論壇

マルクス生誕200年に想う

アソシアシオンの概念をめぐって―マルクスとプルードンのズレ

神奈川大学教授 的場 昭弘

はじめに

今年は、マルクス生誕200年である。ドイツでは、10冊を越えるマルクスに関連する書物が出版され、マルクスの生まれ故郷、トリーアの観光局が発行したマルクスの写真入りゼロユーロ紙幣も、大人気とのことである。とはいえ中国が寄贈した、トリーアのマルクスハウス近くに建立されたマルクス像に対する批判も続出している。これには、社会主義国家を自称する中国が、マルクスという権威を利用することへの批判と、マルクスを政治の道具とする考えに対する批判と同時に、今さらマルクスなど不要だという考えもある。

50年前の生誕150年の時には、マルクスの名前は確かに栄光に輝いていた。世界各地で起こっていた学生運動と、世界の三分の一近くを占めるマルクス主義を標榜するソ連、東欧、中国の威光が、マルクスの名前を一般の人々にも知らしめていたからである。 

しかし今回の生誕祭は、ひっそりとしたものであったといえる。国家権力の理論から独立し、共産党という政党の理論からも独立したマルクスは、等身大のマルクスに戻り、彼の時代、彼のテキストに戻った、地味であるが地に足がついた研究の時代が始まったからである。昨年ヨーロッパで公開された映画「マルクスとエンゲルス」は、マルクス主義の始まりをパリ時代に絞り、マルクスとエンゲルスのコンビが、新しい思想を作っていく過程を説明している。これは、政治的映画でもなく、二人の友情とマルクス主義の思想が形成されていく姿を真面目に追っている。これはこれで結構な話である。

マルクスの見過ごしたプルードン

しかし、二人の思想形成を語るとすれば、それもパリのマルクスについて語るとすれば、フランスのプルードンという社会主義者の存在が欠かせないことも事実である。これまでマルクス主義者と称してきた多くの人々は、プルードンを反面教師として、軽蔑的に取り扱ってきた。しかしながら、いったんこれまでのマルクス主義が崩壊した今日、マルクス主義の未来を考えるには、マルクスがプルードンの思想から見過ごした問題を再評価する必要がある。マルクスはつねにプルードンを批判することで、自らの思想を作り上げてきたのだが、自らの思想形成を急ぐあまり、プルードン思想の重大な意味を見過ごしてしまう恐れがあったからである。だからこそ、マルクス主義の本来の意味を知るためにも、今ここでプルードンとマルクスの思想の違い、ズレについて指摘しておく必要があろう。 

プルードンの所有批判に導かれて経済学へ

マルクスの経済学の始まりは、プルードンの『所有とは何か』(1840)を読んだことから始まる。その最初の結実が「ユダヤ人問題に寄せて」(1844)である。この中でマルクスは、所有批判の持つ意味の重大さを知る。所有は人権を構成しないことをプルードンから学ぶ。そしてマルクスは、『経済学・哲学草稿』(1844)の中で、国民経済学が所有を前提にしていることを批判する。所有批判を行うには経済学の研究が不可欠であり、マルクスは所有批判という角度からこれまでの経済学の批判的検討に入る。それは1844年春のことであった。

プルードン批判

マルクスがプルードンを積極的に肯定していたのは、1845年のエンゲルスとの共著『聖家族』までであった。その後、マルクスはプルードンの所有批判の難点に気づく。その難点とは、プルードンは、競争、分業、価値といった経済的カテゴリーを永遠不滅のものだと信じており、それらの概念が生産力の発展とともに歴史的に生成してきたものであることを理解していないという点であった。こうした考え方こそ、唯物史観といわれるマルクスとエンゲルスの成果であり、それは後に明確に定式化される、生産力と生産関係、それに照応するさまざまな上部構造といった歴史理論としてまとめられるものであった。

プルードンの『経済学の矛盾の体系―貧困の哲学』(1846)と銘打った作品は、社会の貧困問題を解決するために書き上げられた作品であった。この作品は、社会の貧困問題を改善するために、私的所有を変革するのではなく、貧困を生み出す経済社会の不安定さを安定化させる思想を弁証法に求め、人間の意志の力によって最終的に安定化させようとするものであった。マルクスの場合、経済社会の不安定それ自身が、歴史的性格のものであり、その矛盾の根源にある生産関係すなわち私的所有関係を廃棄することなく、経済社会の改善はありえないと批判していた。

二人の議論のズレ

おおかたのマルクス主義者は、プルードンを、私的所有を前提にして資本主義を廃棄しようとするプチブル的社会主義者だと批判することで、マルクスは資本主義的私的所有の廃棄と、新しい社会の展望への議論を解明できたとし、プルードンを愚かな反面教師と位置付けてきた。

しかし、これはあくまでマルクスから見たプルードンの一方的見解であって、プルードンの意図するところではない。逆にプルードンから見たマルクスは、これとまったく違って見えたのである。プルードンは、価値や、競争や、分業といった経済的カテゴリーは、歴史的に廃棄されるものではなく、ただ調節されるものであり、それを行うには人間の社会関係に対する在り方が問題だと主張していた。プルードンも歴史的生成発展について認めていないわけではなかった。ただし、それは必然的、歴史的に規定されるものではなく、人間自身のそれに対する関わり方によって変化するというのであった。

社会学者としてのプルードン

あくまでマルクスは経済学の延長線上で、プルードンの論理の矛盾を指摘し、経済学への無理解がプルードンによる貧困の経済的解決を不可能にしていると批判する。マルクスのその点の指摘は、けっしてまちがっているわけではない。むしろマルクスは、きわめてシャープであり、論理の一貫性もある。そしてそれは『資本論』にまでつながる側面をもっている。しかし、プルードンは、経済学を問題にしながら、経済学の対象に対する人間の意志の関わり方を問題にするという、非経済学、いいかえれば社会学へと進んでいた。だからこそ、プルードンには、経済学における矛盾を経済学の中で解決するというマルクスの意図自身が不可解である。当時は明確に存在していなかった社会学という分野をプルードンは切り開きつつあったのに対し、マルクスは従来の経済学という土俵の上から批判していた。これは完全なズレである。 

プルードンから見えてくるもの

ここで見過してはならないのは、プルードンが見つけた新たな視点である。資本主義の矛盾が生産力の発展と生産関係の矛盾によってたとえ起こるとしても、それを乗り越えるために、人間の意志と社会に対する組織化の問題を解決できない限り、新しい社会の展望はないという視点である。それまで多くのフランス社会主義者たちが、来るべき社会のモデルとして問題にしてきた、アソシアシオン(生産と経営の両方に参加する私的所有形態を越えた組織)の概念について、プルードンはまったく新しい視点から問題にしつつあったのである。

資本主義を乗り越える社会は、私的所有を廃棄し、国家的所有に置き換えただけでは何も生まれない。なぜなら私的所有が国家的所有に移行することは、所有そのものを廃棄したことを意味しないからである。私人から国家への所有移転にすぎない。これは所有を変える主体の問題でもある。組織された革命党が、既存の社会の私的所有を国家的所有にしたところで、その主体である革命党が神のような権力をもっていたのでは、そこから生まれる社会は、権威的社会になる。プルードンの所有批判の論点はあくまでも、所有そのものの批判であり、私的所有を国有にすることではない。

宗教批判、所有批判としてのアナキズム

だからこそ、プルードンは私的所有の中に宗教的権威を見ているのである。宗教などの権威と権力への批判こそ社会改革のポイントであった。その意味で、マルクスたちドイツの思想家は、プルードンにとって不徹底なものに見えていた。それは宗教批判による神の否定が、地上における人間という新たなる神を生み出す理神論的議論であり、けっして神を徹底批判する無神論の立場に立っていないからである。無神論は、地上においてあらゆる権威の否定につながらねばならない。だとすれば、国家や党組織といったあらゆる権威は否定され、アナーキーなものとならざるをえない。 

アナーキーなものとして組織される社会は、中央集権的でも、権威的でもない、水平的な社会でなければならない。そうした社会の基本組織こそ、アソシアシオンの集合体である。実はマルクスは、プルードンの経済学を批判しつつも、このアソシアシオンの魅力に惹かれていた。そしてそれは、当の『哲学の貧困』の中でも、『共産党宣言』の中でも、晩年の作品の中でもつねに新しい社会のモデルとして提出されることになるのである。

プルードンに先を越されていた?

しかし、このアソシアシオンは徹底した権威の解体を行わないかぎり出現しない。そしてその解体こそ、人間の意志の自由と平等をつくりあげるのである。だからマルクスは、プルードンにある意味先を越されているといってもよい。資本主義が作り上げた国家権力の上に乗る非資本主義的国家権力では、批判は弱い。マルクス自身も、心の中では私的所有の廃棄の後、最終的には国家の死滅、自由な個人の共同体、すなわちアソシアシオンの状態が来ざるをえないと感じていた。しかし、それではプルードンにあまりにも似ている。 

そこで取られた戦略は、最終的にはアナーキーな世界、アソシアシオン、コミューンの世界に至るが、それまでの過程としては、中央集権的、国家的な力による廃棄が必要であるという迂回理論であった。最終目標に関して言えば、実はマルクスとプルードンにそれほど相違があるわけではない。

そうしたアソシアシオンに至るには、国家権力を解体するための人間の改革、さらには権威の批判が必要であるが、マルクスはあえてその方向をこのとき遮断してしまった。それが20世紀で生まれるマルクス主義の悲劇の一因でもある。プルードンは、その後、人民銀行、貨幣廃棄、連合主義、多元主義、自主管理、相互主義などさまざまな、創意あふれた議論を展開していく。一見まとまりのないような、思い付きの議論であるが、実はそれらは根源にある彼の所有批判、すなわち権力批判から生まれたものであった。晩年彼は『革命と教会における正義について。実践哲学の新原理』(1858)の中で、再度キリスト教を批判するが、それはたんにキリスト教を批判しただけでなく、キリスト教の背後にある権威主義を批判したのである。 

結語

マルクスとプルードンのこのすれ違いの中に、新たなる未来社会の可能性があるように思える。中央集権的、国家主義的社会主義の夢が崩壊した後、次に何が来るか。資本主義はいずれにしろ、あくなき利潤探求の世界として長くはもつまい。いずれ社会的に生産や地球環境をコントロールしなければならない時代が来るであろう。しかし、その役割をするのは、あのかつての中央集権的、権威主義的社会主義国家ではあるまい。新しい技術の発展によって、アソシアシオン相互の経済的相互性も達成されるかもしれない。そのとき、再びアソシアシオンという世界が出現するかもしれない。 

(マルクスとプルードンとの関係については、近く刊行される『哲学の貧困』の拙訳(作品社)の中で詳細に論じているので、参照していただくことをお勧めする)

まとば・あきひろ

1953年生まれ。慶応大学博士課程。91年神奈川大学助教授から神奈川大学教授。著書に『ポスト現代のマルクス』(御茶ノ水書房)、『マルクスだったらこう考える』(光文社新書)、『超訳資本論』(祥伝社新書)『一週間de資本論』(日本放送出版協会)、『大学生に語る 資本主義の200年』(祥伝社新書)、『革命再考』(角川新書)、『マルクス再読』(角川文庫)、『最強の思考法』(日本実業出版社)など多数。

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