この一冊

『完全版 韓国・フェミニズム・日本』(斎藤真理子責任編集/河出書房新社/2019.11/1760円)

韓国文学の今を知るための道案内

出版ジャーナリスト 日高 有志

『完全版 韓国・フェミニズム・日本』

『完全版 韓国・フェミニズム・日本』(河出書房新社 2019.11)

韓国文学といってイメージするもの(作品・作家)はなんだろう? 現在50代後半の私の場合、新聞などを読んで社会問題に関心を寄せはじめたのが1970年代だったせいか、金芝河のような軍事独裁政権と闘う文学者というイメージが先行していた。

その前後に紹介された作品・作家も、たとえば、長編小説の『土地』(朴景利)や『太白山脈』(趙廷来)のような植民地時代から解放・内戦・分断のような大きな時代の流れのなかで家族・地域の歴史を描くような壮大な作品が多かった。あるいは、金芝河のほかにも高銀、黄晳暎という軍事独裁政権と果敢に闘う文学者たちが日本語に訳されてきた。

こうした作家・作品からイメージすることばは、歴史・国家・民族・内戦・分断・民主化闘争……といった大きな物語を連想するものが多い。日本文学に多い私小説のような作品が紹介される機会は少なかったのではないか。

もちろん、韓国文学に個人の内面を描く文学が存在しないということではない。韓国(朝鮮半島)で近代文学が育った時代は、日本の植民地時代だったから日本文学の影響も濃かった。たとえば、自然主義文学などは、元祖フランスの残酷なまでに社会の矛盾を暴く本来の自然主義ではなく、日本が変形させて個人の内面の物語に変えてしまったものを輸入している。

解放後は、そうした日本の影響から脱して、大きな物語の方向をめざしていたのだろうかと、ある意味で勝手な誤解をしていたのか。最近、多くの韓国文学(新しい作品)が翻訳出版で紹介されるようになったが、そうした作品は、もっと軽やかなものが中心になっているという印象が強い。

そういった新しい韓国の文学を知るうえでとてもいい道案内の本がでた。『韓国・フェミニズム・日本』(斎藤真理子責任編集・河出書房新社)だ。父親が突然家出(家父長の不在)してしまった家族を描いた「家出」(チョ・ナムジュ)、韓国社会での男性の生きづらさを主題にした「手違いゾンビ」(イ・ラン)などの短編、「フェミニズムは想像力だ」(チェ・ウニョン)などの特別寄稿、対談、エッセイなどで構成されている。

すでに日本に紹介されている、あるいはこれから紹介されるだろう作家たちの作品に加えて、韓国文学理解のための記事を集めた雑誌形式の一冊になっている。それもそのはず、そもそもは、文芸誌『文藝』の特集「韓国・フェミニズム・日本」が好評だったために再編集して単行本化してしまったという。なかには「韓国文学一夜漬けキーワード集」という執筆者と編集部がおもしろがってつくってしまったようなページもあって楽しい。

キーワードには、わかめスープ、パッピンス(かき氷)、整形、罵倒語などの項目がある。わかめスープは産後の母親が必ず飲むといわれていて、子どもが不品行をおこすと親がわかめスープをちゃんと飲まなかったせいだといわれるらしい。パッピンスはただシロップをかけるだけの日本のかき氷とは別物のトッピング山盛りの豪勢なスイーツだ。韓国映画やドラマをよく見るかたにはおなじみかもしれないが、韓国語の罵倒語は日本語よりはるかに多彩だ。こうした話はある意味でどうでもいい話かもしれないが、文学を読むときにはぜひ知っておきたいところだろう。

ここで紹介される作品を読んでいると、かつての国家や民族を背負って生きる(書く)というある種の悲壮感のような張りつめた重さはない。かといって、社会とは無関係に私の内面だけにこもってしまうような私小説のしめっぽさもない。「わたし」(その喜び・苦しみ・生きづらさなど)を語りながら、韓国社会が抱える問題を巧みに描き出している。読んでいる途中で気づいた。フェミニストの標語のひとつ「個人的なことは政治的なこと」が思い浮かぶ。

かつて軍事独裁と闘う金芝河たちの作品に感銘を受けたという本誌読者も多いのではないだろうか。もちろんそういった作品も韓国文学のひとつの側面ではあり、魅力のひとつであるが、この本を手がかりに新しい韓国の文学を読む楽しみもぜひおすすめしたい。

ひだか・ゆうし

出版社の編集部長を経て、ジャーナリスト、フリー編集者として活動。

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