特集●歴史の転換点に立つ

再び問う”連合よ、正しく強かれ“

鳴り響くのは警鐘か、「産業報国会」への号砲か

元連合大阪副会長 要 宏輝

1.統一は分裂の始まり、平和は戦争の始まり

最大のナショナルセンター(NC)の連合(日本労働組合総連合会)は、官民あらゆる産別(産業)をカバーしているため、内部の政策要求の利害調整が難しい。利害対立は当然だが、妥協点を見出せないと政策要求は策定できない。政策が一致しなければ力の合目的的な発揮はできない。政権との対立軸のない連合の、漠とした状況が労働運動の方向感覚と活力を失わせてきた。

連合、全労連、全労協とNCは鼎立しているが、三つとも組織拡大は果たせず、逆に減少している。「戦争」には労働運動の建前上、「賛成」できないわけだから、NCの枠を超えた共闘をすべきではないか。せめて「1日共闘」でもしなければ、一般大衆には連合の「立ち位置」は見えてこない。一方で、(連合事務局長に内定していた)逢見氏が「官邸で安倍と密会」などと報じられると、連合内外で戸惑い、混乱が生じるのは当たり前だ。この「脇が甘すぎる」パフォーマンスは何のためだったのか、明らかにされていない。非難を覚悟するほどの重要な意味があったのならば、それを「公人」として明らかにする義務がある。

連合東京の舛添支持(今回は無責任な自主投票!)、連合大阪の橋下市長の不当労働行為攻撃に対する不作為(わざと何もしないこと)、また構成組織(産別)の連合脱退はじめ、産別間の信義則を欠くような言動(JAMと基幹労連は選挙協力解消で「共倒れ」、自治労とゼンセンの間の札幌・大阪「領土戦争」)の数々。内外の信頼を損なうような、相次ぐ事件や事象は、「連合よ、正しく強かれ」と「愛のムチ」をふるい続けてきた筆者を慨嘆させ続けている。

過去に遡上するが、連合結成前後、「顔合わせ」「心合わせ」「力合わせ」が合言葉となって流行(はや)った。「顔合わせは」できたが、1987年の「民間連合」(全日本民間労働組合連合会)結成時には、総評・同盟間、社会党・民社党間の確執が尾を引き、「心合わせ」ができないまま、旧産別のまま構成組織として加盟するところが多かった。1989年、官公労を加えてのナショナルセンター「連合」の誕生に間に合わせて、産別再編成の動きは総評全国金属と新産別(金属関係)とが合併して全国金属機械労働組合(これが1999年、ゼンキン連合と合併してJAMとなる)が生まれたこと以外、筆者は知らない。「賃金カルテル」が可能な、真の産業別労働組合とは言えない構成組織が目立ち、また、対立の激しかった郵政や国鉄(JR)の職場では、全逓と全郵政がながく並立したり、JR総連とJR連合等のように分裂・合併を繰り返した。自治労が全国一般を吸収し、ゼンセンが異業種を含む「複合産別」になったり、「近親結婚」のような離合集散が生まれたりもした。これが連合結成後も真の「心合わせ」に至らず、労働運動や社会運動における「力合わせ」ができ得ない原因である。

今一つの原因は、1989年「連合」発足以来、ねじれ解消の「悲願」であった、安保・自衛隊・原発の三つの課題が現在に至るも「彼岸」に置かれたまま、やり過ごされてきたことである。連合中央も地方連合も単産整理(合併)や産別間のトラブルにコミットしなかったことが、今日、大きな禍根を残すこととなった(ただ、選挙では、1993年の細川内閣の「非自民8党連立政権」の誕生や、2009年総選挙で民主党が空前の308議席獲得し政権交代を成し遂げる等、歴史上特筆される成果もあげた)

連合は「言うだけ」「書くだけ」で、構成組織(産別)に対して「産別自決」でやりなさい、産別は単組に対して「単組対応」つまり独自にやってよろしいといった、傘下の産別や単組に何の規制力もない融通無碍な運動体になっているのではないか。筆者は、会社>単組>上部組織(産別など)>上部団体(NC)といった下剋上の組織構造(注1)、この、文字通りの「構造問題」の最たるものを克服せよ、「連合評価委員会報告」(2003年の笹森清会長時代に答申され、極めて重要と評価された。ネットで引けば読める)や「連合行動指針」(前記評価委員会報告に基づき2005年10月の大会で決定)を実践せよとも訴え続けてきた。しかし、連合や産別は方針では「企業別組合主義の克服」を謳いながらも、実際に連合運動の「構造問題」にメスを入れることはなかった。十分に時間はあったろうに、不作為のまま、結成から四半世紀を費やしてしまった。

いま、労働界で「杞憂」に終わればよいがと思う話題がある(が現実になりつつある)。それは、砂上の楼閣というか、寄木細工のように存在してきた、連合が分裂、崩壊の危機水域に入ったかのような報道がなされていることだ(「選択」2016.6月号記事「四分五裂する労組『連合』」、6月7日日刊工業新聞、他)。

端緒は、①化学総連の連合脱退騒動、連合内の小さな「コップのなかの嵐」のような事件であった。これに重なるように7.10参議院選挙で、②自・公・維新などの改憲派が三分の二を越え、衆・参ともに憲法改正の発議の条件が整ったこと。連合内では、③野党共闘とりわけ「民共合作」批判、反共主義の声が勢いを増していること。

もともと、連合結成の「敷居」は反共(厳密には「非共産」)だったが、「反自民」でもあったことを忘れてはいけない。「戦争か、平和か」といった形で単純化できないが、①・②・③といった新たな状況が生まれるなかで、結成以来、連合に埋め込まれてきた、安保・自衛隊・原発の三つの「地雷」が踏まれるかもしれない。爆発すれば、連合の終焉だけではすまない。

戦争法制は、海外派兵から有事法制、国民戦争動員へとまさに切れ目なくつながっている。第三インターナショナルの崩壊、労働組合も「産業報国会」化され、国家に総動員されてしまった第二次世界大戦の愚を繰り返してはならない。労働運動のリーダーや労働組合の幹部役員は、現在という「戦前」のヘゲモニー争いに勝ち抜き、「労働者の保護者」という究極の使命を果たすべき時だ。戦争になったら、労働者の生活も命も会社も何もかもない。大東亜戦争、そして福島の原発事故が如実にすべてを物語っている。

2.規制緩和、「アベノ春闘」にお株を奪われた連合運動

労働運動理論の先駆者である清水慎三氏は、その時代を主導した民間大手組合の特質を解析・区分し、「企業別労働組合三段階論」を唱えた。その第一段階は<1940年代後半~50年代初期>の「戦後初期型」組合で、この原形を保っていたのは三井三池に代表される炭労や民営化以前の国労等であった。第二段階は<1950年~60年代前半>の、生産性に協力し、成果配分にあずかる「協調主義型」組合。第三段階は<1960年代半ば~1989年労戦統一前後>の「経営の末端職制と組合が融合した」組合。さらに筆者は、第四段階として<1990年代~今日まで>の、「グローバル競争下で組合機能が溶融(メルトダウン)した」組合を加え、「四段階」とする。

企業別労働組合の第四段階の今、労働運動の弱体化をあげないわけにいかない。労働運動の頂上と谷間の極端な落差、その根拠のその一つは、役員資質の劣化と労働界の「2007年問題」と言われる、70年安保闘争の「中衛」を担った活動家層の払底である。この傾向は、連合といったナショナルセンター、単産、単組のレベルまで共通している。人材の劣化は年を追って深刻化し、労働運動の危機の主要素となっている。また、新役員のなり手がなく、ひどい単組では会社の手を借りて役員構成がやっとできるところも。会社にしてみれば、三六協定の代表者がなくなっても困るし、労使自治の外形が壊れてしまっても困るといった事情がある。

労働組合の組織拡大の「周辺」も狭まっている。デフレ不況とグローバル化の圧力によるコスト削減のための賃金抑制と非正規雇用の拡大が進み、労働者は「下に向かっての競争」を強いられている。永年、中小零細の分野は「労働運動の不毛地帯」と言われ、100人未満企業の組織率は1%前後で推移している。「新しい不毛地帯」が組合の存在する職場にも急速に拡大してきた。有期労働契約の2000万人にのぼる非正規労働者群である。有期労働者の雇用年限は構造的解雇であり、権利と団結の芽を摘む。「年限を約束した」と本人を呪縛し、周囲の同情も封じる。さらに正社員組合からも排除されていることにより、容易に集団的な組織化につながらない。

製造業の多国籍化は一層進み、2000年代に入ると企業業績の伸びが目立ち始め、「2002年から2008年までの長期好況のなかで、企業の収益は大きく伸びたにもかかわらず雇用者所得はほとんど伸びず、大企業セクターでは労働分配率が大幅に低下している」(「平成20年版経済財政白書」P74)。この間に、労働組合が交渉力を発揮した形跡は見られない。2002年はデフレの真只中、トヨタが史上最高益1兆円をあげてベア回答を用意するも、奥田経団連会長のいわゆる「奥田の一喝」でベアなし回答、「ベアゼロ春闘」が定着してしまう。

これを憂慮した当時の福田首相は、2008春闘を前に経済界のリーダーを呼んで大幅な賃上げを要請した(2013年から始まった「官製春闘」の走り)。2007年夏から問題化し始めたサブプライム・ローン問題によるアメリカ景気の失速と外需不振を見越し、雇用者所得を引き上げ、内需拡大を図ろうとするものであった。しかしこの時も春闘の結果は政府の期待に沿うものではなかった。

3年目を経た「アベノ春闘」、つまり、政府が財界と「直接交渉」せざるを得なかったのは労働組合の交渉力が十分ではなかったからだ。交渉力が不十分というよりは組合の闘争力の低下(注2)といった方が正確であろう。争議行為件数の極端な減少は、多くの労使関係のなかで「おしゃべり団交」、つまり、争議の伴わない「集団的な物乞い交渉」が行われてきたことを示している。筆者は、「こんな回答でストライキもせずに、どんなにして組合員を説得しているのだろう」と不思議で仕方なかった。組合員からもさしたる「異議申し立て」や組織的反発も起こっていない。御用幹部の所為(せい)ばかりとは言えない、まさに労働組合のメルトダウンだ。

2016春闘でも、安倍首相は賃上げの奨励はじめ、「1億総活躍社会」とか「同一労働同一賃金」、連合のお株を奪うというか、「安倍は労働者の味方ではないか」と思わすようなキャンペーンだ。「月々6000円以上の組合費でベアなんて吹っ飛んでしまう。組合幹部はそのカネで飲み食いやゴルフ三昧。ベアだって官邸のおかげ。組合から脱退したい。」(大手電機メーカー社員、「選択6月号」記事より)といった「ものいわぬ組合員」の声は予想外に広がっているのではないか。先の7月10日の参院選では、労働組合員はじめ非正規労働者のなかからも多くのフダ(票)が自民へと流れ込んだと思われる。比例区の世代別得票で、20~40代の世代で自民党の得票率が第一位で40%を超えている(NHK調査)

3.四分五裂する労組「連合」と揶揄される連合の事情

化学総連(HPによると、正式名称は全国化学労働組合総連合。住友化学・積水化学・宇部興産・日本板硝子等20単組の自由な連合体・約4万6000人)の連合脱退、それは唐突に、予定されていたようにやってきた。

「連合は説得を重ねたものの、先ごろの中央委員会で正式に離脱を報告した。民進党への選挙協力を約束した神津里季生会長は『非常に残念。遺憾としか言いようがない』と語ったが、ナショナルセンターとしての連合の求心力が問われる事態となっている。連合の問題とは別に懸念されるのは、労働界内部の路線対立が石油化学コンビナートなどの現場の混乱につながることである。化学総連は、産業政策や春闘などで連合との窓口となっていた日本化学エネルギー産業労働組合連合会(JEC連合)との連携も解消した。

日本の石油化学コンビナートは、エチレンセンターを中心に多数のメーカーが集まり、結束して原料から製品までを一貫製造している。化学総連と協力関係にあったJEC連合には、JXエネルギー労組や東ソー労組、三菱ガス化学労組などが加盟している。コンビナートで働く化学総連傘下の地方組織の中には、連合離脱に反対した労働者も少なくないという」(6月7日日刊工業新聞)。また、月刊誌「選択」(2016年6月号)は、「化学総連に続いて『金属労協』も離脱、四分五裂する労組『連合』」とする記事を掲載した。

これに対して、6月3日、連合本部は「選択出版株式会社『選択』6月号掲載の「四分五裂する労組『連合』」と題する記事について」とのタイトルの連合見解を出した。内容は五行ほどの短い文章で、「金属労協に所属する五労組(自動車総連・電機連合・JAM・基幹労連・全電線)も連合離脱の動きを見せ始めた」「JAMはすでに参院選後の離脱に向けた動きを具体化させており、他の四労組に同調を呼びかけている」など、記事全体にわたって事実無根の内容が掲載されています。・・・選択出版株式会社に対して強く抗議しています」であった。

記事の内容はにわかには信じられないが(というか、衝撃的な事柄が散りばめられている)、記事の端緒となる事件は、連合の構成組織「JEC連合」に所属する化学総連が「JEC連合=組合員15万人超」からの脱退を決め、連合を離脱したことが4月に公になったことである。件(くだん)の化学総連は、昨年7月、「2016年5月をもってJEC連合とのブリッジ(連携関係)を解消し、連合も脱退すること」を決定していた。脱退理由は「不明」で、ブリッジ相手の「JEC連合」のなかでトラブルがあったわけでもなく、「JEC連合」は一年間かけて説得を試みたが「取りつく島もなかった」(ママ)と仄聞している。

化学総連の脱退が公になった4月以降、連合本部の逢見事務局長がUAゼンセン加盟の化学部会(東レや旭化成)も介して説得を試みたが失敗した。脱退理由も明らかにしていない、というか「理由がない?」というのが実相だ。脱退理由の不存在といった脱退は前代未聞だ。もともと化学総連の出自は、総評の合化労連の右派分裂組織の集まりだ。

筆者に流れてくる情報では、連合に加盟していても何のメリットもない、お金(組合費)がもったいないといったところか。2011年、セイコーエプソン労組(1万1000人)が連合長野そしてJAMから脱退した理由も実はお金(組合費)だった。この労組は組合の闘争資金を株式に投資して大損し、その穴埋めに上部団体費を充てるための脱退だった(注3)

脱退理由とされる上納組合費といっても連合に納める組合費はわずか、組合員一人当たり200円/月だ(連合大阪のケース)。これを含めて、所属する産別へ納める組合費は一人7~800円/月くらいだ。しかし「万単位」の組合員を擁する単組となると、800円×1万人×12ヶ月=9600万円と、年間1億円近い上納金負担となる。しかし単組では一人平均・月5~6000円の組合費を徴収しているから5000円×1万人×12ヶ月=6億円、6分の1程度の所属産別への上納金を高い(無駄)とみるかどうかは、単組の執行部の「志」のレベル、一般組合員の組合意識のレベルによる。

それ以前に、産別などの上部組織は傘下の大手単組には上部組合費の納入実人員の調整(サバ読み)を認めるなどの「便宜」を払って、その引き留めに苦労しているのが実態だ。加盟する産別に魅力や統制力がなければ、カンパニーユニオンと化した企業別組合はいとも簡単に脱退していく。

語るに落ちる話しだが、組織化(加盟)時に、「阪神タイガース応援団と労働組合の違いを述べよ」(司法試験・労働法の研究問題)くらいを教えとけよ、と言いたい。労働組合(「単組」、単位労働組合の略)は、組合員が理由もなく、何時でも脱退できる任意団体ではない。「脱退可」のケース(理由)は組合規約に定められ、それ以外の脱退は「脱退権の濫用」となり無効だ。ユニオンショップなどで団結強制が法認される法内組合だ。

しかし、問題は上部組織(産別など)から単組が脱退するケースだ。圧倒的多数の上部組織は産業別労働組合(産別)を名乗りながらも、その組織実態は単組の緩やかな連合体だからだ。「緩やかな連合体」とは、規約で単組単位の団体加盟方式をうたい、単組組合員の個人加盟を認めていない加盟方式だからだ。連合結成に伴う、新しい産別結成(産別合併)の際に作られた規約からは「個人加盟」が排除された。単組の組織脱退に際して、組合分裂などの紛議・トラブルを未然に防ぐためだ。会社の息のかかった単組を多く抱えていた旧同盟系が、加盟方式は「団体加盟」一本に強く固執し、旧総評系が譲歩した結果である。

4.連合に埋め込まれた「地雷」―安保、原発、自衛隊

原発再稼働、原発輸出

私は連合大阪時代、関電労組の役員と原発について論争したとき、彼らが言ったことを思い出す。曰く、原発は危険なものであることは認識している。だから完璧な安全管理を講じている。関電は、危険極まりない欠陥自動車(=原発)を買わされている被害者の立場だ。原発は小さな事故は起こしているが死者は出していない。自動車は公害(排気ガス)をまき散らし、交通事故で毎年何千人もの大量死を出しながら、「反自動車」運動が起きない。自動車には許されて、なぜ原発が批判されなければならないのか?

続けて曰く、「原子炉は電機連合、鋼材は鉄鋼労連、ウラン鉱・核廃棄物の輸送に造船や日通、そしてJAM(筆者の出身産別)からは格納容器、バルブ、パイプ、バッテリー、消防自動車、送電鉄塔などを購入している。連合傘下の組合は『反原発』など言える立場ではない」(関電労組役員)。そして、納入業者からすれば、すべてを電気料金に転嫁できる「総括原価方式」を採っている電力会社は「言い値」で買ってくれる「おいしいお客様」、だから利益(儲け)も大きい。

電力総連(実態は関電労組のみ)や電機連合(実態はパナソニック労組。サンヨーは消滅、シャープは台湾に身売り)が歴代の連合大阪会長を輩出してきた。連合の運動方針では「社会的労働運動」や「労働を中心とする福祉社会」をうたっている。「自分の出身企業の立場を擁護するのであれば、連合役員など辞めて、おとなしく、当該企業内組合の役員に甘んじるべき」と、筆者は説諭したものだが、彼らは反原発運動などを抑えることを使命として連合役員に派遣されているのだから、聞く耳を持たなかった。

しかし、福島原発(「F1」)のメルトダウンの大参事から5年余、国や電力会社が深刻な事故の可能性を知りながら、それでもなお、原発の再稼動あるいは輸出へとむかうのは、リスクを超える経済的・政治的利益があるからだ。稼働停止のうちはまだいいが、一転、廃止になれば原発装置は莫大な不良資産化してしまう。

「原発はなくても電気は足りている」といった反論では十分ではない。早晩、原発なくしては電気が足りないくらいの成長をする国々が次々に登場し、日本はますます成長の競争で負け組になり、そうなればなるほど、「核」への欲望を募らせる国家資本主義と一蓮托生の電力会社(労組)や原発メーカー(労組)の連中とはまともな対話は成立しない。

すでに始まっている武器輸出、戦争特需

昨年、戦争法が成立、武器輸出はすでに解禁となっている。需要創出の即効薬は、スペンディング政策の最たる「戦争」であることは、古今東西の「常識」である。武器産業のすそ野は広く、市場も世界規模だ。原発どころの比ではない。旧民主党(現民進党)の、とりわけ連合系民間組合出身の候補者のリーフレットを観る限り、反原発、反戦争法の活字が見られなかった。戦争になると企業別組合が戦争協力させられてしまい、連合がそっくり戦前の「産業報国会」に衣替えするのではないか。

戦争法制は、海外派兵から有事法制、国民戦争動員へとまさに切れ目無く繋がっている。 違法な戦争に送られるのは、自衛隊員だけではない。武力攻撃事態法によれば「指定公共機関」とは「独立行政法人、日本銀行、日本赤十字社、日本放送協会その他の公共的機関及び電気、ガス、輸送、通信その他の公益的事業を営む法人で、政令で定めるもの」とある。政府のHPによれば、それは各電力会社、ガス会社、船舶、航空、JR、私鉄、バス、日本郵便、運輸、電話、テレビ、ラジオなど多くの企業が含まれる。国家公務員、地方公務員ほか、戦争に協力させられる危険の高い産業の労働者は、戦争法制反対にさらに大きく取り組むことだ。

「戦争法」が成立し、軍需産業が「戦争特需」でさらに潤う。しかし、すでに「戦争特需」と準国家総動員体制は展開されている。2003年に武力攻撃事態法(注4)が成立し、自衛隊法が改悪され有事法制が定められて以降、医療・通信・運輸関係の官・民が平時の軍需動員されている。以下は、筆者が知り得た日通のケース。2004年1月にイラク派遣された自衛隊の先遣隊が使用する装甲車などを日通が請け負って現地まで輸送した。10年前のルワンダPKOでは、自衛隊の帰国に際して、基地撤収の仕事を日通の社員がしている。

全日通労働組合は、「自衛隊のイラク派遣 にともなう輸送業務は、安全確保と本人の同意があれば従事できる」とする会社方針を受け入れ、「『自衛隊のイラク派遣にともなう輸送業務』は実施され、『イラク関連輸送などの特需』といわれるほどに、テロ(抵抗)に遭う危険な業務と引き換えに戦争特需といえるほどに会社の大儲けとなりました」(『全日通労働組合第59回定期全国大会議案集』p7)。リスクの大きい仕事は利益率も大きく、味をしめると止められなくなる。戦争特需の、大きな利益(率)は麻薬のように労使をむしばむ。「安保」「原発」「戦争法」で動けないのも連合の構造問題だ。連合は、安保法制(戦争法)反対の声すらあげず、集会・デモ等何一つ行動しなかった。

参院選完敗の大阪の「理由(わけ)あり」事情

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」(野村監督)と言われる。東北と比べて関西で自民や大阪維新ら改憲派が圧勝した。負けるべくして負けた理由がある。とりわけ、大阪で野党共闘が機能しなかったのは、二つの「反共」(反共主義・反共闘主義)という歴史的要因があるからだ。労働界、部落解放同盟、「社公民」VS共産党のながい歴史的対立が存在した。前者らの「反共産党」、後者共産党の「セクト主義」は根深い。

二つ目の理由はもっと単純。ここ10年間の選挙で民主党の議員が居なくなってしまったこと、つまり、野党共闘(民共共闘)するにも一方の当事者の民主党が根こそぎ、「おおさか維新」に刈り取られてしまい、府議会で1(最大時約40名)、大阪市議会でゼロ(最大時約20名)になってしまい、フダ(票)を生み出す後援会もなくなり、「集票マシーン」と言われた市労連は組合活動を封じ込められたままになっている。

9年前(2007年7月)の参院大阪選挙区、空前の128万票でトップ当選した民主党の梅村参院議員が6年後(2013年)の参院選で33万票の最下位落選、今回(2016年)の参院選でも尾立参院議員が37万票で最下位落選(注:いずれも泡沫候補は除いた順位)。このわずか9年間で民主党の得票数が実に100万も消滅している。衝撃的な事実だが、これが、800万大阪における民主党の現在の実力、つまりは連合大阪の力でもある。自公に対する「野党」の役割は民主党に代わって「おおさか維新」がキッチリと果たしており、民進党(民主党)の出番は全くなくなっている。100万票が「屁」のように消えてしまったわけではない。

三つ目の理由は、直近10年間の、連合大阪の不作為(何もやらなかった。というのも一時、「勝ち馬」橋下に乗ろうとする動きも存在した)の罪である。2004年秋、「大阪市職員厚遇問題」が浮上、2008年には自公に擁立されたタレント弁護士の橋下徹が府知事に当選、「不幸せ(府市合わせ)」と言われた「大阪都構想」で敵対した平松市長を落とすべく、市長選に打って出る。当選した橋下市長は、歴代市長の「集票マシーン」を担ってき、平松市長を組織挙げて応援した市労連に対して報復、弾圧の攻撃を執拗に続け、裁判・労働委員会などの係争事件数は57件にのぼった。法廷の争いは橋下市長の「負けっぱなし」だったが、当該職場では「負け犬」のままで反撃の闘いがない(詳細は「週刊金曜日」2015.2.6号掲載の筆者論稿)。

橋下は市長の以前、知事の時代にも府職員(聖域とされてきた府警2万人も含めて、これがまた橋下人気をいやがうえにも高めた)の賃金や退職金カットなどを強行していた。ローカルセンターである連合大阪は支援行動を何一つ取り組まなかった。当時の川口清一会長は関電出身だったが、府労連(新居晴幸議長)の支援要請に対して、「公務員厚遇問題」と「産別自決」(大阪府の事案は当該の自治労で闘って決すること)を口実にコミットすることを拒否した(福島原発事故後、関電労組は自らの「厚遇問題」と「産別自決」で孤立無援を余儀なくされたのは皮肉な話だ)。

別件であるが、大阪で30店舗を展開するスーパー「サンプラザ」の組織化をめぐって、自治労とUAゼンセンの下部組織の抗争が続いている。抗争は大阪府労働委員会の場に持ち込まれ、「会社が店長を走狗として作ったUAゼンセンの単組はそれ自体が不当労働行為の産物である」との趣旨の救済命令(2016.5.9)が発せられている。本件についても連合大阪は調整の役割発揮もしない。苦闘している単産の支援もせず、産別間のトラブルに調整の汗もかかず、原発や戦争法について内外に明確な発信もしない、この、連合大阪の存在感のなさ。大阪最大のローカルセンター40万人が擁した民主党(民進党)候補を二回続けて最下位落選させたのは「理由あり」というほかない。

おわりに、7.10参議院選の総括を一つ、そして連合運動への「のぞみ」を一つ。連合傘下の構成組織は組織内候補の「個人名」のフダ(票)集めに奔走していたのが実態だ。民進党比例区得票ランキングで、連合の組織内候補が上位当選を独占するといった結果は当然としても異様だ。比例区当選者数の一定枠を市民候補者にも与えるといった措置を考えなければ、民進党のウイングは拡がらない。

総評時代、産別労組や地域労組(地区労)などは“正義の味方”と言われた時代もあった。組合は組合員の権利擁護・拡大と共に社会的存在を自覚し、反戦・平和や社会問題、地域活動にも取り組んだ。いまは昔日の面影なしである。連合や単産、単組の幹部、活動家は(前述)紹介した「連合評価委員会報告」や「連合行動指針」を是非、もう一度読みこんでいただきたい。必ず、 “連合よ、正しく強かれ”との「気づき」に出会うことができるだろう。(2016.7.20)

(注1)単組は会社に対して弱く、上部組織である産別に対して強い。御用組合であるほど会社に弱く、組合員の多い大単組であるほど単産に強い発言力を持つ。また単産は大単産であるほどに上部団体であるナショナルセンターやローカルセンターに影響力を行使できる。大単産のトップ(連合副会長)と連合会長の関係は大株主と雇われ社長のような関係というのが実態だ。また、連合結成=統一によって、最も遅れた「労働運動の陥没地帯」の民間大企業労組と「労働運動の封じ込め地帯」の官公労が連合の上層部を構成することになったが、「一致しないことはやらない」という申し合わせに自縄自縛され続けてきた。(拙稿「連合よ、正しく強かれ」『現代の理論』2009年春号、「連合の構造問題と運動変革」JR東日本労組機関誌『セミナー110号』などに詳述)

(注2)昭和30年代以降、民間企業の労使関係においては労使協議制度が生成・発達した。そのような労使自治が昭和40年代に大勢として確立した。労使共存的組合と並んで労使対決的労働組合が存続し、また並存組合の労使関係の企業もあって、労使紛争も続いていたが、昭和52年の私鉄労使の春闘の自主解決以降、労働委員会において団体的労使紛争がつるべ落としに減少していく。(平成10年「労使関係法研究会報告」)

(注3)当時、当該のエプソン労組は「JAM甲信とは、賃上げなど運動方針に違いがある。産別労組に縛られない運動を展開したい」(2011.5.20毎日新聞)と一見もっともらしい脱退理由を説明していた。JAMが単組の賃上げなどの運動を縛ることなどあり得ない!筆者は現在の「産別自決」「単組対応」つまり自由放任からもっと産別規制を強化すべきと主張してきた。

(注4)武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(平成15年6月13日法律第79号):この法律はいわゆる「有事法」の基本法であり、具体的に日本が外国の武装勢力やそれに準じるテロ組織が日本を襲った場合に民間人を保護、緊急の避難をさせ、武力攻撃に対抗し武装勢力を排除し、速やかに事態を終結させるための日本の法律である。武力攻撃事態法などと略す。朝鮮民主主義人民共和国のミサイル、核兵器開発疑惑、不審船による領海侵犯、アメリカ同時多発テロ事件、イラク戦争等の危機に対処するために、長年タブー視されてきた有事立法が2003年に成立した。国会採決においては、与党の自民党・公明党に加えて、野党の民主党も賛成に投じた。

かなめ・ひろあき

1944年香川県生まれ。横浜市立大学卒業。総評全国金属労組大阪地方本部に入り、91年金属機械労組大阪地本書記長から99年連合大阪専従副会長。93~03年大阪地方最賃審議会委員。99年~08年大阪府労働委員会労働者委員。著書に『倒産労働運動―大失業時代の生き方、闘い方』(編著・柘植書房)、『大阪社会労働運動史第6巻』(共著・有斐閣)、『正義の労働運動ふたたび』(単著・アットワークス)。

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