コラム/沖縄発

首里城炎上 広がった衝撃

喪失感から再建に向け動き出す

沖縄タイムス学芸部 内間 健

2019年10月31日早朝。いつもより早く目を覚ますと、テレビの画面に目が釘付けとなった。首里城が燃えていた。目を、耳を疑った。まさしく夢か映画のワンシーンのようだった。

がれき撤去作業が行われている首里城公園。公開エリアは拡大され、一部で作業の様子を目にすることもできる=2020年3月、那覇市

記者やカメラマンが現場に繰り出し総力戦となった。沖縄タイムスは、当日朝には号外1万部を発行。さらに翌11月1日紙面では、一面と最終面をぶち抜き「首里城炎上 正殿が焼失」「沖縄の象徴崩落」の大見出しで、闇に燃え上がる首里城の大判写真で火災を報じた。31日未明に出火した炎が、正殿と北殿、南殿を全焼させるなどして、主要な棟が焼けた。

同紙面で伝えている。午前4時33分、骨組みだけになった正殿が崩れ落ちた。心配し、見守っていた市民からは、悲鳴が上がった。周辺の学校にも動揺が広がった。登校してきた高校生が涙をぬぐう場面もあった。県民は沈痛な思いに沈んだ。

首里城は琉球国の王家の居城だった。明治政府による武力を背景とした1879年の「琉球処分」で、最後の琉球国王・尚泰が明け渡すまで、琉球国の政治や文化の中心地として栄えた。残された正殿などが国宝に指定されたが、1945年の沖縄戦では日本軍が城の地下に掘った壕に司令部を置いたこともあり、米軍の攻撃を受け焼失した。戦後、沖縄が日本に復帰した後、国が国営公園整備事業として首里城の建設を決定。1992年の復帰20周年に合わせて正殿などが公開された。復元事業は30年余に及んで2019年2月に終了、沖縄県へ管理運営が移管されていた。

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私は急ぎ出社した。担当する学芸部の文化面でも、火災翌日の紙面から即、首里城火災の連載開始を検討していた。早速協議して、執筆していただきたい文学者や歴史、美術工芸などの専門家らに、私が依頼の電話をかけ始めた。「朝からテレビでごらんになったと思いますが…」と切り出すと、それぞれ起こっている事態の大きさに驚きや戸惑いを語った。

緊急という趣旨の依頼は理解していただいた。が、さすがに原稿を「今日、明日にはほしい」と申し出た時は、あまりの執筆時間の短さに心苦しかった。しかし、「頑張ってみましょう」などと7人の方々が、短期間で仕上げてくれることで快諾いただいた。

連載は文化面トップを予定した。初回を担当した芥川賞作家の又吉栄喜さんは、午後1時ごろに依頼を引き受けてくれ、同日夜には予定を上回る約2600字の原稿を寄せてくれた。

又吉さんは、かつて首里城内におかれた教室で学んだ大正生まれの母と数年前に首里城を訪れ喜び合ったことや、戦後、首里城跡にあった琉球大学に通っていた時代のエピソードを書いていた。そして、首里城が沖縄の精神文化や誇りにつながっていることをつづり、再建を切に願っていた。わずか数時間で、さすが、とうなった。それぞれの時代の情景も目に浮かぶようだった。

沖縄戦で焼失する戦前の首里城も知っているという94歳の芥川賞作家・大城立裕さんにも健筆をふっていただき、連載の第二回を飾った。

識者・文化人それぞれの心にも衝撃と思いが高まっていた。

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多くの県民は喪失感に襲われた。しかし、14世紀半ばから後半にかけて造られた首里城が焼失したことは、今回を含めると過去に五度ある。そのたびに再建されてきた。

時代は変わり、首里城の位置づけも変わっていった。今回の焼失では、県内はもとより、県外からも多くの人々からの寄付が寄せられているなど、再建に向けた気運は高まっている。そして再建を求める人々の幅の広さは、県内においては現代の首里城が、いかに沖縄の象徴や心のよりどころとして認識されていたかを物語るものであろう。

また県外においては、首里城の遺構が世界遺産であり、さらに復元された弁柄色の城の美しさが、独自の琉球文化の存在を世界に知らしめていたことを示している。悲しみは世界に広がり、県民への共感につながった。

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今年は沖縄県や国による再建への動きが本格化している。2月10日にはその第一歩となるがれき撤去作業が始まった。首里城公園の公開エリアは火災前の約8割にまで拡大しており、来場者数は回復傾向にある。一部でがれき撤去作業を目にすることもできる。

今後、防災面の強化などハード面の対策と同時に、県民の思いをどうくみ取るかも問われてくるだろう。

うちま・けん

沖縄県生まれ。大学を卒業後、1993年に沖縄タイムス入社。社会部、与那原支局、北部支社などを経て、現在、学芸部副部長待遇(デスク)。

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