特集●問われる民主主義と労働

袋小路の日本と英国の議会制デモクラシー

政治改革30年の総決算、社会と人々の抱える問題を解決できる政治へ、野党の課題は何か

法政大学教授  山口 二郎

鼎談   成蹊大学教授  高安 健将

司会 本誌代表編集委員 住沢 博紀

住沢山口さんの近著は、『民主主義は終わるのか』(岩波新書 2019年10月)という刺激的なタイトルになっていますが、難しいのは、その場合の民主主義とは何を指すのかということです。

例えば、ハンガリーやポーランドなどの権威主義的な政治家は、「自分たちは圧倒的多数の国民に選ばれ、デモクラシーを代表している」と主張しています。『世界』1月号は、「抵抗の民主主義」特集をしていますが、そこでいわば「巻頭論文」になっているのが、権威主義体制批判で知られるヤシャ・モンクとの「リベラル・デモクラシーをいかに維持するか」というインタヴユーです。

今回は、日本の30年間の政治改革を、いわば現場と研究室の両方から体験・提言してきた山口さんと、90年代以後のイギリス議会政治の転換と課題を、やはり同時代的に研究対象とされてきた高安さんに(『議院内閣制 変貌する英国モデル』中公新書 2018)、議会制デモクラシーを軸に、日本とイギリスのデクラシーの現状と課題を語っていただきます。

1.政治改革のモデルであったイギリス議会政治

山口1990年代というのは、非常に大きな政治の転換期でした。日本では1989年、土井社会党の参議院選挙での大躍進があり、また当時の自民党は、竹下政権、海部政権で、共に末期的な状態であり、自民党に対する不信感も広がっていました。この中で、政権交代が起きなければ、日本の民主主義は不十分なままだ、という考えが相当広まっていました。

自民党の金権政治をどうするかということも背景にありますが、90年代は、冷戦の終結とか、バブルの崩壊とか、さらには少子高齢化まで明確に意識されていなかったにせよ、高齢化は明らかであったので、それらを含めて大きな政策パラダイムの転換が必要と思われておりそのためには政権交代がなければだめだ、という認識はかなり広く共有されていたと思います。

住沢山口さんは政治改革をこの時代から提唱されていたわけですが、その場合、イギリス・モデルをどこまで意識されていましたか。

山口イギリス労働党は、1992年の選挙で負け、その後、ブレアとブラウンによる党改革に成功し、ニューレーバー路線で政権獲得に至るわけですが、この90年代前半を、私は日本社会党の党改革に重ね合わせて考えていました。「第3の道」は、当時では古典的な左翼に代わるものとして、新鮮でした。グローバル化の中で、効率と平等を両立させる中道左派政治を追求するというイメージでした。

小沢さんたちのグループ、新進党をどう評価するかという問題がありました。90年代後半には、小沢さんは新保守主義を掲げており、私は自民党と小沢新保守主義と社民・リベラル(後の民主リベラル)の3極になるのではとも思っていました。

しかし小泉郵政選挙で、自民党が新自由主義を掲げ大勝し、また小沢さんが社民・リベラルの政策に接近する中で、私はこれでわかりやすくなる、自民党と、保守も含め自民党を否定する政治家が「生活第一」の旗のもとに結集する民主党という形で、二大政党制に近づくとむしろ喜びました。またその後、2006年に小沢さんが民主党の代表となり、2009年民主党鳩山政権が成立しますので、政権交代のある民主主義が実現したわけです。

住沢以上をまとめますと、1993年の選挙制度改革に始まる政治改革は、二大政党制による政権選択を目的としており、その限りでは2009年の鳩山民主党政権の成立まではうまくいった、ということになります。問題は民主党のガバナンス能力の欠如ですね。

付け加えると、90年代は、選挙制度改革を中心とする政治改革だけではなく、分権改革や省庁再編、さらには官邸機能を強化し、政治主導の仕組みをつくるということもありました。こうした90年代からの政治改革の全体の枠組みと流れを、現在の視点からはどのように総括できますか。

山口私は1997年にしばらくイギリスに行き、ブレアの「第3の道」政治の前後をずっと見るという機会を得ました。そこでは小選挙区プラス二大政党制というイギリスの制度は、うまく機能すると大きな成果を挙げると、大いに感動しました。 小選挙区制は政党の中央集権化をもたらし、橋本内閣の省庁再編や内閣機能の強化などは、行政の集権化をもたらす。今考えると、このころ、私は政府内部の集権化を勧める議論をしていました。これは地方分権化とは矛盾しない話です。

族議員とか、各省の縦割りとか、あるいは派閥とか、遠心力が強すぎることが日本の政治システムの欠陥であり、決定できない状態が続いてきました。だからある程度の集権化は必要だろうと思っていました。そこで政党の中枢部が大きなビジョンを示し、政策転換を実現する。うまくいかなかったら政権交代が起こる、というイギリス・モデルがいいのではとも思いました。

イギリスのブレア政治を見ていて、政権政党が大きな方向を示し、官僚組織がそれを実行するというイギリス・モデルで、いくつか重要な改革ができたわけです。スコットランドの地方分権とか医療の立て直しとか。

それで日本でも、政党が政策転換や大きな方向を示し、選挙による政権交代があれば、それが民意の承認を得たとして、官僚組織も従うであろうと期待していいたのですが、政権の座に就いた民主党は、具体的で個別的なことまでマニフェストに書かれたことにこだわり、まさに理念というか、政策を束ねる大きなビジョンを出すことができませんでした。そこで民主党政権の政治主導は、空回りしたのかなと思います。

2.イギリスの視点からみた、日本の政治改革の欠陥

住沢高安さんは、山口さんより一回り若い世代で、政治改革の90年年代はまだ学生でした。その後、イギリスのLSE(London School of Economics)で、2003年に政治学で博士号を取得されるわけですが、山口さんの見たブレア政治とその後も見届けたわけです。イギリスの選挙制度と日本の政治改革を比較して、高安さんの視点からはどうですか。

高安イギリスの小選挙区制を参考に、日本の政治改革では、小選挙区制と比例代表制を並立させる選挙制度と政党助成法を導入しましたが、これらが組み合わされた帰結が、十分に考えられていなかったと思います。

この選挙制度では、有権者に人気のある政党では、議員たちからまとまる圧力がかかり、人気のない政党には、反対に遠心力(党分裂)の力がかかります。党執行部と対立する議員たちは、別の政党をつくった方が比例復活の可能性を高め、当選すれば、額が減るとはいえ、自分たちで使える政党交付金を得ることができるからです。 このことは、改革当時はあまりわかっていなかったのではないかと思いますが、最近では、濱本真輔さん(大阪大学)の研究などでもこうした点が指摘されています (『現代日本の政党政治』2018)。

選挙制度改革と公的政党助成により、与党に対抗しうるもう一つの政党が生まれると想定したと思われますが、その想定に根拠や具体的な見通しがあったようには思われません。

イギリスを考えても、政党間対立という緊張関係が必要ですが、それが制度的に作り出されているのか、それとも単に運がよかっただけなのか、よくわからない点があります。連邦制の国では、州政府間の対立とか、州と連邦の対立とか、政治社会のダイナミズムがあるので、権力に対しいろいろな抑制がききます。これに対し、集権制の国の場合は、政党間対立しか政治の緊張関係を作り出すものはないわけですが、それが何によって作り出されているのか、イギリスは単に運が良かっただけなのか。階級社会は確かに重要なのですが、その誕生と存続については必ずしも分からないところがあるわけです。

日本の場合も、政党間競争がうまく働く制度になっているかどうかが、最大の問題点ですが、2012年以後は、そのようになっていないわけです。私はこの問題が、日本のリベラル・デモクラシーにとって、何よりも大事な問題かと思います。

さらに政党間対立がうまく機能し、政権交代があるとしても、イギリス・モデルにはなおも欠陥があります。政権交代により政治的な意思決定システムが効率的に行われるとしても、その結果、よりいい政策が出てくるかどうかは分かりません。失敗の責任は取らすことができますが、効果のある政治はどのように実現するのか、という問題は未解決です。

山口今、高安さんがいわれたように、政権交代のある政党間競争を作り出すために、シミュレーションなどを含めて構想された制度設計ではなく、妥協の産物でした。1月末に佐々木毅さんが日本記者クラブで講演し、あの時の選挙制度改革は他に選択肢がなかったと言いました。理論的な根拠を持つ制度変更ではなく、政治的な力学の産物だったわけです。

高安今、選挙制度改革の24年を総括して、小選挙区制は、小さいほう、選挙で敗北したほうの政治勢力により大きな負の圧力がかかるということが示されてきました。90年代新進党の解体がそうですし、2009年の政権交代前には、むしろ自民党も人が抜けてゆくという状況がありました。その後も、選挙のたびに野党の側で政党の解党・再編が生じています。

そうであれば、日本政治においては、どの政党であれ、劣勢の時代にはこうした「負の圧力」に耐える力をもてるかが大事になります。自民党はその力が他党よりも強いとは言えるのかもしれません。

住沢私が注目するのは自民党の都道府県議会における力とその維持です。総選挙や参議院選挙で敗北することはあっても、都道府県議会では、自民党は力を維持しており、また復活自民党の足場になっています。

2009年までの民主党には、小沢さんの岩手県や羽田さんの長野県など、いくつかの県や選挙区で、自民党時代からの実力者がおり、都市の市民派、企業城下町の労組派の拠点と並んで、民主党の下支えになっていました。2012年以後は、野党側のこうした「55年体制からの遺産」は衰退し、相対的に自民党の地域の組織力は増しています。ただし、「みんなの党」や「維新の会」などの、ポピュリスト政党や地域政党の問題もありますが。

山口高安さんが提起する問題、小選挙区制が二大政党制と政権交代に結びついたイギリスは、単に幸運だったといえるかもしれないという話に戻れば、二大政党制を支える基盤といえば、強固な地域的基盤ですよね。労働党の場合は、イングランド中部、北部の工業都市、炭鉱都市に、労働党の圧倒的な拠点がありました。だから大敗したといっても、下院で200人程度いれば、5年、10年の間にはまた盛り返すこともできるわけで、これが日本にはなかったということです。地域の拠点づくりは、方針は出しても、実際には民主党もあまり関心がなかったようです。

3.Brexit(ブレグジット)にみるイギリス議会政治の限界

住沢日本でも政治改革のモデルとされた、イギリスの二大政党制と政権交代モデルですが、今話を聞いてきて、いわゆる「ウエストミュンスター・モデル」といわれるものにも暗黙の前提があったわけですね。しかしBrexit(EU離脱)をめぐる国民投票、決議できない議会、多数派が決定しない2回の選挙など、そうした前提が崩れつつあるのではという印象をもちます。12月選挙では、ジョンソンの保守党が、久しぶりに絶対多数を獲得しましたが、イギリス社会とイギリス政治が大きく変容しつつあることには変わりがないと思うのですが。

高安その意味では、イギリスはもしかすると転換点で、政党の支持基盤が入れ替わる可能性もあるかもしれません。

二大政党制と政権交代は、不思議な制度で、なぜ保守党が失敗したら労働党が出てきて立て直せるのか、逆に、労働党が失敗したらなぜ保守党に変って統治ができるのか、根拠はないわけです。

考えてみれば、いろいろな選択肢を、二大政党という二つに集約させることも奇妙な話です。ただ、かつては確かに政党内で利益を吸い上げるというシステムがある程度機能していたということがあります。それが政権交代により、中・長期的には、国民の多数の利益が政治に反映されるということになります。

また英国の政党には、選挙という競争で勝たなければならないという至上命題がありますから、党内で多様な、あるいは対立する意見があっても、勝てるリーダーを選ぶ、少なくとも負けるリーダーは淘汰されてゆくというプロセスがあります。労働党は総選挙で連続4回の敗北後に、右派とされたブレアを選び、党の組織改革、路線改革を行いました。

もともとエリートと一般の人々との間には緊張関係があり、その緊張関係にエリートが自覚的だったからこそ議院内閣制が存続しえたわけです。エリートは人々の意向を吸い上げなければエリート支配は認められない、という関係にありました。

しかしこの根っこの部分が枯れてくるというか、エリートが人々の利益を吸い上げられなくなっている。これは政党がさぼっているということではなく、これまでの集団のありかた自体が変化したり、利益、観念の多様化などにより、エリートと人々の乖離が生じている。エリートは多様な人々との接点が減った結果、人々が何を求めているのかわからなくなり、簡単には集約できなくなる。こうした社会的変化を受けて二大政党制が空洞化してくる。これが現在の状況だと思います。

2010年以来のイギリス議会について変化と言えば、総選挙で勝ち切る政党が出てこなくなったということです。安定した多数派が2019年総選挙まで議会になかったために、政府の方針が議会で支持を受けられない事態を招いたと言えます。

住沢私がつけ加えると、比例代表制の欧州議会選挙がありますね。イギリス独立党UKIPなど、小選挙区制では登場できない政党が、欧州議会で議席を得ることで政治的発信を続け、キャメロンの動揺からBrexitに至る国民投票の要因の一つとなりました。

高安二大政党制の空洞化に拍車をかけたということはいえるかもしれません。スコットランド議会もロンドン議会もそうですが。これまで第3党を選んだことがない有権者に、そうした選択肢があることを体験させたといえるかもしれません。

山口今回のジョンソンの勝利は、Brexitそのものの是非を問うというよりは、ともかく決着をつけるということ、Brexitに伴う混乱をやめさせるということが、最大の争点であったように思います。その意味ではジョンソンが支持されたわけです。

4.政権交代が機能しないとポピュリズムが台頭

住沢政党政治と議会制の関連では、20世紀では、決定的な瞬間、決定的な課題では、例えば第一次世界大戦では自由党のロイド・ジョージの挙国一致内閣、1931年恐慌では、労働党を除名されたマクドナルドの挙国一致内閣など、政党を越えた政治決定がありました。21世紀に入り、Brexitというイギリスの将来を左右する問題で、労働党もふくめた議会決議ができないということは、議会制と政党政治のありかたが、20世紀とは変わってきたと考えてもいいのでしょうか。

山口Brexitをめぐり国民投票が行われたのは、保守党内で意見集約ができなというキャメロン首相の判断です。議会ではなく保守党の問題です。コービンの労働党も、EU離脱に対しては曖昧な方針で、労働党もまとめきれなったということです。

高安本来であれば、保守党が党内をまとめられないのであれば、野党の労働党にかわればいいわけですが、労働党にはその力がなかったということです。

確かに戦時や危機の時代の挙国一致内閣と、今回のBrexitも共通点はありますが、リーダーの問題も大きいと思います。メイ首相は野党にそうした申し出を本気ではしませんでしたし、ジョンソンは強行突破を目指しました。今回はともあれ決定できる政府が実現しましたが、これがイギリスにとり、良かったのかどうか、またこれからもこれでやっていけるのかどうかはまさにこれから次第です。

住沢そうしますと、一国の将来を左右する問題で、現段階では決定はできたわけですけれども、少し先を見るとこれでやっていけるわけではない。アメリカのトランプ政権も、日本の安倍政権も同じようなものです。とすると政党政治と議会制デモクラシーの将来はどのようになりますか。

山口政党の基盤を作るうえで、経済的な利害の共有というのは大きな前提だと思います。しかしグローバル資本主義が20年、30年続いた結果、こうした利害の共有がそもそもできなくなり、政党がバラバラになっているというのが、私の見立てというか観察です。

住沢いま、保守は党内でまとめることができない、しかし労働党はそれ以上に自らの基盤を失いつつあるということでした。つまり20世紀の保守と革新(社会民主主義あるいはリベラル)という政党政治の対立図式が変容しつつあるということです。

労働党だけではなく、残念ながらヨーロッパ大陸でも、フランス社会党は壊滅状態ですし、ドイツや北欧でも、社民政党の交代が進行しています。ということは、19世紀の自由主義政党が、20世紀には労働運動や社会民主主義政党に進歩派の座を奪われたように、21世紀には、エコロジーやナショナルなアイデンティティが政党政治においても転換点になるということでしょうか。

比例代表制のヨーロッパ諸国では、こうした時代の変化は、政党支持率の変化に現れます。例えばドイツでは、緑の党が社民党に並ぶほど成長してきています。右翼ナショナル政党の展開も同じです。2大政党制の国では、こうした時代の根源的な変動は、どのように政党政治の変化に現れるのでしょうか。高安さんの見方では、イギリスの保守党、労働党はどうなりますか。

高安英国の主要政党は、Brexit問題に忙殺されていて新しい課題を設定してこれに取り組むといった余裕はもてていません。保守党は、新自由主義とナショナリズムでブレグジット後もやっていこうとしていましたが、2019年総選挙で労働党の伝統的支持基盤から議席を奪取したことから、財政出動にも頼らざるをえないかもしれません。そうなれば、「小さな政府」を思考する新自由主義とは矛盾するかもしれません。また保守党は欧州支持派を切り捨てた格好でしたが、このひとたちの支持を取り戻せるか、これも課題です。

労働党はさらに事態が深刻です。従来、労働党は、社会的公正を追求する知識層と労働者の政治的経済的地位の向上を目指す労働組合の連合体でした。そこには緊張もありましたが、ブレグジット問題は、グローバルに活躍する人々からなる前者と、グローバリズムの恩恵を受けずむしろその脅威にさらされている人々を多く含む後者の対立を先鋭化させました。国民投票ではこの二つのグループが異なる方向で票を投じました。

さらに、コービン党首の登場があって、急進的な社会主義路線を進むか、市場や国民の合意を取り付けるより穏健な路線をとるのか、この路線対立があります。労働党が一体性をどのような形で再構築するのか見通しはまだ立っていません。

イデオロギーと支持基盤の組み替えが英国の主要政党の間で起きるのか注意する必要があります。

住沢今までの議論を整理すると、第3の道、中道左派の政治は結局、恵まれない人々の生活をよくする政治を提供できなかった。山口さんが訳した、コリン・クラウチは、『ポスト・デモクラシー 格差拡大の政策を生む政治構造』(青灯社 2007年、原著2003年)において、勤労者に幸福であった福祉国家の平等主義的デモクラシーの時代は終わったと書いています。

しかし彼は格差拡大を生む政治構造を分析できても、来るべき次のデモクラシーの上昇へと進む新しい放物線を描くことはできません。可能性として、市民民主主義やエコロジー、ジェンダー運動もあげられますが、台頭する右翼ポピュリズムやグローバル資本主義に対してはひ弱です。

クラウチが答えられなかった未来への提示に関して、山口さんはどう考えますか。

山口熟議とかいろいろスローガンはありますが、議論がなかなか深まらないですよね。デモクラシーのテーマとして、今、何ができるかというのは、本当に難しい。それでも高安さんが指摘した最低賃金を徐々に上げていくとか、グローバル化に政治が降伏しないで、法人税とか資産課税を強化するなど、少しずつであれできることはいろいろあると思うのです。国有化とか、大学無償化とかいう大きな転換ではなく、できることを提示して人々を説得してゆくしかないのでは。 

日本の場合は、脱原発・自然エネルギーへの転換という大きな対立点があるので、ここでは与党と差別化は可能です。30年程度のスパンをとれば変わってゆくと思います。環境は若い世代ほど大きなテーマです。

住沢政党はどのように変わりますか。比例代表制の国であれば、変化は政党の力関係の変化としてわかりやすいのですが、小選挙区や二大政党制の国ではどうなりますか。

高安これまでも英国では主要政党の交代が起きてきました。19世紀から20世紀にかけて、自由党が労働党にとってかわられました。環境を重視する有権者が増えれば、過去の歴史が示すように、主要政党の交代が生じますが、それよりも大政党が環境政策などを取り込んでいく方が可能性は高いと思います。

5.山口提案「民主主義を終わらせない」の検証

住沢それでは次に、現在の日本政治に関する山口提案に移りたいと思います。山口さんは近著『民主主義は終わるのか―瀬戸際に立つ日本』(岩波新書 2019)終章の「民主主義を終わらせないために」で、要約すると次の5つの提言をしています。

提言1 野党の立て直し(政策の長期的な展望の共有、共産党をふくめ政党組織の新しいイメージ)

提言2 国会の再建 (国会において議論の言葉を取り戻す、そのための様々な改革と手法)

提言3 官僚制の改革(専門性とデモクラシーのバランス、政治主導を発展させるための諸条件・責任体制、事実(エヴィデンス)をもとにした政策形成)

提言4 民主主義のためのメディア

提言5 市民の側での課題(若者が批判的な発言や考え方を拒絶、主権者としての覚悟が必要)

提言1の野党の立て直しは、現段階では立憲民主党と国民民主党の合同は頓挫しています。提言2も、森友から「桜を見る会」まで、野党の追及も国民の怒りも、実を結んでいません。とりわけ提言3の官僚制の劣化は深刻であり、公文書の書き換えや消却、原発輸出政策や郵政問題など、誰も失敗の責任をとっていません。これだけ批判する材料はあるのに、改革の端緒すら見えてこないということで、何から始めればいいのでしょうか。

山口それはそうですね。私これを書いていても、では具体的にどう実現するか、と自問自答しても答えはなかなか見出せません。その意味ではつらいものがありますが、ただ一つ、2015年の安保法制の問題以来、野党の戦い方が変わったことが、日本政党政治の歴史の中では大きな意味を持つのではないか、と思っています。

つまり小選挙区を導入して20年たって、ようやく小選挙区を前提とした政党の戦い方が、自民党に対抗する側でも確立しました。共産党の柔軟化が非常に大きな影響を及ぼしているわけです。自民党の方はいち早く、公明党を取り込んでモデルチェンジをしたわけですが、野党の方はなかなかできなかった。

しかし安保法制問題や、安倍というかなり右翼的、国家主義的な政治家が、憲法問題を争点にしたことにより、日本の中間からそれより左の有権者が従来から抱いていた、日本国憲法に対するある種の「忠誠心」を刺激して、野党が連携する場を作り出したといえます。安倍首相なしには、共産党との野党共闘なんて、絶対にありえないわけで、安倍の長期政権に対する反作用が、今やっと起こり始めている気がします。今年は総選挙があるでしょうから、小選挙区で野党が一本化できれば、そこそこ戦えるのではと思っています。

選挙で与野党が拮抗するというイメージを作りだすことができれば、人々の意識を変えるわけです。その上で先ほどからいわれる政策パッケージを野党側が出せば、政権交代という選択肢もありうる。そのような意識を有権者が持ち始める可能性も出てきます。最近、私にしては珍しく楽観的な見方を持っています。

住沢高安さんは、最近では朝日新聞などでも日本政治に関して発言されていますが、山口さんの5つの提言と、先ほどの山口さんの改革の端緒について、どのような見解ですか。

高安いずれも大事な提言ですが、提言1の野党の立て直しこそが、日本政治にとって不可欠であると思います。野党の立て直しがあって、国会の再建も官僚制改革も民主主義のためのメディアの確立も続く、という順番のようにみえます。

提言5の若者世代に対して、「抵抗の勧めと説教」ではうまくいかないのであり、なぜ彼らが、「自民か棄権か」、という選択肢になるのか考える必要があります。若者は生活や雇用に対して不安を持っています。したがって、もし仕事がなくなっても生活できます、仕事を紹介します、教育・訓練の機会を用意します、場合によっては、公務員にしますなど、山口先生もいわれるように、「大丈夫感」を持てるような安心感が必要ではないかと思います。 

住沢山口さんは、選挙区での具体的な統一候補の擁立にむけ努力されており、高安さんは、野党の立て直しのために、人々の信頼を得ることができる政策パッケージと、段階的に実現してゆく手法も含めて、有権者の「大丈夫感」を獲得することの重要性を指摘されました。

山口この本でも書きましたが、改憲阻止のための3分1の確保の取り組みと、政権交代のための取り組みとは全然違います。改憲阻止の場合は、参議院選挙ということもあり、野党的な政策を市民連合に提案してきました。しかし今後の総選挙では、政権をとるためには、高安さんのいわれるように、かなり工夫した野党側の政策提言が必要になります。

私もその辺は意識して、例えば、市民連合は原発、即時ゼロとは絶対に言わない。再稼働反対ともいっていない。再稼働するためには、これこれの条件が必要とまでしか言っていない。そのため、熱心な野党支持者からは、生温いといわれています。不満は残るけれども、高安さんのいう、「安心感」や「大丈夫感」を得ること、さらに言えば実行可能な案を提起することにあります。ただし、支持者も相当我慢してくれないと、持たないです。

高安そこですよね。連帯といいながら左派は正当性を競い合い、結果としてバラバラになるということを繰り返してきました。

山口だからいま一番困るのは、山本太郎のような存在ですよね。彼は『文藝春秋』で消費税ゼロといっているそうですが、それを言われると野党共闘は持ちません。税収と歳出を含めて議論しないといけないのですが、彼の支持者には非妥協的な人もいますから。

住沢山口さんに対して、高安さんは世代的にも若いし、野党共闘の現場というより、BBCの放送記者のような外部観察者の視点でも、日本政治を見ることができると思います。高安さんが、野党の立て直しが最優先事項であるという時、ではこれまでメディアで議論されてきたこととは異なる視点があれば、あるいはどのようすればそれが可能なのか、具体的なイメージがあればいってください。

高安あえていえば政党のリーダーが本当に勝とうとしているのか、何のために勝とうとしているのか、それがよくわからないということがあります。人々がまとまるためには大きな方向性の提示、具体的な提案、希望、そして各方面からの譲歩が必要です。これはリーダーの役割です。そういうリーダーが誰なのか、ということを見極めることがそもそもの政党の役割りだと思いますが、そういう人が現れてこない、ということがネックな気がします。

なぜそうなっているのかと考えると、新しい人が入ってこない。自民党も含めてこのことを考えると、例えば「兼職の禁止」という事を止めてみる。サラリーマンとか公務員とかでも、立候補したい人はできるようにする。また、学生時代には男性以上に知性、努力、リーダーシップ、胆力などを備えた女性がいます。そうした女性を積極的に探し登用する。こうしてもう少し幅広く人を集めるようにするところから始める、ということが第一歩ではないかと思います。

住沢欧米諸国のこれまでの保守・リベラルの国民政党を見ていますと、次世代のリーダー育成にどの国も失敗している気がします。アメリカ大統領選挙では、選挙資金の問題はあるにせよ、高齢者か若い未経験者ばかりです。ドイツを見ても、これまで州首相を経験して首相候補になるというルートがあったのですが、社民党もキリスト教民主同盟も悲惨なもので、そうした経験者が登場してもキャリア不足として、党員からも選挙民からも支持されません。

ジョンソンは特異な例ですが、イギリスも含めて、小選挙区において、あるいは大都市市長や州首相選挙などで鍛えられた候補者が経験を積んで、段階的にリーダーになっていく、というルートが壊れつつあります。逆に、ポピュリスト政党では、無名の政治家が突然リーダーになる、しかも場合によっては、人々の注目を引くリーダーが生まれるという事態が生じています。

高安政党の刷新には、政策パッケージと組織、リーダーの刷新が必要です。

政策パッケージは、生活研(生活経済政策研究所)などもやっていますから、何らかのパッケージは提出できますよ、という段階だと思います。最大の問題は、「玉」、誰がやるのだろうか。党内で高い評価の人が、有権者にも評価されるとは限りません。党の役割は、党内はもちろん、外部で人々をひきつけることができる人物をリーダーに押し上げていくことだろうと思います。

また政党のこの三つの側面を売り出すためにはメディア戦略が重要です。しかし、野党は非常に古いスタイルでやっており、Web空間の戦いは不得意のようにみえます。これまでは政治家はテレビに出て、顔を売ればいいと思っていましたが、現在ではもはやそれでは不十分です。ジョンソン首相とその周辺は、この点で大変に長けています。メディア環境が大きく変わる時には、政党のメディア戦略はきわめて重要だと言えると思います。残念ながら、「良い製品」を作っていれば売れるという時代ではなくなっているようです。

山口奨学金問題への学生の抗議運動は、久しぶりに可能性を感じる出来事でした。学費や奨学金問題も含め、大学教育は世界中で若者の大きな問題となっていますが、ただ日本では、どのような制度作りがいいのか、まだ出口が見つかっていません。今、東大の本田由紀さん、大沢真理さんと一緒に3月には本を出す予定で、今とは逆さまの世界を創るという事をコンセプトに立ち、現在のさまざまなおかしなことを変えてゆくと、このようなすばらしい社会になる、という事を示そうと思っています。

住沢それでは最後に、お二人に、言い残したこと、これだけは言っておきたい、という事をお願いします。

高安ポピュリズムという言葉の使用に関して、反自由主義という意味で使われますが、私はそれが一時的なものという事を疑っていて、むしろ権威主義体制の入り口と思っています。ポピュリズムが反自由主義を意味するのであれば、警戒しなければなりません。人気取りをするという意味とは全く異なります。

ですから山本太郎がポピュリストであるという場合、他の意見を一切認めないという意味で反自由主義ならば危険な存在です。しかし、新興勢力として有権者の人気取りをしようとする主張を掲げるのは別の問題です。

真に気をつけなければならないポピュリストは反自由主義であり、そうした人々が権力を持っている場合に、野党、裁判所、メディアを攻撃する恐れがあります。私たちは、こうした人々にこそ団結して警戒したほうがいいかと思います。その意味では、日本では安倍政権の姿勢の方が問題です。

いずれにせよ、ポピュリズムという言葉の使い方には注意が必要です。

山口私は、安倍政権があまりにも長期化したことによる権力集中の害悪を実感しています。もともと日本の裁判所は保守的であったが、一層保守的になった。メディアも本当に批判性を失ってきたし、官僚機構が合理性を失い官邸の御用聞きのようになったし、大学はどんどん崩壊しているし、やはり社会の多元性といったものが崩れてきている気がします。しかしこれは高安さんが言及したように、知識人なり、エリートだから自覚することであり、それが問題として広く共有されていないのではないですか。

『現代の理論』の読者には全共闘世代が多いと思うので、安倍政権打倒のために、死ぬ前にもう一度戦えと言いたいですね。安倍政権を倒すために総力を結集するというのは、人生最後の大きなテーマではないですか。

やまぐち・じろう

1958年岡山市生まれ。81年東京大学法学部卒業、同年東京大学法学部助手。84年北海道大学法学部助教授・教授を経て2014年より法政大学法学部教授。専門は、行政学・政治学。著書に、『政治改革』(1993年岩波新書)、『日本政治の課題』(97年岩波新書)、『イギリスの政治 日本の政治』(98年ちくま新書)、『戦後政治の崩壊』(2004年岩波新書)、『内閣制度』(07年東京大学出版会)、『政権交代論』(09年岩波新書)、『政権交代とは何だったのか 』(12年岩波新書)、『資本主義と民主主義の終焉』(2019年4月祥伝社、水野和夫との共著)、『民主主義は終わるのか―瀬戸際に立つ日本』(2019年10月岩波新書)など多数。

たかやす・けんすけ

1971年東京都生まれ。成蹊大学法学部教授。専門は比較政治学、政治過程論。1994年早稲田大学政経学部卒業、同大学院政治学研究科を経て、2003年ロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスにおいて博士号取得。 北海道大学大学院法学研究科リサーチ・フェロー、同大学大学院法学研究科講師を経て、2006年より成蹊大学助教授、2010年より現職。 著書に『首相の権力―日英比較からみる政権党とのダイナミズム』(2009年創文社,)、『議院内閣制―変貌する英国モデル』(2018年中公新書)など。

すみざわ・ひろき

1948年生まれ。京都大学法学部卒業後、フランクフルト大学で博士号取得。日本女子大学教授を経て名誉教授。本誌代表編集委員。専攻は社会民主主義論、地域政党論、生活公共論。主な著作に『グローバル化と政治のイノベーション』(編著、ミネルヴァ書房、2003)、『組合―その力を地域社会の資源へ』(編著、イマジン出版 2013年)など。

 目 次
はじめに
第1章 瀬戸際に立つ民主主義
第2章 集中し暴走する権力
第3章 分裂し迷走する野党
第4章 民主主義の土台を崩した市場主義
第5章 個人の抑圧、崩れゆく自由
第6章 「戦後」はこのまま終わるのか
終章 民主主義を終わらせないために――五つの提案

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『民主主義は終わるのか―瀬戸際に立つ日本』
(山口二郎著、岩波新書、840円+税)

 目 次
第1章 議院内閣制とは何か
第2章 政府と政策運営―集権化は何をもたらしたか
第3章 政権党と首相の権力
第4章 二大政党制の空洞化と信頼の喪失
第5章 国家構造改革とは何か―政治不信への英国の回答
終章 政治不信の時代の議院内閣制―日本政治への含意

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『議院内閣制―変貌する英国モデル』
(高安健将著、中公新書、990円)

特集・問われる民主主義と労働

  

第22号 記事一覧

  

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