事実を隠ぺいしたり、見て見ぬふりをしたりで、一種のフィクションの国際関係を演出したのだといえる。 東アジアの国際関係の深層を、もっと知ることが大切だ。
うえま・つねみち
東京大学文学部卒。『現代の理論』編集部、河出書房などを経て沖縄タイムスに入る。沖縄タイムス発刊35周年記念で『沖縄大百科事典』(上中下の3巻別刊1巻、約17000項目を収録)の編集を担当、同社より83年5月刊行。06年より出版舎Mugenを主宰。
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