特集●転換の時代

安倍晋三政権とメディアの関係

首相会見が「記者クラブ主導」から「官邸主導」に

メディアウオッチ100代表 今西 光男

『週刊ポスト』2016年4月15日号のトップニュースは「NHKニュース番組の『秘密のルール』を暴露する」という大見出し記事。〈「みなさまのNHK」のニュース番組には公平中立で、民放に比べて内容もしっかりしているという印象があるが、実は視聴者にひた隠しにされる、奇妙な“ルール”が数多く存在する。本当は「報道の不自由」だらけの裏事情を徹底レポートする〉(「週刊ポスト」HPのキャッチコピー)。

その本文を読むと――①国会論戦の中継は「政府答弁で締める」②籾井勝二会長の国会答弁ではメモを渡すNHK職員の姿を映さない③反原発などデモを報道する際は同時に番組内で政府の立場・主張をきちんと取り上げる④「日曜討論」の発言時間は秒単位まで計測し、政治的公平性をはかる⑤NHK予算を審議する衆参両院の総務委員会はすべて中継放送し、委員全員の顔をアップで映してサービスする――など、もっともらしいものが並んでいる。

しかし、これは、NHKの内部文書を入手した大スクープではない。「暗黙のルールがある」とのジャーナリストの大谷昭宏氏(読売OB)の証言をもとに、これまでの噂話をまとめた程度のお粗末なもの。しかも、それぞれの項目に「NHK広報局は“ルール”の存在を否定」「NHKはご指摘のようなルールはありません」との否定談話がついたものだった。「看板に偽りあり」の典型にすぎない。

NHKに対する、テレビに対する、第2次安倍晋三政権の圧力、メディアの自主規制はこんな程度のものではない。マスコミOBでつくる『メディアウオッチ100』での報道や同人たちが得た情報をもとに、安倍政権のメディア戦略を解明してみたい。ここで紹介した事例や分析の多くが『メディアウオッチ100』で既報のものであることをご承知願いたい。

首相会見主催者は記者クラブ

これまで、首相官邸での取材は首相官邸を担当する「永田町クラブ(内閣記者会)」が官邸側(官房副長官・官邸報道室)と協議して、首相会見、官房長官会見、政策発表などの日程、ルールを定めてきた。もともと、首相会見などは「永田町クラブ主催」であり、「報道の自由」が権力から獲得した成果という考え方だった。クラブ側の意向が強く反映される「クラブ主導」だった。政権の座に就いたばかりの権力者にとって、マスコミ、つまり記者クラブを味方につけるため、その建前を一応、受け入れることが政権に就いて最初の懐柔策、マスコミ対策だった。

永田町クラブは政治部記者中心、しかも朝日、読売、毎日、共同、時事の5社とNHKのキャップが主導する。キャップはいずれも政治取材10数年以上というベテラン記者。首相の出身派閥の担当記者を長くつとめ、首相とともに「官邸入り」という記者が多かった。いわば「身内」であり、特別の配慮をするのは当然だった。社内でも、現場の責任者として、本社の編集局、政治部に強い発言権を持っており、編集幹部が首相と接触しようにもその了承をとらない限り、なかなか難しい。自然、「永田町クラブ内」では「本社」に対する対抗心もあり、抜け駆け禁止の「談合」が生まれた。

田中金脈事件、ロッキード事件が雑誌ジャーナリズムから発覚したのも、こうした自民党政治と記者クラブとの関係が要因の一つだった。「政治改革」の名のもとに、「55年体制」は崩壊し、1993年、細川護煕連立政権ができた。多くの新聞社、テレビ局では「野党キャップ」が「官邸キャップ」になり、「永田町クラブ」の慣行・ルールはそのまま温存された。ただ、一つ、大きく変わったのは「新聞からテレビ」に政治報道が移ったことである。

テレビで変わった政治報道

細川首相は記者会見にプロジェクターやパネルを導入、テレビを通じ視聴者に直接、訴えた。自民党政権が復活すると、小渕恵三首相は「冷めたピザ」を持ち出して、テレビを意識したパフォーマンスを演出した(1997年)。しかし、まだまだ記者クラブ体制は健在だった。自民党主流(経世会)との連携には、「永田町クラブ」、「平河(自民党)クラブ」との連携が不可欠だったからだ。

ところが、「自民党をぶっ壊す」をキャッチフレーズにした小泉純一郎政権が誕生し、2002年4月に新しい首相官邸ができると大きく変わった。これまでの旧官邸では首相執務室前の廊下まで、首相番記者は出入り自由で、まさに、首相の1挙手1投足、面会する人も分かる仕組み(もちろん、記者団の隙をついたり、天井裏から入室して密かに面会したりするケースはあった)になっていたが、新官邸では首相、官房長官のある5階フロアーには記者の立ち入りが禁止され、正面玄関横のモニターでチェックするしかできなくなった。首相執務室と官房長官執務室との間には裏廊下もあり、モニターに映らずに、出入りできるようになった。

首相と首相番記者との接触の場は官邸入退廷時の記者団とのいわゆる「ぶら下がり会見」に限定され、それも首相が嫌なら「無言」で通り過ぎることも可能になった。派閥領袖の経験のない小泉氏はこの「ぶら下がり会見」を活用した。テレビカメラの取材を認める「ぶら下がり」を夕方の退庁時に設定、ここで短いフレーズで刺激的な「小泉語」を放った。これに煽られて、国会内でも各党実力者が「ぶら下がり」のマイクに集まり、女性アナウンサーにサービスに努めた。これまで派閥記者との懇談でしか話さなかった「オフレコ」がマイクの前で次々に飛び出した。記者クラブ体制が女性キャスターに負けた瞬間だった。

小泉政権でもう1つ、打ち出したのが、週刊誌やスポーツ紙、芸能女性誌、テレビのワイドショーの重視だ。雑誌記者、フリー記者、テレビディレクターなど、これまで記者クラブから排除、疎外されてきたジャーナリストを取り込み、小泉情報を流した。2005年の郵政選挙では郵政改革に反対する議員に「刺客」を送り込む派手な「小泉劇場」を演出し、テレビのワイドショーや芸能女性週刊誌はこぞって取り上げた。このなかにはスキャンダルに絡んだ裏情報もあり、議員秘書上がりの飯島勲首相政務秘書官が使ったのがフリーの記者たちと霞が関のノンキャリアたちからの情報だった。

「記者クラブ批判」を背景に、小泉政権時代に記者会見は「永田町クラブ主催」から「官邸との共催」、そして「官邸主導」にと、変化していった。

小泉手法を継承した安倍氏

次の安倍晋三氏も、派閥領袖を経験せず、閣僚経験も少ない。小泉訪朝時の強硬姿勢が、安倍氏の知名度を飛躍的に伸ばし、小泉氏が抜擢した。「テレビ視聴率を稼げれば、内閣支持率も高くなる」というワイドショーでの人気に期待したのである。テレビでは政策より人物、沈思黙考より即断即決、視聴者を刺激する「キャラ」が立つ人物がもてはやされた。安倍氏は「拉致の安倍」を看板に、一段とタカ派路線、強硬路線を強めたが、結局、政権維持のための準備不足から、その未熟さを露呈し、逆にテレビ・ワイドショーの餌食となった。「お友だち閣僚」の相次ぐ失言、スキャンダルの表面化、「ぶら下がり」での感情的な対応、これに2007年参院選での敗北が追い打ちをかけ、体調不良を理由に退陣した。自らを売り出したメディアが、風向きが変わるや足をひっぱったのである。新聞はもちろん、テレビまでもが……。

2013年秋、政権に復帰した第2次安倍政権は、「失敗の原因」を徹底的に分析し、リベンジを果たす。借りを返すどころか、きっちり復讐まで果たそうとする。後者の標的になったのが朝日新聞とNHKと、そして永田町クラブなどの記者クラブだった。

安倍氏が小泉内閣の官房副長官だった2005年1月、NHKの慰安婦報道をめぐる番組改変問題が起きた。安倍氏と「お友だち」の中川昭一経産相がNHKに圧力をかけたとして朝日が報道、これに反発した安倍、中川両氏との間で大問題になった。以来、安倍氏は朝日とNHKを目の敵にした。その意趣返しの意味もある。政権に復帰するや、朝日の「慰安婦報道を捏造だ」と国会などで批判し、訂正・謝罪を要求した。NHKには自らに近い民間人を会長に送り込み、統制を強化した。

その一方で安倍政権寄りの産経、読売両紙に対しては独占インタビューで優遇した。「月刊文芸春秋」や「ニューズウィーク日本版」、さらには「月刊正論」「中央公論」など、雑誌インタビューにも登場。首相側が選別する形で、民放テレビ局のワイドショー番組にも、次々に出演した。地上波だけではなくBS局、さらにはネット配信の「ニコニコ動画」にまで足を運んだ。

官邸のメディア戦略を握る経産省コンビ

「官邸主導」のメディア戦略を、現在の安倍官邸の仕組み、人事構成からそれを見てみよう。

★第2次安倍政権の官邸人事

首相・安倍晋三(S290921、成蹊S52 、神戸製鋼、S57 外相秘書官、衆院7回)
官房長官・菅義偉(S231206、秋田湯沢、法政S48 、小此木秘書、衆院6回)
官房副長官・萩生田光一(S38。八王子市議、都議。衆院4回)
官房副長官・世耕弘成(S37、早大、S61NTT、参院4回、安倍1次内閣補佐官=広報担当)
官房副長官・杉田和博(事務・警察S41 、警備局長、内調室長・危機管理監)
首席首相秘書官・今井尚哉(政務・経産S57 、安倍1次秘書官、エネ庁次長)

【危機管理】
内閣情報官・北村滋(情報・警察S55、安倍1次秘書官)
内閣危機管理監・西村泰彦(警察S54、警視総監)
内閣情報通信政策監・遠藤紘一(S41 リコー。会長)

【外交・安保】
国家安全保障局長・谷内正太郎(外務S44、条約局長、外務次官、内閣参与)
同次長・官房副長官補・兼原信克(外務S56 、安保課長、内調次長、国際法局長)
同次長・官房副長官補・高見沢将林(防衛S53 、運用企画局長、政策局長)

【内政】
内閣副長官補・古谷一之(大蔵S53、主税局長、国税庁長官)

【広報】
内閣広報官・首相補佐官・長谷川栄一(広報・経産S51、中小企業庁長官)
内閣参与・谷口智彦(元日経BP記者、元外務副報道官、慶大教授)

※数字は誕生日、入省年次、Sは昭和、Hは平成

このうち、広報・メディア戦略を取り仕切るのが、内閣広報官の長谷川栄一と首席首相秘書官の今井尚哉の両名(いずれも経産省出身)である。とくに、長谷川は、広報室を通じ、政府の内閣予算を握り、世論調査や政府広報を所管、電通などの広告代理店、新聞社、民放各社、出版社(とくに月刊誌、週刊誌)などの広告発注権限を持つ。

また、報道担当の首相補佐官として、首相会見の司会役を務め、会見を取り仕切る。日程や議題、首相発言の内容については、経産省の後輩である今井を通じ、調整する。会見時間、質問者をあらかじめ、想定し、報道官が個別に記者に打診し、想定問答集を入念に作成し、首相と打ち合わせ、リハーサルを行ったうえで、会見に臨む。政策の中身より、見た目、映像を通じて、首相の姿がどう映るかが問題なのだ。手ぶりや決め台詞、目線まで、プロの手で練り上げ、首相は忠実に練習する。政治家というより、役者の世界だ。

その舞台が第2次政権になって増えた。首相会見はこれまで慣例になっていた通常国会開会前・閉会後、国政選挙直前などのほか、首相からの要請で、消費税問題、安保法制などの重大な政策発表の舞台として、たびたび設定された。そのたびに、首相はリハーサルに専念する。

質問者も事前に選定

会見はNHKでの生放送が必須条件で、臨時・緊急の場合を除き、時間帯は正午前、あるいは午後6時から、いずれも最大30分間と決めている。NHKの正午のニュース、新聞の夕刊に報道させる、後者は民放の夕方のワイドニュース帯、NHKの午後7時のニュースへの露出を前提に考えた設定である。締切直前の発表となれば、記者の対応は限られる。最初に流れるNHKニュース、通信社の発信がそのニュースの評価を決めることになる。

いずれの会見も冒頭12分から15分間が首相から説明・発言し、そのあと、質問に入る。長谷川栄一内閣報道官が司会役としてすべて取り仕切る。冒頭の質問はクラブ側幹事と決まっている。会見内容を長谷川氏が事前に打ち合わせた相手なので、その質問内容は予想されたものとなる。このあと、挙手を促し、自由に質問させているように見せるが、これも事前の仕込みが行われていることがありありだ。通常、質問者は3人程度、指名権は司会者にある。質問内容が想定できる新聞社の記者を選ぶことも可能。場合によっては事前に特定の記者に質問を頼むこともあるという。

外遊時やサミットなどの会見では、現地の外国人記者から質問にどう対処するかが、一番苦労するところ。とくに、中国や韓国、欧米の記者からの首相に厳しい質問や想定外の質問が出た場合の処理、対応、事前の情報収集、想定演習が最も大事になる。問題は「やらせ」と視聴者から思われないこと。首相に批判的な新聞社の質問も1人は受付け、最後に首相の見解で着地を図るというのがベストシナリオのようだ。

2015年5月15日夕、集団的自衛権行使を容認する記者会見を終えた首相と、筆者(朝日政治部OB)は会う機会があった。「最後の質問は朝日にやらせたよ。やっぱり大した質問はでなかったね」と自慢気に話していたことを思い出す。

首相会見が「首相主導」になったと同様、毎日、午前11時と午後5時に行う官房長官会見も長谷川ら官邸が取り仕切り、短時間で終了するようになった。これもまた、テレビ放送(日本政府の公式答弁)が主眼で、事前の打ち合わせ、メモの読み上げが主体で、宮澤喜一氏や野中広務氏、梶山静六氏の官房長官時代のように、個性的な答弁や蘊蓄ある発言は姿を消し、官僚作成文書の読み上げに過ぎなくなっている。野中時代から登場した「あんちょこノート」を官房長官がバタンと閉じたら、終了の合図となっている。

メディアも記者も選別的対応

メディアの関係者との付き合い方でも、当然のように、首相は選別的対応をとる。新聞社やテレビ局の企業単位だけでなく、安倍氏は個々の記者、ジャーナリスト、番組についても選別、選択的な対応をとった。ある記者がキャスター、コメンテーターをしている番組に出ないと公言する一方、首相にすり寄ってくるベテラン記者、論説委員、政治部長、編集局長には会食などに招いて、懐柔した。安倍氏に近い政治部記者OB、週刊誌記者、ルポライター、評論家などフリーのジャーナリストなどでつくる、いくつもの「囲む会」がセットされ、懇談、会食などを通じて、「オフレコ」「極秘情報」が流された。

これまでの政権では、新聞社首脳が時の権力者と公然と会食をするような行動は慎む雰囲気、空気があったが、「政界指南役」を任じる読売の渡辺恒雄氏の出現で、読売、産経、フジ、日テレなどの各社首脳がそれぞれ、編集局長や政治部長を引き連れて、公然と安倍首相と会食するようになった。そうなると、朝日、毎日、中日・東京などのトップも、同じように申し入れ、有名レストラン、料亭でもてなした。NHK番組改変問題後、就任した朝日社長は安倍首相にすり寄るあまり、自ら主導して朝日の慰安婦報道の検証・謝罪に踏み込んだが、逆に首相から「不徹底・隠蔽」の非難を浴び、辞任に追い込まれた。

首相が頼るNHK の岩田明子記者

しかし、安倍氏が最も信頼し、頼りにするジャーナリストはしばしば会食し、「首相動静」に載る政治記者OBや新聞社社長、雑誌記者出身の作家、評論家ではない。筆者は安倍氏に会うたびに、「現役の記者で一番、信頼しているのは誰か」と尋ねているが、自民党幹事長時代、官房長官時代も、そして昨年会ったときにも、かならず「NHKの岩田だよ。彼女は信頼できる。家内も母もみんな信用している。是非、彼女を応援してほしい」と同じ答えをする。わざわざ彼女を呼び出し、2回も紹介してくれたほどだ。

「NHKの岩田」とは、NHK報道局解説委員の岩田明子記者。1996年に入局、岡山放送局を経て、2000年に政治部に。新人政治部員は永田町クラブに配属になり、首相番を務めながら、その合間に内閣官房副長官を回って、政治の仕組みを勉強する。当時の小泉内閣の官房副長官は事務の古川貞二郎氏と政務の安倍氏。まだ当選3回の安倍氏にとっても登竜門になるポストだ。以来、岩田記者は一貫して安倍氏を担当し、通常ならば、デスク昇格時などに政治部から異動するのだが、彼女の場合は解説委員になっても政治部に所属し、安倍氏の担当記者を続けている。

「岩田解説」が流れを決める?

さらに、内外の記者会見や国会での所信表明、施政演説など、第2次安倍政権の重要なイベントでは、その「NHKの解説レポート」を、岩田氏がほぼ、ひとりで引き受けている。政治部にはデスク、解説委員がほかにもいるはずなので、特定の記者がこれほど長期に専属で務めていることは異例のことだ。その中身は、安倍氏に甘い解説ではないかと思われがちだが、それが全く違う。問題点を整理して、これまでの経緯、分析、評価を簡明に説明する。自らの政治的主張、独自の見解を示すことはしない。いわゆるNHKの典型的な公平・中立で客観的な解説である。

安倍首相は記者会見で、野党やメディアに対して、批判的というより、挑発的な発言をよくするが、岩田解説はこれには触れず、淡々と政策的評価を強調することで、強権的な印象を抑える配慮があるかもしれない。だからなのか、安倍氏もこの岩田解説の放送を必ず確認して、納得しているようだ。メディアで最も早く報道するNHKの番組の中で、「岩田解説」によって、メディアの論調を方向付ける役割を期待しているのかもしれない。その意味でも岩田記者は安倍政治の重要な役者の1人になっている。

当然、安倍氏に食い込み、政権中枢の情報源にアクセスできる岩田記者は「特ダネ記者」でもある。最近では沖縄・辺野古訴訟の和解などをスクープした。籾井勝二会長のお粗末な発言で混乱が続くNHKにとっては、岩田氏の存在は頼りの綱でもある。一介の解説委員、政治部員でありながら、NHK内での影響力は会長、理事以上と言われる。

NHK内部では、第2次安倍政権になって、自主規制を先取りする現場の動きもみられる。そんな例をいくつか挙げてみよう。

委員会室を退席する首相を映さない

まず、国会中継が大きく変わった。生中継される衆参両院の予算員会のカメラアングル、カメラ操作が大きく変わった。委員会室全体を映すショットがめっきり少なくなった。質問席と答弁席のアップが多用される。安倍首相は自ら認めるように体調の問題から、しばしば委員会室を抜け出してトイレ休憩するが、その姿がテレビ中継ではまったくでないようになった。首相の出入りの映像をあえて、カットし、質問者や委員長の映像にこまめに変えている。視聴者には、審議中、首相が終始、答弁席に座っているように見える。トイレの回数は体調のバロメーターにもなりうる。プライバシーの問題でもある。NHKの現場のカメラマン、ディレクターのレベルで配慮したのである。

もう一つの例は、昨年8月6日の広島原爆の日の平和式典。首相が挨拶していると、場内から「安倍やめろ」の声が次々に飛んだ。首相挨拶がかき消されそうなはっきりとした音声だったが、NHKニュースでは首相挨拶の映像は流れたが、「安倍やめろ」の音声は見事に消されていた。TBSなど一部の民放ニュースは修正されず、そのまま放送された。デジタル技術が進み、映像の修正・加工は瞬時に簡単にできるようになった。

そのため、このような改ざんが他でも、視聴者のわからないところで行われている恐れがあるが、隠し通せるものではない。多くのデータが様々な形で保存され、だれでも入手できるようになった。国会審議もNHKの映像のほか国会テレビがネットで録画中継している。問題は、圧力を受けて改ざん・修正したことを報道しないメディアの問題なのである。

いまや、毎日報道される膨大な記事、番組まで一つ一つが厳しくチェックされ、「安倍官邸」から、非公式、公式の様々なルートを通じて、新聞社、テレビ局というより記者や番組担当者の現場にまで、注文や修正、訂正、謝罪などの要求、要請が達するようになっている。上司にも報告しないで、現場の判断で修正したり、自主規制したりする事例も多くなっているようだ。その意味で、第2次安倍政権のメディア戦略は「完成型」に近づいているかもしれない。

人事構成でみたように、その中核は第1次政権から安倍氏に仕えてきたメンバーばかりで、第2次政権誕生後もほとんど異動していない。それだけに少数精鋭といえるが、第2次だけでも3年を超えた。瞬間湯沸かし器のように突然怒り出すトップを支えながら、政権の重圧による蓄積した疲労は相当のものだろう。官邸人事が、自民党主流派、大蔵、自治両省の本流の支援が少なく、「経産省人脈」「地方議員人脈」「警察・公安人脈」「外務省英米人脈」に偏っているのも気になる。中堅幹部には首相の強い要請で、本省に戻れず、主要ポストを歴任できなくなったという例も多い。

マスコミの「安倍親衛隊」も、岩田記者のような安倍氏が官房副長官、官房長官時代の担当記者が中心である。彼らも10数年たち、いまや政治部の部長、論説委員クラスになり、現場から次第に離れてきている。時の流れはだれにも止められない。もともと、常識破り、異例づくめの安倍政治であり、メディア戦略である。いずれ、激変の時が来る。

【メディアウオッチ100】

会員制ネット情報紙。東日本大震災直前の2011年3月7日発刊、以来週3回、8~10本のニュース論評記事を配信している。執筆する同人は約200人、新聞社、テレビ局のOBのほか、政治家、官僚OB、企業幹部、組合幹部、大学教授、弁護士などさまざま。すべて署名記事であること、「グーグルで検索できない」情報を特定の会員だけに、その日のうちに配信している。会員は永田町、霞が関、大手町の関係者に集中、マスコミ各社も購読している。
問い合わせは、http://www.mediawatch100.com まで

いまにし・みつお

1948年埼玉県川越市生まれ。東京大学法学部卒。71年朝日新聞社に入社。大津、京都支局、大阪社会部、東京政治部次長、総合研究本部(現 ジャーナリスト学校)主任研究員などを経て2008年退職。著書に『新聞資本と経営の昭和史―朝日新聞筆政・緒方竹虎の苦悩』(朝日選書)『占領期の朝日新聞と戦争責任』(朝日選書)など。 現在、「メディアウオッチ100」を主宰。

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