この一冊

『汪兆銘と胡耀邦-民主化を求めた中国指導者の悲劇』(柴田哲雄著/彩流社/2019.10/2200円+税)

汪兆銘・胡耀邦の軌跡探究から“現代中国の
民主“考察に一石

パレスチナの平和を考える会事務局長 役重 善洋

『汪兆銘と胡耀邦-民主化を求めた中国指導者の悲劇』』

『汪兆銘と胡耀邦-民主化を求めた中国指導者の悲劇』(彩流社 2019.10)

本書は、近年、ウイグル問題から日韓問題まで、幅広く東アジア情勢について発言している気鋭の中国研究者による一般読者向けの概説書である。

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構成は三部構成で、第一部「汪兆銘の生涯」では、孫文の後継者と目され、国民党において蒋介石と厳しいライバル関係にあった汪兆銘の革命家・民主化論者としての半生に光が当てられる。対日協力者となった晩年ばかりが取り上げられがちな汪兆銘の思想の変遷が、その民主化論に注目するかたちで再評価される。

第二部「胡耀邦の生涯」では、少年時から中国共産党に献身してきた胡耀邦が一党独裁体制の諸矛盾を経験する中で政治改革の主唱者となっていくプロセスが描かれる。保守と改革の間を揺れる中国政治の中で胡耀邦が熾烈な権力闘争をサバイバルしていく様が興味深い。

そして第三部「救国から『救党』へ」では、これまでの議論を踏まえ、習近平政権に至るまでの近代中国の歩みを概観し、今後の中国の民主化の可能性について展望する。そこでは、「習近平政権の下で、民主化の希望は完全になくなりつつ」あるとの厳しい認識が示される一方、状況次第では「海外や香港で絶やされることなく維持されてきた民主化の火種が、中国国内に飛び火して、燎原の火のようになるかもしれません」との希望的観測が述べられる。

著者自身が述べているように、本書の中心人物である汪兆銘と胡耀邦は直接の人的接点がなく、世代も政治的立場も異なる。したがって、この二人を並列して取り上げるということは通常ではなかなか考えられない組み合わせである。しかし、著者は、「一党独裁」に何らかのかたちで批判的姿勢を取り、「民主化」を求めた中国の政治指導者としてあえて二人を取り上げ、比較を試みる。すると不思議なことに、思っていた以上にこの二人の共通点が浮かび上がってくる。

それぞれ、孫文と毛沢東というカリスマ的政治指導者の厚い信頼を得ながら、中国国民党ないし中国共産党における第二世代の権力闘争の中で最終的に挫折していく。そしてその挫折においては、日本との協力関係を模索したことが、日本の側から裏切られ、さらに中国のナショナリストからも厳しい批判にさらされるというプロセスを辿った点でも共通している。その歴史的考察を通じて、中国における民主化運動がぶつからざるを得なかった固有の困難性を浮かび上がらせることに成功している。

著者は前著『フクシマ・抵抗者たちの近現代史』でも、原発事故被災地出身の社会運動家でありつつも、やはり世代や政治的背景の異なる4人の人物を取り上げることで、原発や憲法をめぐる現代日本の問題を広い歴史的視野からとらえ返すというやや実験的な作業をしている。同様の試みを今回は中国近現代史において行っているということができる。

現在香港では、「逃亡犯条例」改正をめぐる抗議活動とそれへの弾圧が激化しており、本書の刊行は、中国の今後を考える上で大変重要な時期になされた。著者は、中国共産党の一党独裁体制に対し厳しい批判的姿勢を明らかにしているが、同時に日本における民主主義の危うさを指摘し、また、汪兆銘と胡耀邦の「挫折」における日本の責任からも目を背けない。その点で、意識的・無意識的な自民族中心主義的視点から中国批判を行う保守論客とは明確に一線を画している。また、日本の左派・リベラル知識人の一部には、中国における人権侵害は、社会主義体制維持のための必要悪であり、また米国等によって誇張されてもいるとして、取り立てて取り上げようとしない傾向もあるが、著者はそうした立場にも与していない。

中国の民主化運動や少数民族への共感的視点をしっかりと持ちつつ、その未来への展望を中国政治のメインストリームから排除された指導者の苦闘の歴史からつかみ取ろうとする著者の姿勢に見られるバランス感覚は貴重なものといえる。

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以下においては、今後の課題として残されていると感じたことを2点ほど述べておきたい。一点目は、本書の中心的テーマである民主主義の捉え方である。著者は「プロローグ」において民主主義を「たとえ不完全であろうとも、代表が国民の自由な選挙によって選出される政治形態」と定義する。ここでの民主主義の概念は国民国家体制を前提としており、少数民族の権利など、国民国家の枠組みに収まりきらない諸問題に対して十分な解答を与えるものとはなっていない。著者は、これまでの著作も含め、チベット民族やウイグル民族の権利を重視する立場を一貫して明確にしているが、そうであれば、なおさら多民族国家としての中国の歴史的現実において、西欧的民主主義モデルを単純に当てはめることの限界について考察を加えるべきではなかったかと感じた。

この点に関連して著者は、2011年の著書『中国民主化・民族運動の現在』(集広舎)において、在米中国民主化運動の指導者、胡平らが提唱する連邦制構想など、少数民族問題に対する民主化運動側の姿勢を紹介するという仕事をすでに行っている。そこで批判的に指摘されていたのが、胡平や、中国民主化運動を支援する米国民主主義基金(NED)とネオコン・イデオロギーとの近接性である。

「中東の民主化」を旗印としてイスラエル支援やイラク戦争、イラン制裁といった米国の好戦的中東政策を牽引してきたネオコン勢力が同様の欧米中心主義的視点をもって中国の民主化を外部から促進しようとするならば、現在の中東情勢が指し示している通り、本来の民衆のニーズに沿った民主化に逆行する効果しかもたらさないように思われる。

こうした問題意識は、本書第1部における「本来、我が国民にも自由・平等・博愛の精神が備わっているのである。民権や立憲はこうした精神に基づく制度である」という汪兆銘の言葉の引用や、第3部における「和平演変」(外部からの謀略によるクーデターの誘引)に関する考察においても垣間見られるが、今後さらに議論が深められることを期待したい。

二点目は以上に述べたこととも関連する。著者は本書の結論部分において、国際協調と民主主義、市場経済を構成要素とする「西欧モデル」と、強力なナショナリズムと権威主義体制、市場経済の組み合わせからなる「中国モデル」という二類型を提示し、前者が劣化する一方、後者が伸張しつつあるとの現状認識を示している。  

しかし、中国におけるナショナリズムは日本と同様、西欧ナショナリズム(あるいは西欧ナショナリズムを模倣した日本ナショナリズム)の植民地主義的膨張への対抗の過程において、やはり西欧近代国家(あるいはそのソ連型修正版)を模範として形成された。その経緯を考えれば、むしろ本来の中国モデルは、国民国家とは異なる、より多元的で開放的な統治システム(思想)を備えたものであったとみることも可能なはずである。その多元的モデルを現代に活かそうとするならば、そこでの民主主義は、必ずしも西欧的な議会制民主主義でなくとも、たとえばチベットの民族運動が模索する政教非分離型の体制を包含するものであっても良いように思われる。

また、著者は「中国モデル」拡大の一例として、中国による顔認証システムの輸出を挙げるが、こうしたセキュリティ技術の開発・輸出については米国およびイスラエルが先行しており、この間、中国はとりわけイスラエルから軍事・セキュリティ技術の導入を積極的にはかってきていた。このような側面においても、「西欧モデル」と「中国モデル」は、その命名法に矛盾する相互浸透的要素を互いに有している。

西欧における国民国家体制が、欧州内戦争を終わらせる努力の中で形成され、その際、長引く戦争で蓄積された軍事力がヨーロッパ域外に振り向けられていったのに対し、東アジアの国民国家体制は「西洋の衝撃」への防衛策として成立し、その際に構築された軍事力やナショナリズムが域内戦争ないし国内弾圧に向けられていくという非対称的なプロセスを歩んだことを思い起こす必要があるかもしれない。

評者は、中国における民主化の課題を、こうしたグローバルかつ重層的な抑圧の連鎖を解きほぐしていくプロセスの中に位置付ける必要があると考えるが、その際、既成の歴史記述とは異なるオルタナティブな視座を提供する本書が有用であることは間違いない。

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本書は、「15歳からの『伝記で知るアジアの近現代史』シリーズ」という企画の一環として刊行されており、カバー袖に記された趣旨には、「欧米中心の偉人伝とは一線を画す」「抗日派だけではなく、『親日』とみなされてきた人々も積極的に取り上げる」「目的をとげ成功をおさめた偉人ばかりでなく、挫折し、失意のうちに生涯を終えた人びとの生き様を中高生に伝える」などとある。近代の物語/知的体系の見直しが不可避である現代世界を見据え、しかもそうした時代看取の必要が最も切実な世代を対象とするこのシリーズにおいて本書は、その要請に正面から応えようとした一冊であるということができよう。

やくしげ・よしひろ

大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター客員研究員。同志社大学人文科学研究所嘱託研究員。京都大学人文学連携研究者。パレスチナの平和を考える会事務局長。著書に『近代日本の植民地主義とジェンタイル・シオニズム:内村鑑三・矢内原忠雄・中田重治におけるナショナリズムと世界認識』(インパクト出版会、2018年)など。

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