特集●混迷の時代が問うもの

西欧デモクラシーはまだ生きている

「西欧の十字路」ベルギーを歩いて

龍谷大学教授 松尾 秀哉

揺れる「ヨーロッパの首都」?

イギリスのEU離脱をめぐる交渉のドタバタ劇に象徴されるように、多くの方の「ヨーロッパ」に対するイメージは、今「混乱」や「不安定」「予測不可能」という言葉で表現されるだろう。筆者もこの秋から始まった「西洋政治史」講義の初回で、学生たちに「皆さんが今感じているヨーロッパのイメージはどのようなものか教えてください」と聞いて回ったところ、そのすべての解答が「ゴタゴタしている」「バタバタしている」というものであった。

筆者自身もそうしたイメージをもって、今年の8月末にベルギーを訪れた。特にEU の本部を抱えるブリュッセルは「ゴタゴタ」の真っ只中にあるという予想もしていた。この訪問の目的は別のテーマの資料収集やインタビューにあったが、実際訪れたところ、ベルギー、そしてブリュッセルは、予想以上に落ち着いていると感じた。多くの人が夏季休暇中であったということを差し引いても、いつもと変わらず多くの観光客で賑わい、ベルギーとして独立する以前の16-17世紀の建築物が残り建ち並ぶ一方で、巨大な現代的建築物も並ぶ、美しい「ヨーロッパの首都」のままであった。

本稿では、その状況をお伝えし、今後の西欧政治の展開を、総括的、仮説的に検討してみたい。以下ではベルギーという国について簡単に説明した後、咋秋以降のベルギー政治の状況、そして2019年5月に行われた総選挙の結果と現状について整理しておきたい。あまり知られてはいない国だが、イギリス、ドイツ、フランスに挟まれた小国で、先に記したようにEUの本部を抱えるブリュッセルを主とするこの国からの現状から見えてくる西欧の姿もあるはずだ。まずベルギーという国について簡単に説明しておこう。

ベルギーとは

ベルギー王国の大きさは日本の四国程度。人口は1100万人ほどで、小さな国である。しかし薬品などの化学工業や機械工業、またチョコレートで知られる食品加工業を中心に経済は発展しており、IMFのデータによれば、国民一人当たりの名目GDPは、2018年のデータまた首都ブリュッセルは歴史的な国際都市として知られており、EUの本部やNATOの本部を抱える。

長きにわたり、また様々な国に支配された結果、ベルギーは多言語国家として独立した。ベルギーの北方にはオランダ語話者が住み、フランデレン地方と呼ばれる。また南方はフランス語話者が住み、ワロン地方と呼ばれる。この二つの言語の社会的、政治的対立がベルギーをその後悩まし続ける「言語問題」である。ベルギーは建国以来、「分裂」の契機を内部に含み続ける国家として成立したということができる。

しかし、そうした対立の契機を常に内に含み、しばしば両言語の対立によって政治的な停滞を経つつも、1993年にはそれぞれの言語・地域の自治を大幅に認めた連邦制を導入し、さらにオランダの政治学者であるアレンド・レイプハルト曰く「卓越したエリートの協調的な行動」によって、長い時間をかけて双方の妥協点を見出しながら、大きな内戦に陥るようなことはなく、ベルギーはひとつの国家として維持されてきた。この時間を要するが、最終的に妥協していくあり方を、レイプハルトは多数決による即断即決の民主主義とは異なる「合意型デモクラシー」と呼んだ。それこそが複雑な多言語国家を維持する鍵であった。そして比例代表制や連立政権の常態化、分権化や連邦制によって特徴づけられるこの「合意型デモクラシー」こそ(イギリスとは異なり)大陸ヨーロッパ、特に西欧のデモクラシーの特徴だと論じたのである。しかし2019年5月に行われた連邦議会選挙では、ここ数年見られなかった状況が生まれた。以下、その経緯を報告する。

2018年末以降のベルギー政治動向

(1)2018年10月地方統一選

ベルギーでは、昨年(2018年)10月に地方統一選が行われ、与党に対する支持の低下が認められた。現時点でこの結果は、2015年11月に発生したパリ同時多発テロ事件、2016年3月に発生したブリュッセル連続自爆テロ事件など、ブリュッセルを拠点としていると考えられている過激派による一連のテロを食い止めることができなかった与党に対する批判の結果と考えられる。およそ2015年以降、ヨーロッパが経験したテロ、難民危機などに直面した当時の与党に対する支持が低下するのは西欧に共通の現象であろう。

ベルギーの地方統一選の際、最も目立ったのは、フランデレンでは極右政党(フラームス・ブロック。以下VB)、またワロンでは環境政党、続いて共産党の躍進であった。つまり、右寄りの与党批判者が、与党に加わっていた(北部フランデレンの自治拡大を主張する)地域主義政党N-VA支持から(より過激にフランデレンの分離独立を主張する)極右VBへ鞍替えしたと考えられた。

また、左派支持者のなかの批判者は、より左寄りの共産党に向かうが、それに躊躇した結果、環境政党の票が伸びたと考えられた(ベルギーではドイツと異なり、まだ環境政党が政権担当能力のある政党として――連立政権に加わったことはあるが――認められておらず、反体制的な政党としてみられている)。その後、ベルギーの政治社会は動揺した。

(2)国連グローバル・コンパクトへの反対と少数(暫定)政権

2018年12月に国連グローバル・コンパクトにおける移民、難民協定に関する合意文書に対する各国代表の署名が行われた。この協定は移民受け入れ、難民受け入れを世界的に一致して進める趣旨のもの(ただし不法移民の取り締まりなども謳われている)で、ベルギー連邦政府首相のシャルル・ミシェルは連邦議会の可決をへて、この署名に向かうところであった。それはすなわちベルギーが2016年3月のテロ以降も、テロに屈しない、闘うと宣言して、これからも難民を受け入れようとする意志を表明すること(ただし法的拘束力を有するものではない)を意味した。

しかし以前からそれに反対してきた移民担当大臣が所属する最大会派、N-VAは合意文書への署名に反対した。彼らは受け入れの厳格化を要求していたからである。特にN-VAが多数派を占める連邦構成体の一つ、フランデレン地域議会は、議会としてこの署名を否決したが、この合意文書自体が法的拘束力を持たないため、フランデレン議会の反対にもかかわらずミシェルは署名に向かった。すると、フランデレンを地盤とする最大会派N-VAは、連邦政府の連立与党からの離脱を表明して野党に回ったのである。

この結果、連立与党は少数派となり、ミシェル首相は昨年末に国王に辞意を申し出た。国王は慰留したものの彼の意志は固く、国王はそれを受け入れ、しかし2019年5月の総選挙までは「暫定内閣」として事務管理等に当たれと指示した。テロ後、難民問題をめぐってフランデレンとワロンが政治を動かすほどに分断していたのである。

(3)黄色いベスト運動

ベルギーにもフランスの黄色いベスト運動が伝播した。2018年11月末に小さなデモが起こり、一週間後の12月8日には警察との衝突で負傷者がでる事態となった。

フランスは燃料税の高騰などマクロン政権に対する反発が黄色いベスト運動の要因とされているが、France24紙によると、ベルギーの場合、少し異質である。やはり燃料価格の高騰をはじめとする税金の高負担、それによる生活苦がきっかけになっている点は同じだが、ベルギーの場合、都市部、特にブリュッセルに住むエリートたちは給与水準も上がっており生活苦ではない。問題は低所得者、特に切り下げられた年金生活者が追い詰められている。ある活動家の場合、毎月23日に支給された年金からガソリン代(150ユーロ)、保険など必要経費(翌月8日に引き落とされる)を除くと、毎月手元に残るのは200ユーロだという。

そして彼らの多くは田舎に暮らしている。その彼らの怒りは、高級エリートの暮らす首都ブリュッセルに向かう。そしてそのブリュッセルはベルギーの首都だけではなく、ヨーロッパの首都でもある。ベルギーの人びとが警察とぶつかったのはEU本部前である。彼らは「ヨーロッパの人たちは笑っている。……しかし私たちのポケットには何もない。私たちは『黄色いベスト』ではなく『空のポケット』だ」と自らを呼んだ。

この数年、ベルギーの緊縮政策は雇用創出に成功し、財政再建に成功したとミシェル首相たちはアピールしていた。マクロな数値を見ればそれは確かである。しかし、それは社会保障を犠牲にし、弱者の暮らしを犠牲にした緊縮財政と、必需品に対する課税の結果である。つまり、生まれたのは格差である。そしてその怒りが、攻撃的にEUに向かっているのである。

(4)気候温暖化に対する若者たちの抗議デモ

同時期、北欧に端を発した中高生による気候温暖化に対するデモがベルギーでも大きな運動となった。この運動は執筆時点の今も継続され、より過激化している傾向にある。地元フランデレンのニュースによれば、こうした動向の背景には、パリ協定からのアメリカの離脱、また昨年に12月にEUでの省エネ条例に、ベルギー政府が反対したことがある。

2019年1月に始まった時には1000名程度であった参加者は今やブリュッセル、ルーヴェン、リエージュなどで総勢35,000名に達した。中高生たちは週に一度学校を休み、この運動に集結している。ベルギーのこの運動のリーダーとされる高校生アヌナ・デ・ウェーヴェルは、新聞The Bullitinにおいて、「この運動は、最終的に過去最大の気候変動に対するデモ行進になると思う。そうなれば、きっとみなベルギーの若者たちが何を望んでいるかをわかってくれると思う」と述べている(The Bulletin 24/01/2019 最終閲覧日2019年10月18日)。こうした中高生の運動をベルギーの大人たちも理解していると毎日新聞は報じている(毎日新聞2019年2月26日)。逆に「この運動の背後に陰謀を図る者がいる」と発言したフランデレンの環境大臣は辞任に追い込まれた(以上は松尾2019)。

2019年5月総選挙結果――「分断」の可視化

2019年5月26日に行われた選挙結果を以下の表1に示す。

表1 2019年5月26日 連邦議会選挙結果(※は旧与党)

政党地域イデオロギー議席前回比 増減
※N-VAフランデレン地域主義25-8
PSワロン社会20-3
VBフランデレン極右18+15
※MRワロン自由主義14-6
Ecoloワロン環境13+7
※OpenVLDフランデレン自由主義12-2
※CD&Vフランデレンキリスト教民主主義12-6
PVDA+・PTB両語共産12+10
Sp.aフランデレン社会9-4
GROENフランデレン環境8+2
cdHワロンキリスト教民主主義5-4
DéFIワロン地域主義2±0

出典:主にベルギー政府公式選挙ページ(最終閲覧2019年10月3日)によるが、政党名など不正確な点が散見されたので、議席数はelectionarium (最終閲覧2019年10月3日)と照合するなどした。

この選挙では、フランデレンではN-VA、ワロンではPSがそれぞれ連勝した。その点は変わらないものの、以下の特徴が見いだされる。第一に2003年の結党以降国政、地方いずれの選挙でも得票率を伸ばしてきたN-VAが初めて議席数を下げた。ただしN-VAだけが得票率を下げたのではない。フランデレンはCD&V、OpenVLD、ワロンではMRという与党が全て議席数を下げた。ベルギーでは一般的に前回よりも議席を伸ばしたかどうかで「勝敗」を判定する傾向がある。その点から見れば、全与党に加えて、キリスト教民主主義、社会、自由という既成政党がすべて敗北したといえる。

第二に、逆に得票率を伸ばしたのは両地域とも環境政党(Groen、Ecolo)、さらにフランデレンではVB(極右)、そして(ワロンを中心に)PTB・PVDA(共産党)である。特にワロンの共産党、フランデレンの極右政党の伸びは顕著である。

こうした傾向の背景には、やはり一般的にテロを起こしたことに対する現政権への批判があると考えられる。しかし今回の場合、昨年の地方統一選のように環境政党に流れることはなかった。まだ十分に分析はされていないが、先に記したような、国政レベルで環境政党の政権担当能力を疑問視する声が、地方統一選以降、反動的に高まったのかもしれない。また一部には学生の環境運動に反発する層が現れてきたこと、すなわち運動の中心メンバーに殺害予告が送られていたこと(16/08/2019.RTBF,最終閲覧2019年10月9日)や、家族が激しいヘイトスピーチに晒されていること(07/10/2019 Brussels Times 最終閲覧2019年10月9日)が明らかになってきた。推測の域を出ないが、長期化する学生の社会運動に対して、大人たちが、いわば「あの小生意気な」というような批判的な目を向けてきたという印象がある。ベルギー版ヘイトが環境政党の伸びを思ったほどにはしなかったのかもしれない。

結局のところ、ベルギーでは、フランデレンでは大きく右に触れ、ワロンでは左に触れたというイデオロギー的分極化も進んだ。言語のみならず、イデオロギー的な分断が選挙結果によって可視化されたといえる。

先に「……対立の契機を常に内に含み、しばしば両言語の対立によって政治的な停滞を経つつも……大きな内戦に陥るようなことはなく、ベルギーはひとつの国家として維持されてきた」と記したが、その道のりは決して平坦なものではなく、2010年の選挙後には、地域間の経済的不均衡を背景にフランデレン諸政党とワロン諸政党の合意ができず、約一年半も連立政権ができない「分裂危機」と呼ばれる時期があった。

今回、2019年の選挙は、フランデレンでは極右が台頭し、ワロンでは共産党が台頭した。選挙から約5ヶ月を経た現在、ようやくフランデレンの第1党NVA(分離派かつ新自由主義)とワロンの第1党PS(反分離主義かつ社会民主主義)の連立協議が始まろうとしている。しかし両党の連立形成は、イデオロギー的にも、過去の分裂危機の経緯を考慮しても、ありえないとの声が他の政治家から挙がっている(Brussels Times 17/08/2019 最終閲覧2019年10月9日)。

筆者がベルギー政治にかかわってもう20年以上になるが、直感的に、経験したなかでもこの両党間の「分断」の度合いの大きさは過去最大級に感じる。2010年以降の1年半の政治空白以上の長期の空白を予告する現地紙も多い。再び「分裂危機」が訪れようとしている。ベルギーもまた試練の時を迎えている。

合意型デモクラシーの強さ

ベルギーの連立交渉は、これから本格化する。ベルギーは分裂を回避することができるだろうか。レイプハルトは、かつて「妥協」が成立したのは、主要な政治家たちが、最終的に、危機になればなるほど、現実主義的な対応をしてきたからだという。すなわち理想やイデオロギーの実現を追い求めるよりも、最終的には目の前の課題を解決することを最優先するということだ。

実はこの夏にブリュッセルを訪問しEU関連のビルが並ぶシューマン地区のカフェで欧州議会関係者(ただしEU側)に、イギリスの離脱可能性やそのインパクトについてインタビューした。しかしながら、彼らは予想以上にその事態を冷静に受け止めていたというのが筆者の第一印象であった。彼らによれば、たとえ協定なき離脱が実施されたとしても、その後何らかのルールが形成されていくだろうという見立てであった。

確かに何らかの新しいルールが構築されていくだろう。しかし、印象に残ったのは、その冷静さである。あくまで個人的な印象でしかないが「勝手に出ていくイギリス」とは距離を置いているように映った。巨大なEUの本部ビルの足元だったからなのか、「何かは起きるかもしれないが、何が起きても大丈夫」という堂々とした姿にも、「何か起きるかもしれないが、何が起きてもこっちの問題ではない」という冷淡な態度にも。

8月の時点で「事が起きたら、何らかのルールが形成されていく」とは実に楽観的であり、現実主義的な対応である。すなわち実に西欧デモクラシーらしい態度である。ベルギーの分断状況も、EUの状況次第で、暫定的にでもイデオロギー的な乖離を無視した新政権を発足させるような――現実主義的な――妥協を迫られるかもしれない。それは問題の先送りにすぎず、再び次の選挙の際など、さらに分離主義派や両極の政党が台頭して、ベルギーは危機を迎えるかもしれない。しかし、それでもまた妥協する。それを繰り返して歩んできたのがベルギーの合意型デモクラシーである。今回の危機に「合意型デモクラシー」はどう対応するのか、その強さに期待したい。

追記 2019年10月28日時点で、暫定的に政権を率いてきたミシェル首相に代わり、次期の暫定首相にソフィー・ウィルメス現予算相が決定したとのニュースが入ってきた。本文に記した通り、「暫定首相」は連立形成が困難な時など、しばしばベルギーで擁立されてきた。この詳細は別の号で改めて報告することとしたい。

[参考文献]

松尾秀哉(2019)「正念場の2019年?――溶解する柱状化社会」、龍谷大学社会科学研究所『龍谷大学社会科学研究年報』第49号、223-231ページ。

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謝辞 本稿のインタビューは、離脱交渉に関わる欧州議会関係者と2019年8月23日にブリュッセルのシューマン地区のカフェで行った。実名を挙げることは避けるが、コンプライアンスのため、臼井陽一郎(新潟国際情報大学)、小松﨑利明(天理大学)に同席いただいた。感謝する。

なお本稿は、科学研究費補助金 基盤C(一般)(課題採択番号18K01441)「なぜブリュッセルはテロの巣窟と化したか――もう一つの「連邦制の逆説」?」(研究代表者 松尾秀哉)による成果の一部である。

まつお・ひでや

1965年愛知県生まれ。一橋大学社会学部卒業後、東邦ガス(株)、(株)東海メディカルプロダクツ勤務を経て、2007年、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。聖学院大学政治経済学部准教授、北海学園大学法学部教授を経て2018年4月より龍谷大学法学部教授。専門は比較政治、西欧政治史。著書に『物語 ベルギーの歴史』(中公新書)など。

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