特集●労働法制解体に抗して

市民・生活者政治の国政への再挑戦

[連載 第二回] キーパーソンに聞く 大河原雅子さん

語る人 立憲民主党衆議院議員 大河原 雅子

聞き手 本誌代表編集委員 住沢 博紀

1.ローカルパーティと民主党設立

住沢立憲民主党が成立した背景、日本の政党政治の中での独自のポジション、政策形成と政権構想などに関して、キーパーソンへのインタビユーによってその現実と課題を探っていこうという企画の第2回目です。前回は民主党代表も経験した海江田万里さんに語っていただきましたが、今回は、現場を知る市民・生活者政治の立場から、大河原雅子さんに語っていただきます。次回は、立憲民主党の副代表兼選対委員長の近藤昭一衆議院議員を予定しています。

大河原さんは、女性議員では珍しく都議3期を経て国政に参加し、2007年には参議院選で東京選挙区から民主党で当選、2017年総選挙では、比例区北関東ブロックの立憲民主党候補として当選されました。主として、地方議員のキャリアと国会議員の活動の関連、民主党の失敗から学ぶこと、それに「市民と共に創る政治」を掲げる立憲民主党の成立の意義と課題などを中心に話を聞かせていただきます。まずローカルパーティからお願いします。

ookawara・masako

大河原私は民主党の設立時はローカルパーティ東京・生活者ネットワーク所属の都議会議員でした。1993年に世田谷区から、東京生活者ネットワークの候補として初めての都議になりました。国政政党とローカルパーティがどう向き合うかということですが、東京生活者ネットは、それまで北多摩2区の池田敦子さんしか都議会におらず、93年選挙で初めて杉並の藤田愛子さんと3人の都議を持ちました。ネットで3人、さらに社民連の二人に社会党を加えた、ジョイント会派を作っていました。その折に、当時社会党都議の青木菜知子さんや加藤雅子さんとも知りあいました。

私の都議の時代はローカルパーティの活動そのもので、国政選挙に関しては、女性候補をいかに送り出すかとか、生活者のための政策を共有するとか、地域ごとに特定の候補者に推薦状を出すということでした。

住沢国政政党とネットなどローカルパーティとの関係は、おそらく神奈川ネットワーク運動が、当初は政党ではなく、政治家個人との「政治契約」という形で問題提起し、生活者・市民運動の自立性、独自性を強調していました。しかし1996年、「オリジナルな民主党」設立のおり、地域政党の全国連合というJネットが結成され(1995年まで北海道知事であった横路孝弘さん、生活クラブ生協神奈川の横田克己氏などを中心に)、民主党とローカルパーティ連合の「政治契約」が神奈川ネットを中心に推進されましたが、その後、民主党は普通の議員政党となり、Jネットは立ち消えになりました。

大河原神奈川はJネット構想を積極的に進め、民主党設立に動いたと聞いていますが、東京はそうではなく、選挙区事情も異なります。神奈川は、政令指定都市と県議選、それにいくつかの市町村議会選挙という複雑な構造を持っています。東京は政令指定都市がなく23区特別区と市町村議会選挙です。私の世田谷選挙区は定数8で都内最大です。

93年選挙は、日本新党の候補者が1位で私が2位という結果で、世田谷ネットの区議が3名いて、そうした積み上げがあって私が挑戦できたことになります。私はまだ都議1期目で、その2年前に区議選をお手伝いし、代理人運動の延長線上で都議の活動をしており、民主党設立時にそうした交渉をする立場にはありませんでした。菅直人さんへの個別の支援は以前からありましたが、政党としての民主党と東京生活者ネットが何か特定の協定を結んだという記憶はありません。地域ごとの独自性が強かったと思います。

政治改革の一環として成立した、小選挙区・比例代表並列の最初の選挙は1996年衆議院選挙でした。東京・生活者ネットワークは比例代表には市民・女性を上位に掲げるべきだと各政党に要請し、これに呼応するかたちで民主党から女性候補となるべき人の照会を受け、私たちが福祉の専門家として紹介した石毛えい子さんが東京選挙区比例第2位になりました。

2.女性都議から国政に

住沢大河原さんが都議になられた93年は、細川非自民政権や青島都知事が誕生した年であり、何か政治改革や変化の予感があふれた年でした。大河原さんが、2016年7月の参議院選挙(民進党比例区)の前に出版された、杉田敦・中野晃一・大江正章さんとの対談集『市民の力で立憲民主主義を創る』(コモンズ、2016)の中では、「私が都議会議員になったのは1993年です。自民党が下野した時で、政治を民主化するために市民が直接、政治の場に出ていき、市民の政治を広げていく。そういう時代になると信じていました。それが今や全く逆の状況です」と述べられています。

対談者の中野晃一さんが『私物化される国家支配と服従の日本政治』(角川新書 2018)で論じられているように、確かに90年代の改革への楽観主義とは逆の方向に展開しています。最盛期の2001年都議選では6名の議席を確保したそうですが、まず大河原さんがこの時期に考えていたローカルパーティの役割りと可能性を整理してもらえますか。

大河原国政と自治体政治は仕組みが異なり、地方は首長と議会の二元代表制です。ローカルパーティとしてはまず、圧倒的に女性議員が少ない中、どれだけ多くの自治体議会に女性議員を送り出すかが課題でした。「複数化」といっても最大は世田谷の5人でした。都議会では1993年に128人中、私を含めてネット議員は3人でした。

1999年石原都知事が生まれ、2001年都議選ではネットは最大の6人の議席を獲得しました。自民党小泉ブームの時でもあり、国政選挙の流れとある程度は関連しているとは思いますが(編集部注:投票率50.08%で前回より約10ポイント上昇、共産党が11議席減らし、民主党が22、ネット6と躍進。50%を超える都議選投票率は、最近では2009年の「民主党政権交代」の年と、2017年小池新党の時)、地域の独自な政策提起が大事にされたのだと思います。

都道府県議会では、多くは国政とつながっている人たちが議会を牛耳っているわけですが、それらとは異なる政治、市民目線や生活者ニーズで政治課題を変えることをめざしました。例えば生活者ネットが選挙スローガンとして打ち出した「子育て介護は社会の仕事」という言葉は、当時、公明党や共産党も打ち出していなかったような政策です。子育てや介護を家庭だけの役割でなく地域社会全体で支えるという考え方は、ネットでなければできない仕事であったと思っています。

住沢私も90年代の「市民参加型政治や介護・子育て・環境などの生活者テーマへの政治転換」が、自治体議会レベルではもっと全国に広がると思い、ローカルパーティがその担い手となると考えていました。しかし小泉ポピュリズムの後に来たものは、橋下大阪維新の会などのポピュリズム型地域政党です。

2016年参議院選挙で、大河原さんが民進党比例区から立候補されたさい、「全国市民ネットワーク」という枠組みで、全国ネット交流集会2016「共に生きる社会をめざして」が開催され、大河原さんを推薦しています。その地方議員の内訳は、市民ネットワーク北海道6名、埼玉県市民ネットワーク6名、市民ネットワーク千葉県18名、つくば・市民ネットワーク5名、東京生活者ネットワーク 48名(都議1)、神奈川ネットワーク運動15名(県議1)、信州生活者ネットワーク1名、福岡市民政治ネットワーク 7名、くまもと生活者ネットワーク1名です。この組織や人数は、90年代からあまり発展していないように思いますが。

大河原市民の政治、ネットワーク政治とは本当にネットワークで、それぞれの地域で成熟度というか経験値が全く違います。生活クラブ生協を母体に女性を政治に送り出すといっても、それぞれの地域で背景や経験が異なるわけです。千葉では堂本知事の選挙の体験があったとか、神奈川ではJネットの構想があったとか、分権・自治、環境政策・原発ゼロという目指すところは同じで、政策目標は共有していても、その共有を使って組織的に何かをしようということはありませんでした。

2016年の取り組みは、情報共有をそれぞれの活動に活かすということから全国のネットが一緒に国政に向き合った初めての経験であったと思います。その場合でも、それまでの経緯から福島瑞穂さんも推薦したネットがあるとか、議論するのにかなり時間もかかります。

3.市民・自治体議員のネットワークのために

住沢市民の参加がないと立憲民主党も進まないといわれ、基本政策に関しても、タウンミーティングを行い市民との対話を重視したといわれました。とりわけ選挙区では、共産党との連携も含めて、「立憲民主党を支援する市民の会」などによる市民組織やほかの団体とのつなぐ役割が期待されています。この点で、自自治体議員出身の大河原さんは、地域の市民団体と政党を繋ぐことができるのではありませんか。

大河原確かに参議院選挙の一人区などで、市民共同という形で統一候補者を出す必要があるし、成功している選挙区もあります。しかし私たちも共産党系の組織も、その限界も感じています。立憲民主党ではパートナーズという形で、その地域ごとの市民協働の形を作ろうとしていますが、それぞれの地域事情はなかなか変わらないので、選挙対策などの担当者は統一候補者の擁立に苦労しています。

私は自治体議員出身なので、地域にどのような環境団体なり市民活動があり、どのように立憲民主党につなぐことができるのかなど、いろいろ役に立つことはあるかもしれません。しかし地域ごとに市民同士が作っている枠組みがあるわけで、立憲民主党も新人議員が多く、総支部もないともころもあり、どのように接点を見出せるか模索状態です。現段階では、パートナーズという形でできるだけ幅広くつながりを求めてゆき、そうした人々の中から、自治体議会や国政に参加する方が出てくればと思います。現在、立憲民主党に加入した自治体議員は400人を越えましたが、まだ少数派です。

住沢政治学者の中北浩爾さんは、自民党の強さは都道府県議会議員の数に大きな変動がなかったことであるといっています。下の資料に示したように、確かに都道府県レベルでは政党組織が強く、現在の与党、自民党と公明党の基盤となっています。付け加えれば、市町村レベルでは無所属議員が多く、ここでも草の根保守という形で自民党を支えています。民主党・民進党が分解した理由も、北海道や愛知など、特定地域を除き都道府県レベルで基盤ができなかったことにあるかと思います。大河原さんは、都議3期を経て国政に加わり、しかも数少ない女性議員です。立憲民主党にその経験から助言できること、あるいは自らの役割りと思えることなどありますか。

都道府県議会議員の所属政党別人数

全国市区議会議員の所属政党別人数

(資料)自治省・総務省のHP

大河原自民党の場合では、自治体議員の公認希望候補者に300人の後援会名簿の提出を求めると聞きます。県議はこうした市町村議会議員を何人か束ね国政選挙を支えるという、ピラミッド構造を作っています。

立憲民主党は、6人の衆議院議員で旗揚げし総選挙で56人となりましたが、参議院議員は福山さん一人、自治体議員はゼロという段階から出発しました。組織づくりはこれからです。立憲民主党は、綱領を新規に作成し、原発ゼロ・再生エネルギーへの転換と安倍政権下の安保法制を前提とした憲法9条の改悪とは徹底して戦うと、国民に約束しています。自民党とも共産党とも異なる政党であることを明確にしています。今、野党が分裂していますが、私たちは自分たちが共有する基本政策や綱領を緩めたくないと思っています。

住沢もう一つ、2014年6月に自治体議員立憲ネットワークが設立され、大河原さんは顧問になっています。参加者の内訳は、民進党114名、社民党162名、市民ネット100名、緑の党31名、新社会党5名、無所属・他237名、元議員・サポーター193名で、合計842名。1000名の地方議員の参加を目指したそうですが、こうした組織は、2017年にできた立憲民主党や大河原さん個人とってどのような役割があると思いますか。

大河原民主党の近藤昭一衆議院議員を代表とする、政党の枠を超えた国会議員の「立憲フォーラム」に刺激を受け、学者文化人の「立憲デモクラシーの会」などの運動もあり、自治体議員もこれらに対応するネットワークがいるのではないかという話になりできたわけです。「立憲」ということで集まり、「日本会議に対抗しようよ」という気持ちが強かったかもしれません。憲法改正への危機感もありました。

こういった超党派的な地方議員の組織が、2017年秋にできた立憲民主党のさまざまな政党や市民組織との連携・協働の基盤となるのか、それとも異なるものなのかという質問ですね。私は自治体議員であったということで、この組織を作ることにかかわり顧問となったわけですが、このネットワークには、今のところ共産党は入っていません。設立に関わったコアメンバーがそれぞれに参加をよびかけました。1つの自治体の立憲ネットのメンバーは少数ですが、県内に志が同じ議員がいるということで、一つの「面」的な結びつきを作っていくということです。

4.立憲民主党が共有するグローバルな価値

住沢この自治体議員の「立憲ネット」の役員リストを見ていますと、市民活動、エコロジー運動、ネット議員、さまざまなローカル・パーティの試みなどで知られている名前が出てきます。過去25年ほどさまざまなグループが、あるいは有名・無名の政治家が、多様な形での「緑」の名がつく政党を模索してきましたが、ドイツのような全国組織としての緑の党はできませんでした。

大河原共同代表で、東京ネットの前都議の西崎さん、立憲民主党に入られた群馬県議の門倉さん、緑の党の静岡市議の松谷さん、社民党で香川県議の玉田さんなど、現在も継続しています。緑の党も2013年参議院選挙で10名の独自候補を擁立し全員落選するなど、さまざまな課題に直面してきたと聞いています。

私自身の話をしますと、2007年から6年間、民主党の参議院議員を経て、2013年には東京選挙区では公認は鈴木寛さん一人になったので 無所属で出馬せざるをえませんでした。組織としての課題と、市民の受け皿という二つをどう調和させるか私も悩んだこともあります。

住沢原発ゼロを基本政策として掲げる政党が、立憲民主党という名前であることに興味が惹かれます。トランプ大統領も、安倍首相も、一度選挙で選出されれば、リーダーとして自らの政策の実現に邁進し、その手法は問われないという見解の持ち主です。これは立憲主義を否定しています。この点で大河原さんが安倍政治を批判し、脱原発・再生可能なエネルギーへの転換を、「市民が担う立憲民主主義」という形で理解されているのは先見の明があったというべきでしょう。

大河原民主党時代には党とし「原発反対」といえなかったとか、安保法制でもかなり右の方がいて、この点でも曖昧でした。その結果、民進党は小池都知事の都民ファーストや希望の党に合流しようということになり、しかしその過程で、偶然の産物として最善の時期に立憲民主党が生まれたわけです。

民主党―民進党―希望の党という流れの中で何が間違っていたかというと、枝野代表が述べていますが、これまでいつも、上からこうしてくださいと言っていたことが間違いであったと。立憲民主は有権者に選択を投げ返した結果生まれたものであると。

どういうことかというと、安倍政権の暴走を許している背景には、有権者自体が投票してしまえばあとはお任せみたいなところにも責任があるのではと私は思います。国会議員や政党に、投票した際の期待に沿った活動をしているかチェックをしないし、有権者目線の政策を要求したりしないわけです。ローカルパーティーの時代には、このような政治・政策をやりますからと議会に送られ、仲間や支持者との意見交換というチェックがありました。国政選挙であれば、当選すれば永田町の仕組みの中で動き、有権者にはわかりにくくなります。

立憲民主党は、皆さんに作っていただいた党ですから、皆さんが参加されなくてはこの党は進まないですと訴え続けています。全員参加で作った党の綱領では、脱原発、再生可能なエネルギーでこの国を作り直すといっています。つまり社会変革で、この国を根本から作り直すといっているわけで経済も変わります。

立憲民主の中心メンバーはあの2011年、東日本大震災の時の内閣のメンバーです。立憲民主党ができたのは2017年10月ですが、私はその起源は2011年3月11日だと思っています。その視点から、民主党時代の失敗を繰り返さないとことが大事です。私も3・11を日本の転換点だと考えていましたので、立憲民主党から立候補しました。

原発ゼロ基本法提出は立憲民主党の選挙公約でしたから、党内で全体議論して骨子案をまとめ、全国19箇所で、タウンミーティングを開き意見交換しました。脱原発を提唱してきた環境団体や市民団体のチェックも受け、いわば市民社会との熟議による法案提出となり、今年の3月9日に野党4党で国会に提出しました。政府与党はこの法案を審議議しようとしませが、引き続き審議を求め、再生可能なエネルギーへの転換でこの国を変える国民運動として展開していきたいと思っています。

私の個人的な見解ですが、民主党の最大の失敗は、自民党との対抗軸が見えにくく、自民党とはあまり変わらないと思われたところにあったと思います。福島原発事故前も事故後も、はっきりと脱原発、エネルギー政策の転換を打ち出すことができませんでした。立憲民主党は、3.11が日本の大きな転換点であるし、あるべきであるという立場です。

民主党の時代、ジェンダー問題や男女同権に関して違和感を表明する議員もいて驚かされました。脱原発や再生エネルギーへの転換、ジェンダー問題、憲法が権力を制限する立憲主義など、こうした基本価値は今やグローバルな基本価値でもあり、多くの人々や政治家、政党にとってそんなに厳しい区別化とは思いません。しかしこうした基本価値を共有できない人たちを立憲民主党に迎え入れるべきではないと思います。国民民主党や共産党との野党共闘や選挙連携は別の話です。

住沢民主党が自民党と大きな違いがない政党であったという大河原さんの見解には、少なくとも出発点において、小沢新進党が保守2党論で出発したのに対して、オリジナル民主党は第3極として存在したことを指摘しておきます。地方議会と議員の重要性はもう一度戻るとして、あと二つ問題が残されています。一つは女性議員マターで、2018年5月16日に参議院本会議で成立した「政治分野における男女共同参画推進法(候補者男女均等法)」の可能性です。

大河原私はこの5年間、国会にはいませんでしたが、7年前からクオータ制を推進する赤松良子さんを代表に設立され、元国会議員や現在地方議員、女性の政治参加を進めてきた方々が丁寧なロビー活動を与党にも行い、その結果超党派の「政治分野における男女共同参画を進める議員連盟」ができました。会長は民主党の中川正春さん、野田聖子さんは自民党から参加され議連の幹事長でした。やっと今年の5月16日に成立しました。この間ずっと、活動を続けてこられた皆様を見てきて、女性議員を増やすという熱意が立法まで押し上げたと敬服しています。

これは理念法なのでこれから各党がどのような体制を作るのかが問われます。新聞では自民党の地方組織などで、「とんでもない」という声が出ていると報道されていました。立憲民主党では選対委員長の近藤昭一さんが、ジェンダー平等推進本部の副本部長を兼務し、新潟の西村智奈美衆議院議員が本部長、私は事務局長をやっています。候補者を選ぶ場合、複数の場合は必ず女性を入れるように考えています。またこの間、東京の日野市・町田市・立川市での選挙では、女性候補をたて当選させています。女性候補の場合の選挙資金や選挙運動のための支援パッケージを検討し、どの地域にどのような女性候補がいるかなどのリストアップや情報を集約しています。

5.市民・生活者政治の再挑戦

住沢もう一つの残された問題は、国政レベルの政治への市民の政治参加のリアリティです。市民や有権者目線の政策を提起し、また市民との対話を経て民主党の基本政策を検証してゆくという場合、民主党政権時の「市民がつくる政策調査会」が、その成果と限界も含めて参考になるかと思います。東京生活者ネットや生活クラブ生協系の「市民セクター政策機構」なども協働していましたから、大河原さんも当事者の一人かと思います。

1996年の「オリジナル民主党」設立の際の「市民が主役の民主党」などの理念の継承として、横路孝弘さんや鳩山由紀夫さんなども支援されたと聞いています。2017年3月、20周年を記念して幕を閉じたようですが、福山哲郎さんや原口一博さんなども、理事として積極的に参加していたと思います。報告書を読むと、民主党が提出した法案のいくつかに生かされているようですが、民主党のマニフェストの作成にどの程度寄与したのかが、それとも全く別のルートでの市民参加による政策形成、あるいは市民団体との対話の場であったのかが、検証されるべきだと思います。

大河原「市民がつくる政策調査会」は「市民が主役」と謳った第1次民主党が市民との連携するために必要とした市民シンクタンクです。民主党自体が大きくなり変化し、横路さんが主導した党の支援も弱まり、特定の議員を除いて関係が弱まっていったと思います。民主党の政権交代が現実味を帯びるにつれ、党のシンクタンク組織を作るとか、様々な民間組織や官僚組織を活用するとか、いろいろな機関や議員の競争となったと思います。

もしこの20年間の成果と限界を論じようと思うのなら、福山哲郎さんが最適だと思います。市民という視点では民主党も強調しましたが、それが「市民がつくる政策調査会」でいう市民とは同じではなかったと思います。要するに特定の議員が市民とともに政策を議論し提起することに意義を見出したにせよ、民主党の多くの議員がそれを共有したか、あるいは関心を持ったかは疑問です。

例えば私が議員になった2007年には、さまざまな政策課題を市民と議論し、ブックレットで出版するという時代は終わっていました。一方市民の側にも課題は残ったと思います。政策提案だけでなく実現させていく活動も政党と一緒にできたらいいと思います。

私がむしろ問題と思うのは、選挙政策ではマニフェストなどでいろいろ議論しましたが、民主党はそもそもどのような党なのか、右に行くのか、左に行くのか真ん中なのか、こうした党の基本的な立ち位置に関することが実は民主党のなかでは議論されなかったことだと思います。

住沢今回のインタビユーでは、キーパーソンとなる政治家が、立憲民主党の中で個人としてどのような活動領域を設定し、どのような方向に党を発展させようとしているのかを聞いています。大河原さんは女性議員で、しかも生活者ネットという組織の枠組みで政治に参画してきました。そうしたキャリアが、今、立憲民主党の中でどのように生かされますか。

大河原衆議院議員となりまだ8カ月ですが、内閣委員会、農林水産委員会、消費者問題特別委員会に属し、法案審査・質疑に追われています。党の役職としては、政務調査会副会長(NPO、市民・消費者団体担当)、ジェンダー平等推進本部の事務局長です。

そのうえで思うのは、ジェンダー平等推進とは、女性だけの問題ではなく、男性も含め、働き方、生き方を変えなければならないということです。したがって立憲民主党が政策を、すべてこの視点からチェックし、提言していく役割があるかと思います。私自身は資格をもつ専門家ではないので、こうした問題に直面したり、運動をしてきた方々と党を繋げるということかと思います。それが私の役割だと思っています。

例えば、消費者問題特別委員会では野党の筆頭理事として、閣法の消費者契約法改正案に野党として修正案をまとめ、与党との交渉にあたりました。消費者団体や日本弁護士会などとも連携し不十分ながらも閣法を修正させることができました。与党との交渉を任せられての閣法修正は初めての経験でしたがやりがいを感じました。

民主党も野党の時代には市民と連携し人々の声を受け止めてきたと思うのですが、政権を担当してから、100人もの議員が大臣・副大臣・政務官として政府に入りました。殆どの議員が未経験の立場になり忙殺のあまり運動との距離や溝ができたことは否めませんでした。立憲民主党は、市民と「つながる本部」やパートナーズ制度を作り、様々なテーマで草の根とのつながりを広げていこうと思っています。

住沢もう一つの都議会という自治体議員出身であるというキャリアの活用はどうですか。

大河原二元代表制のもと、地方議会で政策を実現しようすれば議員はどうしても市長や知事など行政にすり寄る傾向にあります。公共事業など予算化できると、自分の功績であると言いたくなります。しかし私は、そうではない、既得権益と無関係でまっさらな県会議員なり市会議員がいてもいいし、いるべきであると、自分の体験からいうことができます。

既得権的なパワーを持った地方議員の中に、これまでとは異なる政治や議会の役割りを考える議員を立憲民主党が送り込む。そうしたことができるなら、私も立憲民主党の自治体議員の中での基盤づくりに貢献できるのではと思います。当面はささやかですが、日本政治も地域から変わってゆく道筋も開かれるのではないでしょうか。

おおかわら・まさこ

1953年 横浜市生まれ。フェリス女学院から国際キリスト教大学教養学部卒業。

1993年 世田谷から都議に当選、3期10年在任。

1999年~2006年 東京・生活者ネットワーク代表委員。

2007年 参議院選、東京地方区でトップ当選(~2013)。

2017年 衆議院選挙で立憲民主の比例区北関東ブロック単独で公認、当選。

現在 立憲民主党政務調査会副会長など。

すみざわ・ひろき

1948年生まれ。京都大学法学部卒業後、フランクフルト大学で博士号取得。日本女子大学教授を経て名誉教授。本誌代表編集委員。専攻は社会民主主義論、地域政党論、生活公共論。主な著作に『グローバル化と政治のイノベーション』(編著、ミネルヴァ書房、2003)、『組合―その力を地域社会の資源へ』(編著、イマジン出版 2013年)など。

  • 編集後記
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