特集●コロナ下 露呈する菅の強権政治

ネットゼロへの世界の潮流と日本の課題

「緑の復興」(グリーンリカバリー)から脱炭素社会へ

京都大学名誉教授・地球環境戦略研究機関シニアフェロー 松下 和夫

1.コロナ禍からの教訓とグリーンリカバリー(緑の復興)

依然として世界を席巻している新型コロナウイルスは多くの人命と健康を奪い続け、経済にも世界大恐慌以来ともいわれるほどの深刻な打撃を与えている。感染者は世界で4,560万人、死者は119万人に達し、未だ収束の兆しは見られない(2020年10月31日現在)。

そもそも私たちの健康と安全な生活は健全な地球環境があってはじめて成り立っている。ところが、その地球環境は「気候危機」や森林減少によって破壊され、生態系崩壊の趨勢は経済活動のグローバル化により加速している。未知のウイルスの発生やまん延など、感染症リスクの高まりの背景には生態系の破壊と人と自然のかかわり方の変化がある。

国連環境計画(UNEP)は、「4か月ごとに新しい感染症が発生し、そのうち75%が動物由来である。動物から人へ伝播する感染症は森林破壊、集約農業、違法動物取引、気候変動などに起因する。これらの要因が解決されなければ、新たな感染症は引き続き発生し続ける」と報告している注1

新型コロナウイルス禍(コロナ禍)は、自然喪失の危機が人間生存の危機につながり、こうした危機に対して社会と政府が適切に対応する準備ができていなかったことを露呈した。そしてそれらの危機が社会の不平等と格差によって増幅されているのである。感染症の影響を最も受けるのは、社会的弱者や貧困に苦しんでいる人々である。

コロナ禍に伴う危機(コロナ危機)は、科学の知見に基づき正確にリスクを把握し、それに備えることの重要性を示した。ところが新型コロナウイルスそのものについては、まだまだ科学的に未知なことも多い。

このような状況の下で、現在急を要するのは、①国民の生命と健康を維持するための感染症対策、②それに伴う経済社会活動の混乱の抑制と再生、③国民経済の中長期的な安定的な維持、である。

他方、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)に代表される気候科学が伝えるところによれば、気候変動がもたらす被害は、コロナ危機の被害よりはるかに甚大かつ長期に及ぶ注2。新型コロナウイルス感染症と気候変動問題はいずれも人類の生存に関わり、国際社会が協調して取り組むべき極めて重要な問題である。そして長期的視点からパンデミックが起こりにくく、気候変動の危機を回避できるような経済や社会、すなわち脱炭素でレジリアントな社会(自然災害などに対して回復力や抵抗力のある社会)への早期移行が必要だ。

パンデミックが起こりにくい社会を構築し、同時に気候危機を回避する取り組みとして、現在国際的に提唱されているのが「グリーンリカバリー(緑の復興)」や「ビルドバック・ベター(より良い復興)」などと呼ばれる考え方である。本稿ではグリーンリカバリーに関する世界の主要な動向を紹介し、その意味するところ(とりわけ日本にとって)を考える。

2.新型コロナウイルス対策による経済活動と環境への影響

新型コロナウイルス対策として各国で都市のロックダウンなど経済活動と人の移動を制約する措置が導入された。その結果、短期的には大気汚染物質や温室効果ガスの排出量が減少した。しかしこれまでの経験によれば、そのような環境改善は一時的で、パンデミック収束後経済活動が元に戻ると、汚染物質や温室効果ガスの排出もリバウンドすることが明らかとなっている。現実に過去の主要な世界経済危機(第1次・第2次オイルショック、ソ連邦崩壊、アジア金融危機、リーマンショック)後には温室効果ガス排出量が減少したが、その後すぐに戻っている。

ちなみに気候変動の原因となる二酸化炭素(CO2)の中国の排出量をみると、本年2月初めから3月中旬の武漢のロックダウン中は昨年比25%減少となっていた。ところが、コロナ禍が収まった5月には5%増加となり、すでにリバウンドが起きている(図1)。石炭火力発電所の再稼働、セメントや鉄鋼などの炭素集約型産業の復活などの要因が指摘されている。

(図1) 中国のCO2排出量:昨年と比べ2月はじめから3月中旬(ロックダウン中)は25%
 減少、ところが5月は5%増加した注3

 

 

3.グリーンリカバリーを求める世界の動き

既述のように、新型コロナウイルス対策として、各国で都市のロックダウンなど経済活動や人の移動を制約する措置が導入され、その結果、短期的には世界的にCO2排出量などが減少し、大気汚染も改善した。これを一時的現象で終わらせず、以前よりも持続可能で健全な経済につくり変えようという議論が世界的に広がっている。これが「グリーンリカバリー(緑の復興)」や「ビルドバック・ベター(より良い復興)」である。

各国政府はコロナ禍の経済不況からの回復に向け、所得補償や休業補償などの緊急対応策の実施と並行し、中長期的な経済対策を進めている。現下の経済対策規模は過去最大級で、各国の今後の社会構造に大きく影響を与える。そのため経済復興策の内容が極めて重要となる。

国連事務総長やグローバル企業の CEO など各界リーダーは、「目指すべきは原状回復ではなく、より強靭で持続可能な“より良い状態”への回復である」と訴え、経済対策を脱炭素社会の実現に向けた契機とすべきと提言している注4

国際エネルギー機関(IEA)の事務局長は、3月に行った演説でコロナ危機からの復興の中心にクリーンエネルギーの拡充と移行を置くことが「歴史的な機会」であると述べ、7月には「クリーンエネルギーへの移行に関するサミット」(IEA Clean Energy Transitions Summit注5) を開催した。

IEAが公表したポスト・コロナの未来を創る「グリーンリカバリー」についての報告書では、電力、運輸、ビル、産業、燃料などの部門ごとに、コロナ禍に対応した持続可能な経済復興を実現する詳細な対策が提案されている。たとえば太陽光や風力などの再生可能エネルギーや省エネ、電気自動車の購入補助などに今後3年間で3兆ドルを投じれば、世界のGDPを年平均で1.1%増加させることができ、失われた雇用を900万人規模で回復または新規に生み出し、そのうえ温室効果ガスの排出を減少に転じさせることが可能であることを示している。

4.欧州グリーンディールとグリーンリカバリーの中核「次世代EU復興基金」

欧州グリーンディールとは

欧州連合(EU)の取り組みはとりわけ注目に値する。EUは2019年12月にフォンデアライエン新委員長のリーダーシップの下、「欧州グリーンディール」注6を公表した。EUはその後のコロナ禍による景気後退にもかかわらず、「欧州グリーンディール」 を堅持し、着実に推進することを明らかにしている。

欧州グリーンディールとは、経済や生産・消費活動を地球と調和させ、人々のために機能させることにより、温室効果ガス排出量の削減(2030年に55%削減、2050年に実質排出ゼロ)に努めるとともに、雇用創出とイノベーションを促進する成長戦略である。その実施のため1兆ユーロ(約124兆円)規模の持続可能な欧州投資計画を策定している。

金融や社会政策(公正な移行)、競争政策など、気候変動や持続可能性と結び付いていなかった政策も含んでいる。

欧州グリーンディールはEUの成長戦略で、クリーンエネルギー技術への投資、建物やインフラ改修、運輸やロジスティクスのクリーン化、公正な移行基金などが含まれる(表1参照)。

(表1)欧州グリーンディール:主要施策 (Roadmap文書より筆者作成)

欧州グリーンディールが成長戦略であることは何を意味するか。それは、環境保全への取り組みを通じて成長を生み出す経済システムへの転換を意図している。そしてパリ協定が求める「脱炭素経済」を創出、軌道に乗せることが、21世紀において持続可能な経済発展を遂げる唯一の道との認識をも示すものである。「脱炭素化投資」は最も緊急性の高い投資項目で、早めに脱炭素経済へ転換をすることで、「先行者利得」を獲得することができるとの狙いもある。

グリーンリカバリーの中核「次世代EU復興基金」

2020年7月21日、EU首脳会議は、コロナ禍不況からの経済再建を図るための次世代EU復興基金の設立に合意した。これは、EU予算とは別に7500億ユーロ(約92兆円)を市場から共同債の発行により調達する。そのうち3900億ユーロは補助金、3600億ユーロは融資を予定する。2021~2027年のEU次期7カ年中期予算案(約1兆743億ユーロ)と合わせると過去最大の1兆8243億ユーロの規模となる。これらのうち「少なくとも30%」は気候変動に充てられ、最大規模の環境投資を伴う刺激策となる。資金の返済は、EU予算における将来収入(2028年~58年)を充てる。その財源候補として、排出量取引制度(ETS)のオークション収入や国境炭素調整メカニズムなどが言及されている。

EUは、2050年までに温室効果ガスの排出を実質ゼロにする「グリーン移行」を促進しながら、経済を刺激し雇用を創出するという成長戦略を掲げ、復興基金は、①国の重要な気候・エネルギー計画であること、②欧州グリーン投資分類(タクソノミー)上のグリーン投資に認定されること、③SDGs(持続可能な開発目標)予算との整合性を取ること等を採択条件として、加盟国や地域へ供与される。

具体的な内容としては、再生可能エネルギー、省エネ、水素などクリーンエネルギーへの資金提供、電気自動車の販売やインフラへの支援、農業の持続可能性を向上させるための措置などが盛り込まれている。

今後次世代EU復興基金の設立により、再エネ、水素、交通システム等次世代の技術・産業に関しEUが一層先行する可能性が高い。

5.中国、韓国でも新たな動き

韓国でもグリーン・ニューディール

韓国の与党は、2020年4月の総選挙で韓国版グリーン・ニューディール、アジアで最初の炭素中立、石炭火力からの撤退などをマニフェストで掲げて勝利した。

同年7月14日、韓国の文在寅大統領は、環境分野での雇用創出などを目指した「グリーン・ニューディール」政策に114兆1000億ウォン(946億ドル)を投じると表明した注7。化石燃料への依存から脱却し、電気自動車、水素自動車、スマートグリッド(次世代送電網)、遠隔医療などデジタル技術を活用して、環境に優しい産業を育成する。新規プロジェクトを通じて2025年までに190万人の雇用を創出する計画だ。同年までに電気自動車の保有台数を113万台、水素自動車の保有台数を20万台とすることを目指し(2019年末時点ではそれぞれ9万1000台、5000台)、充電施設の導入も進める。

世界を驚かせた習主席の国連演説:2060年ネットゼロを表明した中国注8

中国の習近平国家主席は2020年9月22日の国連総会で、二酸化炭素(CO2)排出量を2030年までに減少に転じさせ、2060年までにCO2排出量と除去量を差し引きゼロにする炭素中立(カーボンニュートラル)、脱炭素社会の実現を目指す、と表明した注8。中国は世界最大のCO2排出国で、世界全体の排出量の28%を占める。それだけに、この発表は世界から驚きをもって迎えられた。中国はこれまでの国際交渉では、先進国の歴史的排出責任を厳しく批判し、自らは途上国であるとして総量削減目標に踏み込まなかったので、今回の方針転換は大きな意味を持つ。

中国では、毎年のように長江流域などで大洪水が発生し、多大な被害が出ている。大気汚染の深刻化もあり、大気汚染対策と表裏一体の温暖化対策の強化は、習政権にとって避けられない課題となっている。

今般の国連演説は、多国間主義に基づく国際協調の重要性を訴え、責任ある大国の立場をアピールするとともに、米国に対して気候変動分野での協力の用意があることの意思表示ともとらえられる。

一方、今後の脱炭素社会への移行を見すえた経済成長策として意味ももつ。習主席演説では、コロナ禍からの経済回復に際し、パリ協定に沿い脱炭素を目指す経済発展進めるべきとし、「グリーン革命」を提唱し、国際協力を呼び掛けている。

中国は、すでに太陽光パネルと風力発電設備生産では世界トップで、太陽光発電と風力発電の導入量はともに世界1である。風力発電設備容量は世界の約30%を占め、電気自動車生産台数も世界一である。脱炭素社会への移行の加速には中国産業の国際競争力を高める狙いがある。

ところが、習主席演説には炭素中立実現の具体策への言及は全くなかった。また、現在中国が公表している経済復興策は「グリーンリカバリー」には程遠い。特に、最近増加傾向にある石炭火力発電所の建設動向も炭素中立の目標とは相いれない。今後、どのように実現性ある具体策を示せるかどうかが焦点となり、現在準備中の第14次五カ年計画(2021~2026年)が注目される。

6.米国も変わるか

本稿は米国の大統領選前(10月14日)に執筆しているが、11月の大統領選の結果いかんでは、米国の気候変動政策が大きく変わる。

民主党バイデン候補が勝利すると何が変わるか。

まずはパリ協定への復帰である。協定復帰は大統領権限で国連に通告すれば可能で、通告から30日後に復帰が法的効力を有する。

国内的には、選挙公約の実現を図っていくことになる。選挙公約は予備選を争ったバイデンとバーニー・サンダース陣営がすり合わせて作成されたもので、2016年のヒラリー・クリントン候補の公約と比べても飛躍的に野心的な内容だ。その主要なポイントは以下の通りである注11

①2050年までに経済全体で温室効果ガスのネットゼロ排出を目指す。

②持続可能なインフラとクリーンエネルギーに投資
政権発足後4年間で2兆ドル(211兆円)を投資。インフラの刷新や電気自動車やクリーン技術などの開発を支援し、それらの取り組みを通じ数百万人の雇用を創出する。
老朽化した道路や橋などの刷新。鉄道などの交通機関の動力源のクリーンエネルギーへの置き換え。上下水道の改修や次世代第5世代移動通信システム(5G)ネットワークの全国普及。
2030年までに人口10万人以上の都市全てに温室効果ガス排出ゼロの公共交通機関の提供を目指す。
電気自動車(EV)普及のため、充電施設50万カ所設置、排ガスゼロ車(ZEV)や電気自動車(EV)の充電ステーションなどへの投資により、自動車産業とそのサプライチェーン・自動車インフラ分野で100万人の新規雇用創出。
再生可能エネルギーは、太陽光パネル数百万枚や風力発電タービン数万基の設置などを推進。
クリーン技術の実用化やコスト削減のため、蓄電池や次世代素材・エネルギー設備などの開発に4,000億ドルの政府調達を充てる。

③温室効果ガスの排出規制とインセンティブの再強化
2035年までに発電分野からの温室効果ガス排出をゼロにすべく、エネルギー効率や発電源のクリーン化に関わる基準を導入。基準を満たす事業者に税控除。
運輸部門には、野心的な燃費基準を設定し、ゼロ排出車の導入を加速させる
30年までに全ての新設商用ビルをゼロ排出化する新基準を立法。商業用建物400万棟のエネルギー・空調システムを刷新。住宅200万戸の耐候性向上を目指す。個人住宅の改修に対し現金給付および低金利融資を提供。建物改修や住宅の耐候化への投資で100万人以上の雇用創出。

④環境正義の実現
社会的に不利な状況に置かれているコミュニティが気候変動対策による恩恵から取り残されないように重点支援。具体的には、連邦政府によるクリーンエネルギー、クリーン交通、サステナブル住宅などへの投資による便益の40%をこうしたコミュニティが享受できるようにする。

バイデン大統領が誕生すると、こうした野心的な政策が実施されるだろうか。公約実現には、既存法の下での行政権限に基づく規制強化と、議会による新規立法がある。新規立法の成立には、連邦議会の上下両院での法案通過と大統領が署名が必要だ注12。大統領選挙と同時に行われる議会選挙で、民主党が下院の多数派を維持し、上院でも多数派を奪取する必要がある。また規制強化は、最終的には司法の判断に委ねられるが、保守派が多数を占める連邦最高裁が大胆な規制を支持するとは限らない。

一方、中国との関係では、バイデンは、一帯一路イニシアティブでアジアの化石燃料プロジェクトに数十億ドルを費やしていると厳しく批判し、石炭火力発電プロジェクトの輸出支援を廃止し、アジアやアフリカなどの途上国にCO2を大量に排出する産業を移転させることをやめるよう要求している。ただし民主党政策綱領では、気候変動問題への取り組みにおいて中国との間に相互利益があり、両国の協力を追求するべきとしている。

バイデン大統領が誕生し、アメリカがパリ協定に復帰した場合、EUのみならず、中国とも気候変動対策で再び協調が進む可能性がある。

以上のよう今回の選挙結果によって、米国のみならず世界の気候危機への取り組みは大きく変化する可能性がある。

7.グリーンリカバリー投資は進んでいるか

こうしたグリーンリカバリーを求める声の高まりに対して、各国は実際にどのような対応を取っているのだろうか。

ロンドンに本拠を置く企業経営コンサルタントVivid Economics注13による分析では、これまで(2020年8月28日現在)のG20国とスペインで発表された景気刺激策のうち、16か国では環境への悪影響をもたらすものが大勢と結論付けており、その結果、短期的に事業に投入される資金の大部分は、むしろ将来の環境持続可能性を危険にさらす可能性があるとしている注14(図2参照)。各国の経済復興策の内容を今後も注視していく必要がある。

(図2)G20 各国の景気刺激策のグリーン度指数。持続可能性の観点から緑は正の貢献、
 赤は負の貢献。黄色がグリーン度指数

8.世界の潮流はネットゼロとグリーンな復興:日本の課題は?

欧州をはじめとするグリーンリカバリーの動向、米国や韓国、中国などの急激な変化を踏まえると、脱炭素投資とデジタル化を主軸としたコロナ後の世界経済の転換は一挙に加速していく。脱炭素でレジリアントな社会への転換の世界の潮流に無自覚な日本は、産業の国際競争力の面でも大きく立ち遅れる恐れがある。ちなみに2021年1月に開催予定のダボス会議のテーマは、『グレート・リセット(The Great Reset)』である。脱炭素を含むこれまでとは全く異なる持続可能な経済への大転換が求められているのである。

日本での2020年の7月以降の気象を振り返ってみても、7月の異常な長雨、8月の高温、9月の巨大な台風の襲来など異常気象の顕在化が実感される。実は日本は、世界でも気候変動による影響が最も著しい国である注15。また、コロナ危機による経済的な打撃も深刻さを増している。その意味で、「グリーンリカバリー」への挑戦は、日本においてこそ喫緊の課題である。日本では、これまで緊急経済対策にグリーンリカバリーの内容をほとんど打ち出していない。また従前から、気候変動対策に長期的戦略を持たず、消極的であるとして国際社会から批判を浴びてきた。

ところが日本では、政府の「パリ協定に基づく成長戦略としての長期戦略」において、脱炭素化の方針は掲げたものの、「21世紀後半のできるだけ早い時期に脱炭素化を実現する」と述べているだけで、具体的な年限を示していない。パリ協定に提出した2030年の削減目標についても、著しく低いと評価される現行目標を引き上げることもなく2020年3月に再提出している。

国内では、国際的な批判を浴びてきた石炭火力発電プロジェクトの輸出支援方針を転換し、「原則として支援しない」こととするとともに、非効率な国内の石炭火力発電所については段階的に削減させる方針を明らかにした。しかし、これは高効率の石炭火力発電設備は今後も継続して使用し、さらには新規建設も許容することを意味しており、世界の石炭脱却の方向性と逆行する。

また、現在の日本政府によるグリーンリカバリーは、コロナ対策・経済再生のための総額約30兆円の補正予算のうち、環境省による脱炭素社会への転換支援事業(約50億円)のみで、全体の0.016%にとどまっている。国民の安全な暮らしと地球環境の持続可能性を損なわない社会の実現のため、経済復興策は「グリーンリカバリー」の視点を前提として策定することが望まれる。

ただし、日本政府がグリーンリカバリーを打ち出す前提として、国としての気候変動対策の方向性を明確に示す必要がある。

具体的には、

①パリ協定に基づく温室効果ガス削減目標の強化(2030年までに少なくとも45パーセント削減、2050年までに炭素中立(ゼロエミッション))、

②国内での石炭火力新設中止、海外の石炭火力に対する公的資金による支援停止、

③再生可能エネルギーの抜本的普及を加速すべきである。

特に、現行の2050年温室効果ガス80%削減の目標を撤廃し、炭素中立(ゼロエミッション)を目標とすることは、世界に日本の政治的意思を示す意味で重要であり、法律に基づき規定することが望ましい。

ところが現状は脱炭素の国際潮流に抗うかのように、日本では石炭火力発電所の新設計画が目白押しで、日本のメガバンクは石炭火力発電事業への融資規模で世界上位を占め、国際的批判を浴びてきた。

パリ協定後の世界では、再エネが電源間競争の勝者となり、分散型電力システムへの移行、デジタル化、脱炭素化が主流となる。日本の電源関連業界はこれらの潮流に背を向け、石炭火力や原子力に注力する「逆張りビジネス」を展開してきた。日本の多くの経営者は気候変動対策を新しいビジネスチャンスとしてではなく、コスト上昇要因(競争阻害要因)としてのみとらえ、脱炭素の困難性を強調して来た。このような状況では、脱炭素化のための製品・サービス、生産設備、原材料をめぐるグローバルで激烈な開発競争で後れを取り、国際競争力を喪失することにつながる。

経済全体としてもCO2の排出削減を最も費用効果的に可能とする本格的カーボンプライシング(炭素の価格付け:本格的炭素税など)の導入が望まれる。脱炭素社会への目標達成に向け、段階的に炭素価格が上昇することにより、技術革新や低炭素インフラの開発が促進され、ゼロ炭素ないし低炭素の財やサービスへの移行が早まる。

日本で導入している炭素税は、CO2排出量1㌧当たりの税額が289円だ。炭素税を導入している他国と比べ著しく低く、CO2排出抑制に効果を上げていない。英国のニコラス・スターン卿と米国コロンビア大学のスティグリッツ教授が共同議長を務める「炭素価格ハイレベル委員会」の報告書注16は、「パリ協定の気温目標に一致する明示的な炭素価格の水準は、2020年までに少なくともCO2排出量1トン当たり40~80ドル、2030年までに同50~100ドルである」としている。日本の炭素税を現在の少なくとも10倍以上の規模に引き上げ、それに伴う税収はコロナ禍対策の財源や社会保障費低減、低所得層に対する所得給付、さらにエネルギー転換への投資などに用いるべきである。また、化石燃料への補助金や減税などの化石燃料優遇策をやめることによって、省エネルギーと再生可能エネルギーへの移行がさらに促進される。

「グリーンリカバリー」は、新型コロナにより、停止せざるをえなくなった既存の経済システムを、単に元に戻すのではなく新しく作り直すチャンスと捉えたものだ。そこでは、資金と資源と人材を地域で循環させて、できるだけ自立して安定した暮らしを実現することを目指している。加速する経済のグローバル化(貿易自由化、資本移動自由化、貿易フローの最大化、グローバルなサプライチェーン)については、パンデミックを防ぎ、気候変動などの持続可能性への脅威を軽減し、地域社会や世界の耐性(レジリアンス)を高める観点からの見直しと一定の歯止めも必要となってくるだろう。

一方で新型コロナウイルス対策を通じて新たに広がった、在宅勤務、時差通勤、遠隔会議などの経済活動・日常生活の変化は、環境負荷の少ない経済活動・ライフスタイル・ワークスタイルの導入につながる面もある。また、一部の都市では自転車利用の拡大が進み、自転者道整備の機運が高まっている。さらに農産物などの食料をできるだけを地域の生産者と連携して地産地消と地域自立を目指す動きも広がっている。

これらをさらに進め、地域の資源と人材と資金を地域で循環させ、より多くの雇用を地域で創出し、自立して安定した質の高い暮らしができる経済システムへの転換が必要である。最新の技術を活かしつつ、モノやサービスの利用に伴うライフサイクルにわたる省エネ・省資源化を図る自立・分散型の地域社会(地域循環共生圏)づくりが重要なのである。

本来気候変動対策は、持続可能なエネルギーへの転換(分散型再生可能エネルギーインフラへの投資、送配電網の整備、EVステーションの整備などを含む)、エネルギー・資源効率の改善、物的消費に依存しないライフスタイルへの転換など、より質の高い暮らしにつながり、人々の幸福に貢献する経済システムへの転換を目指すものだ。気候変動対策としての財政出動は、持続可能なインフラ整備や新技術開発など将来への投資と捉えられ、より大きな経済的リターンが期待できる。

しかしコロナ禍からの復興策が、化石燃料集約型産業や航空業界への支援、建設事業の拡大などの従来型経済刺激策にとどまるならば、短期的経済回復は図られても、長期的な脱炭素社会への転換や構造変化は望めない。新型コロナウイルス感染症による経済不況からの脱却を意図した長期的経済復興策は、同時に脱炭素社会への移行と転換、そしてSDGs(国連の持続可能な開発目標)の実現に寄与するものでなくてはならないのである。

おわりに

コロナ禍から教訓をくみ取り、脱炭素で持続可能な社会への速やかな移行を進めることが日本や世界が目指すべき方向である。こうした移行は、経済、社会、技術、制度、ライフスタイルを含む社会システム全体を、炭素中立で持続可能なかたちに転換することを意味する。ただしそれは、民主主義的でオープンなプロセスを経て着実に進められなければならない。

この観点から示唆に富む取り組みが欧州で進められている。2019年10月からフランスで、2020年1月からは英国で、国レベルで脱炭素移行に向けた市民参加の熟議が行われた注17。無作為抽出のくじ引きで選ばれたそれぞれ150人、108人の市民が、専門家から知識を吸収しながら熟議を続け、それぞれ8カ月、4カ月に及ぶ討議を続けた。フランスで6月21日にまとめられた政策提言はマクロン大統領に提出され公表された。6月29日には大統領が提言を受けの基本姿勢を表明、その実現に向けた道筋を示した。一方英国では、6月23日に中間報告がジョンソン首相に提出された。最終報告書のとりまとめと公表は9月に行われた。

一方、日本のエネルギー・環境政策決定プロセスは、国民参加や情報公開が不十分なまま、行政サイドと一部の産業界主導で政策や予算が決定されている。決定内容は国民に一方的に伝えられる傾向が強い。このような政策決定プロセスを構造的に改革し、脱炭素で持続可能な社会へと移行することが何より求められている。

追記:菅首相の所信表明(ネットゼロ宣言)を聞いて

本稿脱稿後の10月26日、菅首相は国会での所信表明演説で、「我が国は、2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、すなわち2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指すことを、ここに宣言いたします。」と述べた。パリ協定の目標の実現に向け、世界の多くの国がすでに「50年に実質ゼロ」を表明している中で、遅きに失しているとはいえ、歓迎すべき動きである。

ただし現状の政策の延長上では「50年に実質ゼロ」達成はおぼつかない。その実現に向け、2030年目標の強化(少なくとも45パーセント削減)、石炭火力からの撤退、再生可能エネルギーの抜本的拡大(2030年に再生可能エネルギー電力目標を45%程度)、カーボンプライシングの本格的導入、原子力の段階的廃止など課題は山積している。

菅首相は二酸化炭素の回収・貯留・有効利用、水素やアンモニアによる発電などの革新的イノベーションの必要性を強調している。ところがこれらの技術開発はその環境影響や経済性など不確定要素が大きく、実用化の時期は不確かである。

直ちに取り組むべきは、既存の技術でできる対策、すなわち石炭火力からの撤退を早め、化石燃料による発電を減らし、再エネを大幅に拡大することである。その移行を促進する政策として、再エネを中心とする電源構成への転換や、送電システムの改革とともに、炭素税や排出量取引の導入の必要性も強調しておきたい。

いずれにしてもこの所信表明を機とし、日本が脱炭素で持続可能な社会に大きく方向転換することを期待したい。

【脚注】

注1 https://www.unenvironment.org/news-and-stories/story/six-nature-facts-related-coronaviruses

注2 IPCC1.5℃特別報告書など

注3 https://www.carbonbrief.org/analysis-chinas-co2-emissions-surged-past-pre-coronavirus-levels-in-may

注4 国際マザーアース・デーに寄せるアントニオ・グテーレス国連事務総長ビデオ・メッセージ(ニューヨーク、2020年4月22日)

注5 https://www.iea.org/news/chair-s-summary-for-iea-clean-energy-transitions-summit

注6 https://ec.europa.eu/info/strategy/priorities-2019-2024/european-green-deal_en

注7 https://jp.reuters.com/article/southkorea-president-newdeal-idJPKCN24F0SZ

注8 ここでの記述は、次の論考を参考にしている。
田村他、「中国2060年炭素中立宣言についての解説」
小西雅子、「中国「CO2排出実質ゼロ」宣言、実現すれば画期的」

注9 https://www.bbc.com/japanese/54260510

注10 本節の記述の多くは以下の文献に依拠している。
田中聡志、「米国大統領選における気候変動の議論の動向」
上野貴弘、「バイデンならパリ協定復帰へ:米大統領選と気候変動政策の行方」

注11 バイデン候補の気候変動に関する公約の詳細は下記参照。
「クリーンエネルギー革命と環境正義に関するバイデン計画」
「モダンで持続可能なインフラ及び衡平なクリーンエネルギーの未来の構築のためのバイデン計画」

注12 ただし上院では重要法案の本会議可決に定数100のうちの60票以上の賛成が必要である。

注13 https://www.vivideconomics.com/

注14 Greenness of Stimulus Index

注15 Global Climate Risk Index 2020

注16 Report of the High-Level Commission on Carbon Prices

注17 詳細な紹介は、環境政策対話研究所、「フランス及び英国の気候市民会議の最新動向」

まつした・かずお

1948年生まれ。京都大学名誉教授、(公財)地球環境戦略研究機関(IGES)シニアフェロー、国際アジア共同体学会共同理事長、国際協力機構(JICA)環境ガイドライン異議申立審査役、日本GNH学会会長。環境庁(省)、OECD環境局、国連地球サミット等勤務。2001年から13年まで京都大学大学院地球環境学堂教授(地球環境政策論)。専門は持続可能な発展論、環境ガバナンス論、気候変動政策・生物多様性政策・地域環境政策など。主要著書に、『地球環境学への旅』(文化科学高等研究院)、『環境政策学のすすめ』(丸善)、『環境ガバナンス』(岩波書店)、『環境政治入門』(平凡社)など。

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