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『人間を幸福にしない資本主義―ポスト「働き方改革」』(早川行雄著/旬報社/2019.9/1500円+税)

ポスト資本主義と”社会の再封建化”を論じる

東京大学名誉教授 田端 博邦

『人間を幸福にしない資本主義―ポスト「働き方改革」』

『人間を幸福にしない資本主義―ポスト「働き方改革」』(旬報社 19,9)

ポスト資本主義は可能か。本書の問題意識を一言で表現すれば、こうなるであろう。もちろん、これに否定的な回答を与えることは容易である。イギリスでサッチャー政権が成立してから今年でちょうど40年になる。新自由主義(ネオ・リベラリズム)と呼ばれるある種の資本主義の資本主義化が進み始めてからすでにこれだけの年月が経っている。当時、奇矯とも思えたこの考え方は十分に一時代をなすに足りる時間を生き延びたのである。それだけではなく、その間に、歴史的なオルタナティブとして存在していた戦後のケインズ主義的政治経済体制の諸制度を掘り崩し、純粋の市場と個人の自由が正統性を確立したようにさえ見える。

そのような資本主義の「終わり」、つまりポスト資本主義を展望することは著しく困難、あるいは不可能にさえ見える。おそらくそれは夢物語に終わると、多くの人は考えているであろう。強制された個人の孤立に由来する社会問題は枚挙にいとまがない。行き過ぎた資本主義による悲劇である。「社会」が破壊されたネオリベラル社会はしかし、それゆえに持続可能性を失うことになるであろう。夢物語に終わると思われている資本主義の「終わり」は、当面不可能に見えるとしても、いつまでも不可能なわけではない。「ポスト資本主義」を展望しようとする本書のような考え方が生まれている――広く国際的に視野を広げてみるとこれはかなり顕著な傾向とも言いいうる――ということ自体が、資本主義の危機的な状態を示す現象かもしれない。

まず、本書の章立てを紹介しておこう。第1章 資本主義の黄昏、第2章 格差社会の実相と労働運動の役割、第3章 アベノミクスの実像、第4章 定常状態経済と社会の再封建化、第5章 危機に立つ春闘、第6章 ポスト資本主義の働き方、第7章 TPPが突き付けた労働組合の課題、補論 現代資本主義と賃金闘争。

第1章と第2章は、2017年の本誌(デジタル版)に掲載された「人間を幸福にしない“資本主義”(上)(下)」を収録したものなので、本書の著者は本誌の読者にはすでになじみかもしれない。各章の表題に示されるように、本書は、「プロの労働運動家」(著者による)によって、労働運動の観点から書かれた資本主義論と労働運動論であり、アベノミクスによる労働政策に対しては厳しい批判がなされているが、それだけでなく、労働運動の現状に対しても根本的な批判が投げかけられている(第2章第4節)。

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しかし、本書の最大の特徴は、書名にも登場する「資本主義」に関する考究にある。ロック、ルソー、スミス、J.S.ミル、マルクスなどの古典に関する深い素養を土台として、ポランニーやアマルチア・セン、シュトレークなどを含む広い読書量と労働運動を通じて日常的に体験する現実とが、著者独自の資本主義論を生みだしていると言える。

そうした資本主義論のなかで重要な概念として用いられているものに、「社会の再封建化」というものがある。一般にはまだ流通していない概念だと思われるが、著者によれば、自由競争や政治的民主主義の「虚構」が、大企業への経済力の集中と資本による政治支配のもとで「崩壊」した結果として現れたとされている。

評者の解釈によれば、資本主義のいわば正統性を支えてきた自由市場や民主主義の虚構が、独占的大資本の経済的、政治的支配の強まりによって虚構としても崩壊し、そうした支配があらわになった状態が「再封建化」と表現されているのである。それは、あたかも生の権力的支配のごときものであり、「経済的な支配権を握る特権階層が…政治的権力をも掌握して人民を支配する」封建制度に似ている、というわけである。虚構としての民主主義そのものが、虚構としても衰退する傾向についてはクラウチの「ポスト・デモクラシー」論も参照されている。

このような「再封建化」の概念は、著者自身がその内容を紹介しているハーバーマスの『公共性の構造転換』から借用したものである。著者の概念とハーバーマスのそれとは正確に同じものではないが、大きな部分で重なっている。ハーバーマスの再封建化と本書のそれとの関係についてはさまざまな議論がなされる可能性があろう。また、日常用語との距離が大きいということを考慮すると、例えばシュトレークが言うような「非/反民主主義化」あるいは日本語としては古典的な「政治反動」というような表現で代替されうるのか、という点も考えてよいかもしれない。しかし、いずれにしても、「再封建化」概念の基本的な意義は、市場原理主義、新自由主義的な政策が、その言説上の外見と裏腹に、再封建化を推進する役割を果たしているということにある。それは、市場原理主義に対する、そして資本主義化した資本主義に対する最大級の批判概念となっていると言ってよいであろう。

そのような再封建化は「資本主義の断末魔のあがき」にほかならない。ポスト資本主義の社会運動を構築することが「私たちの革命の課題」である、と著者は言う。これは非常に困難な課題であると思われるが、しかし、真剣に向き合う価値のある課題である。

たばた・ひろくに

1943年生まれ。早稲田大学法学研究科博士課程単位取得退学。同年東京大学社会科学研究所助手、助教授を経て90年教授。現名誉教授。専門は労働法。比較労使関係法、比較福祉国家論など。著書に、『グローバリゼーションと労働世界の変容』(旬報社)、『幸せになる資本主義』(朝日新聞出版)など。

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