論壇

医師たちはHPVワクチンをどれくらい知っているのか

「子宮頸がんワクチン接種被害事件」のその後を追う

日本社会臨床学会運営委員 井上 芳保

本誌11号(2017年2月刊行)「論壇」欄に筆者が「接種の積極勧奨を再開させてはならない:子宮頸がん接種被害事件をめぐって」を書いてから二年半以上が経つ。いわゆる子宮頸がんワクチン(正確には、ヒトパピローウィルス対応ワクチン。以下HPVワクチン)の接種後に副反応の症状が激しく出て苦しむ女性たちの問題は少しも解決していない。2016年7月に全国五か所で始まった、被害者たちの国と製薬会社に対しての訴訟は続いている。

幸い「接種の積極勧奨」の再開には至っていない。このワクチンは2013年4月に原則として12歳以上16歳までの全女性を対象とした定期接種になったが、同年6月に接種の積極勧奨が中断されるという異例の経過を辿った。重篤な副反応の多発を重く見た厚生労働省の担当者が動いての中断であった。その後も今日に至るまで定期接種の積極勧奨の再開は食い止められている。だが、定期接種の状態はまだ続いている。任意でうつ成人もいる。危険性を知らずにこのワクチンを打ってしまう人は今もまだいるということだ。

それどころか、甚大な被害が出ているにもかかわらず、未だにこのワクチンをよいものだとして接種の積極勧奨再開を主張する動きが、医師たちも含めて根強く存在している。そうした主張にいわゆる「リベラル」の論客が善意のうちに巻き込まれていることが残念ながら多い。本稿はこの現状に危機感を感じて書かれるものである。本稿ではこの薬害事件を「子宮頸がんワクチン接種被害事件」と呼ぶ。むろん製薬会社と国に大きな責任があるが、責任を問わねばならない人たちはもっと広範に存在しているようだ。

1.被害者たちの苦しみは今も続いている

接種後に副反応の出た被害者たちに何が起きているのかについてはあまりにも知られていない。現在、マスメディアの報道機会自体がごく限られていることにも大きな問題がある。ワクチン推進論者の多くと自己免疫疾患が専門外の医師たちの多くは、とても痛い注射なので少女たちゆえの心理的な問題が発生するから「心のケアが必要」くらいにしか認識していないのではないか。一部で流布した「被害者の発生は日本だけ」というのも大ウソで被害者は世界中で出ており、訴訟も起こされている。

実際の被害者について二例だけ紹介しておく。単に「腕に痛みが残る」とか「思春期特有の心理的問題」といったレベルのものでは全くない。

Aさんは現在22歳。定期接種開始の2013年4月に居住自治体と学校からの催促で接種。打った直後に激しい頭痛と呼吸困難の症状が出て苦しみ始めた。最初の医療機関は「心の問題」だとしてまともに相手にしてくれなかった。筆者との面談時は、歩くのもやっとで階段を上るのも辛そうだった。時々襲う激痛を「頭の中で爆弾が破裂しているような感じ」「胃が口から飛び出してきそうな吐き気」と表現していた。食べ物の味がわからなくなり、記憶障害も起きて簡単な計算もできなくなり、学校から家に帰る道にも迷うようになった。ついには母親の顔までわからなくなった。治療を求めて病院を転々とした。詐病扱いもあった。その末に出逢えた医師は「脳内で何か大変なことが起きている」と述べた。休みがちにならざるを得なかった高校はやっと卒業できたものの、その後は通院しつつ家で殆どの時間を過ごし、横になっていることが多い。

Bさんも現在22歳。車いすで生活している。2018年5月から歩けなくなった。外出時にはマスクとサングラスを着用する。マスクは化学物質に過敏に反応してしまうため、サングラスは光を眩しく感じてしまうためだ。接種は中学生時の2011年の8月、9月、2012年3月の三回。定期接種化の前だが、居住自治体の「緊急促進事業」による任意接種だった。症状がはっきりと現れたのは高校生時。生徒会室で倒れ、過呼吸と痙攣が現れて苦しみ、救急車で緊急搬送された。CT検査、血液検査等では「異常なし」で精神科受診を勧められる。その後も突発的な激痛に襲われたり、過呼吸で治療が必要な状態に陥るなどのリスクと隣り合わせの生活が続いている。症状とHPVワクチン接種との関連に初めて気づいたのは高校体育教師からの指摘。近くの大学付属病院にてその可能性を訴えたが何の対応もされず、その様子を傍らで見ていた看護師の耳打ち情報により自己免疫疾患の治療と取り組む、信頼できる医療機関に辿り着けた。

2.必要性がそもそもなく、しかも危険なワクチン

AさんとBさんは年齢以外にも共通点がある。HPVワクチン接種後、闘病生活を続けざるを得なくなり、将来の夢を奪われたばかりか、症状を訴えても無視され、詐病扱いされて二重三重に苦しんだ経験があること等だ。なぜこんなことになるのだろう。医師たちが善意でHPVワクチン接種をしているのだとしたら、このワクチンの危険性を知らないのではなかろうか。まずはこのワクチンの正体と接種被害者に何が起きているのかの二点について説明しておきたい。

HPVワクチン開発の基点は、子宮頸がんは、性行為によって子宮頸がん粘膜に生じた微細な傷からHPVが粘膜基底細胞に侵入し、感染が数十年にわたって持続して発症するとの仮説である。HPVには100以上の型があるが、そのうち二つの型に対応のサーバリックス(グラクソスミスクライン社)と四つの型に対応のガーダシル(メルク社)が商品化された。HPVの全てをカヴァーしてはいない。だから女優の高橋メアリージェーンのように接種後に子宮頸がんに罹る人は出る。

重要な点だが、仮にHPVに感染しても多くの場合、健康な人は免疫力で撃退してしまうので、実際にがんにまで至るのはごく稀だ。また打った当人たちにも殆ど知らされていない事実だが、このワクチンを打ったとしても検診は必要である。「打てば子宮頸がんにならない」とは誇大表示である。これらのことから、HPVワクチンの必要性そのものを疑う専門家は実は少なくない。

次に副反応として、接種被害者に激しい頭痛や不随意の痙攣、光が眩しい、臭いに過敏、記憶力の低下、食品アレルギー、アナフィラキシーショック、運動性の失調、記憶障害などの症状が次々と現れるのはなぜなのかという疑問に答えたい。

HPVワクチンは、従来のワクチンとは原理が異なる。HPVの粘膜基底細胞への侵入を阻止しようと、初交前の若い女性に接種し、それ以降何十年もの間、HPV感染を予防するために強力な免疫増強剤(アジュバント)を使用して高い抗体産生を維持する設計になっている。免疫系を過度に賦活化してHPVへの抗体が血中から子宮頚部粘膜に長期にわたって常時浸み出すようにするわけだが、このアジュバントの成分が深刻な脳障害を引き起こす一因として疑われている。

自己免疫疾患の専門家たちからなる日本線維筋痛症学会(西岡久寿樹理事長)は、HPVワクチン接種による副反応症状を「HANS症候群」と命名した(2014年6月)。このワクチンの危険性を早くから指摘し、接種中止を強く主張してきた浜六郎(医薬ビジランスセンター代表)は、重篤な副反応発生のメカニズムを推進派論者とのバトルの場で詳しく説明している。

その記録は『性の健康』誌14巻1号(公益財団法人「性の健康医学財団」発行、2015年6月)に載っている。該当箇所は「タンパク質と結合したDNAやMPL(アジュバントの一種:井上注)が組織傷害を起こすと、自然免疫に重要な役割を持つToll様受容体が活性化される。過剰な反応が節上神経節で起きると失神を起こします。アルミナノ粒子が樹状細胞(抗原を認識する細胞:井上注)とかマクロファージ(異物を食べる白血球の一種:井上注)など身体の各組織に取り込まれると身体のあちこちで炎症が起き、痛みが起こる。アルミナノ粒子を食ったマクロファージがリンパ管を通って脳内にも移行して、脳の感覚領野で炎症が起きると、身体のあちこちで痛みが起こります。血栓が頭の中でできて、あるいはこの身体のどこかに血栓ができると、末梢で痛みが起こります。血栓が溶けると、また痛みがなくなる。それで、サイトカイン(炎症を起こさせる化学物質:井上注)が出て、獲得免疫が起こって、いろいろな自己免疫疾患を誘導する。筋肉の組織には神経が来ていますから、そこにあるマクロファージで直接刺激するということがありますし、いろいろな形で神経が刺激されて痛みを起こすのではないかと考えられます」(56-7頁)である。

拙著『犠牲になる少女たち:子宮頸がんワクチン接種被害の闇を追う』(2017年、現代書館)第三章でも浜は類似の説明をしている。記憶障害等の発生のことをも含めての要点はこうなる。ワクチンを注射した筋肉内でマクロファージが集まり、毒性があるアジュバントのアルミニウム成分を取り込む。その結果、炎症や激痛が発生する。一部はリンパ液に乗って全身へ広がり、脳に達して神経を侵し、かくして認知機能等の障害が起きる。

Aさん、Bさんを襲った一連の重篤な症状の原因がこれで説明がつく。アジュバントは他ワクチンでも使われるが、HPVワクチンの場合、他のワクチンとは比較にならない強さのものが使われているので副反応も起こり易い。長期にわたって高い抗体価を維持する設計なので接種からかなり時間が経って発症するケース(遅発型)も当然出現する。

3.精神科に回されて見当違いの「診断/治療」をされる被害者たち

他方では、症状を訴えても「心の問題」とされて精神科に回された被害者たちがいる。彼女たちはその後、どういう目にあっているのだろうか。

成人被害者のCさんの事例を紹介しよう。彼女は現在28歳で大卒後看護師をしてきたが、20歳の大学生時に任意接種で打っている。よいワクチンと思ったからだ。握力が落ちて箸も握れずフォークを使用し、嚥下障害があって麺類を食べられない。看護師の仕事も身体的に無理になって休職中だ。最近、痙攣、意識消失に加え呼吸が止まって地元の神経内科開業医に急遽入院した。そこで「急性呼吸窮迫症」と診断され、「あなたは精神的な病気だから精神科で治しなさい」「痙攣とか意識消失とか演技をしないで下さい」「人の優しさを利用しないで下さい」と言われた。その後、上記開業医の紹介で東京の某精神医療センターでの受診に至った。

精神科の治療も全く無意味なわけではない。睡眠薬があれば、不眠症状は緩和される。但し過剰投薬のリスクはつきまとう。先のBさんも自己免疫疾患の治療の他、精神科にも通っている。母親と一体で副反応被害と闘っている。その母親が丁寧な記録をつけていたのでわかったが、2015年11月頃から解離の症状が出現している。2016年2月5日には走行中の車中でそれが強く出て飛び降りて右半身打撲のケガをした。2015年12月12日の処方箋は、朝ジアゼバム(5mg)1錠。テオドール(100mg)1錠。夕方ジェイゾロフト(50mg)2錠。就寝前フルトニラゼパム(1mg)1錠。これを2月まで毎日飲み続けている。筆者の信頼する薬剤師の指摘によると、このうちジェイゾロフトは「自殺企図のリスクがあるので、24歳以下への処方は注意すべき」とされる薬である。精神科でこれを長期にわたって処方されたために解離の症状が出た可能性は否定できない。

このように精神科からの投薬が絡むことで、益々ひどい事態に陥っている事例は少なくないと思われる。薬が効かぬので量が増えたり、より強いものに変更になったり等は、多くの精神科で起きている。HPVワクチン接種の副反応として現れている自己免疫疾患に対応する治療は精神科の管轄外と考えられるので、HPVワクチン接種被害の場合、精神科の薬だけでは効くはずがない。しかし、HPVワクチンの副反応を知らない精神科医はなかなかそう考えないようだ。

4.未だに接種を推奨する精神科医の認識レベル――斎藤環の発言事例

上記事例に直面すると、浜が説明するようなHPVワクチンの作用機序や副反応の危険性を、精神科の多くの医師たちは実は知らないのではとの疑念が湧き起こって来る。筆者は知人の精神科医に尋ねてみた。善良で仕事熱心な勤務医だが、HPVワクチンの作用機序の特異性については何も知らなかった。だから筆者の説明を聞いてとても驚いていた。

これは知人の精神科医だけの問題だろうか。一例として、精神科医であり、知識人としても著名な斎藤環の発言を検討しておこう。2018年1月9日に放送されたNHKラジオ第1の番組 「マイあさラジオ」の「社会の見方、私の視点」コーナーに斎藤が出演してHPVワクチンについて話した記録が文字化されて公開されている(twitter@yamasuguri)。ここではそれを使う。

斎藤は、最初にどんなワクチンでも副反応被害が少数は出てしまうが、それをもってワクチンを否定してはならないと説明する。接種効果が高い場合ならこれはまちがいではない。そしてHPVが子宮頸がんの発症をもたらす事、HPVワクチンでHPVウイルスの感染を予防できる事の二つに関してはエビデンスがあると語った後、副反応被害者の問題に触れている。

すなわち、「副反応を訴えている人々に対しては、その訴えを否定したりとかですね、訴えている人を傷つけたり屈辱を与えるべきではないというのが私の考えです。つまり、ワクチンの普及に伴うなんらかの被害者、ということには間違いないと考えられますので、なんらかのケアは必要であると。ケアの中には、端的に対症療法的にですね、その苦痛を軽減するような治療も含まれますし、それから一部、いわゆる身体表現障害というのがあると言われていますので、この場合はメンタルなサポート、すなわちカウンセリングとか認知行動療法とか、そういった治療で改善する可能性も大いにあると考えられます」としている。

これからわかるように、斎藤は副反応を「心のケア」で片づけられる問題とみており、被害者の身体に自己免疫疾患が起きているとの認識は皆無であると思われる。またそうである以上、当然なのだろうが、副反応の発生メカニズムについては何も語っていない。

しかしながら斎藤は、副反応とワクチン接種の因果関係が今大きな問題になっていること自体は知っているようだ。それは、「さらには厚生労働省の別の研究班の調査結果では、接種を受けてない人にも、同様の反応がある事が分かっています。そういった反応がワクチン接種によるかどうかは、現時点では科学的に判断できないと、つまり、受けた人と受けてない人に生じた反応の割合に、いわゆる有意な差がなかったと、統計的な差がなかったという事が分かっていますので、そこにワクチン接種の因果関係があるかどうかは、まだ証明できていないという段階です」と述べていることからわかる。

斎藤発言の傍線部は、本誌11号の拙稿でも触れた、2015年9月に名古屋市が予防接種の有害事象について7万人(接種者5万人、非接種者2万人)を対象に調べたデータ(名古屋スタディ)を根拠としたものと考えられる。この集計結果をまとめた鈴木貞夫(名古屋市立大学教授)らは、「手足に力が入らない」「突然力がぬける」等々の症状について接種者と非接種者を比較し、両者に有意差はない、つまり、HPVワクチンの副反応はないとの結論を出した。(Suzuki, S.&Hosono, A. (2018). No association between HPV vaccine and reported post‐vaccination symptoms in Japanese young women: Results of the Nagoya study. Papillomavirus Research, 5, 96 103.)。斎藤環ら推進派の論者たちが好んで引用、言及するのはこの結論だ。鈴木らの論文は、我が国でのHPVワクチン接種と諸症状との因果関係を否定する唯一の根拠となっていると言える。

5. 名古屋市による有害事象調査データをめぐる一つの決着

だが、2019年1月、鈴木らの上記論文を批判し、その結論を否定する論文が英文学術誌「Japan Journal of Nursing Science」(公益社団法人日本看護科学学会編)に出た。八重ゆかり・椿広計論文「日本におけるHPVワクチンの安全性に関する懸念:名古屋市による有害事象データの解析と評価」(Yaju,Y.&Tsubaki,H.(2019). Safety concerns with human papilloma virus immunization in Japan: Analysis and evaluation of Nagoya City's surveillance data for adverse events.Japan Journal of Nursing Science,16(4),433-449.⇒英文のみの雑誌だが、日本語訳を閲覧できるページがある。[2019/10/21閲覧]がそれである。

この論文は、名古屋調査での集計結果には健康者接種バイアスがみられることを緻密なデータ解析に基づいて明らかにしている。つまり、健康な若年女性はワクチン接種を受けるが、健康状態に問題のある女性は接種を控えがちとなり、そのために非接種群には元々の「手足に力が入らない」「突然力がぬける」などの問題が多く出ることとなる。その結果、接種群と比較した場合に実際に接種群に起きている副反応を覆い隠してしまう可能性を論証した。また八重らは、「健康者接種バイアス」の影響を最小化するため、「全年齢層の接種群」と「15-16歳年齢層の非接種群」とを比較した。その結果、6症状で接種群に有意に高い値の症状が出たという結論を出している。

鈴木は日本看護科学学会の編集部に宛ててこの八重・椿論文の取り下げを求めるレターを出した。編集部は、八重と椿に鈴木の批判に対する反論の機会を設けた。双方の主張を検討した結果、鈴木の要求は却下されたことになる。

鈴木のレターそれへの八重と椿の反論、及び両者への編集部としての見解の三点が「Japan Journal of Nursing Science」誌の「Volume16」に載り、この9月に刊行された。

編集部の見解は、八重・椿論文の価値を評価する趣旨になっている。換言すれば、「日本ではHPVワクチンの副反応はない」とする殆ど唯一の論文への疑義を同学会が認めたとも言えよう。これは「子宮頸がんワクチン接種被害事件」の一連の動きの中でかなり大きな出来事ではなかろうか。なぜなら接種者だけではなく非接種者にも同じような症状は出ていて、両者に有意差はない、だから症状はHPVワクチンのせいではない、とする鈴木らの論文の科学的根拠が揺らいだことになるからだ。斎藤環のラジオ出演は2018年1月だったが、この結果を知って斎藤はどう態度を変えるのだろうか。あるいは他の推進派の論客たちはどうだろうか。

6.今年5月の日本保健医療社会学会での被害者参加支援の試み

2019年5月18日と19日に東京慈恵会医科大学国領キャンパスを会場として第45回日本保健医療社会学会大会が開催された。この学会は、保健や医療という領域を研究テーマにする社会学者と医師、看護士ら医療関係職にあって社会問題に関心のある人たちが会員に多い。今回は19日9:30-11:30にラウンドテーブル⑦「予防医学に関して今、考えておきたいこと――HPVワクチンを題材にして」という場が設けられた。

話題提供者は、内科医の村岡潔(佛教大学)、産婦人科医の打出喜義(金城大学)、社会学者の佐々木香織(小樽商科大学)および筆者の計四人であった。打出が「HPVワクチン定期接種化言説の陥穽――子宮頸がん死予防から考える」、佐々木が「公衆衛生・科学言説におけるリテラシーとレトリック――HPVワクチンを題材にして」、筆者が「HPVワクチン接種被害者が過剰な予防医学の犠牲者でもあることの社会学的考察――「微細な悪の兆候」への不安はどこから来てどこへ行くのか」という報告を行い、それらを受けて村岡が全体のまとめの話をした。

特筆すべきは、接種被害当事者である母娘2組と被害者の母親3名の計7人がこの場に参加したことだ。その参加費用を薬害に取り組んでいる会員などから募るという試みも有志によりなされた。募金は、短期間であったにもかかわらず、志のある方々から計4万9000円が集まり、7人分の参加費を賄えた。ラウンドテーブル終了後に当事者の声を聴く場を設けたが、参加者は熱心に耳を傾けていた。当事者の姿を初めて目にしたという現場の医師もいた。車いす使用の被害者の姿をこの場には来なかった会員の多くも会場内で目撃し、大きな刺激を受けたようだ。例えば、推進論者であった医師の一人とのその後のメールのやりとりで、本稿でも先に紹介した浜六郎による副反応発生メカニズムの説明を伝えたところ、よく検討してみたいと返答してきた。

マスコミがこの薬害事件についてきちんと伝えていない責任は大きい。上記医師は「これまで自分が受容してきた情報は偏っていたのかも」とメールに書いている。そういえば、朝日新聞の2019年9月29日の読者投稿欄には「子宮頸がんワクチン報道に注文」という記事が載っていた。「医師 門間美佳 (神奈川県 44)」と実名の署名があり、接種を勧めるべきとする趣旨で「日本だけが子宮頸がんに悩む国にならないよう、科学的で正確な報道を切に願います」と締め括っている。門間医師もまたこのワクチンの正体を全く知らない一人であるようだ。「科学的で正確な報道を切に願います」と筆者もまた言いたい。門間医師とは正反対の立場からだが。

我々は、医師というと何でも知っていると思いがちだ。だが、日々忙しい医師たちの多くは自分の専門分野は詳しいが、専門外のことはあまり知らない。他の専門家たちの世界と同様に医師たちの世界もまた狭いのである。だから医療全般を俯瞰し領域横断的に学問的交流の出来る、保健医療社会学会は貴重な場だと言えるだろう。

7.〈自己免疫疾患状態〉の時代に求められるもの

保健医療社会学会のラウンドテーブルで筆者は予防医学への無批判的な信奉は「リベラル」の弱点かもしれないということをも話した。「予防への意志」が何に由来するかは掘り下げてよく考えてみるべきである。人々の不安を必要以上に煽る力が今は強く働いているのだから。

門間医師の投書を掲載したのは朝日新聞だが、同紙を読む読者層には医療への関心が高い人が多いと思われる。そこに落とし穴はないだろうか。十分な医療が全ての人に行き渡るようになることはむろん必要だ。医療の不足が目立つ時代にそれは切実な課題であった。しかし今はむしろ過剰医療を警戒しなければならない時代である。例えば、著名な憲法学者の木村草太などもHPVワクチンを打つべきと主張している一人だが、よく考え直して欲しいと思う。

他方、田中康夫はこのワクチンの危なさに早くから気づき、最近の小説『33年後のなんとなく、クリスタル』(河出文庫)の中に注意を促す記述を意図的に入れている。あるいは、れいわ新選組を組織し、このほどの参議院選で自らは99万票をとりながら落選したものの、特定枠を使って重度障害のある二人を当選させた山本太郎は、HPV接種被害者の問題をいちはやく国会で取り上げている(山本太郎『みんなが聞きたい安倍総理への質問』集英社インターナショナル、226-7頁)。山本の現在の政策秘書で、かつて参議院議員であった折にHPVワクチンの定期接種化にただ一人反対し、定期接種化後も中断に結び付く厳しい質問をした、はたともこ(当時、生活の党)の周到な準備もあってのことのようだが。他の政党も山本、はたを見習うことを期待したい。

筆者は、今回の保健医療社会学会で二つの世界大戦を経てつくられた20世紀の総動員体制の抑圧性についても話した。「人間を対象とみなし、それに向けて薬品を大量に投下するというこの行動様式は、まぎれもなくこの世紀のものだ。それは社会のなかに、あるいは人間のあいだに、隙間や余白を残すことを許容しない思考様式によって促されている」(市村弘正・杉田敦『社会の喪失』中公新書、11頁)という文章も引用した。

それでは、21世紀はいかなる時代になるのか。あるいはしていけるのか。晩期のデリダが「自己」と「非自己」の区別がつきにくい時代になっている点に留意して「自己免疫」(autoimmunity) 概念を使ったことに筆者は最近注意を払っている。今日のセキュリティ社会では「自己」を守るための防衛措置が「敵」という「非自己」排除のために先鋭化され、翻って大切にせねばならぬはずの「自己」をも傷つける。例えば、異質な他者を排除する安全保障の思想が、結果的に自己崩壊をもたらすという逆説的事態が問い直されねばならない。〈自己免疫疾患状態〉の社会の到来に太刀打ちできるものとは何か。難しい問題に直面していると言わざるを得ない。「子宮頸がんワクチン接種被害事件」を教訓として我々が考えねばならないことは多い。

いのうえ・よしやす

1956年、北海道小樽市生まれ。東京学芸大学大学院教育学研究科修士課程修了。1998年4月から2012年3月まで札幌学院大学教授。現在、日本社会臨床学会運営委員&北海道教育大学函館校非常勤講師。社会学者。社会意識論・知識社会学専攻。主要なテーマは、人間の高尚ではない諸問題。著書に『つくられる病――過剰医療社会と「正常病」』(ちくま新書)、『犠牲になる少女たち――子宮頸がんワクチン接種被害の闇を追う』(現代書館)、編著に『健康不安と過剰医療の時代』(長崎出版)、『「心のケア」を再考する』(現代書館)など。最近の論文に「先制医療への意志は「正常病」の症状かもしれない――HPVワクチン接種被害事件を糸口として」(日本保健医療社会学会編『保健医療社会学論集』28巻2号、2018年1月)、最近のインタビューに「正常であらねばならない「正常病」から逃れるために」(『社会運動』No.435 、2019年7月)。 

  

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