編集部から

編集後記

――果たして敵は強大―味方は劣勢か

●本号特集テーマは「歴史の転換点に立つ」とし、いつもは論考を特集欄と論壇欄に区分けしているが本号は全て特集欄に収容した。欧州・中東を中心に激発するテロリズムは全世界に波及しようとしている。英国のEU離脱は世界危機の引き金になるのか。アメリカの大統領選にみられるのは、わが世の春を謳った新自由主義・グローバリズムへの世界の民衆からの反抗か。それらは“強欲資本主義”への決別の号砲となるのか、“資本主義の終焉を告げる鐘の音”(水野和夫さん)なのか。転じて日本。先の参院選でアベが憲法を語らずして三分の二を確保。果たして見果てぬ夢であった憲法改悪へ走れるか。選挙は負けではあったが、本当に諸手をあげてのアベ勝利だったのか、否では。本号各論考は、“アベ政治を許さない”の思いが溢れ読者の皆さんに訴えます。乞う熟読を。

●日本の進路にとって大きな歴史意味を持った参院選が7月10日投開票、4日後には東京都知事選挙告示。参院選の争点隠しのようでもあった舛添都知事のスキャンダル報道の氾濫。関西のテレビでも連日連夜の舛添番組。肝心の本番はパフォーマンス先行、テレビを熟知する小池百合子がテレビへの徹底した露出戦術や自民都連を悪者にして同情票を集めるなど、計算されたしたたかな戦術で先行し大勝した。本誌本号降坂直前の31日午後8時、早々と小池当確が出た。選挙戦序盤より鳥越候補の週刊誌報道とそれを追う形でのスポーツ紙の選挙本番中とは思えないほど過熱した異常報道。鳥越陣営の「選挙妨害だ」「告訴」など抗議の声もこれを使った一般紙の扱いで逆にかき消された。またネットでの異様な鳥越叩き。選挙戦は争点定まらずやはり“都知事選劇場”であった。

●さて新都知事となった小池百合子がどうするか興味あるところである。しかしこの小池は思想的には極めて危険な極右思想の持ち主だ。まごうことない改憲論者で日本の核武装の可能性も公言している。いま大きな社会問題にすらなっている日本を逆流させ戦前回帰をめざす日本会議はアベ晋三の最大の応援団、行動右翼団体。それに小池は極めて近く、日本会議国会議員団の副会長も務めた。先の外国特派員協会の記者会見ではあのヘイト・スピーチの在特会との関係を指摘する質問も飛んだ。選挙期間中の演説会で評論家の佐高信さんが、“小池は橋下(おおさか維新)と同じアベ別働隊だ”と喝破していた。政界渡り鳥と言われ、その変わり身の早さで「日めくり百合子」と揶揄された小池。そのアベ別働隊の本性を露呈するのも近いか。劇場の観客で終わることなく監視し声をあげ、行動することが大切と肝に銘じた都知事選開票の夜でした。

●今夏参院選はやはり歴史的選挙であったと語られよう。確かに改憲勢力が三分の二に到達。また参院で自民が過半数を確保した。負けは負けである。ただ“敵は強大、味方は劣勢”と落ち込む必要はないのではないか。民進党は当選者数(改選比)は落としたが、惨敗した3年前よりは倍増近い数を確保。なにより焦点となっていた32の一人区で野党共闘+市民団体の連携で競り勝って11議席確保したのは大きい。自民党の選挙のプロは勝った気がしない、と言っているとの情報もあった。アベが応援に入ったとこは一つを除いて全て負け。アベの政策が鋭く問われた沖縄、福島、山形、北海道は敗退である。アベも内心では・・・であろう。本当の決戦は次期総選挙と言われる。参院選の教訓は野党共闘をいかに深化させるかにあることは明らか。共産党は過去にはいろいろあったが、もはや“ルビコン川を渡った”、後戻りしないとも言われる。問題はやはり民進党だ。都知事選大敗で9月の代表選がどうなるか、結果は重大だ。本号住沢論文は参院選の結果に悲観も絶望もしない、アベは戦後日本の資産食い潰し政権だと。松田博さんは、戦争法案反対や参院選で大きな役割を果たしたシールズなどの市民社会の胎動に注目、統一戦線の構築・深化へ今は亡き清水慎三さんに学ぶべしと訴える。今次参院選での野党共闘の成果はまだまだ限定的。しかし大きな可能性を持っている。“課題の一致・批判の自由・行動の統一」や「多様性の統一」を目指しての努力が必要。狭い政党共闘ではなく広く市民社会の諸勢力との協力・共同こそあるべき反アベ統一戦線の姿であろう。日米権力による強権的植民地支配、本土住民の無理解の重圧の中で戦い抜く沖縄の人たちに連帯し学ぼう。粘り強い努力が必要。さらに一言。労働組合は戦後史において確かに社会的役割をはたしてきた。しかし都知事選で連合東京が自主投票、その影響は大きい。まさに連合よ何処へ行くである。要宏輝さんは、「連合に埋めこまれた三つの地雷―安保・原発・自衛隊」と。そして「再び―連合よ、正しく強かれ」と訴える。本号アーカイブで今日の歴史の危機を予見したような水野和夫さん論考と社会的労働運動の重要性を訴えた元連合会長の笹森清さんの声を再録した。

●「現代の理論」を名乗る冊子が出たようです。困ったものですが、本誌『現代の理論』とは関係ありませんのでご注意ください

読者の皆さんに愉快ではない小池都知事誕生の話のあとに、またあまり楽しくないご報告をすることをお許しいただきたい。と言いますのはごく最近、紙時代からの『現代の理論』の一部の読者の下に[FORUM OPINION]改題「現代の理論」発行の案内と購読要請がされています。幾人かの読者や筆者の皆さんから“どうなってるの”“現代の理論と関係あるの”との問い合わせが来ています。実は関係なく困っています、としか答えようがありません。『現代の理論』の歴史と現在のデジタルで発信しています『現代の理論』への経緯については創刊号発信以来、表紙の題字(ちなみにこの題字は、日本のグラフィックデザインの第一人者―勝井三雄さん作成です)[現代の理論とは]を開いていただければ現在のデジタル発信に至る50年の経緯を簡単に概説しています(是非ご覧ください)。

ご承知の方も多いと思いますが現在のデジタル発信の主体となる編集委員会は紙の『現代の理論』の第三次発刊(2004.6に準備号)の主体と同一です。編集委員会が主体となって形式的にはNPO・現代の理論を名乗りました(実態は編集委員会。理事会など開いたことなし)。12号からは、このままでは財政的に発行困難が近いと判断。一定の赤字覚悟で引き受けたいとの申し出もある明石書店への無償譲渡を決める(勿論、編集は理論編集委員会が担うで再出発)。実際、企画立案・編集実務・読者とのやりとりや発送まで編集委員会のボランティア体制で行う。明石書店の発行元は29号まで⇒30号終刊へ。

先に紹介した[現代の理論とは]では、“明石書店との想いの違いや・・編集委員会の力及ばず・・”と上品に終刊に触れています。明石書店の名誉のために現時点では詳細の記述は省略します。まあ一定の金銭を編集委が負担することで決着させ29号を発行。『現代の理論』は明石との関係を清算し、編集委員会に戻る、が確認事項。終刊号の30号は、編集委員会の責任(製作費全額負担)で発行し、読者の皆さんにお知らせする。書店配本分は明石書店に寄贈する、としました。

以降、編集委員会としまして今後の『現代の理論』のあり方を、ああでもない、こうでもないと論議。時あたかもアベの再出現。“やはり何とか一石を投じよう”と費用が少なくて済む『現代の理論』のデジタル発行・発信を決断。2014春に創刊号を発信、従来と同じ季刊発行で本号で9号を迎えます。

* * * * *

さて冒頭で報告しました「現代の理論」・・紛らわしいですね。困ったものです。エセ理論、パンフ・現代の理論・・・。『現代の理論』とは関係がないのですが、やっている人たちは知らない人たちではありません。12号からの『理論』の明石移譲の時、当初『理論』の発刊のためにNPOを名乗ったのですから、まあ解散しようと論議したのですが、編集委員会で一人だけ反対した人がいました。○○○さんです(別名○○○○○)。彼曰く、NPO・現代の理論だけは残してくれと、勿論、雑誌など出すつもりはないと懇願されました。他の編集委員は雑誌『現代の理論』の継続発行が目的ですから、明石書店が引き受けてくれれば結構との立場。NPOの存続は、まあエエがな、でした。小生は今でも覚えていますが、“そやけど、「言論NPO現代の理論」そのものの名称継承はアカンで”と。結果、某○○○さんと、今あの人たちが名乗っている「NPO現代の理論・社会フォーラム」にすることで折れ合う。以降、大いに研究会や政治運動やれば、の思いでした。

彼らは、以降先に触れました[FORUM OPINION](フォーラム・オピニオン)のパンフレットを発行します。それは自由ですよね。大いに充実へのエールを送りたいと思っていました。

ところが今年になって、彼らが「フォーラム・オピニオン」を改題して「現代の理論」を名乗る動きをあることを知りました。『現代の理論』と関係ないのですから、勝手に名乗るな、そらアカンと思い話し合いを申し入れました。

以降二度話し合いましたが、彼らは、“紙ならいいだろう、明石の石井社長とも話した”それのみでした。当方らは“アホなことやめとけ(関西弁)”“最近は紙もデジタルも一緒や”“いま、雑誌も新聞も紙とデジタルを併用してるやろう”“不当競争防止の観点からもおかしい”。“紙もデジタルも現代の理論は類似でダメ”と説得しましたが、紙ならいいだろうの一点張り。“もう、お前ら社会の常識知ってんのか。市民社会で通用するか”“知らない人に迷惑かけるのはやめろ”“今のパンフで大いに頑張れ”と条理を尽くしましたが、もう理事会で決めたでした(そのNPOの理事長は日本を「代表する」憲法学者の先生)、編集長が○○○さん、ペンネーム○○○○○は有名人?。もうマンガですよ。

“恥を知れ”、『理論』第三次発刊の中心メンバー(第二次理論編集部)は、“あいつらは道理も仁義も知らないのか”“とにかく理論を名乗りたい、それが知性の劣化や”とかんかん。ある事情通は、“どうするの、まあ中身も装填も雑駁や”の便りあり。(小生など雑誌編集者として、正規のオフセット印刷はとても財政的に大変。組合ビラや町内会報、近所の不動産屋の新聞折り込みチラシなどによく利用される品質の劣る軽印刷。確かに汚いが同情しますね)。6月17日には内容証明文で「現代の理論の名称を使用することをやめるように。いつでも話し合いには応じるが、やめなければ不正競争防止の観点から法的措置を講じることもありうる」と警告しています。

今回は、本誌編集後記の欄でとりあえず触れました。本当に申し訳ない気分です。多くの読者のみなさんは関係ないですからね。デジタル発信の『現代の理論』を読んで、これからも読もう、読む価値ない、など自由ですよね。エセ「理論」は限定的でしょうが、何かありましたら現在の『現代の理論』、デジタル発信の『現代の理論』とは関係ないらしい、とお伝えください。必要がありましたらもっと詳しく経緯等お知らせします。勿論読者の皆さんにとっては関係ない話ですよね。それが多くの読者の声と思います。(スミマセン、先に謝っておきます)。

それにしても、小生らが『朝日新聞』や『世界』、『中央公論』を名乗り、デジタルやったらええやろう、と発行したらどうなりますか。商標権違反で即日ダメでしょう。使用禁止・回収ですよ。彼らは分かっているのか、いや分からんからやっているのでしょう。今からでも遅くないので悔い改めやめろと言いたいですね。

『現代の理論』はやはり戦後の論壇・左派の論陣の一翼を担ってきた歴史があります。今に続く第三次(デジタルを4次というかは?)の『理論』発刊は、昨年逝去された沖浦和光先生の“おまえら全共闘世代もエエ歳や、現代の理論でも復刊せい”の発破が発端。その沖浦さんにある日、“矢代はあの頃編集部におったやろう、知っていることは歴史に残せ”と言われました。それを思い出し『理論』終刊号(30号)に『現代の理論』の最高発行部数について記録に残しました。安東仁兵衛さんとの思い出、敬愛する梅本克己先生の思い出など歴史的に残す価値あるものがあります。いずれかの時に本誌で。

第三次『現代の理論』の経緯や明石書店との顛末、ささやかなエセ『理論』のことなど、雑誌『現代の理論』にとっては歴史の一コマです。歴史への証言は価値あるかもしれません。必要なら考えます。

●本号何とか発信にこぎつけましたが、主戦力の若手編集委員が大変。日本の縮図のように大学の非常勤―下部構造安定せず、子育ても大変。見かねて大野、黒田、北川などの中高年が奮起してくれる。これも日本の縮図か。しかしパワーはある。老壮青の結合とは聞こえはいいが、さて・・・。(矢代 俊三)

季刊『現代の理論』2016夏号[vol.9]

2016年8月1日発行

編集人/代表編集委員 住沢博紀/千本秀樹
発行人/現代の理論編集委員会

〒171-0021 東京都豊島区西池袋5-24-12 西池袋ローヤルコーポ602

URL http://gendainoriron.jp/
e-mail gendainoriron@yahoo.co.jo

郵便振替口座番号/00120-3-743529 現代の理論編集委員会

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