コラム/深層
現行最低賃金が低賃金労働者を作っている
東京統一管理職ユニオン執行委員長 大野 隆
「最低賃金」と聞いて、それを身近に感じる人は少ないのではないか。かつては労働組合の役員でも、最低賃金は普通に働く人とは無縁で、とりわけ組織労働者とは別世界の問題だと考えていたし、今でもその傾向は強いように思う。しかし、現実は全く違ってきている。
7月26日、中央最低賃金審議会の目安小委員会が最低時給引上げの目安をまとめた。東京など大都市部のAランクは25円で、東京の場合は現在の907円から932円に上がる計算になる。Bは24円、Cは22円、Dは21円とされている。今後各都道府県の地方最低賃金審議会で議論が始まり、10月からそれが実施される。私たちの「最低賃金は今すぐ1000円、1500円を目指す」立場からはまだまだ小さい上げ幅だが、想定される中では大きな数字になったのは、運動や世論の力があったからだろう。
しかし、なおそこには、最低賃金の額自体が低すぎるという問題や、地域別の格差が大きいなどの根本問題がある。さらに、歴史的には、中卒女子初任給をベースにしていたり、企業の支払い能力という条件が入っていたりして、そもそも生活できる賃金を基にして決めることになっていないことや生活保護との逆転現象など、基準や仕組みがおかしいこともある。ただ、この稿ではそうしたことよりも、すでに最低賃金が現実の労働者の賃金決定の基準になってしまっているという状況を説明したい。社会にはびこる低賃金が最低賃金制度をベースにしている現実は極めて深刻だと考えるものである。
最低賃金並みの低賃金労働者が増えている
私自身の経験で、通信最大手のS社では定年後再雇用の労働者の賃金は最低賃金とほぼ同額で定めていると説明されたことがある。神奈川県の大手警備会社では、「時給905円」と雇用契約書に明記されている。この金額は神奈川の最低賃金額だ。ただ、残業代や深夜割増し分は正当に払うので、毎日深夜勤務をしているが、労基法違反はないことになる。千葉の運送会社では、雇用契約書の賃金額欄に「千葉県の最低賃金」と記載されている。こちらは残業代も払わず、超長時間労働を強いるとんでもない企業だ。
日本郵政では、時給が「その地域の最低賃金額の一の位を切り上げて20円プラスして決める」という制度を、全国一律に行なっている。東京では930円、秋田などでは720円になる。「律儀に」最低賃金が上がると賃金を改訂するらしい。全国に展開するコンビニチェーンでは、どこも最低賃金にわずかに上乗せした額で人が募集されている。時々最低賃金以下の募集が見受けられることもある。
最低賃金に貼りついた低賃金の実情
厚生労働省のホームページにあるデータで、2006年と2015年の全国の労働者の時間給の分布を10円刻みにしたグラフをみることができる。この10年ほどの間に、特に神奈川、愛知、大阪では分布のピークがほとんど最低賃金額と一致するようになっている。2006年には最低賃金より100円から150円高いところに低賃金のピークがあったが、2015年ではそのピークが最低賃金にほぼ重なっているのである。要するに最低賃金と同じかその少し上の賃金で働く労働者が増えているのであり、賃金水準の低下が著しいことがわかるし、逆に言えば、最低賃金の引き上げが具体的に個々の労働者の賃金引き上げにつながる状況にあることがよくわかる。
新たな最低賃金を基に10月に賃上げ運動を!
これも厚生労働省のホームページにあるデータによると、2015年の最低賃金引き上げによって、東京などの都市部地域ではすでにそれまでの最低賃金を下回っている労働者が2.1%、引き上げの結果それを下回る労働者が12.8%にのぼる。要するに最低賃金が引き上げられることによって賃金を引き上げざるを得なくなる労働者が15%ほどいるということである。つまり、とにもかくにも最低賃金が上がれば低賃金労働者の賃金底上げができるということだ。労働運動に携わるものが何を情けないことを言っているかと叱られそうだが、現実にそこまで賃金が低く抑えられているということである。
こうしたことから、新たな最低賃金が実施される10月に、それを基にした賃金引き上げの運動を展開することが現実に必要になってきていると考えている。
大きすぎる地域間格差-全国一律の最低賃金を!
現在の地域別最低賃金額(時給)は、東京の907円、神奈川905円、大阪858円、愛知820円、千葉817円に対して、沖縄、宮崎、高知、鳥取は693円、佐賀、長崎、熊本、大分、鹿児島が694円、青森、岩手、秋田が695円になっている。この格差は何を根拠にしているのか、既に説明ができなくなっているだろう。例えばコンビニでは、全国ほとんど同じものを同じ値段で売っており、業態もほとんど全国共通である。しかし、前述のように最低賃金に貼りついて賃金が決まっている状況では、この格差が実際の賃金に反映しており、現実に大きな賃金格差が生まれているのである。
しかも、その格差が年々拡大しており、さる7月26日に示され目安額でも、それがさらに拡大することになってしまう。1995年には東京の650円に対して沖縄などが554円で、その格差は96円だった。現在はその格差は214円である。
岐阜県の最低賃金は754円だが愛知は820円、その差は66円である。一日528円の差になってしまう。岐阜と名古屋は電車で20分余りのところ、岐阜の駅前が閑散としているのはそうした格差のために「労働者が川を越えて名古屋へ行くからだ」という説明を深刻に聞いたことがある。都会への一極集中はこの賃金格差から発する面もあるのだ。
国際比較でも日本の最低賃金の低さが際立つ
2015年12月の為替レートによると、日本の最低賃金(加重平均)798円に対して、オーストラリアの最低賃金は1515円、フランス1287円、イギリス1228円、アメリカ(連邦)882円となるが、金額で単純に比較すると為替の変動の影響があり、スッキリとしない。最近の為替レートでは、アメリカ(連邦)と日本は逆転する。しかし、ともかく日本が低いことは理解できるだろう。
別の国際比較もある。各国の賃金の中央値(労働者の賃金を低い方から順にならべたときに真中にくる労働者の賃金額)に対して、それぞれの最低賃金がどの程度の割合になっているかを比べるのである。すると、トルコは約7割、フランスは6割に達するが、日本は4割にも届いていないということである。フランス並みにしようと思えば、日本の最低賃金は東京で1360円にしなくてはならなくなる。日本の低さが理解できるだろう。
以上、現在の最低賃金制度の問題を述べた。歴史的・理論的なことがらには全く触れていないが、ともかく生活できる賃金を確保するための最低賃金制度をつくらないと、労働者が生きていけない社会がやってきてしまうという危機感が強くなっている。
できれば、一見してわかってもらえるグラフでデータを示して、視覚的に実情を明らかにしたかったが、紙幅の都合でできなかった。10月には新たな最低賃金が決まり、それによって賃上げをしなくてはならない労働者が大量に出てくる。そこで広範な賃金引き上げ運動を展開するためにも、改めて詳述する機会を得たいと思っている。
おおの・たかし
1947年富山県生まれ。東京大学法学部卒。1973年から当時の総評全国一般東京地方本部の組合活動に携わる。総評解散により全労協全国一般東京労働組合結成に参画、現在全国一般労働組合全国協議会中央執行委員。一方1993年に東京管理職ユニオンを結成、その後管理職ユニオンを離れていたが、一昨年11月から現職。本誌編集委員。
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