コラム/ある視覚(寄稿)

かわいい国体

小説家 笠井 一成

私は学習塾講師である。

ある日の中2生との会話。

 「先生、いくつですか?」

 「当ててみ」

 「72歳」

「あっそれ、エトいっしょ」

「じゃあ60歳」

「ピンポン」

「先生、そしたら、昭和・平成・令和の次目指して頑張って(生きて)くださいよ」

「あー。あいつ私のイッコ下で死ぬのいっしょくらいか。可能かも」

「! 天皇をあいつって言う人、初めて見た」

「年下だし法の下の平等だし表現の自由だし国民主権だし不敬罪ないし、あいつでいいじゃん」

 「そうすか」

さて、皇室への感情を「反感」「無感情」「好感」に分ければ、2020年現在、日本人のほとんどが抱くのは「好感」である。

それは何に由来するか。前天皇夫妻のふるまいと人柄によるのは言を俟たない。

裕仁にはなかった「愛される天皇」イメージ形成に、明仁夫妻は三十年かけて成功したわけだ。

ちょっとここで、私の立場を言っておく。

私は「天皇はいらない」主義である。理由は、面倒くさいので省く。

いや、一つだけ書こう。天皇がいる日本は何も変わらない。もしも天皇がいなくなれば、その瞬間から日本の何かが変わるのは間違いない。だからである。

変わるといって、良くなるのか悪くなるのか、そんなの知らないが、変わらないより変わる方が、私はワクワクする。

約30年前、裕仁が死んで明仁が継いだとき、彼は憲法遵守の誓いを表明し、改憲拘泥派の自民党らを慌てさせた。天皇自らが憲法を守れと言ったらば、憲法変えろの立場がなくなるではないか!と。

それから年月が経ち、安倍が現われた。安倍は憲法を変えたくて仕方ない。安倍が出てきて以降、明仁は頻繁に憲法遵守を口にするようになった。こうして明仁は、安倍には煙たい存在になったのである。

このころには明仁の平和の使者イメージは膨らみ、山本太郎が直訴、なんて一幕もあった。

30年前、「明仁の護憲」なんかに「騙されるな」と、左翼たちは警戒し身構えた。

30年後、明仁夫妻の平和イメージに絡め取られ、左翼までもが皇室に頼ろうとしている。

右翼はといえば、別に大日本帝国憲法天皇主権の復活なんか、もともと目指していない。象徴天皇の最大利用ができれば事足りる。

ここにおいて、左翼と右翼の思惑は一致する。皇室がばんばん平和的活動をして(左翼喜ぶ)、日本人が天皇をますます好きになれば言うことない(右翼満足)。

全然ブレずに同じなのは、ひとり明仁だけである。

明仁は本当に良い人なのか。人間的には実に良い人だと私は思う。

しかし、彼は天皇である。

天皇が良い人だと国民は天皇を好きになる、そんなイメージアップに明仁は大いに貢献した。もちろん意図的である。こうすればこうなるだろうが分からないような人ではなかろうから。

明仁は良い人である。

だが真実の人と私は思わない。真実の人とは、どう考えても変だという点に気づけば万難を排して訂正する勇気を持つ人、のことである。

天皇の存在はどう考えてもおかしい。どうしてかは邪魔臭いので、省略する。

いや、一つだけ言おう。天皇とかいって、ただのおっさんだからである。身も蓋もない自明の理に、明仁ほどの知性が思い至らないはずがない。

しかし、明仁は天皇である。天皇が天皇を否定するわけにはいかないのである。

天皇の廃止という自己否定。これをしなかった点において、私は明仁を真実の人とは看做さない。

(唯一考えられる明仁からの反論=「事実誤認がある。私はおっさんではない。じいさんだ」)

私のイッコ下の「あいつ」=徳仁の即位式だかなんだかで、「天皇陛下万歳」が48回(三唱×16)あったって? そしてそれに「一体感を抱けて良かった」なんて感激する若いやつがいっぱいいた?

なんと破廉恥な。だいたい儀式見物に行ってスマホで撮影しようという行動自体が幼稚。日本人のいちばんダメな部分である。

無邪気な万歳につつまれるソフトで可愛い新天皇。そもそも、「良い天皇だと国民は天皇を好きになる」という構図自体がくだらない。そのくだらなさに、天皇がいる限り日本人はいつまで経っても気づけないのである。(2019.11.23)

かさい・いっせい

1959年生まれ、京都市左京区出身。旧ペンネームはヨーゼフ・Kまたは闇洞幽火。1990年「犬死」が第22回新日本文学賞候補作。1992年「希望」が第23回新日本文学賞候補作。1993年「特殊マンガ家の知性」が第1回マンガ評論新人賞最終銓衡作。著書、『形見のハマチ』(近代文藝社 1995年)、『はじめての破滅』(東京図書出版会 2009年)、『父と子と軽蔑の御名において』(牧歌舎 2011年)、『不戦死』(風詠社 2016年)、『血魔派の三鷹』(幻冬舎 2017年)、『ヘル・K・イッセの思い出』(三恵社 2020年)。

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